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2008年3月

いつのまにか。

東京の桜も六分咲きcherryblossomくらいの、お花見日和の土曜、わたしは息子の家電品tvの買い物に付いて秋葉原まで行きました。

電車は混んでいて立っていたのですが、次の駅で空席が出来た時に、やや離れて立っていた息子が目で合図をくれて、気が付いて座れました。

混み合った秋葉原のホームが怖くて腕に掴まると、それはさすがに嫌がって、
「鞄の持ち手に掴まって」と言われ、ついて行きました。

買うものを一緒に選んで、ごはんも食べさせてもらいました。回転寿司に入ったのですが、
「好きなものを好きなだけいいよ。」と言ってくれたので、中トロを二皿も食べてしまいました。
ウニまでも…。


「あと見たいところは?」と聞かれ、リカちゃんのコーナーと、本屋と、ゲームのコーナーに行き、本とシールと、ゲームソフトを買ってもらいました。
母親なのに、たかってばっかり(笑)

いつのまにか、立場は逆転していますね。

帰宅して、通販カタログでカーテンを見て、
「どれがいいの?」と聞いたら、
「決めていいよ。」
「えっ? でも、」
「選びたいでしょ? だから、決めといて。」

先週大発作を起こす寸前に、わたしは涙を流しながら、「今日連れて行ってくれてありがとう。疲れたのと、寂しいので今泣いててごめん。でもね、ママはキミの始めての一人暮らしの部屋にかかわれて嬉しかったよ。」と伝えたあと、居間に行って大泣きしていたのを、ヤツは覚えていたのでしょう。

家具や家電を選ぶのって楽しいですね。カーテンの色はこれにして…なんて考えながらページをめくって、楽しませてもらっています。
わたしは既存の家庭に嫁ぐので、そういうことが少ない嫁入りですからconfident


今日は他にも嬉しいことが二つありました。

昔の職場の同僚から連絡があり、一緒に暮らしていた人との入籍を考えているということでした。
色々なことがあったのを知っているだけに、感慨もひとしおで、よく頑張ったねえ!と言葉が溢れました。


もうひとつは、家族を亡くして沈み果てていた友人から「今日は友達が来てくれて楽しかった。」という言葉を聞けたことです。
「楽しかった。」
これはすごい言葉です。
別れ際に、そう言われると、お互い幸せですよね。


幸せな人の話を聞いて、幸せになれる…
それはきっと自分が幸せだからでしょうね。


いつもと違う路線に乗った今日は、久しぶりに東京拘置所の姿を車窓から見ました。
あれから丸三年…。
もう何年も昔のことのような気がします。
いつのまにか月日は流れ、転んだり流されたり泣いたりしながらも、春はやって来て嬉しい話を運んで来てくれる…。


その一つ一つがわたしを学習させてくれる。

「楽しかった。」と言えるように、言われるように、
わたしも人の心に寄り添える人でありたいと願っています。


来週また実家に行って来ます。
今度はダラダラ、アマアマだけじゃなくて、少しは親孝行できたらいいなあ。
無理かな
bleah

2008.3.30記pencil  キャラ姫moon3

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発見!

月曜日にカウンセリングに行ってきました。
一ヶ月ぶりです

復職するために詰めてやろうと思っていたカウンセリングですが、どういうわけか店もクビになったことだし、勉強会も兼ねて、も一度最初から復習していくことになりました。
ゆっくり、時間をかけて。

体調がすぐれず、出かけるのもしんどかったのですが、カウンセリングは大好きなので行って来ました。幸い行き先は終着の駅なので、電車に乗って爆睡ですsleepy

電車を降りて向かいながら、いっぱい話すことあるんだけど、うまく話せるかなあ…と心配でした。発作の後遺症でまだ深い底にいるからです。
階段を登って行くと、カウンセラーが廊下で待っていてくれました。
お久しぶりです、と言ったわたしの顔に、自然な笑みが浮かびました。


前回のカウンセリングで言われた
【退行】という言葉が、チップが本体にカチッとはまるような感じがして、居ても立ってもいられず実家に電話をして、泣きながら父に「帰りたい」と訴えたのですが、その経過を話すと、以前、夏ごろに受けていたカウンセリングの内容が実証される時が来ましたね、と言われました。
「時期は、来るものです。親子の縁は切っても切れない。」
カウンセラーはまるで予想していたかのように言いました。

そのほか、店をクビになった経緯のこと、それに対する思い、息子が独り立ちしていくことへの喜びと寂しさ、結婚に対する不安と尻込みするような気分、大きな発作を起こしてしまったことなどを順に話して行きました。

おおよそ話し終わった時には、もう時間はわずかでした。
カウンセラーはこう言いました。

「あなたが話している事柄のひとつひとつは、とても大きい重要な問題なのに、話しているあなたの表情は、活き活きとしていて、しかも実に論理的に、A(心理学でいうアダルト…理性のある大人のこと)の立場で分析しながら説明している。非常にわかりやすい。
どうですか。論理的に説明をしている自分を、好きじゃないですか?」

