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2008年7月

恐怖

昨日の朝、夫が目覚めた時、ちょうどわたしがはっきりと寝言を言ったそうです。

『やめてもらえませんか!?』

と、ひとこと。

その話を夜になって聞いた時には、二人で笑いながら、「誰にだろうねぇ。」 「僕にじゃないことは確かだな。丁寧語だったから。」 「何をやめて欲しかったんだろうねえ。」 「あ、僕何にもしてないからね!」 なんてふざけていました。

夫が起きるのは大体5時頃。わたしは意識無く眠っています。
その中で言った寝言などもちろん覚えはないし、夢も一晩にたくさん見るのでいちいち記憶してもいられません。

でも、「記憶していない」のではなく、単に「思い出せない」だけなのですよね…。

夫が深く眠りに入って、わたしも薬を飲み、寝る体勢をやっと整えて目を閉じた時…
『やめてもらえませんか!?』
自分がその言葉を発した、そのを思い出したのです。

ザアッと全身総毛立ちました。
なんて恐ろしい夢…!

どうして 恐ろしいか わかりますか。

起こり得ない、つまり現生活ではあり得ない夢なら思い出しても怖くはありません。
空を飛んでいて堕ちる夢なら、落ちるときの恐怖感は思い出せても、起きてから尚怖いということはないでしょう。
…起きて、思い出して、尚襲い掛かってくる
【恐怖】―――

それは、おきてはいけない事柄が、起こる可能性があると感じた時、夢は夢ではなくなり、あり得るかもしれない事例となってわたしの精神を脅かすこと…。

うつ病患者が、夜中に考えることです。しかもわたしは生理前で、昨夜は大雨が降っていました。ほんの小さい不安を、増幅させて巨大化させてそれに自らが怯えて精神不安に陥る…
それは当たっていると思います。

でも、そうだとしても、わたしは怖い!
あり得なくない・起こってもおかしくない可能性として、0.001%でもあるのならば、わたしはそれに怯え続ける。

罪悪感をゼロにしない限り、わたしは怯え続ける。

守らなくてはならないもののために。
わたしはそれが起こる可能性を潰すか、排除したいのです。
そうしない限り、わたしの
心の安静はもう保つことはできません。
気がついてしまったから。

【恐怖】はわたしのすぐ後ろに在るのかもしれないと。

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魔法が解けちゃう?

夫は土曜日に時間を作って、わたしの通う心療内科に行ってくれました。
わたしはその日は息子とランチの約束をしており、不安な夫とは裏腹に、わくわくと出かけました。

けれど電車に乗って座った途端、またザワザワに襲われました。
息子とは元気で会いたい。弱っている母の姿は見せたくない。
ソラナックスをすぐに飲んで、ターミナル駅に到着したころにはだいぶ落ち着いていました。
けれど、薬なしでは電車も怖くなってしまったのか…と情けない気持ちになりました。

待ち合わせの本屋にわたしが早めに到着したころに、夫の主治医との話は終わっており、「しばらく放浪します。」とのメールがはいっていました。
言われたことを、彼なりに咀嚼して消化する時間が必要なのでしょう。
落ち込んだりしてなければいいけど…と思いつつも、息子との楽しい時間をわたしは満喫しました。

とても暑い日でした。
息子と別れて帰り着いてメールをすると、夫はもう少し放浪するとのこと。
クーラーをかけて、濡れタオルでからだを拭き、畳にうつ伏せになったまま、うっかりわたしは寝てしまいました。そう、ぱんつ一枚で。shock

ハッと目覚めた時にはすでに具合が悪く、あわててエアコンを切って布団を敷いてパジャマに着替えて、ドリンク剤を飲んでそのまま眠りました。


夫は帰って来て食事をすませると、寝ているわたしの傍に座って、今日の診察の話をしてくれました。
と言っても、多分三分の一くらい…かな?
どんな風に話がはじまって、最後の締めくくりはどうだったかまで、ざっと話してくれました。
でも「核心」は内緒なんですって(^ ^)
なーんだ、先生に言われたことをただやってるだけじゃん、と思われたら
『魔法が解けちゃう』からだそうです。

さてどんな魔法なんでしょう。
でも確かに夫はどこかが違っていて、わたしは本心を話すこともできたし、家族のことで少し我慢して溜めていたことも話して、とても二人は穏やかに土曜の夜を過ごしました。
そう、金曜の夜とは比べ物にならないくらい。

土曜日は、そのクリニックは異常に混むと聞いています。
階段まで待っている患者さんが並び、飛行機で来る人もいるクリニックなのです。
なのでわたしは平日にしか行きませんが、実際、夫が呼ばれて診察室で話している間にも、カルテは山積みになっていったそうです。

そんな忙しい中、30分もの時間を割いて夫と話をしてくれた先生には心から感謝です。
わたしが行ってもなかなか30分は費やしてはもらえませんから…。
転院して本当に良かった。
怖い先生だけど、患者一人一人ときちんと向き合って、治してくれようとする先生なんだと思いました。


「医療の部分は、わたしが責任をもってやります。でも、それ以外はご主人、あなたにかかっているんですよ。」みたいなことを言われたそうです。
わたしは、ちょっと悪化はしてしまったけど、結婚して夫が居てくれて本当に良かったと思うと同時に、これからは先生の反対を押し切って働いたりしないようにしなくちゃと思いました。
そして、時間を作って行ってくれた夫に感謝です。


     ******************

今日28日、障害者手帳申請に行って来ました。
滞りなく受理されました。
申請が認められるかどうかはわからないのですが、あとは待つだけとなりました。



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夫への呼び出し

23日が二週間ぶりの診察日でした。
わたしはもう、自分は軽症ではないし先生も今度はそう思ってらっしゃるだろうと考え、障害者手帳の申請をするために、診断書をお願いしようとバッグに入れました。

バスに乗り、地下鉄に乗り、発車すると、なんともいやぁーな感じに襲われます。
んんん…。乗り物が苦手になっちゃったかな?
こんな日に限ってソラナックスを持っていないなんて…。
ひとしきりバッグの中を探ってみましたが、やはり持っていませんでした。

仕方ない、各駅停車だから駄目だったら降りよう…。
あきらめて、緊張しながらどうにか辿り着きました。
乗る前に買った500のペットボトルはほとんど空になりました。

受付で、診察券やら、自立支援の受給者証やら、書いてもらう診断書やらでもたついている間に、2,3人がサラッと診察券を出し、わたしは呼ばれるのがあとになりました。

まだ緊張が解けず、ソファに浅く腰掛けながら待って、やっと呼ばれました。

「どうですか?」
独特のイントネーションで先生が聞きます。
わたしは座りながら、そこで自分が言葉を失っていることに気がつきました。

あれ、わたし今日一言も話をしていない?

