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2008年8月

名前変えました。

ブログを始める前、迷うことなく付けたハンドルネームでしたが、先日コメントのレスに、
「キャラ姫には本当は漢字があって、それは〔伽羅〕といいます。香木の伽羅です。」
と自ら名乗り、そして「伽羅さん、」と呼びかけてくれる人ができてから、わたしは急に名前を戻したくなりました。

数日間生ログで観察しましたが、「銀の靴」での検索は多いものの、「キャラ姫」での検索は見当たらなくなっていたので、思い切って本来の名前に戻すことにしました。

伽羅〔きゃら〕

これがわたしのHDです。
よろしくお願いいたします。
いままで「姫さん」と呼んでくださってたかたは、もちろんそのままで結構です。

今日やっと晴れましたね。My_jewely_004_2
みんな、お洗濯がんばったのかな
confident

ではまた記事でお目にかかります。
                       
                             pencil伽羅〔きゃら〕moon3

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子に教はりて。

月曜日から一歩も出ずに引きこもり、木・金とほぼ寝たきりでした。
生理に低気圧が重なるとこうなってしまいます。

今日は、わたしと夫が親しくなるきっかけでもあった年に一回の行事の日。
知っている人はみんなわたしたちの結婚を優しく見守ってくれていると思います。
友人Kにも会のボスにも会えるチャンスではあるのですが、去年大丈夫と思って出席して、二次会の会場でパニック発作を起こしてしまったことを考えると、わたしはきっと「大丈夫」を装って無理をしてしまうだろうし、みんなも心配してくれてしまうと思って、今年は参加を控え、夫にだけ出席してもらいました。

夫の居ない食卓が苦痛に近い今、「あなたがいないなら息子に会いたいなあ…。」と漏らしたのを聞き逃さず、夫はさっさとわたしの息子にメールしてしまい、今夜夕飯を二人で一緒にと約束を取ってくれたのです。

息子が嫌がりやしないかと気がかりだったのですが、全然嫌がっているふうでもなく待ち合わせを確認するメールをやり取りできたので、あれ、やじゃないんだ…。とちょっと不思議でした。


わたしが遠くまで行けないので、こちらのターミナル駅まで来てもらったのですが、以外にも息子は上機嫌で、わたしの行きつけの店での買い物に付き合い、荷物も持ってくれました。
(あ、また手ぬぐいやら買ってしまいまシタ…。)

夕刻になり、レストラン街を一つ一つ見て回って、「さあどこにする? なんでも好きなものを好きなだけ食べていいよ!」というと、ステーキと迷っていたようですが「じゃあ中華で。」と決定。

ワクワクとお店に入りました。


わたしは今朝は珍しく10時台に目覚めて起きたのですが、調子は決して良くなくて、お昼の薬(アモキサンとユーパン)を飲んで、ユンケルを飲んでどうにか出かけて来たのです。
もちろん、ソラナックスもしっかり飲みました。

でも息子の顔を見た途端、嬉しくて可愛くて元気になったのです。
(実家に一緒に居る時はすぐそばで寝てばかりいたのですが。)


どうしてこうかわいいのだろう。
「キミもいずれオジサンになるのだよね? それでもきっと可愛いのだろうなあ。」
そういうと、息子は変な表情をしていましたが。


「好きなもの頼んでいいからね。小さい頃貧乏で、泣いて欲しがったものを買ってやれなかった罪滅ぼし。ママが結婚して良かったでしょ?」
わたしの言葉にメニューから顔を上げて息子は言いました。
「いい人じゃないですか。」
「え? うちの夫?」
「そうだよ。自分でわざわざメールしてくれて、こういう風に会えるようにしてくれて。」
「うん…。夫がいて良かったと思うよ。」
「だからさ、夫がいればいいってもんじゃないでしょ。あんないい人が夫で良かった、でしょ。」
「…そうだね。本当に…。」

わたしは照れもあって息子の前で特に夫を誉めたりしたことはありません。
けれど、息子は充分オトナになっていました。
夫がどれだけわたしのために心を尽くしてくれているかを見抜いていたのです。
わたしは傲慢さを戒められたような気がしました。

夫がいなかったら…

夫と結婚していなかったら…

考えられません。
わたしは生きる術をもってなかったと思うし、母との確執もそのままだっただろうから実家に頼ったり甘えたりできなかったと思うし、息子がこんな風にきれいに独り立ちをしてたまに会って嬉しいというような関係にもなれてなかったと思うし、つまりは、生きていたかどうかすら怪しいと思います。


僕も感謝するけど母も感謝しなさい。と、息子に教わった気がしました。


で、二人でありがたく北京ダックなどをいただきまして(笑)、満腹で無理矢理食料品売り場にも寄って、シールの貼られた牛肉やマグロなどを買ってやり、息子は一時間の道程を、わたしは10分の帰り道にと別れました。

息子の姿が階段に見えなくなるまで見送って、背中を向けて歩き出した時、涙が出ました。
淋しい。また会いたい。可愛い。

そしてなんてわたしは幸せなんだろうと教えられました。


わたしは、人道には反したかもしれません。
ひどいことをしたかもしれません。
けれど、進む道はこれで良かった…心から今そう思うのです。

                             pencil伽羅姫moon3
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海底

今日も携帯から書いています。

深い海の底にいます。

何度も起きようとしたけれど挫折。外が雨じゃないのは音でわかるけど、晴れているのか曇りなのか暑いのかもわからないまま横たわって、ドロドロの眠りに引き込まれて悪夢を見る繰り返しです。

今朝夫が手渡してくれたレーズンサンドを食べて朝の薬を飲んだだけ…

こんな時間だけど昼の薬を飲まなきゃ。

昨日はコメントにずいぶん救われました。動けないと人として悲しくなってしまうんです。
母にもメールしました。
すぐに返信が来ました。
ひらがなだけの、旧仮名使いのメール。
今日は母から「ぐあいはどうですか」とメールが来ました。

わたしは確かにコドモになってる。うつのひどい時は特に。
甘えたくてたまらない。
それがわたしの核。

甘えを満たされて、捻れのないストレートな愛を注がれて、素直にそれを吸収して成長したとき、わたしの鎖は解かれる気がします。

今は夫からも親からもたっぷりの愛を注がれ、幸せです。

そしてメイトさんたちに守られて。

みんないつもありがとうheart01

夜は少し調子が上がるといいな…。

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動けない。

予想はしていたけど、全く動けません。

布団から携帯での更新です。

災害と殺戮の夢ばかり繰り返し見て、体が布団に沈みこんだように重くて、力が入りません。

トイレに一回行ったきり、もう水筒のお水も無くなりそう…。
何も食べないでお薬だけ飲んで平気かな。

外は雷と大粒の雨。

夫が帰って来るまでまだ4時間はある。
動けないよcrying

みんなもこんな思いしてるの?
辛いよね。

でも誰かと繋がりたい気持ちが出ただけ良かった。
お昼ごろは意識も朦朧だった。

大雨。
動けない。

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雨を連れて。

2008_8gatu_nasuryokou_with_z_010 今年も弁護士Zとの二人旅は、雨を連れての2日間となりました。
【雨でも楽しい旅】これが二人のコンセプト。
なぜなら二人とも全然アクティブではなく、お風呂にも興味がないから、いいホテルを取って、道中とお部屋でゆっくりガッツリお話するのが目的だからです。