「えっ…。あっ。はい、好きです!」

過去の自分を全部嫌い!
そう言っていたわたし。それは今も余り変わらない。
けれど、今現在のわたし自身の中に、
「好きだ」と言える部分を発見したのです。

「それは、ご両親の愛に対しての信頼が生まれ、愛されている安心感がベースとなって、好きな部分を認識できたのですよ。」

そうだ…わたしは人に説明をするのが好きなのだ…。
だから、一点一点説明したり、お客様の好みや予算を読み取って、最適と思われるものをお勧めし、納得して買っていただくという、あの職業が大好きだったのだ…。

「今は、仕事のことは考えずに置いておきましょう。一番大切なのは、結婚にあたってのあなたとNさんの気持ちの行き来です。根気強く話したりメールでやり取りするしかないでしょうね。」

     ***********************

何も知らないころであれば、結婚なんて容易いことでした。
それはただ、好きな人と一緒に過ごせるという
幻影だけ追っていれば良かったのだから。
けれど、結婚が失敗に終わり、離婚という苦しい作業をたった一人でやり遂げたわたしには、結婚に対する甘いアコガレなんてものはあまりありません。

それでも、一人じゃなくなることが、一人であり続けることよりもいいはずだと期待して、結婚をするのです。

またいつか、
「自分の好きなところ」を活かせる仕事をしたい。2008_322ks_room_326ueno_023_3
少し心が軽くなってきたのは、今日(26日)になってからです。

上野は桜がよく咲いていました。

   2008_322ks_room_326ueno_027_2    

 

  2008.3.26記pencil キャラ姫moon3 
 

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脱ぎ捨てたい。

flairメイトのみなさん、コメント本当にありがとうございます。みなさん、他人のことでどうしてそんなに熱心に考えて同調したり慰めたり、見抜いていたりできるんでしょう。驚愕を込めつつ、心から感謝いたしますconfidentレスが遅くなるかもしれませんが、待っててくださいねloveletter

          ******************

久々の大発作の翌日、わたしはNさんとのデートをキャンセルさせてもらいました。
彼も風邪で調子が悪かったとのことで、いじけることなく優しくOKしてくれたので、ほっとしてウトウト眠りました。


出かけた息子が帰って来たので起きたのですが、ヤツは借りた部屋のワックスを二度塗りしたり、お風呂のカビ取りに行ったのでした。
起きてわたしがぼんやりしていると、メジャーで、持って行く家具の寸法を測り、間取り図を持ってわたしの側に座り、
すすすーっとその間取り図を差し出しました。
「なに。配置を考えろと?」
息子、こっくり。
病み上がりの寝起きなんだからちょっと待ってよーと言いつつ、コーヒーを飲みながら、配置図を考えて描いてやると、
「おお。」とヤツは喜びました。(表現に乏しいヤツなんです。)

ヤツは窓際にずらずらと家具を詰め込むことしか考えてなかったようなのですが、わたしはパソコンデスクにサイドデスクをつけて、それで寝るスペースとくつろぐスペースを間仕切りしたのです。息子は気に入って、じゃあカーテンは任せると言って部屋に戻って行きました。

わたしは一人暮らしの経験がありません。自由と寂しさのせめぎあいなのではないかと想像します。


結婚もまた、いい面と大変な面があります。
大変な部分があっても、
『一人じゃなくなる』という安心感に、そして男性に庇護され守られるという甘美な響きに、わたしは結婚を選びました。
もちろん、
Nさんを失いたくないという思いが何より強かったからです。

けれど、実際そのときが近づいてきて、あれもして、これもやんなくちゃいけないし、まだ全然片付いてないし、こうして具合は悪くなるし、もうどうしたらいいの!
全身が重くて、思考は暗い方向に向きがちで、
『あああもう、わたしはわたしを脱ぎ捨てたい!』と、思っています。

いつ、何をきっかけに具合が悪くなるのかなんてわからないから、休暇を申請しておくなんて無理だし、Nさんと二人暮らしなら「具合悪いから何か買って来て~」で済むけど、わたしは5人家族のなかに嫁ぐのです。
怪我してるわけじゃない、熱があるわけでもない、ただ「具合が悪い」としか言いようのない体調をどう説明し、誰に家事を頼み、どの顔で寝込んでいられるのかと、わたしの頭の中は、あるかどうかわからない心配を先回りしてショートしており、結婚後の幸福感・安心感・充足感を想像してはニンマリするなどという幸福な気持ちは、今はどこかに行っちゃっているのが真実です。

そう、とにかく予定通りに事項は進行させて、そのあとのことは倒れてからでも仕方ないか…。そう諦めた気分でいました。
ななさんや恵理子さんのおっしゃるとおりです。

幸せな結婚を知らないので、想像がつきません。
Nさんだけは、今までの人と全然違います。
だからきっと大丈夫。そう考えています。
でも、そういう大きな話じゃなくて、日々起こる家族たちとの些細な衝突や行き違いは、どう対処すればいいの?
健常な人でも苦しいその作業を、
論理に心がついて行っていない今のわたしが、自分で処理したり上手にスルーできたりするの?