黙ったままのわたしに先生が顔を向けました。

「どうですか? どんな調子。」
先生の顔を凝視したまま、わたしからは言葉が出ません。

「あの…。」
やっとのことで搾り出すようにそう言ったあと、わたしの目からはふいに涙がこぼれました。


「今日は実家から来たの? それとも自宅から?」
「…自宅です…。」
「それは、あなた自身の意思で帰って来たんだったよね? それで、どうですか。」

伝えたいことはある、なのに全然文章が組み立てられない。わたしは焦りました。

「えっと…乗り物が、怖いです。」
「どう怖い?」
やっと出た言葉に先生は質問をかぶせて来ました。

「不安で…緊張します。」

そうだ、これだ。わたしは伝えたかった言葉に行き当たりました。

「毎日緊張が解けないんです。家族と食事をするのも緊張します。夫の機嫌にもいつもびくついていて、リラックスできないです。」
「ほう…。ご主人は、どんな人なの。大声出したり声を荒げたりすることがあるの?」
「それは全くないです。ですがいつも不機嫌で…わたしのせいだと言いますが、わたしはびくついています…。」

「一回、ご主人に来てもらってください。土日休みのサラリーマンですか?」
「はい、そうです。」
「じゃあ土曜日でもいいから、来てもらってください。接し方について少し話しをしましょう。」
「はい…。」
夫への呼び出し。
もちろん夫は来てくれると思いますが、伝えた途端いつものように、悪い想像しかせず、機嫌が悪くなるか、落ち込むかのどちらかでしょう。

けれどもそれからやっと、動悸・立ちくらみがひどく不整脈もでていること、緊張が解けず寝つきが悪くなりその間に泣けてしまうことなどを話すことができました。


「はいわかった。貧血があるかもしれないんだね? じゃあ血液検査するからあとで血をもらうよ。この、診断書は書いてあげます。お薬も少し増やしますよ。」
「はい、あの、不安になったときは…。」
「頓服も出すから、好きなときに飲んだらいいよ。」

わたしは一旦待合室にもどりましたが、すぐまた呼び戻されました。

「この診断書はあなたに聞きながらじゃないと書けない。いいですか、あなたがアパートで一人暮らしをしていると仮定して、できるかできないかを考えてみてください。」
診断用紙にある数種類の質問を、先生は噛み砕いて具体例を示しながら、ゆっくり質問していってくれました。


「んー。…3だな。」
先生はレベル3のところに丸をつけて、それでわたしはまた待合に戻りました。

患者さんがひとくぎりついて、検査室に呼ばれ採血をしました。
驚いたことに先生がわたしの腕に針を刺したのです。
医者直々に採血をしてもらったのは始めてでした。
そしてとてもお上手でした。
迷いも無く内肘にすうっと針を刺し、入れるときも抜く時も痛みはありませんでした。


「旦那さんに来てもらったときに、あなたの心理テストや他の検査の結果を見せながら説明してもいいですか?」
「あ、はい。」
夫はそれを見せてもらえることはきっと喜んでくれるでしょう。
「医療の情報というのは第一級の個人情報だから、本人の同意なしではたとえご主人にも漏らせないものだからね。見せて説明していいですね。」
「はい、お願いします。」


薬は、アモキサンが毎食後に増量され、ソラナックスがまた復活していました。
障害者手帳申請のための診断書も書いていただき、ソラナックスを一つ飲んで、わたしは帰途につきました。

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パーソナルスペース

人にはそれぞれ『パーソナルスペース』というものがあります。
わかりやすく言えば、自分を中心とした縄張り、みたいなもので、自分が中心なため、自分と一緒に移動する
『空間縄張り』みたいな感じだそうです。

電車の中を例に取ると、例えば始発電車に乗る場合、順番に端の席が埋まり、次いで真ん中が埋まり、という座り方に見られます。だれもが見知らぬ人とびっちりくっついて座りたいわけではないので、そういう風景になるわけです。

毎日満員電車で通勤していらっしゃる皆様のストレスは、それだけで丸一日分に相当するのではないかとお察しします。毎日ご苦労様です。

この『パーソナルスペース』とは、他人に入り込まれたくない空間でもあります。
一般に、男性のほうがこのスペースが広くて他人と近い距離に身を置くことを嫌い、女性のほうがスペースは狭く、他人が近くにいることを余り不快に思わないという違いがあるそうです。
この男女差は、一つは男性と女性の脳の形状の違い。
そしてもう一つは、古来の生活習慣によるものとされています。
古来、男は狩猟に出かけ、女たちは男の留守のあいだ、みんなで集まって皮をなめしたり、料理をしたり、衣類を作ったりという集団行動をしていました。
男にとって、自分のパーソナルスペースに侵入して来る者は、敵かライバルです。
だから、守るべき自分のスペースが広く、男同士くっつくことをしない人が多いのです。(あくまで一般論で、個人差があって当然と思って読んでくださいね。)
逆に女性は、新幹線で隣りに座ったというだけでお喋りを始め、友達にもなれてしまうという特性があり、、集団行動を円滑にするために魂に刻まれたパーソナルスペースが狭いということが言えます。

     ******************

わたし個人の考えで言いますと、これにはプラス『生い立ち』というのも関係が大きいのではないかと思うんです。
昔のように、子供が8人も居て、おじいさんおばあさん・ひいおばあさんやら、結婚していないおじさんやらがごった返してくらしていたのなら、パーソナルスペースも何もあったもんではなく、自分専用のものですら無かったかもしれません。
そんななかでたくましく育つと、パーソナルスペースは狭く、対人についても寛容になれそうな気がします。

わたしは一人っ子です。
両親との3人暮らしでした。
そしてわたしは子供を一人だけ産み、息子が物心ついたころにはわたしと二人暮らしでした。

なので、何かを奪い合うとか、借りるとか共有するとか、そういう経験をしていません。
そして逆に、自分のものは自分で管理することが当たり前になっています。
他人のところに侵入することはしません。必要ないから。
そして、侵入されることを大いに嫌います。

夫は、3人兄弟の末っ子です。
夫には3人の子供がいます。亡くなった奥さまも3人兄弟の末っ子で、望んで3人の子供をもうけたことになります。
きっと二人はとても似たもの同志の夫婦だったことでしょう。

ところが、わたしと夫は、水と油です。
これが、お互いを認め合い尊重しあって、凹と凸が合うように暮らしていければ、きっといい夫婦になれると思います。

けれど、夫が本心で望んでいるのは、わたしが夫と融和し重なりあうことです。
それができないというわたしの個人的な感覚は、未だ理解されることはなく、融和したいという夫の望みも叶うことはありません。

わたしがわたしの世界を持つことを、夫は嫌います。
わたしは夫が自分の世界をもっていると、安心します。

先日コメントで頂いたように、どちらかが100でどちらかが0である必要性は無いので、うまくバランスを取れたらいいのですが、結婚してまだたった二ヶ月。
夫は性急に結論を迫りますが、何年もかかって、お互いのバランスを作り上げていくのではないかと考えています。