実を言うと、実家から帰って来てすぐのあたりは「行けるだろうか…」ととても不安でした。
体調が悪く、頓服も手放せない状態だったので、夫以外の人と泊まれるだろうかと…。

心配は杞憂に終わり、とても楽しい思い出をまた作れたのですが、それには夫の励ましと弁護士Zの気遣いがあったお陰です。ふたりともありがとう。

「心配ないよ、行けるよ。キミの鬱のことよくわかってる人だし判断力もある人だから、何にも心配ないよ。大丈夫。行って来れる。」
と夫に暗示をかけられ(笑)、事前におやつも買ってくれて励ましてくれました。


土曜日、すでにパラパラと雨が降り出した中、わたしは夫に車で弁護士の家まで送られて行きました。
途中「一通地獄」の、かの区でハマってしまい、約束より大幅に遅れて彼女のマンションに到着。
池のほとりの低層マンションに彼女は住んでいます。
既に車を出して中で待機していてくれました。
大きな黒い車に乗り換えて、女二人旅はスタート。
「腹が減った。」というのでさっそく買ってきたサンドイッチをほおばりながらの気楽な道のりです。

彼女はナビを取り替えていました。
以前この車に搭載されていたナビ『チナツ』は、バカで頑固でイラッと来るヤツだったのです。(あ、チナツというのはわたしが勝手に命名して二人でそう呼んでただけなので、全国のチナツさんごめんなさい。)
おまけに道を知らなくて、平然と川にはまり海のなかを走行するヤツだったので、痺れを切らして買い換えたのでしょう。
今度のナビには『しずえ』と名前をつけました。知的でちょっぴり高圧的な…そう、若くて優しいロッテンマイヤーさんみたいな感じ(←わかる人にはわかる)


弁護士本人も昨年より知能がUPしており(笑)、ナビにはもう目的地がセットされているとのこと!
すごい! わたしは今年はまっこと楽じゃ!

そうそう、行き先は去年と同じ那須高原です。
別に那須が大好き!ってわけではないのですが、じつは昨年二人で立ち寄ったある美術館のオーナーが、どういうご縁か彼女のもとへ仕事の依頼に来たというすごい巡り会いがあり、わたしはその美術館をもう一度見たいと思っていたところだったので、では宿は去年と変えて今年は美術館メインでまた那須に…ということになったのです。

宿泊の手配はわたしがやり、お肉を食べられない彼女のディナーを魚and魚料理に変更してもらい、支払いもすませてOK!


ゆっくりお昼にスタートし、那須に着いたら美術館に行き、そのあとはホテルに入っちゃうというゆとりの予定です。
わたしは朝からアモキサン・ユーパンとともにソラナックスを敢えて飲み、楽しく過ごすことに決めていました。
結果、何も怖くなく、具合も悪くならず楽しい雨のドライブでした。


本降りの雨の中、美術館に到着しました。
予定を聞いてわざわざ待っていてくださったのか、オーナーがいらっしゃいました。
わたしたちは担当の人から説明をしてもらいながら館内を見て回りました。
説明があると無いとでは大違いです。理解を深め感嘆のため息を吐きながらしばし俗世とは遠く…。

がしかし、わたしたちのお目当てはショップにあったんです。モロ俗世だわぁ。
ここのミュージアムショップはお気に入りで、今年も何か買おうとワクワク。

彼女は去年買ったものに似合うものを購入、わたしには去年と似ているけれど違うものを買ってくれました。
オーナーのご好意で図録もいただき、ほくほくと車に乗り込んでホテルに向かいました。


2008_8gatu_nasuryokou_with_z_001_2 ホテルのウェイティングバーでくつろぐ彼女。
この角度で見ても綺麗shine美人virgoなのがわかるでしょ?



今日のところはここまでにします。
さてディナーはどうだったのかなっと
wink


***つづく***   pencil伽羅姫moon3


※登録の「キャラ姫」は変えませんが(それで検索して来て下さる方もいるので)、サインはこれから本当はこうなの→伽羅姫 に変えます。でもみなさんは呼び方はご自由にねheart01
みなさんのブログにコメントを残す時も「伽羅」にしますので、「だ、誰shock」って思わないでくださいね~。

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緊張の食卓

ここのところ食事をささっと済ませて、夫と「1.5畳の茶の間」にてまったり過ごして色々話をして、結婚生活こうあってほしいもんだと満足していました。
家族に溶け込もうと躍起になっていた二人は、大切なことを忘れていたのです。
夫婦の絆を紡いで行くという作業を。


今夜は珍しく遅めの夕食に6人全員が揃って、幸せな家庭のムード。
昨日わたしが那須で買ってきたバジルマヨネーズも好評だったし、チーズケーキもみんなが揃ったところで一緒に食べられて良かったです。

でも、こんなに涼しいのに、食事を終える頃になると汗びっしょりになっています。

慌てて食器を片して書斎に降りてくると、わたしは自分が〔飲食するときと喋るとき〕以外、固く奥歯を噛み締めていることに気が付きました。

緊張しているのです。常に。

それを夫に甘えて訴えてみたけど、今日は歯車が合わず、背中の鋼板を取り去ってはくれなかったので、ソラナックスを飲みました。

飲まない日はもうありません。
いいとか悪いとか考えるのは止めて、飲むことにします。
それで緊張がほぐれて、3年前みたいに奥歯をガタガタにしないで済むなら。



旅の報告はまた明日notes
とっても気楽で楽しかったですshine

pencilキャラ姫moon3

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※またおしらせ。

皆さんにいつも温かいコメントをいただけて、本当に支えられていますし喜びです。
静かに読んでくださっているメイトさんたちもありがとうございます。

レスを書かせていただきましたので、また良かったら読んでやってくださいnotes

ブログは、サブブログのほうが更新されています。
ついでにお立ち寄りくださいませ。

           pencilキャラ姫moon3

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1.5畳の茶の間

ほとんど起き上がれず、トイレに行くのがやっとだった昨日。わたしはPCも開かず、ずっと和室の布団の上でした。
記事の投稿も、みなさんのコメントを読むのもそこからしました。