不安だらけのなかで、息子は独り立ちして行き、わたしは身辺を整理して引っ越す作業をする。そのことに今の精神が耐えられるかどうか…。

身ぐるみ脱いで、わたしの
タネを美しい水で、水栽培し直したい。
そんな気持ちです。



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大発作

久しぶりに大きな発作を起こしてしまいました。

わたしの病は
「うつ病+パニック発作」です。
ウツの状態が重いときや、極度に緊張したり、大きな不安材料があるときや、嫌な思い出のある場所に行ったりすると、大なり小なり何らかの症状が出ます。


わたしは今、働くこともせず、もうすぐ結婚のために住んでいる部屋を畳まなくてはいけないのに、これと言って何も進行しないのにくらべて、息子は自分で部屋を探して契約し、着々と一人暮らしの準備を始めています。

昨日は息子と二人で、はじめてその部屋を訪れました。
今住んでいるところも下町ですが、それよりももっと昭和の雰囲気の濃い下町に、息子は暮らすことになりました。
部屋はバス・トイレ別のワンルーム。まずは掃除を一緒にしようと向かったのです。

一見綺麗ですが掃除するとそれなりに…で。
二人で分担して掃除をし、ランチは近所のハンバーガー屋さんに行き、部屋のあちこちの寸法を測り、おやつにはそのあたりでは名物らしいたこ焼きを食べて、最後にワックス掛けをして、その日は終了。

普段ロクに家事をしていないわたしが掃除をしたので、かなり疲れてしまいました。

夕飯を終えるとドッと疲れが出ました。
体にはもちろん、心にも…。


マズイな…、薬飲んで早めに寝ようと、12時前にはふとんに入ったのですが、すぅーっと涙が流れ始め、それは大きな流れとなり、嗚咽をともなって来ました。

息子が独り立ちする…。

母子家庭になってから14年、
同志として一緒に生きてきた、可愛かった息子と離れ離れになる…。
わたしには結婚が待っている、遠くに行くわけではない…そう考えようとしても、悲しくて寂しくて、
「ママとケッコンしゅる。」と言っていたちいさい息子を思うとたまらなくて、涙が止まりませんでした。

息子を送り出して、自分の片づけをして引っ越して、結婚式して(二人で神社に行くだけですが)、新婚旅行に行って、すぐに実家の法事があって、そして新しい家族との、絶対に噛み合うことのない生活のスタート…。

うつ病のときに、
重大な決断・大きな変化は避けるべきというのが定説の中、わたしは、Nさんの希望もあって今年結婚をしたほうがいいと決め、その日は刻々と迫って来るけれど、あまり回復の兆しも明らかではなく、結婚の前後のハードなスケジュールを思うと、わたしの心臓はビックリする速さで鼓動を繰り出し始めました。

苦しい、吐き気がする、嗚咽も止まらない…
立ち上がろうとすると薬が効いてしまっていて、頓服も一緒に飲んだため、もうフラフラで歩けません。

わたしは毛布を引きずりリビングに這いずって行くと、ドアをしめて、思い切りしゃくりあげて泣きました。
吐き気がし、心臓は早鐘となり、冷汗をかいて、それでも涙も嗚咽も止まらず、
恐怖から逃れようとわたしは毛布を抱きしめて泣きました。

今こうして療養していても、墜ちたり動けなかったりする日があるのに、そんなハードなスケジュールをこなせるわけがない。
仮に頑張ってやれたとしても、恐らくは倒れて寝込む。
でもそのときに、わたしはいったいどこでどんな顔して寝込めばいいの?

息子と二人の場合のように、
「ごめん、作れないから何か買って来て」では済まない。
寝込んでいるからといっても、わたしだって喉は渇くし空腹にもなる。

そんなときにどうすればいいの…。

恐怖と不安、そして息子が離れてゆく寂しさに、わたしは頭が割れそうにひきつけて嗚咽し、毛布の中で丸まって苦しみました。



やっと落ち着いたのは、午前4時…。
フラフラになって寝室に戻り、倒れこんで眠りました。


今日は目まいと軽い吐き気と不正出血と頭痛と、
暗く沈んだ心が残っていました。
墜ちているときは、這い上がろうともがいても無駄。消耗して無力感に打ちのめされるだけです。
重い波は、行過ぎるのを深海でただ待つしかありません。
こうしてブログと言う公の場に心情や状況を吐露することが出来るだけ、マシです。
心の整理がつきます。

やり過ごすしかない重い波を上方に見ながら、わたしはまた、実家に行きたくなりました。
大きな発作のあとの脱力感のままで、これを書いています。

働くなんて、無理だった。
休んでいてこれだもの。
いつ良くなるのかわからないし、そもそも良くなるのかどうかも今はわからないけれど、やりすごしながら生きてくしかないのだなあと、観念に似た気持ちでいます。

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逃亡。

いままで書かずにいたことがあります。
書けるようになるまで、時間が必要でした。
あまりにもぐちゃぐちゃの気持ちを羅列する記事は書きたくなかったので…。



わたしは店を、事実上解雇になりました。

社長から「辞めてください」と言われたわけではありません。
わたしから「辞めさせてください」と言ったわけでもありません。

けれど、何をどう考えても、これは
「クビ」なんだなあ、と、納得するまで時間が掛かりました。


2月半ばの連休の時に、しばらく休んで出勤したわたしが、おかみさんの言葉と尻拭いのパンチに潰れて社長に訴えに行ったとき、社長はわたしを
擁護はしてくれませんでした。
とにかく、顔色も悪いし今日は帰ったほうがいいと言われて、Nさんに迎えを頼み、その日は早退しました。

でもわたしにはもちろん、辞める気など毛頭なく、3月一杯は土日だけの勤務にしてもらい、4月からはもう少し増やしたいという、勤務の希望日程表を店にFAXしました。
それに対する社長の返事は、
「来ないほうがいいでしょう。」でした。
4月以降は、と言いかけたわたしの言葉は遮られたままでした。