脳が「男脳」の上に、一人っ子で、少人数での暮らししか経験したことのないわたしは、女性でありながら、パーソナルスペースが広いほうだと思います。
自分の場所や持ち物に執着するのは、少し病気の影響もあるかもしれませんが、自分のものと、それがたとえ夫とはいえほかの人のものとごっちゃになるのは、生理的に耐えられないことなんです。

物理的な問題であれば解決は容易いが、生理的なものの歩み寄りは難しいとカウンセラーに言われたことがあります。

生理的なことって、解りやすく説明するのは、とっても困難なことなんですもの。
そして、全て本音を言いながら生きて行くことなんて絶対に出来ないと思っている頑ななわたし。

病気のせいではありませんが、道のりはなかなか険しいものですね。

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眠りの淵

昨夜は体力・気力終了だったので、早く寝ようとしていたけれど、動悸が激しく不整脈もポンポン出ていて苦しい。

夫に訴えてみたけれど、「不整脈なんて自分がそうと感じるだけで、実際はどうということは無いもんだよ。」と一蹴。

そうだね、そうかもしれないね。24時間ホルター検査で、不整脈出まくってたけど、心臓には問題ないからストレスが原因でしょうと言うしかない医者。

仮面うつ時代、動悸・息切れ・立ちくらみ・めまい・そして不整脈オンパレードで、思えばあれはすべてウツの症状。かわいそうに精神は必死に体を通して訴えていたんだ。


とりあえず、寝息を立てている夫の隣りで寝る前の薬を飲み、横になったけど、眠くなれないばかりか動悸はどんどん苦しくなってきた。

これでは死なないとわかっているけれど、ただ苦しくて辛い。
夫に手を伸ばしてみるが、お通夜で疲れている彼は何の反応も示さずわたしは孤独に泣いていた。

ソラナックスを飲んでしまおうか…そしたら寝付けるかな…。
いやその前に「救心」を飲んでみよう。

頭を上げないように低く這いずって救心を探し出し、薄明かりの中で3粒飲んだ。

そういえば、自宅で仕事を持ちながらバイトにも行っていた頃、3~4時間しか寝る時間が取れなくて、朝、ユンケルと救心飲んで、青黒い顔で出勤したなあ…。
辛かったあの頃。
今は休んでいられる。それだけ取って考えても十二分に幸せなことだ。

数時間してやっと眠気がやってきて動悸の苦しさからも解放されて眠りに堕ちた。

今朝はお見送りができなかった。
苦しくて、体中がきしむように痛んで、どろどろと眠りの淵に引きずりこまれる。

昼過ぎまで寝て、一旦起きてヨーグルトとバナナを食べた。薬も飲んだ。
けれどまだ脳は眠りを要求している。起きていられない。
立ち上げたPCを閉じ、再びパジャマに着替え、布団を敷きなおしてまた昏々と眠る。

体が痛い。心も閉ざされている。外が暗くなり、夫が帰宅するまでわたしは眠り続けた。

ちょっと無理しただけで、こんなことになっちゃうんだ…。
本当に、あなどれないぞうつ病。
こんなに薬を飲んでいるのに、まだ現れる仮面うつの時と同じ身体症状。

何にもできなかった一日を終えるにあたって、
「今日は良く休んだねえ、エライエライ。」と自分を誉められたらどんなにか楽になれるだろう。
何にもできなかった不快感と、噛み合わない歯車の軋みに、今夜もまた、不整脈が出てきてる。

自分が、ここまで悪くなるなんて思ってなかった。
働きながら治せると思っていた。
でも、わたしの生き方の積み重ねだから仕方がない。

自分のせいだから仕方がない。治らなくても共に生きて行くだけだからいい。
ただ願うのは、わたしの存在が誰にとっても迷惑になりませんように…。
道端の雑草の小さい双葉のように、ほんの1%でも誰かのなごみになれますように…。
そして、息子が生涯にわたって、こんな苦しみを味合わなくて済みますように…。

幸せであってくれますように。


 ではおやすみなさい。   キャラ姫
moon3

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気力体力終了。

昨日は夫と久しぶりのドライブデート。おそらくは4ヶ月ぶり。
焼きものが見たいというわたしの要望に応えてくれて、益子へ。


一昨年の秋。うつ病と診断
された直後。事の重大さにまだ気がついていなかった二人。
一緒に笠間に行ってロクロ体験をしました。
夫は高校時代陶芸部で経験があるので慣れたものですが、わたしは始めての体験でした。
初めての割にはうまく出来て、小さいお皿が作れました。夫は平茶碗。
ボロボロの体で行ったけれども、とても楽しい思い出です。

あれから、結婚を決め、ほとんど治療らしい治療をしないままメチャクチャに働き、力尽きて療養生活に入りましたが、病状はまだ好転していません。


焼き物を見て歩くのは本当に楽しい
。大好き。
でも、買えないとわかっていたら、つまんないと思う。

小さなサイズのモノたちですが、いずれも作家物の作品を、4点購入してご満悦で帰途につきました。
久しぶりに、とても嬉しく楽しい一日でした。ありがとう夫。


買った【お気に入り】たちは、明日、サブブログのほうでご紹介しますね。


今日は昨日の反動で、朝から静かにウツ状態。ほとんど何もできません。
でも、親戚に不幸があって、お義母さまと夫はお通夜にお出かけ。

ユンケルを飲んでから、フラフラ・ヨロヨロと、子供たちの夕飯をつくりました。
刻んだ鰻の入った五目寿司(鰻のほかは、甘めの煎り卵と三つ葉、新生姜、たっぷりの海苔)と、イカときゅうりのサラダ。

平日夜はごはんをほとんど食べない次女が、「美味し~い。」とお代わりして、お茶碗に4杯食べてくれました。
とても嬉しかった…。

でも、ウツ状態のため、気力・体力ともにここで終了。ぷしゅ。
長女に後片付けを頼んで、夫を待ちながらこれを書いています。

あしたは、休もう。
脳も体ももうヘロヘロだけど、みんなが喜んでくれて良かった。
ご飯って、作る相手が居るから作れるんですよね…。



ではまた、明日…。    キャラ姫でしたmoon3

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ころろん・ころろん。

夕方、今年も行くことになった二人旅の件で弁護士友Zと電話で話したときは、
「元気ー? 大丈夫なのぉっ?」と叫ぶ彼女に、
「うん、大丈夫だよ。」
って答えたけれど。

本当はあんまり大丈夫じゃなかったの。
船の上に居る彼女と、夫の膝元に座っていたわたしがする会話じゃなかったから、ホテルの話だけして切った。


ゆうべ「弥生ちゃん」をひどく怒らせてしまったの…。

パニック発作や不安発作じゃなかった。
一番近かったのは、実家にいるときに夫と泣き喚きながら電話をしていた、あのときのわたしかな。
でも、それとも種類が違ったかな。

「弥生ちゃん」は、今度は本当に暴れだしそうだったの。
そしてわたしは『弥生、出てきていいよ、叫んでいいよ、暴れてもいい、今出てきなさい』って声を掛けたのだけど…

弥生ちゃんはわたしの中で暴れて叫んでいるだけで、どうしても出てこなかった。

制圧をしているのは、わたしなの? それとも弥生ちゃんなの?