これでは2階でみんなと食事は辛い…。

早めに判断してお母さまに「今日は具合が悪いので食事は結構です。すみません。」と家庭内メールをしました。

そして夫に症状を伝え、お弁当を買って来てくれるよう頼みました。
乗り換えのターミナル駅に、東京駅にあるようなお弁当屋さんがあるのでそこで買って来てもらうのです。
夫は快諾してくれました。
それどころか、本当はアレが食べたいな…と思う大好きなお弁当があるんですが、そうと言っていないのに夫は察して、あの雷雨の中をびしょぬれになってその店に寄ってくれたのです。

お弁当は売り切れだったそうです。
でもおかずのなかで一番好きな竜田揚げを2枚買ってきてくれました。
定番のシューマイ弁当と竜田揚げ。
とっても豪華なお土産です。

びしょぬれで帰宅した夫に

「お風呂入って上でご飯食べたら、ここで一緒に飲みながらつままない?」と聞いてみました。
「ああ、それいいねー。じゃあ、チャチャっと済ませてくるね。」
夫は嬉しそうに階段を登って行きました。

わたしは和室で、音を消したテレビを見ながらお弁当を食べ始めると、夫がすごいスピードで風呂と食事を済ませ、ビールを持って戻って来ました。
テレビを消して、お盆の間に届いていた小さなちゃぶ台に対面ではなく90度角で座り、色んな話をしながら食事をしました。

夫は焼酎も開け、ちびりちびり飲みながら、わたしはインスタントコーヒーで、特にテーマを決めるでもなく、ただ色んなことを話しました。


『足りなかったのはこれだった…。』
わたしはそう感じました。

結婚してこのかた、二人でファミレスに行ったことは数回ありますが、家の中で二人きりでゆっくり食事をしたりお酒を飲んだりしたことが、一度もなかったのです。
結婚して三ヵ月が過ぎているのに、二人きりでのんびり過ごしたことがないのでした。

そうか…。これが足りてなかったから、問題が捻じれた方向に出てしまうんだ…。


わたしは初めて気が付いたのです。
静かで、落ち着いて、安らかで。
こんな気持ちで食事をしたことなんてありませんでした。

夫に、たまにでいいからこうして二人でここで食事したり飲んだりしてゆっくりしたい、と言ってみました。
うん。僕はいいよ、もちろん。考えて、そうできるようにしようね。
優しい答えが返って来ました。

いつも喧騒の中で食事をし、愛想笑いを絶やさず、そのあとは順番に従って追い立てられるようにお風呂を済ませ、階下に下りてくると夫はPCに向かっています。
そしてわたしもそうします。


夫はわたしに、早寝早起きを望んでいます。
一緒に寝て、起きるのは夫と同じ5時でなくてもいいけれども、7時には起きて見送りをしてほしいし、行楽にいくなら明け方出発したいと、望んでいます。

入眠障害のわたしは、アサシオンとマイスリーという2種類の睡眠薬を飲んでいますが、それを何時に飲もうが、すぐに寝付けるものではないのです。
例えば夫の寝る11時に薬を飲んで布団に横たわっても、わたしが眠りに入れるのはせいぜい日付けが変わって1時半。

眠れないその間を、暗闇で悶々と過ごすことになります。

それは言い表しようのない辛い時間です。
ステージの上でスポットライトを浴びたままでも眠れるという夫には理解できないことでしょう。

悶々としている間に心は軋み始め、ひび割れて自責の涙から始まりそれは発作へと繋がります。横たわっているのに動悸・目眩がしてきます。

だから、確実に眠れる1時くらいまでは起きていたい。それがわたしの主張です。
無理強いしないで欲しい・プレッシャーである、と訴えました。それが車中での喧嘩の内容でした。
夫は、何も今すぐにではない・治ってきたらという話だ・骨折して入院している人に対して「治ったら遊びに行こうね」と言っているのと同じことだ・何が悪い、と言いました。

わたしは断固反論しました。
そんな楽しい希望のある話じゃないじゃない!しかも骨折の人は治るでしょ? わたしは今が一番状態が悪くていつ治るとも、そもそも治るかどうかさえわからないのに、治ったら早寝早起きをと言われるのは、いま現在要求されているようにしか受け止められない! あなたがなぜいつも自分のライフスタイルを主張し、それが正しい・それが普通であると言い張るのか理解できない! 世の中に「普通」なんか無い! みんなそれぞれ違っていることが「普通」なのだ! と…。


夫も引きませんでした。
キミや家族を養うために働いている時間にキミは寝ている。
ライフスタイルをあわせようとできないなら、一緒に暮らす必要性はない。


わたしはただ、1時2時に寝るということを許してほしいだけなのです。
夫の本心はわかっている。だけど、見て見ないふりをして、わたしをほっといて欲しい。
眠れる時間を見計らって寝るから好きにさせてほしい。
医師もそう言ってくれたではないか。自由にさせなさいと…。
望んでいるのはそれだけなのに、なぜ「一緒に暮らす必要がない」なんて大きな話になってしまうの?


苦しくて悲しくて、泣きながら診察室に入って先生を驚かせ、泣きながら事の顛末を話し、夫を呼びいれての診察となったわけでした。


二人の時間が全然なかったからだ…。
昨夜はじめてその事に気がつきました。こんな風に過ごせばきっと、要求は捻じ曲がらないはずなんだ…。


眠りに付いた夫の隣りで、わたしは本を読み、昨夜は二人ともPCを開きませんでした。
1時になって薬を飲んで、やっぱりすぐには寝付けずその間小さい発作が来て泣きながら、やがて眠りに入って行ったようです。



Anyus_favorites_items_196 これが、二人の距離と隙間を埋める、お気に入りのちゃぶ台です。
これが来たからこそ、たった1.5畳の茶の間が生まれ、そこでわたしたちは心のズレと隙間を埋めていこうかと思います。

今夜、夫はチーズを買ってきてくれるそうです。


みなさま、ご心配、助言、本当にありがとうございます。
これから二人で少しづつオトナになって行きますね。


pencilキャラ姫moon3


※本日おかげさまで10万アクセスを超えました。書き始めて1年3ヶ月。みなさまのおかげです。ほんとうにいつもありがとうございます。

※土日、わたしは弁護士Zと旅行に出かけます。去年と同じ那須高原です。泊まる宿は違います。楽しみです。また報告しますね。

※サブブログもUPされています。引き続きよろしくお願いいたします。

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起きられません。

発作のあとのような脱力感で、起きていることができません。

布団に横たわったまま携帯から書いています。

薄明かりの部屋でお香を焚いて、静かに横たわっています。

考えると泣けてしまうので、考えずにぼんやりしています。

なぜ、そのときどきにより違う意見を言うのか。

それは本心をさらけ出していないからでしょう。

でも、自分が発した言葉には責任を持って対処してもらいたい。

それがわたしの望みです。

傷つけあって暮らすのは、病身にはしんどいですね。

ソラナックス飲んでまた眠り姫になりましょう。

今日のお香は「柘榴」です。

マハロちゃん、ななさん、あやさん。
コメントありがとう。嬉しいです。見ていてくれて本当にありがとう。

pencil キャラ姫moon3

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氷の矢

今日(水曜日)心療内科の診察日でした。
夫が半休を取って車で連れて行ってくれました。
その車内で喧嘩になりました。

実家から帰って来るときにも同様のこと(←わたしにはそうとしか感じられない)で責められ(←これもわたしはそのようにしか受け止められない)、心に蒼い氷の矢が刺さったまんまだったのをそのままこらえていたので爆発してしまいました。