【来ないほうがいいでしょう。】

今考えれば、これが、社長の答えだったのです。
馬鹿なわたしは、4月には復帰するつもりで、カウンセリングを詰め込んでやろうとしてNさんに反対され、それは正しいなと思い、考えを改めました。
そして、Nさんの意見も、弁護士の意見も、メイトさんたちの大半の意見も、復帰は諦めたほうがいい、療養が一番で、仕事については別の選択肢も考えられる、というものでした。

それをわたしが本当に理解するまで、一ヶ月もかかってしまいました。

携帯に何度もおかみさんから着信がありましたが出ませんでした。
留守録には「お礼がしたいし、話もあるから」と入っていましたが、わたしは連絡できませんでした。
そして、実家に帰省したときに、わたしは母から驚く話を聞かされました。
おかみさんは、
実家にまで電話してきていたのです。
もちろんわたしは、店に原因があるなどとは言わず(実際無いかもしれないと今も思っているくらいなので)、ただ、悪化して働けなくなったから辛い、娘として帰省して甘えたいと、父に泣きながら告げただけです。


おかみさんからの電話に出た母は、相手が誰だかもわからず(店名や、苗字などは言ってなかったので)、何かの勧誘か詐欺かと疑ったそうです。
いくら電話してもわたしが出ず、コールバックも無いため、おかみは思い余って、去年実家に頼まれてわたしが店から送ったものがあり、その控え伝票の電話番号でかけたようでした。

おかみさんはこう言ったそうです。

「本当に気の回る頭のいい方で、売り上げも上げてもらって、なのに来て頂けなくなって、何かウチがいけなかったんでしょうかねえ。」
母はこう答えたと言っていました。

「わたしも娘とは今電話もできない状態で、よくはわかりませんが、こちらには来る予定になっています。いつもそちらでの仕事は本当に楽しくてたまらないと言っていました。病気のせいで返ってご迷惑をかけてすみません。」

「よくやって頂けたし、ご結婚もなさるということだったので、お祝いにお食事でもとおもっているんですが、連絡が取れなくて…。荷物も残ってますし、ご実家に来られたら、連絡いただけるように伝えてもらえませんか?」
荷物も残っている…?
おかみが母に言った言葉で、わたしは察しました。



ああ、やっぱり、解雇だったんだ…、と。


実はわたしは、社長に「来ないほうがいいでしょう。」と言われたときから、ほとんど毎晩泣いていました。
大好きだった仕事。社会人としての自分の誇り。
店に行きたい、行ってお客様とお話をして売りたい。
売って社長に認められて誉められたい。
お客様にいいものを提供して喜んでいただきたい。
行けないなんて…行けないなんて…。
わたしは毎晩泣き、ソラナックスを飲んでは寝るという繰り返しでした。

わたしは、初めて母に自分の
「心情」を打ち明け、思い切り泣きました。
これは離婚のときにも、しなかったことです。
母は一緒に泣きながら、こう教えてくれました。

「仕方ないよ。世の中には、いくら頑張っても、成果を上げても、それが通じない人や場合があるんやよ。アンタが悪いわけやない。けど、社長が、働きやすい環境を整えてアンタを放さんようにするよりも、おかみさんとのトラブルが少なく済むほうを選らんだのやから、それはもう、しょうがないんよ。」

社長は、母親であるおかみをねじ伏せてまで、わたしの働く環境を整える勇気を持たない人でした。長期展望で経営を考えられない人でした。自分が板ばさみになって苦しんだりトラブルを請け負うのが嫌で、わたしを、切ったのです。


「でもな、本当に本当にあの職種が好きやったん。一生懸命勉強して覚えて、レイアウトやディスプレーにも工夫して、ポスターとかPOPも作って、頑張って売り上げも伸ばしたし、本当に好きな仕事やったの。」
泣きながら訴えると、母はこういいました。

「それはわかるし、社長さんもわかってると思う。けど、アンタを店に置いて売り上げを伸ばすよりも、目の前のトラブルが嫌やったんやから、これはもう、しょうがないの。世の中にはな、諦めるしかないことってあるもんや。な、アンタが勉強してきたことは、絶対に無駄にはならへん。もう諦めて、あほやなーと思っとり。」

「アンタは、ええなあ。ずっとその都度好きな仕事してきたんやもんなあ。その店だって、三年も行けたんやろ。おかあさんは羨ましいわ。わたしなんか、生きて行くために好きか嫌いかなんて考えることなく働き詰めに働いて、学がないから肉体労働しかできんで、仕事してて楽しいと思ったことなんて一回も無いで。三年も楽しく働けて、良かったと思い。」



わたしは、わたしの心と体を守るために、社長に会いに行ってくれたさんに、まだ話していませんでした。心の整理がつかなくて、彼を苦しめないために、いつ、どう話せばいいかをずっと迷っていたのです。
さんが社長のところに行ったことは、わたし自身は心から感謝しています。
わたしを守るために、わたしの生きがいを潰さないために、会って話してくれたのですから。