今なら夫が抱きかかえていてくれてる。今なら理由も説明できる。出てきなさい、暴れなさい、叫びなさい、と言ってみたけど。
弥生ちゃんは、わたしに涙や吐き気や硬直を与えてくるだけで、出て来ようとはしなかった。
外に飛び出して、救急車でも呼んでもらって、強い鎮静剤でも打たれるまで、思いっきり叫んで暴れさせてあげたかった。

彼女はわたしを能面状態にし、薬を飲むことを選択したよ。
わたしは寝る前の薬6錠と、朝の薬の中からユーパンを探し出して飲み、あちこちにぶつかりながら書斎に行って、
うまくソラナックスを探し出して口に入れた。

手には膀胱炎の薬も下剤も握っていた。

夫が来て、「何飲んだの?」と質問する。でもわたしは表情が動かせなくなっている。言葉も出ない。それらのことを全部自分でわかっている。正気を失っているわけじゃないの。全部見えてるの。それでもどうしようもないの。

答えないで能面状のまま、ダラダラと流れ出る涙を夫はふいてくれながら、ゴミ箱を見て
「ソラナックス飲んだの?」と聞く。そう。見たとおりよ、と言葉は脳にでてるんだけど、口が動かない。

夫は、硬直したわたしの手のひらを開かせて薬を奪うようにしまい、「いまこの薬は要らないからね。お布団で寝よう。立てるかな?」と手を差し入れてきたけれど、わたしは動けなかった。もうどうでも良かった。

「僕がこっちの部屋にいるから、キミはひとりでお布団で寝なさい。ね、それならいいでしょ。」
ようやくわたしは頷いて、和室に戻った。

夫は枕だか毛布だか、何かを持って書斎に行ったの。
この状態のわたしを一人にするのはきっと勇気が要ったと思う。

一人になって、布団に座って、さめざめ、という表現が素晴らしく当てはまる泣き方をわたしはしていた。
そうしたら、頭のなかに、消えたい・消えたい・消えたい・消えたい、って言葉が浮かんできて、それを唱えているのがわたしなのか弥生ちゃんなのかわからなかったけれど、死にたいというわけではないの。
死ぬのは怖いもの。死んじゃうのなら仕方ないし未練は無いけど、自死は選べないなあって思う自分がいたし、親が苦しみ悲しむし、夫を廃人にしてしまうだろうし、何よりも息子の人生に黒点を残してしまうのだけは嫌だった。

父親はとうに再婚して新しい子供もでき、母親も再婚して別の家族と暮らし、一人暮らしでヤツは世帯主で戸籍の筆頭者になった。
それを「平気。かっこいい。」なんて言えるのは、父親も母親もそれぞれ生きてこの世にいるからであって、わたしが自死をしたりしたら、あの子を一生苦しめることになってしまう。

「ママ、ボクがオトナになるまで死なないでね。」
離婚当時8歳だった息子と約束して、そしてヤツはなかなかな大人になれたけれども、それでもわたしは命が尽きるまでは生きていてやらなければいけないのよ。
たとえヤツが本心ママを疎ましく思っていて、会いたくもないしと思っていたとしても、やっぱり彼を見ていたいし、自死だけは選べないと思う。

それでも消えたい消えたい消えたい消えたいって頭の中が渦巻きになって、わたしも仕方ないからタオルを握り締めて息子の名を呼び続けてたの。
それではまだ足りなくて、テレビの上に飾ってある、ヤツが小学生の時の陶芸クラブで作った、宇宙人みたいな土鈴を手に取ると、思いのほか落ち着く優しい音がころろんってきこえたので、ころろん・ころろんって土鈴を振りながら息子の名を呼び続けてた。

丑三つ時に呪文のように呼ばれて、ヤツはうなされていたかもしれないね。ごめん。

それを30分くらいやっていたら、薬がやっと効いて来た気がして、土鈴を戻して、抱き枕を抱いて、タオルケットにくるまって、多分眠ったと思う。

目が覚めたら、結局眠れずに朝を迎えた夫が出かける支度をしていて、フラフラなのがとても気の毒だった。
わたしを嫁にしたばっかりに心労を背負い込んで、結婚してから痩せて白髪も増えてしまった。

ごめんね。
ごめんね。
ごめんね。

弥生ちゃんもごめん。出してあげられなかった。
この制圧は一体だれがしているの?
一体わたしは何人いるの。

今日は瞼が腫れて指がむくんでいた以外は元気だったよ。
でも、こんなことがあったんだ。


あしたは、ひさしぶりに夫とドライブデートだよ。いつからデートしてないだろう?
焼き物を見に行くんだ。とても楽しみ。

じゃあ、おやすみなさい…。


ヒメmoon3

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*おしらせです。

好きなことがやれるようになるために、良くなる…
マハロちゃんから教えてもらった言葉です。

はて、わたしの好きなことってなんだろう…??

わたしは、文章を書くことが大好き。
かわいい物・綺麗な物をコレクションするのが好き。
書斎に引きこもって過ごすのが好き。(←あかんがな。)
写真を撮るのが好き。


っていうことで、今日突然、サブブログを始めましたbirthday

サイドバーにリンクを張りましたのでsoon お散歩のおついでに、どうぞ覗いていってくんなましheart04
まだ一話しか書いていませんけど(笑)

銀靴ともども、よろしくお願いいたします。
これがいい治療になりそうな気がするなー
happy01


キャラ姫moon3

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新しい家族。

帰宅してまずお義母さまに挨拶に行くと、義母はこう理解を示してくれました。
「わかりますよ。落ち着かないんでしょう。わたしも招かれて娘のところに行くけれど、何泊かすると、落ち着かなくなってきちゃうの。良くしてくれるのよ、居心地が悪いわけじゃないの。でもね、自分のものが何もない場所ってね、落ち着かないのよ。」
そのとおりだとわたしは思い、頷きました。
「まあとにかく、気兼ねしないで、気を使わないで、暮らしてください。」
「ありがとうございます。お世話になります。」
正座してわたしは頭を下げました。


そして懐かしい書斎にもどり、夫に抱っこされて二人で泣きました。
夫は、わたしを送り出した直後は、泣けてしょうがなかったそうです。
前妻さんを看取っている彼には、喪失の悲しみがより一層心に刻まれたかもしれません。