言いたいこと・自分の考えを伝えるって大事だって、みなさん言ってくれますよね。
ヒメさん言えて良かったねって、言ってくれますよね。

けれど、言ったところで夫は納得も同意もしない。わたしがそうであるように。
放った言葉は矢となって、わたしの心に同じだけ突き刺さります。
それでも言ったほうが幸せですか?

傷が痛くて痛くて…泣きながら病院に行き、すぐ呼ばれてわたしは泣きながら診察室に入って行って先生を驚かせました。


そういえば、ここは精神科なのに…
なぜ誰も泣いていないの?

そう思った時、ふいにあのグレー一色の東京拘置所を思い出してしまいました。
こんなに悲しい場所なのに、何故誰も泣いていないんだろう…。
いつもそう思っていました。
わたしといったら毎日泣いてばかり…。

それはわたしがすでにうつ病を発症していたから?



今日の診察の内容はまた書きます。
先生は「患者さんの気持ちを優先するように。こんな風に泣かせないでください。」と夫に言ってくれました。

夫は今夜は「おやすみ」でも「寝るね」でもなく無言で寝室に行ってしまいました。


内容がどうであれ、声ぐらい掛けてもいいんじゃない?
オトナとして、家族として。


でも「僕がキミや家族を養うために働きに行く時にキミは寝ている」

そう言われてしまったら


働いてもいなくて、家事もしてなくて、朝も起きてないわたしは発言権はゼロになってしまう…。
居ればいいだけの存在ではないんだ…。
「ライフスタイルを合わせられないのなら一緒に暮らさないほうがいい」だなんて…。

心が痛いよ。頭が痛いよ。
どうしたら氷の矢は溶けるの?

頑張って頑張って自分の主張をしたけれど
こんなに心が痛むのなら、言わないほうがいいよ。
もう何もしたくない。
週に2日でもいいから働きに出て、それでウツが悪化しようが、自分のくいぶちだけでも稼ぎたい…
そしたら発言権できる?


本当に、ほんとうにほんとうに、わたしは駄目で弱いイキモノです。
望みどおりにならないからと言って否定されることはやっぱり辛いです。
ならばいっそ捨ててください。


「うつ病を治すことが何よりも優先。」

          そうじゃないのでしょうか?

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※おしらせ。

留守中どころか、今月初めにいただいたコメントにも全くレスしてなくてゴメンナサイcoldsweats01
古い記事に遡ってレスさせていただいたので、
「無視されてる…」と思っていたみなさま、お嫌でなければ読んでくださいませ。

今夜はこれくらいにしておきます。またレスしますね~
heart04


日付けが変わって8/20AM
pencil   キャラ姫moon3


サブブログも力入って来てます。よろしくですwink

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オトナをなつやすみ。

2008_natuyasumi_016 前回実家に帰った時は、2ヶ月の隔離療養という目的だったため、その長期戦に備えて逆にあまり甘えることができず、母が帯状疱疹になってしまったため家事の分担も増え、少しバテていたわたし

痛みで眠れない母に付き合って、夜中に色々話したことはとてもいい収穫だったと思います。
でも、そんな痛がる母を置き去りに(?)して、夫と部屋とPC恋しさにサッサと戻って来
てしまったわけです。

今回の帰省は、記憶に無いぐらい久しぶりすぎる「ビッグイベント」でした。
そう、息子と一緒に帰るという。
なんという幸福

東京駅で待ち合わせ、夫に送ってもらったわたしは息子に「はい、よろしくね。」と引き渡され、息子の肘にすがりながら東京駅でお土産やお弁当を買って、並んで新幹線に乗り込みました

それぞれ選んだお弁当を平らげ、おやつを少々頂きながら、わたしはわたしが恐れていることについて息子に話しました
実は弁護士Zの言うとおり、時間が経てば何でそんな根拠の無いことに怯えたんだろうって思い始めていたのですが(苦笑)、息子に話すまでは何となく安心できませんでした。
わたしがたどたどしく話すと(すべてのことは言ってはおらず、Gさんが刑務所に行っていて飲み会の仲間で世話をしていた、となっているため。)、息子は隣りから向き直って、
「なんでそんな風に考えるの?」と突っ込んできました

わたしはたじろぎました。いつも何でも適当にフンフンと聞いているB型の息子。フンフンと聞いてくれると思っていたのです
「僕は面識ないし、話した事もないよ。だから訪問されても家に入れるわけないし、第一そういうことになるなんて考えもよらない。」

息子に言われて、自分でも何がそんなに恐ろしいのかわからなくて、なんだかバツがわるくなってその話は切り上げました。

それで、わたしの「恐怖」も終了。
ただ、今までどおりに用心深く暮らして行って欲しいと結んでおきました。

2008_natuyasumi_005 到着した日はお土産と携帯の説明でわたしの脳は沸騰し、翌日からは遅くに起きて昼ごはんを食べて、昼寝して夕飯を食べて1時くらいに寝るという、ただ生きているというだけの日が続きました。
常に手の届く場所に息子が居て、高校野球を見ながら小さいゲーム(PSPとかDS)をやっているその傍らで、ヤツの放つ
「癒しオーラ」を浴びながら、寝てばかりいました。

わたしは母を「おかあちゃん」と呼び手料理を食べて洗濯もしてもらい、息子はわたしに首が痛いとか肩を揉んでほしいとか甘え、わたしたち親子は〔オトナ〕を夏休みにしました。

2008_natuyasumi_011_2 ちょうど真ん中の日、わたしはようやく起きていられるようになり、息子に「散歩でもする?」と言ってみたら「うん。」と意外にもノッって着たので、わたしは帽子をかぶり手ぬぐいを首に巻いて、飲み物を息子のズボンにフックで引っ掛けて、午後二時の炎天下に出かけました。
2008_natuyasumi_004
田舎なんですホント。コンビニも隣町に行かないとないんです。