でも社長にとっては、プレッシャーになったようでした。
わたしを悪化させたら、旦那さんに申し訳が立たない、と。


わたしが仕事から帰宅後自宅でやっていた、店のブログも好評で、売り上げの10%ほどが、ブログを見て来てくださったお客様でした。とても嬉しかったです。
けれど、そうして無理をして体に負担がかかり、鬱が悪化するようなら
逆に迷惑だ、と陰で社長が言っていたという話は、耳には入っていました。

わたしは、自分には何か特別な報酬は無くても、店が潤えばと思ってやっていたブログでしたし、楽しかったのですが、
でしゃばりすぎたようです。


社長は、
「わたしを必要な人員として大事に思い、職場環境を整える」ということから逃げました。
そしてわたしは
「うつ病を抱えていることに甘えることなく、仕事を全うする努力をする」ということから逃亡しました。

わたしは
クビになったのだと思うことで逃げ、あの店にはもう行けないんだと泣くことで被害者ヅラをして、ようやく客観的事実を把握できるようになって、さんに話しました。
もう、あの店に復職はしないことにした。と…。


今ももちろん傷は深くて、デパートなどで関連するものを見たりすると胸が痛みます。
さんは社長に会いに行くと言っています。
でも今回は、行かないで欲しいとお願いをしている最中です。

わたしは、
諦めることにしました。
疎まれてまで、行きたくはありません。それはあまりにも惨めです。
今はとにかく療養をして、片づけをして、結婚をして、あちらの家に馴染んで…。

仕事のことはそれからだと考えています。
もう傷をえぐられたくない。さんが行って想いの通じる相手ではないでしょう。
だから、行かないで欲しいと、お願いをしています。


2008_rika_chan_004
今日、結婚指輪ringのオーダーをしに行って来ました。
どこにも売ってない、二人だけのオリジナルの指輪です。
わたしには、まだまだ将来はあります。

いまは傷を舐めながら、少し静かにしていたい気持ちでいます。



      pencil2008.3.20記    キャラ姫moon3

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おねだり。

2008_sekigaharatagataisyakeisukes_r 貧乏な家に育ちました。
だから、欲しくても買ってもらえなかったもの、買って欲しいだなんて言うことすら出来なかったものが、たくさんあります。

大人になった今、それらは買おうと思えば買えるものになっています。

けれども、わたしはどうしてもどうしても、
親に買ってもらいたいものがありました。

笑わないでくださいね…down
リカちゃんですcoldsweats01

同じ一人っ子の、ヒロミちゃんの家は裕福で、リカちゃんのみならず、金髪のいずみちゃんもあって、ボーイフレンドのワタルくんもあり、お着替えもたくさんありました。
わたしはいつも借りて遊ばせてもらっていました。
とても羨ましかったです。



生まれたのが男の子だったので、わたしはリカちゃんとは縁ができませんでした。
いつか買いたい、自分のリカちゃんが欲しいと思いながら、これと言って買うチャンスもなく、こんな年齢になってしまいました。

今回の帰省の最終日、やっと両親ともヒマな日ができ、3人でショッピングモールに出かけることにしました。
そうだ…。今だ。
今必要なのはこれだ…。わたしは思いました。
買ってもらおう。
急に母に頼みました。


「おかあさん。リカちゃん買って。」
「なんでっ?」
「小さい頃、欲しかったん。でも買ってと頼んでも断られることはわかってたし、断られた時の悲しさや惨めさを想像したら、買って欲しいって言えんかった。でも、ずっと欲しかった。自分でも買えるけど、これは親に買ってもらうことに、すごく大きな意味があるの。だから、リカちゃん買って欲しい。そうせんと、わたしのうつ病は治らへん。」
「そんな、親を脅すようなこと言うて…。」
母は、あほらし、とでも言いたげな様子で聞いて、しばらくテレビを見たまま黙っていました。

しばらくして振り向くと、
「お母さんがそれ買うたったら、うつ病治るんやな?」
「うん治る。」
「わかった。ほんなら明日買うたらいいわ。それでうつ病が治るんやったら安いもんや。」
そう言ってくれました。

もちろん、それだけでうつ病が治るわけではないのは、双方わかっています。
けれどわたしは、そのときは母の愛情を信じることができました。
だから
【おねだり】をすることができました。
小さい頃はできなかったことを今、したのです。


「そやなあ、わたしも、アンタにお雛さまもらったときは、嬉しかったもんなあ。お雛さまなんて考えもできない時代やったからなあ。わかる気がするわ。」
両親の金婚式の祝宴に出るのがいやだった数年前、代わりにお雛さまをお祝いとして贈ったのです。
母はそれを気に入って自分の部屋に一年中飾っています。
わたしももちろん、自分のお雛さまは持っていません。
いずれ、自分のお雛さまを買うつもりでいます。


翌日、3人で出かけ、わたしはおもちゃ屋に入り、リカちゃんを選びました。

栗色の長い髪がゆるやかにウェーブしていて、白いドレスを着た「ウエディングリカちゃん」に決めました。
もうすぐ結婚だけど、ドレスも着ないわたしの代わりでもあります。

お色直し用のピンクのドレスも買ってもらいました。
子供のころ、絶対に着させてもらえなかった、憧れのフリル・レース・ピンク…。



こうしてわたしは、初めて親から「リカちゃん」を買ってもらったのです。
それは、たまたま「リカちゃん」という形をしたものであったにすぎず、わたしにとっては、親の愛を確認するための役割を果たす大切なものであるわけです。