夕方になり、その日は末っ子が最初に帰って来ました。
「ただいまー。」と言いながら階段を上がってゆく彼に
「おかえり!」と声をかけると、
「あ、ただいま。」
「こっちもただいま。」
「おかえりなさい。」
「あのね、帰ってきちゃった。」
「ええ? ああ、おかえりなさい。」
「ただいまただいま!」
「あはは…。おかえりなさい。」
「おみやげ置いてあるから、あとで3人で相談して分けてね。」
「ああ、うん。」
17歳の男の子は笑顔で迎えてくれました。

娘二人は遅くて、4人で食事を済ませたあとに長女が帰宅しました。
実家から、わたしは3人にメールをそれぞれしたのですが、返信をくれたのは長女でした。
『パパから療養のためって聞いたけど、急にだったのでびっくりしました。○○さんの「おかえり~」がなくてちょっと寂しいです。明日資格試験なので頑張ります。』という内容の返信でした。

「おかえり~。」
「え、あ、ただいま。あれ?」
「あのね、帰って来ちゃった。診察のための一時帰宅じゃなくて、パパと一緒に精神科行って許可もらって、やっぱり戻ってきちゃったの。」
「ああ、それは、おかえりなさい。あの、資格試験の予備試験なんだけど、なんとかギリギリで採ってもらえたので。」
「わあすごい、頑張ったね。お疲れさま。」
「ありがとう。」
「またお世話かけるけど、よろしくね。」
「ああ、はい、こちらこそ。」
長女は日頃のことなどをちょこちょこ話してくれるので、彼女とはときどきメールをします。息子と同い年なのですが、わたしに取っては頼れるおねえちゃんであるのです。

やがて遅い時間に、次女が帰って来ました。
次女はこちらから声をかけない限り黙っている子です。

「おかえり~。」
「たーいまー。(こう聞こえる言い方なのです)…あれっ。」
「診察がてら帰って来ちゃった。」
「おお、お久しぶりぃ~。」
「お久しぶりぶり。ただいま。」
「おかえりー。」
「おみやげあるからね。相談して分けて。」
「あい~。」

次女は珍しく上機嫌でした。
パパとはロクに挨拶もしてくれない子なので、パパはすこしわたしに嫉妬しました。

Anyus_favorites_items_039 やがて2階のリビングで、3人の騒ぐ声が聞こえ始めました。
←おみやげと言うのは、これ。
グ○コのクリームコロン、カットされていない棒状のもの3種類。
クリーム・チーズケーキ・ストロベリー。
それぞれが好きなのを取るか、均等に分けるか、ボックスはどれを誰のにするのか楽しそうに騒いでいました。

階段を駆け上がる足音。笑い声。言い争い。歌声。

そんな気配を感じられるこの家で、わたしは
今からが療養生活のスタートです。

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*遅くなりまして…。

最近まったくコメントにレスしてなくて、感謝の気持ちをなかなか伝えられずにいました。
ごめんねメイトさんたち。
レスがなくても構わず来て読んでくださって、コメントをまた入れてくださって、ヒメは本当に幸せ者ですcrying

少し遡ってレスしましたので、いままでコメント無視されていた方々、よかったら覗いてくださいね。
全部は遡れなかったので、それはごめんなさいsad


リカちゃんの、現在の居場所の写真がUPしてあります。

それと、あたらしいブログパーツ「未来惑星」というのを貼りました。
今日、ワカメがこの星に誕生したんです(笑)
ときどき成長ぶりをチェックしてやってくださいねeye

ではまた目覚めてから本編の続きを書きます。

おやすみなさい、メイトさんたち
sleepyheart04shine

                キャラ姫moon3

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ショック療法

クリニックはラッキーなことに、待っている人は一人だけで、ほどなくわたしは防音の診察室に呼び込まれました。

「こんにちは。」
「おお。どうですか。あれからどうしました? 実家に帰りましたか?」
「はい、夫に送ってもらって帰りまして、」
「それは良かった。ゆっくりしていますか?」
「はい、あの、先生。」
矢継ぎ早な先生に向かって呼びかけると、メガネをずらした上からぎょろりとした目がわたしを見ました。

「んん?」
「あの、帰省したのはしたのですけど、今日東京に帰って来まして、それで、このまま東京の家に居たいんですが。」
「ああ、いいんじゃないの。一泊か二泊するくらいなら。」
「いえ、その、そうではなくて、帰って来てしまいたいんです。やっぱりこっちに。」
先生は立ち上がり、怒ったときにいつもそうされるように、ペンでカルテをペシペシ叩きながら遮断しました。
「それは駄目ですよ。先生言ったでしょう、あなたは家事のできるレベルにはないし、大人数で暮らすストレスに耐えられる力もない。ご主人のことだってそうだ。新婚で、手を出さずにいられますか? 2ヶ月離れなさいと先生言ったでしょう? なぜそれを、」
「帰って来たいんです。」
今度はわたしが遮りました。
「実家では、自由に、そして優しくしてくれます。でも、自分の居場所ではないから、落ち着かないんです。何かしら焦燥感も出て、それを紛らわすものも何もないし、自分に取っての居心地がいいわけでは決してないんです。」

「けれどこっちに帰ってきて家事をやったりストレスを溜めたりしたら療養にはならない。」
「家事は、お義母さんが全部やってくださると言ってくださいました。夫も、要求をしないと約束してくれました。引きこもって休めるよう考えてくれています。」

先生はため息をついて座りました。

「家事はやってもらえるの? それに対する罪悪感はどうするの? 夫の要求に応えられない罪悪感をあなたは持つでしょう。それをどうするの?」

わたしは答えに困りました。
正解は、知っています。治るために開き直って甘えること。
けれど自分にそれが可能かどうか全くわからないからです。

「まあ、いいでしょう。帰って来たいんだね?」
「…はい…。」
「じゃあそうしなさい。」
「えっ?」
思いがけずOKが出てわたしは眼を丸くしました。
「いいですか?」
「本人が帰りたいのだから、仕方ないでしょう。その代わり、お薬を忘れないようしっかり飲んで、二週間毎に来ること。申し訳ないとか思わずに、甘えて、とにかくダラダラ休むこと。やりたいこと以外はやらないこと。約束できるね?」
「はい。約束します。」

「あなたが、居たいと思う場所に居ることが大事なことなんですよ。ちょっと状態がひどかったから、【ショック療法】をやってみたんです。その結果、居たい場所がわかったのなら、それも一つの進歩でしょう。」

ショック療法? そ、そうだったんですか!?
心の中で声をあげてしまいました。ああでも、やりかねない先生ではあるわ…。
先生は、わたしが帰ってきてしまうのをわかっていたのでしょうか。実家に行っておとなしく二週間毎に診察に通ってくれば、それはそれで良かったに決まっています。
けれど、離れてみて、初めて見えるもの・気付くことがあるということを、知らしめてくれた今回の帰省ではありました。