最初は裏山に少し登ってみました。
わたしの子供時代と違ってアスファルトで舗装されてしまった登山道は風情がなく、息子が小さい頃一緒に行ってみた竹やぶは潰され、その奥にあったはずの泉ももうわからなくなっていました。

この山には、犬を飼っていたころ毎日散歩に訪れ、方解石を掘り出し、友達ともときどきお弁当を持って登ったのですが…。

2008_natuyasumi_002 がっかりしているわたしに息子が「川のほうに行ってみる?」と言うので、山を降りて川に行ってみました。

川を眺める息子です。(見つかったら怒られる…)
川には魚や蟹がいました。護岸整備はされましたが、居なくならずにいてくれたようです。
2008_natuyasumi_009 
蟹がいるよ、なんか食べてるよ、と指差して教えてくれます
2008_natuyasumi_013
そして川岸から上がって、帰途につきました。
栗は青いイガにくるまれ、桔梗が咲いていました。


帰宅して汗拭きシートでお互いの背中を拭いて、あとはオセロをして遊びました。

オトナ休むのは難しい。主婦の方にはお休みなんてナシです。暑い中働いている皆さんにも、いい夏休みがあったことを願います。

滞在中のオセロ・五目並べはどちらも一勝一敗。
「そこでいいの?」という言葉が毎回息子から出されたことをご報告いたします(笑)
うつ病相手に本気で戦うヤツではなかったようです。


最後の夜、
6日間、ずっと一緒に居られて嬉しかったよ。ありがとう。」
そう声をかけると、ヤツは向き直って、「ウン。」と頷きました。

居てくれるだけでいい。生きていてくれるだけで充分。
わたしは息子に、母はわたしに、そう思っています。

今生、お子さんを亡くされたり、親を早くに亡くした方たち。
どんなにお辛いか想像することぐらいしかできません。
でも、居なかったより居たほうが良かった。そう思うことは苦しいでしょうか。
来世ではきっと幸せな関係で巡り会えるはずです。
2008_natuyasumi_020_3

だから、与えられた今世を、精一杯生きて行きたいと思います。
うつ病はうつ病なりに。

B型はB型なりに(笑)

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わたしだけが出来ること。

17日の午前2時過ぎに夫の車で帰宅しました。
新幹線より気は楽ですが、夜の高速道路は疲れます。遠い距離を迎えに来てくれた夫に感謝です。

和室には注文しておいたちゃぶ台が届いて鎮座しており、少しづつ部屋が良くなってきます。ほんとうにホッとする部屋です。帰って来て良かったと感じます。

実家にいる間はややウツ状態が強く、ほとんど寝てばかりの毎日でした。
ずいぶんと休養できました。夫が迎えに来るまでの6日間は息子とべったり一緒に過ごし、ヤツの出す癒しオーラを存分に浴びました。

昨日の夕飯は、わたしが来てから初めて家族6人で外食restaurantでした。
駅の近くにあるこじんまりした中華の店です。
円卓を、家での食卓と同じ並びで囲み、おいしいお料理の数々をいただきました。

わたしは覚悟してソラナックスを飲んでから出かけたので終始穏やかでいられました。
お母さまは話題豊富で、聞いてくれなかったり反論したりする息子や孫にではなく、主にわたしに話しかけます。わたしは一生懸命話を聞いて相槌をうったり同調したりします。
そうして疲弊していくわたしを夫は気遣い、わたしの表情を見ながら適当に切り上げてくれます。そして「気遣いありがとうね。」とねぎらってくれました。

店主にも愛想よく微笑み、子供たちにも均等に声をかけ、お母さまの話を聞きということをしていたわたしを、夫は見ていてくれたのです。
「ううん、わたしこんなことしか出来ないから。」

そう言ってから、ふと、これにはもっとプラスの考え方があるのではないかflairと気が付きました。
『こんなことしか出来ない。』『これはわたしにだけ出来ることである。』というように。

働きにも行かず家事もやっていないわたしはどうしても引け目を感じざるを得ません。けれど、そんな身分でもやれることがあるとしたら、肉親だけで構成されていてついトンガリがちになる家庭の雰囲気を丸くすること…。
言い訳かもしれませんが、無理をしない程度にそんな役割を果たせるのであれば、きっと自分を邪魔者だと卑下することなく暮らせるのではないかと思ったのです。

夫に対しても、手料理を食べさせてあげることはできないけれど、お帰りなさい・お疲れさま、とねぎらって愚痴をきいたりマッサージをしたりすることで安らいでもらえればいいのかもしれません。
両親や息子には、生きて存在しているだけでいいのかもしれません。
それは他の誰かが代わりに出来ることではない、わたしだけが出来ることなのだと思って、ただ生きていてもいいのかな…という気がしました。

それはわたしが息子に対して、会いたいとかメールの返事が欲しいとかは言うけれど基本はただ『生きてさえいてくれたらいい。』と思っているように…。

わたしは、何かになりたかった。
今も働いている夢ばかりを毎晩見ます。活き活きと、溌溂と。
でも、与えられた病は享受します。わたしには必要だったのでしょうから。
わたしにだけ出来ること。
ささやかな何かを探りながら暮らしたいと思います。

ただいまheart04
ヒメ、帰って来ましたhouse

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母と携帯

実家から携帯での投稿です。
田舎ですがこちらも毎日35℃を超える酷暑です。お仕事の皆さま・家事で忙しい皆さまお疲れさまです。

息子と二人で帰省しました。
それぞれ選んだお弁当を食べ、ポツポツ喋りながらのbullettrainでした。
東京駅に着く前にソラナックスを飲んでおきましたが、新幹線から乗り換える段になってやはりザワザワが登って来て、「ママ薬飲んでおくね。」と息子に言ってソラナックスを取り出すと、「それは何の薬?」というので、緊張感を和らげザワザワを取ってくれる薬だよ。と説明すると、「ざわわざわわ~♪」と息子はおどけてみせました。

実家に到着し、いろんなお土産の中でも母を喜ばせたのは、新しい携帯でした。
今まで両親は、付き合いで買った通話オンリーの携帯だったのですが、せめて番号をいちいち入力しなくてよくて、誰から掛かってきたのかがわかる携帯が欲しいと母は言っていたのです。けれど父が良い顔をしないのであきらめていました。

そこで夫登場。
こちらの名義で買って置かせてもらいたいという言い方で父の了解を取り、わたしがカタログで選んだ携帯を、暑い中安く買えるところまで行って来てくれました。

その携帯を出すと、母は身を乗り出してわたしの説明を聞きました。
只今うつ病中とは言え元講師のわたしにもスイッチが入り、何度も繰り返し教えます。
そして驚いたことに母が最も反応したのがメールでした。
立て続けに教えたのを理解し、平仮名メールなら打てるようになってしまったのです。