Nさんに、買ってもらったことをメールし、写真を添付すると、
「かわいいね。良かったね。」と返信がありました。それも嬉しいことでした。


わたしの奥にあった心の穴の一つが満たされ、帰宅したわたしは、一人暮らしを準備している息子に尋ねました。

「何か買って欲しいものない?」
息子はしばらく考えてから答えました。

「焼酎サーバー…かな。」
「よし買ってやる!」

愛されているという安心感に満ちて育った子は、きっと人を愛する方法を知るでしょう。
もうオトナになってしまった息子との、
14年間の母子家庭生活の残り僅かな日々、少しでもヤツの記憶に残るような暮らしをしたいと思います。
自分は、愛されているという実感を持って、自信を持って社会に出て行って欲しいと思います。


小さかったわたしの「同志」は、足が28センチの若者になりました。

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flair
これが【第200話目の記事】となりました。メイトさんたち、そして静かな読者のみなさま、ありがとうございます。お陰さまで、支えられておりますweepheart04
サイドバーに、リカちゃんの写真をUPしました。まだ少ないですが、見ていただけたら嬉しいですshine


キャラ姫moon3

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ただいまのあとで。

ただいまhouse
今日自宅に帰って来ました。
息子がいたので、色々話をしたり、甘えたり、甘えられたりして、甘美なひと時を過ごしました。

ただいまと言える相手がいること。
おかえりーと言ってくれる誰かが居てくれること。
甘えたり、甘えられたりする親や子が居るということ。
帰れる家があるということ。
帰る費用を出してくれる人がいるということ。
待っていてくれる人や、見守ってくれる人がいるということ。

それが、何よりも
幸福なことなのかもしれません。

わたしは、自分の母を疎んじていました。
でもそれは、わたしの鬱が始まってからかもしれません。


来てくれてありがとう、安心させてくれてありがとう。

母は何度もそう言ってくれました。
連絡を取らない10ヶ月が、「居てあたりまえの、世話の焼ける娘」だったわたしを、彼女の中で何か違うものに変化させたようです。


「たった一人の、かけがえのない娘。」

そう言ってくれたのです。

誉められるところはやっぱり特にはない。
身近な人ほど、そして家族ほど、よくわからない。
けれども、今回母はわたしをいたわり、守り、優しくしてくれました。

過去の仕打ちについても、
「貧乏で、働き詰めで、いつも急いでいて、イライラして、怒ったり叩いたりして、優しくしてあげようなんて考える余地なんか持てんかった。涙に濡れた顔で寝ているアンタを見て、反省するという繰り返しやった。」
と告白してくれました。
わたしが3歳なら、母親もまだ3歳なわけですものね。

もっと居たらいいのに、という言葉を振り切って、一旦帰って来ました。
母がわたしを案ずるように、わたしも息子が大事です。
独り立ちの準備を始めている息子の力になり、希望と喜びに満ちたスタートにしてやりたいと考えているからです。


わたしは息子に尋ねました。
何か、恨みに思っていることはないかと。

「ある。…僕の郵便貯金使っちゃったこと。」
「ごめん。すごく貧乏で、もうどうしようもなかったの。ママがまた働けるようになったら返すね。でも、それはお金で解決できる問題? 心に深い恨みとなってて、あとでうつ病になったりしない?」
ふふふと笑って、息子は言いました。

「お金の問題。うつ病にはならないよ。」
「じゃあさ、それ以外で、ママのこと恨みに思ってることとかない? 小さい頃叩いちゃったこととか、買って欲しかったのに買ってもらえなくて悲しかったとか、しょっちゅう一人ぼっちにされたとか、離婚したとか再婚するとか…。」
早口でまくし立てるわたしに顔を向けることなく、息子は言いました。


「ない。」

なんて魂の美しい子だろう。
わたしはこの子に選ばれ、母親にさせてもらい、預かって育てさせてもらいながら、実は育ててもらって来ました。


預かっていた大切なものを、本人に返す時が来たようです。


「ただいま。」とヤツが帰ってくるこの部屋はもうすぐ解散になるけれど、わたしは息子に強く言いました。
「困ったことがあったら言ってね。必ず何とかしてあげる。地震で瓦礫に埋まったら、ママが絶対に掘り出しに来るから。」

またふふふと笑って息子は言いいました。

「逆でしょ。」

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flair
メイトさんたち、留守中もコメントありがとう。帰って来ました。またよろしくお願いします。書きたいことがいっぱいですfull

キャラ姫moon3

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雪解け

メイトのみなさん、コメントありがとうございます。そして静かに読んでくださっているメイトさん。ありがとうございます。
今夜も携帯からの投稿です。

みなさんの心配は幸いにして当たらず、わたしは幼児のように両親に甘えています。(スキンシップとかは無いですが)

愛する人との結婚も近くなり、心配したり応援してくれるメイトさんに支えられ、友人に救われ、わたしはきっと治った時に、うつ病になったことを幸運に思えるかもしれないと考えています。

ただ一つ、解決できないのが、母との確執でした。

わたしが求め続けていたのは、謝罪でも改心でもなく、ただ母に、優しくされたかったのです。
子供を愛さない親は居ないということを、わたしも信じます。
けれど愛の形にも色々あって、歪んでいたり、押さえつけて縛ろうとしたり、本人がそうとは気付かないままに、相手の人格を傷つけてしまうこともあるようです。