「先生、今日は夫が来ています。先生からお話して頂けることがあれば…。」
「いや、今言ったとおりだけど、質問があれば入っていただきなさい。」

わたしは夫を呼びに行きました。
「質問があればっておっしゃっているけれど、とにかくお会いしてご挨拶だけでもお願い。」
そう頼むと、夫は診察室に入って、2分ほどで出てきました。
入れ替わりに診察室にもどって鞄を持ち、思い出し

「先生、前回からソラナックスが処方から外れましたけど、」
「ああ、外しましたよ。これだけ飲んでたら、必要ないはず。」
薬を増やしたがらない医師が、前回、レスリンを二倍にし、安定剤の種類を変えて日に3回に増やし、睡眠薬の種類を変え、さらにアモキサンを日に2回投入したのです、これに加えて頓服まで必要となれば、わたしはかなりな重症ということになります。
納得して辞し、階下の薬局に移動しました。


「先生なんて言ってらした?」
夫に尋ねるとこう答えが戻りました。
「とにかく休養。それと本人の好きなことだけを好きなようにやらせなさい。自由にさせておきなさい。何も要求しないことです。って。」

やはり先生に会ってもらって良かった。わたしの口から伝え聞くのと、先生から直接聞くのとでは
重み違うはずだからです。

薬をいっぱいもらい、やっと帰途につきました。
ずっと夫に手を引かれて電車に乗り、地下鉄が地上に出てからお義母さまにメールをしました。

『Nさんに一緒に病院に行ってもらいました。今から帰ります。受け入れてくださってありがとうございます。』
ほどなく返信が来ました。
『お帰りなさい。気楽に気ままに暮らしてください。』

          ******************

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のぞみ14号

あとは夫が品川駅のホームで待っていてくれる。
1時間36分の、ごく短い旅。
子供たちへのお土産を棚に載せ、通路側の席に座るともう列車は発車しました。
その途端、なんとも言えない
緊張が、わたしの体を硬直させました。

ええっ?
今までなんともなかったのに。
駅の地下街でも元気に買い物できたのに、なぜ急に?

途中で降りることの叶わないこの密閉空間で、パニック発作を起こしたくはない…。
わたしは慌ててバッグからお昼の安定剤を取り出して飲みました。
これで駄目だったら更にソラナックスを飲むしかない。
震える手で夫にメールをしました。
夫は既に会社を出て東京駅に向かっています。

「大丈夫だよ、乗ってさえいれば1時間ちょっとで品川に着くよ。ホームで待っているから心配ないよ。」
夫からは励ますメールが次々に届きました。

ハンカチを顔に当て、震えながらメールしているか、
「鞄の中いじくりまわし病」(←わたしの病状の一つ)になっている挙動不審なわたしに、窓側に座っていた男性が「具合が悪いんですか?」と声をかけてくれました。
「いえ、…はい、ちょっと、おかしいだけです。」
この答えじゃもっとおかしいだろうなと思いつつも、鞄のなかをいじくりまわし、夫にメールをし、本を閉じたり開いたりして、新幹線は新横浜に停車しました。

ソラナックスはもういらない。品川で夫が待っている。

品川に近づき、棚から荷物を降ろそうとすると、隣りの男性が見かねて降ろしてくださいました。
ホームに列車が滑り込む…
身をかがめて、窓をのぞきこんでわたしを探す夫の姿が見えました。

目があって、小さく手を振ると、夫は安堵の表情を浮かべました。
わたしと同じくらいに夫も緊張していたのかもしれません。
降りてわたしは夫の胸に包まれました。


帰って来た…。東京に帰って来た…。

発作の一番最後の
震え出ている状態で、わたしはうまく歩けませんでした。
お茶でもして休んでから病院に行こう、とエキナカで高いコーヒーを飲んで、一息ついてから、乗り換えて病院に向かいました。

夫とピッタリ並んで座り、安堵感に包まれ、病院に着いてもわたしは安定していました。

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棲家 その四〔条件〕

『帰りたい。』
その理由は、
「自分のお気に入りのものに囲まれているあの部屋で過ごしたい。」ということでした。
もちろん、夫の傍にいたいという気持ちがあります。
そして
『あの部屋に居たい・そこで暮らしたい』という気持ちもどんどん膨れ上がって、居ても立ってもいられなくなりました。

わたしの【棲家】…

それはあの家だと、強く感じました。
もちろん実家の居心地は悪くないです。愛されて心配されて、気遣われてるのもわかります。好きな時間に寝て、好きな時間に起きます。
でも、わたしの棲家ではないのです。

帰ろう。帰りたいなら帰るべきだ。心に従うとはそういうことじゃないだろうか。
わたしは自分の中で決心しました。

けれど帰るには二つクリアしなければいけない条件があります。

一つは、「家事ができるレベルではないし、大人数で暮らせる精神状態にはない」という医師の言葉に従って、それまでですらほとんど手伝っていなかった家事を、すべてお母さまをメインにしていただくということ。もちろん、いれば子供たちも少しはやってくれるし、土日には夫が大活躍してくれますが…。
そして精神疲労を避けるために、日々自室で好きなことをして過ごすことへのお母さまの
理解と許可

もう一つは、命令に背いてたった10日で帰宅してしまうことへの、精神科医の許可

夫は、わたしの気持ちを聞いて同意してくれ、お母さまには早速「申し訳ないんだけど」とお願いをしてくれました。
義母は、どういう気分であったかは別にして、その願いを聞いてくれました。

「気楽に、気ままに暮らしてください。」そう言ってくれたのです。
そればかりか、それまでかろうじてやっていた洗濯も、
「一緒にやってしまうから、気兼ねしないで洗濯機に入れておきなさい。前の嫁のもそうしてたんだから同じこと。」とまで言ってくださったのです。

ありがたく、ただありがたく、わたしは甘えさせて頂くことにしました。

そして第二の難関…。先生はどうおっしゃるのか。
夫は
「先生が、駄目だ・許可できない、って言ったら、キミはまた実家に戻る?」と心配していました。
新婚の妻に対して、望まれない限り手を出さない・あれこれ要求しないと約束しながらも、それでも自分のそばに居て欲しいという決断をしてくれたからです。

「ううん。わたしは、家に帰ります。自分にとって居心地のいいところで療養したいし、夫婦は離れていてはいけないと思うの。」
夫は、わたしが帰京して心療内科に行く日に半休を取り、わたしを迎えて一緒に病院に行ってくれることにしてくれました。

家に戻る。
たった一ヶ月半暮らしただけのあの家が、自分にとってこんなにも恋しい
【棲家】になっているとは、考えてもみませんでした。

先生がどうおっしゃっても、帰ろう。
わたしは荷物を作って発送し、たった10日の実家療養を終えて、東京行きの新幹線に乗り込みました。


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棲家 その三〔姫〕

話し合いは、数ヶ月前までしばし遡ることもあり、話し合うというよりはわたしが不満に思っていること・疑念を感じていることを呈し、夫がそのもつれをほどいて行ったり、現状に関しては、夫は謝りながらひたすらわたしの気持ちを尊重し、受け入れるように努力すると明言してくれました。