母は余り字が書けません。
ところが携帯は、キーを押すと文字が出て文章になり、ボタンを押すだけで瞬時に娘や孫に送ることができます。

母は何度もわたしや息子に送っては、いちいち「今メール送ったけど見た?」と隣の部屋からやって来ました。

「おふるおさきにはいりました」風呂上がりの母からのメールにみんなで笑い、それでも母は嬉しそうでした。

翌日、またメールに取り組んでいる母に父が「これは電話やで。かけかたもまだわからんのにメールだけ覚えてどうするんじゃ。」と言っていたのを聞き、わたしは父に耳打ちしました。
おとうさん、お母さんは字が書けへんやろ。だから嬉しいんやよ。
父は黙りました。

ささやかながら親孝行をさせてもらい幸せです。
残念ながらわたしは鬱の深みにいますが…。

また書きますねpencil
キャラ姫

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「大丈夫。」の効能

明日からしばらく実家に帰省します。
「銀靴」は携帯から更新しますpencil
サブブログのほうは本日2本記事をUPしておきましたが、しばらくお休みいたしますね。

わたしの大切なメイトさんたちから、「大丈夫ですよ。」という言葉をたびたび頂いています。(同じくらい「大丈夫ですか?」も頂いているかもしれませんが。)

メイトさんたちは、うつ仲間の人もいるし、ご家族やお友達がうつ、という方もいるし、「銀靴」がうつブログに移行する前からの古い読者さんや、どなたかのブログから繋がっていらしたかたなど、本当に色んな方たちがいらして、言葉を下さる方と、静かに読み続けて下さっているかたがいます。

もし読んでくださる方がいなかったら、続けてこれなかったし、支えられ成長することもなかったのだなと思うと、みなさんには泣けるくらい感謝の気持ちでいっぱいです。

「大丈夫。」 「それでいいんですよ。」 「大丈夫だからね。」
そう、言葉をかけてもらえると、本気で、「そうか、大丈夫なんだな。」とわたしは思います。
ええ、人を信じやすいひねくれのない
B型ですもの。

言葉には力があります。魂が宿ります。
怒りのあまり、思ってもいないことを投げつけたりする人を、わたしは軽蔑します。
一度出た言葉は取り戻せない。
そして、言葉は人を殺し、言葉が人を救うのです。

あやさんのいう「諦める」の潔さ。
それ、少しわかります。
前回実家に行ってたときに会いに来てくれた幼なじみが、カウンセラーを目指していると知って、わたしはストンと、カウンセラーになる夢を諦めました。
そうか、こういう人こそカウンセラーになるべきで、わたしはその器ではない、と瞬時に理解したのです。

これは、うつ病になって、自分の器の小ささを知ったからこそ出来た潔い諦めだと思います。

また、「時期が来たらまた頑張れるかもしれない」という言葉にも共感します。
このままじゃすまないからねっ、っていう気持ちもあるんです。

クラフトデザイナーとしてトップに、という夢は、当時付き合っていた人の逮捕でついえてしまいましたが、その時に始めた接客業(特殊なものを売る接客です)は、わたしには天職だと思えたのです。
そう、適職ではなく天職。
一生この世界に身を置きたいと思っていました。

それは…まだ綺麗には諦められていません。
うつ病になって、人の気持ちに過敏になってこそできる、押し付けがましくなく決め細やかな接客というのが、いつかできるのではないかと、まだ思っているからです。

それが出来るようになったとき、初めてわたしは、
「自分を評価してもらうために頑張る・存在の意義のために無理をする」という働き方ではなく、お客様の立場に立って、気持ちを汲んで、喜びをわかちあう販売員になれるのではないかと…

だから今は辛いけど甘えて庇護されて暮らします。
そういう状況を与えてもらえたわたしはとても恵まれています。

ただのコドモになってしまっている今から、何年かかけて成長していきます。

       ******************

明日は息子と一緒に帰省するのですnote
高校生まで、息子は夏休みに帰省して上げ膳据え膳の生活を満喫していたのですが、わたしは生活苦と母との確執のため、お正月に2~3泊するだけでしたから、夏に息子と一緒に実家に行くなんて、思い出せないくらい久しぶりなんです。
小学校3年生の時から、息子を一人で新幹線に乗せて帰省させていましたから…。

パソコン無しの環境で、二人で6日ほど一緒に居られます。
オセロをして遊んでくれる約束になっています。

もはや電車も人混みも怖がるわたしを、夫が東京駅まで連れて行き、息子に引き渡してくれます。

Anyus_favorites_items_011 戻りは、夫が車で迎えに来てくれる予定です。

「大丈夫。」の効能を胸に、「行ってきます。」
携帯からまた更新しますのでたまに覗いてくださいね。
皆さま、酷暑につきご自愛くださいませ。

     キャラ姫moon3

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働かないという生き方

6日水曜日は、心療内科の診察日でした。
他に、健保の調査のため、課税証明書を取る必要が生じ、夫は休みを取ってわたしを病院とかつて住んでいた区の区役所に車で連れて行ってくれました。

電車(種類にもよりますが)が怖くなってしまっており、生理だったとはいえかなりウツ状態のひどかったわたしを、一人では行かせられないという判断でした。

月一回だった診察が二回に増えて、先生はようやくわたしをしっかりと覚えてくれたようでした。
前回呼び出された夫が、精神的なことだけではなく(いえ、全部精神的なことから、なのかもしれませんが)わたしの脈拍が常に100を超え、日によっては120を超える日があること、立ちくらみがひどく、しゃがんだり仰臥した状態から起立すると、激しい立ちくらみと動悸に襲われることも話してくれてありました。

今回の診察は、内科・循環器科も併設の病院なのが幸いして、体の症状が中心となりました。
精神的には、朝昼夕のアモキサンとユーパンを飲み忘れると落ち込みがひどいと伝えたところ、「忘れずに飲んで、おとなしくしていなさい。」とのお達しでした。

血液検査の結果も出ていました。
その用紙を前に先生は考え込んでいました。

「確かに、鉄が少ない。貧血なんだよね。お薬を出すのは容易いけど、あまり薬ばっかりになるのもねえ…。」
「あ、あの、わたしもともとヘモグロビンが少ない血液なんです。父も息子もそうなんで、そういう体質だと思うんです。だからお薬無理に頂かなくても…」
「いや、でもあなた、40あるべきところが24しかないんだよ。」
わたしはカルテを覗きこみました。