今、生まれて初めて、わたしは母に優しくされています。
それは、うつ病をよく知らないままにも、傷だらけの娘をいたわる気持ちが生まれたからでしょう。
そして母自身が現在、幸せであるゆえのゆとりだと思います。

貧乏で、働き詰めの日々の中、自分より弱い相手は娘だけ。
そこに怒りを集中してしまうこと・心配をするのが嫌で、頭ごなしに縛り付けること・優しい言葉をかける余裕がなかったこと…。

わたしにはそれを責める権利は無いように感じ始めています。

おかげさまで、息子に対してわたしはそんな残酷なことはしなくて済みました。

わたしに今必要だったのは、自分が親に甘えて、過去を恨む気持ちを捨て、口を一文字に結んで耐えていた小さい子を、母に認めてもらうことです。

そうすることによって母体であるわたし自身を再生し、寂しくなくなったインナーチャイルドたちをまた取り込んでやらなければならない。
一日を一年かのように感じて、いま母と向き合っています。

タイトルはかんちゃんのコメントから頂きました。

マハロちゃん・ななさん・まきのすけさん・みきちゃん・かんちゃん。
みんなありがとう。

そして静かなメイトさん。
読んでいてくれてありがとう。

また言葉をくださいね。心から待っています。

☆キャラ姫☆

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実家より。

はじめての携帯からの投稿です。

メイトのみなさん、静かに読んでくださっているメイトさん。こんばんは。わたしは実家に一人で帰省して4日めです。
みなさんがご心配くださった心の葛藤もなく、両親はわたしを傷つけまいと言葉遣いにも気をつけてくれ、離婚して以来はじめての一人での滞在をしています。
みなさんがおっしゃってくださった通り、子供を愛していない親はいないのは、わかっていました。
だけど、人生におけるその時その時で、おのおのが背負っているものは違っており、あまりにも自分が辛い時は、たとえ自分の娘であろうとも、優しくなんてしていられない時期があったのだろうなあと察しました。

事実わたしも、一番貧しかった、息子の中学生時代の記憶が全くありません。
昼間はクラフトの仕事をし、夕方からは働きに出ていたので、息子にほとんど接していないのです。

わたしの母も、舅の借金の返済をさせられ、幸せな新婚時代もなく働きづめの人生でした。
不器用でノロマで体が弱い娘にイラつき、八つ当たりをしていたのかもしれません。


でもわたしが弱いのは、体ではありませんでした。
極度に、ストレスに対する耐性のない、精神の弱い人間だったのです。

すぐ吐いたりするのも、週末になると熱を出すのも、ストレスに負けたゆえの症状だったのです。

「なんでこんなときに熱出すんよ!」当時は母にいつも怒られました。自分でもなんでだかわからず、熱が出て苦しいのはわたしであるのに、怒られて悲しくて、泣きながらぬいぐるみを抱いて寝ていました。


そのこともあのことも、あれもこれも恨みに思っていましたが、もうそれはそれでいいと、考えられそうな気がします。

許す、というと横柄な感じですが、仕方なかったんだと、諦めることができそうに思います。


今回の帰省を母はとても喜んでくれました。来てくれてありがとう・安心させてくれてありがとう、と言ってくれました。
結婚のことも実は心から喜んでいることも明かしてくれました。
一切連絡を取らない10ヶ月がとても寂しかったことも…。


ただ娘として、思い切って帰省して良かったです。

わたしは適度にほっておかれ、手伝いもせず、食べたいもののリクエストをして、ダラダラと過ごしており、ソラナックスを飲むような必要もなく、ジワジワと太って来たような…(笑)

もうしばらく「娘」を満喫したら帰ります。
待っていて下さいね!


キャラ姫

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行ってきます。

flairみなさん、心のこもったコメント本当にありがとうweepheart04

明日から(あ、日付け変わってるやん。もう今日ですね)実家に行ってきます。
弁護士友などは、わたしが壊れやしないかと本当に心配してくれてるんです。
でも、行きたいという気持ちが自分の
奥底から湧いてきたものだったので、何か理由があると思い、行くことにしました。

店のおかみに、
「うつ病だなんて、そんなの気の持ちようよ!」と言い放たれた時に、わたしを吊るすがぷっつりときれたのは、メイトさんのななさんがおっしゃるとおり、おかみさんに母を投影していたからかもしれません。

だったら、実の母親と膝を詰めて見つめ合ってみたら、どうなる?


わたしは、それを試しに行って来ます。

わたしのうつ病は、付き合っていた人が地検に逮捕されてからの激動の日々と、重ねに重ねた無理な日々が引き金です。
けれど、わたしのウツはいったいいつからなのか分からないくらい、子供の頃からずっと憂鬱でした。