わたしを初めて
「ヒメ」と呼んだのは、刑務所に行ったGさんでした。
付き合い始めてすぐの頃でした。
二人を含んだ会の中で、わたしは文字通り
『姫』として君臨し、場を盛上げ、誰をも言いなりにさせていました。わがまま放題言いましたが、みんな楽しんでくれていました。

けれど、そのグループに近いところに居ながらも、夫は当時からわたしを「ヒメ」とは呼ぶことはありませんでした。
特殊な感性でわたしを捉え、姫様タイプではないと判断していたのです。

ところが、みんなの前からかっさらって結婚してみると、
とんでもなく何にも出来ない〔お姫さまうつ病〕だったと判明し、誰よりも振り回される破目になってしまうだなんて、夫は考えもしなかったことでしょう。


一切を強要しない。

その事を約束して、その夜の話し合いは終了しました。
電話を終えたあと、階下に下りていくと、心配した母がまだ起きていました。
わたしはパニック発作の最後の部分のように体中が痺れ、ガクガクしていましたが、母と少し話し、「あんた旦那様にひどいこと言うなあ。かわいそうにNちゃん。」と言われました。母も夫が好きです。

「でも、言えて良かったなあ。ワタシなんか言えへんまま五十年経ってしまった。そやから、あんたが言いにくくて色々我慢してしまったのは、ようわかるよ。辛いよなあ。でもホント、言えて良かったやん。」

「あんたを産むのに、3日かかった。もう母体がもたないって言われたんを命をかけて産んだ子や。大切な子や。幸せでおってほしい。あんたが幸せやと思うような生き方にしぃ。こっちがよかったら、東京とこっちと行ったり来たりしたらええがな。でもな、幸せでいるための、努力はせんとあかんよ。頑張るんと違って、無理するのと違って、努力は自分のなかでするんやよ。」


疎ましいと思い避けていた母からこんな言葉をかけてもらえるようになったのは、夫のお陰です。それがなかったら、いずみちゃんに笑顔はやって来なかった。
今覗いても、いずみちゃんは後ろを向いてはいますが、べた座りをして笑顔でリカちゃんを握っています。体育座りをして膝を抱え、うつむいているいずみちゃんはいません。

わたしは、とても愛されている。
両親からも、夫からも。
愛する息子が生きている。

そして、血の繋がりはないけれど、夫の3人の子供たち…。

夜遅くに、二人の女の子の歌声やら笑い声が洩れて聞こえてくる家。
お母さまの草履の音がいつもパタパタ聞こえ、男の子の恥じらいを含んだ低い声の響く家…。


帰りたい。

わたしはそう感じ始めました。
荷解きをしていないダンボールもあるし、飾り付けていない棚もある。

子供たちに逢いたい…。
ぬるくなったお風呂に浸かりながら、わたしは心からそう思いました。

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棲家 その二 〔乖離〕

隣りの部屋ではもう父が寝ていると思いながらも、溜めに溜め、押し潰して詰め込んであったために自らが分かっていなかった感情たちが吐瀉のようにこみ上げては溢れ、自分を止めることが出来ませんでした。

けれど、泣き喚きののしっているわたしを見ている、もう一人のわたしがいるのです。

「パソコンで家計簿間違えないように毎日付けろって、あたしにはできないっ! スーパーでどうお金を払っていいか分からなくなるのに、っていうかスーパーに行くのに地図見ながらしか行けないのに、間違えずに毎日付けろなんて無理! 出来ない!」
…そう喚いているわたしを、
『そうか、それがそんなに負担だったんだ、良い妻ぶって一生懸命やってたけど、本当は重荷でやりたくなかったし、間違いだらけで、ちゃんとやってねって言われることがすごく嫌だったんだなあ…』と頷きながら見ているわたしが居るわけです。

「お母さまはすごく優しくて、いたわってくださって、でも、調子のいい日にはお手伝いしなきゃって思って台所に行くけれど、実際わたしが手を出せることなんかほとんど無い! にこやかに話を聞いて、何度もザル洗ったりシンク拭いたり、無意味なことしか出来ない! わたしなんか役に立たない! お手伝いなんか出来ない!」

「なんであなたは帰ってくるとそんなに不機嫌なの? 結婚したくてしたんじゃないの? あんな顔して帰ってくるなら、結婚なんかしなきゃよかったじゃない! なにかプラスになってることあんの? あるならなんでニコリともしないの! あなたが帰って来る時間になると緊張する! 笑顔で迎えなきゃ、要望を満たさなきゃってプレッシャー感じる!」

『おいおい、言っちゃったよ…。』

「できないの! もう何にも出来ないの! お願いだから何も要求しないで! 求めないで! 苦しいの! 消えたいの! もういい子ぶれない! 作り笑顔できない!お願いだから何も求めないで! 自分を支えることだけで手一杯なんだよ!」

携帯に向かってそう叫んだあと、わたしはしばらく泣き続けました。

『…何にもやらないで静かに暮らしていると思ったのに、こんなに無理してたんだ…。』


実際にはもっと沢山のことを喚いたはずです。頑張って思い出しても、これくらいしか記憶にありません。
夫は静かに聞いていました。

「要求しないで。期待しないで。お願い。好きなことしか出来ないの。何にもやれないんだよ。病気なんだよ。わたしの回りにいる人たちの中で、あなたが一番、ヒメがうつ病だということを認めていない! 理解していない。わかってない。やさしくない。わたしは、優しい心が欲しい。優しい言葉掛けがほしい。押し付けじゃない見守る愛が欲しい。」

「守ってくれるんじゃなかったの? 治してくれるんじゃなかったの? ヒメのうつ病は、薬だけでは治らない。医者が治せるわけでもない。ただ家に居ても治らない。」

「ねえ。あなたが治してくれるって言ったよね。包み込んで、盾になって、守って、癒して、そうしてくれるって言ったよね…。だから結婚しようって…。だけど、あなたが誰よりもヒメが病気だということを認めてない。」

「そんなことは、……いや、そうだね。そうかもしれない。」
夫は静かに口を開きました。
そしてわたしたちは、話し合うことをそこからやっと始めました。
お互いの思惑が、実は間逆にあって、まったく重なっていなかったことがわかるまで、何時間かかかりました。

見下ろしていたわたしは泣いているわたしの中に降りて、声を落として問いかけ、答え、考える作業を始めました。

おそらくは、弥生ちゃんと一緒に。

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棲家 その一〔実家〕

帰って来てしまいましたshine

ただいまーっsign01
前触れもなく、ヒメ、帰って参りました
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     ******************

2ヶ月間の実家での療養と、増薬した上での二週間毎の通院。
これがわたしに下された、医師からの
「命令」でした。

それを守れないなら先生はもうあなたを治せない!