「あらホントだ。少ないですね。」
「でしょう? 医者としては出すか出さないかのボーダーラインなんだよ。」

出せば容易い薬のことを、真剣に考えてくださっている先生に、わたしは精神科医としてだけでなく、医師としての信頼を感じました。

「もう一回、血をくださいよ。それで、この数値よりももし下がっていたら、お薬を次から出します。それと、脈拍と心電図も見ましょう。脈拍がそんなに多いということは、常に小走りしてるみたいなものだから、あなた疲れやすいでしょう。」
「はい、もう全然だめです。」
「甲状腺の機能も調べるけど…。んーでもこれは全部精神的緊張から来てる気がするなあ。」

わたしは血圧もあまり素敵じゃありません。
上が100くらいで下が7~80。それで脈拍が100超えです。

検査室に移って、心電図をとり、血も採られて、この日は診察を終えました。

それからファミレスで食事をしました。デザートも食べてわたしは久しぶりにゴキゲンでした。

そのあと区役所に移動し、証明書を取り、以前この区に住んでいたころバスで時々行っていたショッピングモールに行きました。
ああ、世間は「夏休み」なんですね。子供連れの嵐。
広いフロアに足を踏み入れた瞬間、わたしはすくみました。
「ごめん、薬飲む。」
すぐにソラナックスを飲んで、好きでいつも寄っていたショップだけに限定して見てまわり、お香と、ジャムと、ゼリーなどを買って、23区の端から端へと帰りました。

わたしは脳が疲れると、言葉がカタコトになります。
帰りの車の中ではカタコトでした。


人混みにすくみ、言葉もカタコトなのに、車が以前勤めていた街にさしかかった時、活き活きと接客をしていた自分を思い出し、寂しくなりました。
「また、働けるようになりたいな…。」
そうつぶやくと夫は間髪入れずに言いました。

「無理だねえ。」

わたしは笑ってしまいました。

そうだね。無理だね。家事すら出来てないのに、発作だってでちゃうし電車だって怖いのに、働きに出るなんて無理だよね。

働く自分の姿にしがみついて生きてきたわたしが、働かないという人生を選択することになるなんて。

背負いすぎていた色んな事柄を振り落としたり諦めたりしながら、シンプルでちいさいわたしにならないと、快癒はして行かないんだろうなあと思いながら、車はその街を通り抜けました。

諦めるということは、辛いことです。
こんなに、恵まれてはいますけど。

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リセット

日曜日に掃除や片付け頑張りすぎて、急に夕飯も作ることになって、夫ちゃまへのマッサージもして、眠れないから探し出したアサシオンをも一個飲んで、やっと寝たんだけど昨日は最高具合悪かった。

クーラーはつけてたけど、なんだか暑くて、けど誰とも顔を合わせたくないほどウツで、体は幽体離脱しそうに重くて気持ち悪くて、なんなのこれは。どうしたのこれは。
自問自答するけどわからなくてウツ友にメールで教えてもらった。

それはねえ、病気なんだよ。
ヒメちゃんは病人なんだよ。ねんねしてなさい。って教わった。

そうか、わたしは病気だったのか。
目には見えないけど、病人らしい。
病人らしくお布団に寝たまま、夫が買っておいてくれたチーズパンを時々かじって、お水を飲んで過ごした。

なーんにもできなかった。


4時頃、水筒が空っぽになってしまったので、そおっと2階に忍び足であがって、氷と浄水を補給した。水筒に氷水が入っていないと不安で苦しくなっちゃうの。これはわたしの命の水。
それで、ちょっと冷蔵庫を覗いてみたら、アイスが入ってた。
お母さまがさっき買いに行ったのはこれだったのかな、お暑いなかわざわざ。
アイスは2種類が3個づつあった。食べたいな、アイス。
6人家族だから、ひとりいっこ食べてもいいのかな。
それともヒメちゃんはもうオトナだから、これは子供たち3人が一個ずつ食べるものとして買ってらしたのかな。

わからないので、アイスはあきらめて、ゼリーをいっこもらった。
これは夫ちゃまあてにお中元で来てたものだから、奥しゃんは遠慮なく食べていいよね?

掴んだのは桃のゼリーだった。

忍び足でまた和室に下りてきて、桃のゼリーを食べた。おいしかった。
けれど、なぜだか急に悲しくなってまばたきしない目から大粒の涙がぼとぼと落ちてきた。

ひもじかった。
なんだかわからないけどほんの少しばかりの不自由さが悲しくなって、しゃくりあげて泣いた。

ああ、そうだ、お昼のアモキサンとユーパンを飲み忘れてる。
それで悲しいんだ。

慌てて飲んだけど発作のほうが早く来た。

なんでなんにもできないの!
なんで動けなくなるの!
なんで悲しいの!


息子と暮らしてたときはテキトーな夕飯作ってアイスも暗黙の境界線でわけあって食べたなあ。

あのこは一人暮らしで、アイスはどうしてるのかなあ。

そのまま五時半まで泣いて、駄目だ今日はもう一歩も部屋から出れないと思い、夫に「早く帰れる?」とメールをした。
返信は無くて、6時に電話がかかってきた。早く帰るぞ。どうした。何かあったか。

コドモになってわたしは泣きながら夫に発作が起きたことを伝え、みんなでご飯食べるの無理だし心がひもじいからお弁当買って来て、とお願いした。

それから、ああなんだソラナックス飲めばいいんだって気が付いて、ソラナックスを飲んで、夕方のニュースを音を消してみてみた。

夫は各駅ごとにメールをしてきて安心させてくれた。
たのんだシューマイ弁当を買って来てくれた。豪華なパンもいっこ買って来てくれた。

それを和室で一人で正座して食べて、やっと発作も落ち着いて、わたしは幽体離脱をしなくて済んだような気持ちになって、安心してお腹も満たされて眠ってしまった。

自分が病人であると、なかなか納得できない。
だから苦しいのかな。


両親は、ちいさいころわたしを「ちび」と呼んだ。
「べそ」(泣いてばかりいる)、「ぐず」、そして「どべ」(ビリ、の意味)と呼んだ。

実際に、できの悪い子だったんだろうなあ。

ちょっと勉強ができたりしたから学級委員にさせられて、学校行くのが嫌だった。
運動もできなくて工作もヘタクソで縫い物も編み物もできず、泳げなくて逆上がりもできなくて自転車にも乗れなくて、本当にぐずどべな子だったんだ。

それが真実のわたし。
聡明で仕事もできたと思っているのは、自分を証明するために頑張って作った鎧。

なんにもできないのがわたし。

じゃあこの病気は、わたしをリセットするためのものなの?

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HELP

夫はわたしの変化にはとても敏感で、今夜も夕飯の途中でさあっと墜ちたのを見逃しませんでした。

わたしには、まだ「全開オープン!」な素養は育たず、今もやりすごせるものなら蓋をしてやり過ごしたいと我慢する癖のまま生きています。
夫より先にリビングを出て、こっそりソラナックスを飲んだけど、彼は私の顔はもちろんのこと、背中を見ただけでわかっているのです。
そして、できればわたしが言わないでおこうと思っていることも、お見通しです。

言えば聞いてくれる。解決策が無くても聞いてはくれる。その思いがあるからこそ、些細なことはやり過ごせるよう・いいほうに考えられるよう暮らしていますが、よくよく考えてみると、ああ病気がそう思わせてるんだな、ってことが多いです。
健常であればそんなことはきっと気にも留めないだろうということに、わたしは一人過敏に反応し、妄想し、自責し、墜ちてゆく…。

そんなとき、どう気持ちを紛らわせばいいのでしょう。


頓服を飲み、夫にもきいてもらい、それでも泣けてしまったりビクビクしてしまう時は、どう気分を変えたらいいのでしょう。


「寝逃げ」という言葉をよくうつブログで目にしますが、わたしにはそれが出来ません。
だって入眠障害なんですもの。逃げたくて薬を飲んで早く布団に入っても、寝つけないその間に余計緊張し、ますます寝付けなくなります。
逃げるどころか、その時間帯にまともに
ウツと向き合うことになってしまうのです。

昨夜は熟睡している夫の腕に吸い付いてみたり、彼の眉や鼻毛を整えたりして紛らわしましたが、今夜は、好きなゲームをしてもカタマリが胸からなくなりません。
もう、「この時間なら眠くなるだろう」という時間まで起きているしかありません。

画集を見ても虚しい。コレクションを眺めてもいたたまれない。テレビは見れないし音楽も滅多に聴けない。


やっぱりこうして書いていることで安らぐことに気が付きました。
それは、書いたものを読んでくださる人がいてくれるから。

顔も年齢も住んでいるところも知らなくても、何かしらのご縁があってここに訪れてくださってる皆さんがいるから、「書き逃げ」??します。

やっぱり生理のときは余計にだめだぁ。
駄目人間のシール貼ってくれー。
もっと辛くてもうつ病にならず頑張って生きてる人もいるのにー。

お腹痛い。アタマ痛い。こころ痛い。
弱音吐きたいけど、こんなに恵まれていて吐けないよー。

泣くと余計にお腹痛い。
ロキソニンも足して飲みます。アサシオンも一個発見したから足して飲みます。

聡明だったアタシどこ行っちゃったの。

おやすみ、みんな。みんな辛いよね。またあしたね。

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夜書いた手紙は。

古い言葉で、「夜書いた手紙は出すな。」みたいなことを聞いたことがあります。
夜中に考えることはロクなことじゃない、朝読み返すととんでもない内容のことがあるので、夜中に書いた手紙はそのまま出さないほうがいい、ということです。

今、手紙はメールにその座を譲りつつありますが、同じことが言えるでしょう。

その夜わたしは一人で立ち向かえず、夫のPCと弁護士友ZのPCに、メールを送って不安、心配、そして恐怖を訴えました。夜中1時半くらいのことです。

弁護士は、
『思い込んでおびえてしまうのは病気の症状なんだろうなあ、としみじみ思っているところです。』と前置きして翌朝メールをくれました。


わたしの【恐怖】
それは刑務所に行ったGさんのことです。

見た夢は、出所して生活に困ったGさんが、わたしや夫にではなく、わたしの息子に近づいて、金を無心した夢だったのです。

夢だったので、それはわたしの目の前で起こりました。
だから『やめてもらえませんか!』と言うことができたのです。
けれど現実世界だったら?

わたしは、正当には恨まれるいわれは無いかもしれませんが、「逆恨み」されても仕方ありません。その結果、たかられても果てには刺されても、それはしょうがないです。
けれど夫や、ましてや人生経験の浅い、一人暮らしを始めたばかりのわたしの息子が狙われたら?

息子を守る。
お腹に居る時から数えれば必死に守って生きてきたこの24年。独り立ちさせれば親の役割は終わりかと言うとそうではなく、死ぬまで、そう息子がオジサンになりオジイサンになっても尚、わたしは息子を守りたい。
起こりうる災害からは守らねばならない。
その思いで、弁護士にすがったのでした。

気が付けばあれから丸3年が経過していました。
Gさんの実刑は「3年9ヶ月」です。何らかの事由で満期まで刑務所にいても、来年2月末には出てくることになります。

身元引受人を辞める時、法務省の保護監察官と電話で話して、「わたしが辞めてしまうと満期でしか出られなくなりますか?」という質問に、監察官は「そんなことはありませんよ。あくまでも本人の更生の様子と復帰の意欲で、仮釈放はあり得ます。」と答えました。
わたしが辞めたあと、実は担当保護司も辞職していたことがわかり、Gさんは身元引受人と保護司を一度になくしたことになりました。

その後新たに保護司がついたのか、身元引受人に誰かがなったのか、何もわからないままわたしは夫の胸のなかに逃げて、今も何も知らずに、うつ病とともにひっそり暮らしています。
転居や結婚は、ごく少数の人にしか知らせず、郵便物の転送も頼んでありません。
逃げてわたしは心地のいいシェルターで幸せに生きています。

仮釈放がいつ許可されるのか。それは本人にしかわかりません。
外にいる誰も、知ることはできないのです。
つまりもう、彼は出てきているのかもしれない…。
そのことに、わたしは怯えました。

Gさんはわたしよりかなり年上の人です。その年齢で、ましてや仕事で預かっていた大金を横領した罪でしたから、もとの仕事に就けるとは思えません。
縁故を頼ることも難しいでしょう。
自分が職に就き、生きていきながら横領したお金を返し続ける一生です。
彼は極悪人ではありませんが、でも、生活に困ってさてどうしようというときに、情を逆手にわたしの息子がターゲットにされる可能性は、決してゼロではないのです。

弁護士のメールには、「通り魔に切りつけられる可能性のほうがはるかに高いのよ。朝の光の中で冷静になって考えてみたら、そんなことは多分起きないってきっと思うわよ。何かあったらすぐ私に連絡するよう息子には伝えなさい。でもね、Gさんは、いずれ出てくるのよ。確実に。」と書いてありました。


うつ病患者が、嵐の日の夜中に、しかも生理前の最も情緒不安定な日に、余計なことを考えてはいけない。

そうだと思います。
でも、今こうして日差しの降り注ぐなかアモキサンを飲んで効いているアタマで考えても、やはり心の準備は必要だと思えるのです。

無用な心配であってくれたらいい。
この幸せに紛れてわたしも忘れてしまえたらいい。
けれど、最低限の心の準備だけはしよう。夫も同じ考えでいてくれたし、何よりわたしの心の安静をはかるために、夫はいっぱい考えてくれました。


夜中に考えた筋書きは実現はしないだろうと思いたい。けれど、捨てずに持っていましょう。
息子の心と人生を守るために。それが、わたしの心の療養です。

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