そう言われて、わたし自身もそうしたいと思っていたので、即決して帰省することにしました。
休みを取った夫が、ぎゅうぎゅう荷物の鞄と、足元の危ないわたしの手を引いて実家に送り届け、両親に頼んでくれました。
それまでは、就寝前に一括して飲んでいた薬が、朝食後・昼食後・夕食後・就寝前の4回になり、それぞれの回に分包され、その一つ一つの袋には、でかでかと「○○○様 朝食後」などど全てプリントされてありました。

薬を忘れずに飲めるかどうかを不安なので、袋に日付けを入れて、朝・昼・夕・眠前とをそれぞれまた違う袋に入れることにしたのですが、マジックで書き始めたわたしは間違えてばかり、それどころか「昼」という字すら思い出せない…。
書き物がグジャグジャになることを嫌うわたしの性質を知っている夫は、間違いを塗りつぶしたりせず、あれやこれやの方法で消して(シンナーやベンジンなどないので)、べそをかいているわたしにまた書かせて、間違えるとまた消してくれ、父はその様子を立ち尽くしてみていました。


娘は一体どうなってしまったのだろう…。

父はきっと不安だったでしょう。
婿の人柄がいいのは充分に分かっており、父は夫のことが大好きです。
けれども、病気をかかえたまま知らない土地・新しい家族との同居を始めたわたしの結婚を、父は誰よりも心配していました。
悪くならなければいいが…と…。


その夜、夫は一泊し、わたしを自分のほうの布団に引きずるようにして抱きしめ、「今夜は絶対に離さない」と、後ろからまるで羽交い絞めのように強く抱きしめたまま眠りました。
わたしは、朝まで自分の布団にもどれませんでした。

二週間ごとに上京しての診察。
その時はもちろん家に泊まります。
けれども結婚してまだ一ヵ月半しか経っていないのに、二ヶ月も実家に預けなくてはならない
なんて、夫の胸中はどんなに張り裂けそうだったろうと、今は理解できます。

けれどもその時は、夫から離れないと全ての問題は解決しない。そうわたしは考えていたのです。
寂しさなんて感じてはいられませんでした。


     ******************

数日して生理が来て、梅雨の大雨の音を聞きながら、2日間わたしは寝込みました。
二日目の夕方、幼なじみが会いに来てくれました。
彼女はどかどかと二階のわたしの寝ている部屋に上がってきて「お帰り」とハグしてくれたあと、ここ数ヶ月の話を聞いてくれました。


彼女は今、精神科病院の受付けとして働いています。
子供のころから大変な人生でしたが、止まるという事を知らない人なのです。

今、あたしカウンセラーの卵なのよ。
彼女がそう言ったとき、わたしは大いに納得し、彼女こそ人を救うために生まれて来た人だと理解しました。
そして、カウンセラーになりたい、なれるかも、なんて甘く夢見ていたわたしの考えは瞬時に打ち砕かれました。すっきりと。

わたしは彼女に比べてまだまだ修養が足りていない。
子供の頃、幸せではなかったのに、彼女は音を上げず、それどころかどんどん前進し高上しながら生きている。
カウンセラーには、こういう人がなるべきだ。
わたしなんか、器じゃない。

ひがみも喪失感も無く、わたしは温めていた夢を捨てる気分になりました。


彼女は、わたしの両手を包み込み、眼をうるませながらこう言いました。
「このセリフを言うべきなのはアタシじゃないんだけど。」

「怒っていいいの。嫌なことを嫌だと思っていいの。そして、嫌だ・出来ない・したくないって言ってもいいの。あなたには価値がある。生きて存在してくれているだけでいい。そのまんま、ありのまんまのあなたでいいの!」
流れ落ちる涙をふき取ってくれながら、彼女はそう言ってくれました。

     ******************

その夜、シラフのままでいてくれた夫と電話で話しました。
わたしは泣き喚き、ののしり、3階から飛び降りて柿の木に刺さってやる!とまで喚きました。
夫はただ、聞いていてくれました。


             《つづくsoon

flairみなさん、沢山のコメントありがとうございます。レスしてなくてごめんなさい。
 東京に、夫のもとに帰ってきてしまいましたconfident
 また明日、続きを書きますね。
 読んでくれてありがとうheart 新しいメイトさんもありがとうshine
        
 キャラ姫moon3

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存在の許し

月曜日に夫に送られて実家に帰省しました。

こちらでは先程から雨が降り出しています。

夜半を過ぎて、寝なくちゃなーと思いながらも、少し本を読んだり、カタログを眺めたり、疲れないゲームをしたりしながら、一人で過ごす時間が大好きです。

切ないときは切ないままに。
悲しい時は悲しいままで…。

一人の時間が好きだけど、天涯孤独を望んでいるわけではありません。

同居する家族の気配がしていたり、同居はしてないけど息子や両親という血族がいて、自分を守ってくれる夫という存在があってこそ、一人を楽しめたり、その時間に癒されたりするのでしょう。

でも…ずっと誰かと一緒に居ることは苦手。
一人の時間が無いと精神を保てない。

昔から、悲しみや苦しさを、紛らわしたり寝逃げして忘れたり、何かを代替えにして発散することができませんでした。

悲しい時はたださめざめと泣き続け、苦しい時は苦しさを固めては心の奥底に沈め、やがてそれはインナーチャイルドを形成しました。

いずみちゃんは、子供の頃に満たされなかったわたし。

弥生ちゃんは、わたしの沈めた感情の塊。
拳を握りしめて、うつむいたまま立ち尽くしています。

閉じ込めた感情とは、殆どが「怒り」だそうです。

弥生ちゃんはわたしの「怒り」を受け持ってくれている子です。

発散させて救い出したい。

けれど、発散するということは、怒りを表に出して現さなくてはならない。

【拒絶され見捨てられること】を何よりも恐れ、迎合する人生を歩んできたわたしは、怒りを発散してしまったらもう終わりだと考えています。

どんなにぶつけても、醜い自分をさらけ出しても、絶対に愛を失わず、拒絶されず、ありのままの自分を許してくれる相手に出逢っているのであれば、弥生ちゃんを救い出すことが出来ると思う…。

だけど、そんな神様みたいな人がいるの

みんなそれぞれ感情があり傷つきやすい箇所を持ち、理想や理念のもとに生きているのに、ズタズタに切り裂かれて、それでもその醜いちっぽけなキミを許し、愛するよ。と言える人がいるのでしょうか。

ありのままの自分を晒し、その存在そのものを許してもらえる日なんて来るのかな…despair

moon3わたしは新しく投入された薬の副作用もなくなり、実家でボンヤリ過ごしています。

携帯からの投稿でした。
読んでくれてありがとう
heart01

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