育った環境。親の姿勢。愛情の深さや歪み。そういうところにも元はあったと、わたしは思っています。
そして、ストレスに対して耐性のなさ過ぎるわたしの性格…。

誰かの嫁としてでもなく、息子の母親としてでもなく、ただ
として、行ってきてみます。


とっても田舎です。
春休みの田んぼには、レンゲ草が咲き乱れ、土手にはスミレやシロツメクサ、カラスノエンドウの花が綺麗で、それでよくおままごとをしました。

裏の山に登ると、浅い洞穴があって、そこで水晶がザクザク採れました。

竹林の奥には湧き水があって、冷たくて甘かった。
川には魚が群れで泳ぎ、山には鹿もいて遭遇したこともあります。


写真撮って帰ってきますね。
待っていてくださいねheart04


コメントは、携帯mobilephoneから読ませていただきます。
携帯からも更新は出来るようなので、もしかしたらするかもしれません。


では、行ってbullettrainきます。ちいさいわたしになってvirgoshine


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恐れているもの。

今日はイトコとランチしました。
ファミレスで
5時間くらい喋ります。
父方のイトコなんですが、小さい頃からわたしは彼女が好きで、家に来ると嬉しかったのを覚えています。

元夫の転勤で東京に来ることが決まった時、大学時代を経て既に東京で結婚生活を送っていた彼女はおおいに喜んでくれ、家電を買うのに付き合ってくれ、東京暮らしのノウハウを色々教えてくれ、引越しの日も来てくれたし、本当のことを話せる
唯一の身内でもあります。

お互いに一人っ子で、お互いに子供を一人産んだだけです。
なので、お互いに「きょうだい」については全く知りません。
そのせいなのか、もしくは生い立ちに共通性があるからなのか、考え方が驚くほど似ています。
だから、一緒に居てとても楽で、わたしにとっては
仮面をかぶらなくてもいい、少ない相手のなかの一人です。
たくさんのことを話しました。


その中のひとつ。
わたしと彼女が、この世で
最も恐れている感情。

それは

【やっとの思いで申請したお願い事を拒否され、否定された時の自分の気持ち】
です。


その
惨めさ、悲しさ、孤独感先回りして想像し、わたしたちはねだることを躊躇するのです。
その相手が身近である場合ほど、傷は深くなります。

必要なものなら、相談をして選ぶという作業を経て、当然惨めになることもなく買い物をします。多少の意見のズレがあったら、お互いに良いと思うものの利点を言い合い、歩み寄ったり妥協したりしながら、買い物をします。

でも、
「欲しいんだけど…」とお願いするものは、恐らくは生活用品ではないでしょう。
食品でもないでしょう。
明日から着るものがないほど切迫した場面でもないでしょう。

どうしても必需ではないけれど、欲しいもの。
カーディガンは持っているけど、違う色が欲しい、とか、靴はあるけど、お出かけ用の靴が欲しい、とか、鞄は持ってるけど、好きな色の鞄に出会ってしまった!とか、写真集とか本とか和食器とかゲームとかCDとか口紅とかアクセサリーとか…。

無いと暮らせないものではない。必需品ではない。

それでも欲しいもの・買いたいものって、ありますよね。

うつ病に限らず、働きには出ていない方。ご自分の収入が無い方。
それらをどうやって買いますか?
普通に買って家計簿に書けますか?
何と言ってお願いして買わせていただきますか?
どんなふうにおねだりして買ってもらいますか?

そのときの気分はどうですか?

そしてもし、
「そんなん持ってるやん、いらんいらん。」なんて、ごく気軽に否定し拒絶されてしまったとき、どういう気持ちになりますか…。


わたしもイトコも、
拒絶されるという事を、何よりも恐れています。
買い物に例えましたが、そうじゃない場合でも、軽く口から出た言葉ではなくて、考えて悩んで、言葉遣いも気をつけて、お願いしたり要望したり提案したことを、
事も無げに却下されてしまったときに、わたしはものすごく傷つき、深く落ちます。

子供の頃に勇気を出しておねだりしたのに、
「そんなんいらんいらん。おんなじようなの持ってるやん。」と軽く拒絶されてしまった悲しさ。

新婚旅行で、カップルだらけの免税店で、よその新婚夫は新妻に、「何か欲しいものあった?」などと優しく尋ねているのに、わたしの夫だった人は
「そんなん要らん、借りたらええ。」とことごとく否定し、新婚旅行帰りのわたしたちは、空港の税関で止められ荷物を徹底的に検査されました。
何故だかわかりますか?

買い物の品が、
新婚旅行にしては少なすぎる怪しい(麻薬の運び屋とでも思われたのか…)と。
「いえ、余りに買い物が少なかったのでね。本当に新婚旅行ですか?」
税関でそう聞かれた時には、惨めでボロボロ泣けました。
他の新婚さんたちは、台車にトランクとブランド品を山のように積んで次々と空港を出て行きました。


わたしは、いつ治っていつから働けるのかわかりません。
カウンセラーの資格を取りたい夢もあります。
それには資金も必要です。

わたしも、イトコも、仕事とは、自分の社会人としての立場が欲しい・誰かに認められたい、社会に必要とされたいという欲求を満たすためのものであり、また、自分が欲しいものを遠慮なく入手するための資金を得るためのものでもあります。
カウンセラーの養成講座の資金を貯めるつもりでした。
おヨメに行くのだから、服や靴も新しくするつもりでした。
でも、働けなくなっちゃいました。


拒絶されるのではないかという恐怖は、子供のころから持ち続けているものであり、決して夫に対してのみ持つものではありません。

拒絶され、否定され、断られたときの
惨めさ先回りして想像しては、自分の心に勝手に蒼いカタマリを作ってしまう…わたしは、まこと本物の、厄介なうつ病患者です。


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flair
メイトさんたちへshine
コメント、本当にありがとうございます。いつもいつも、わたしのことを真剣に考えてくださり、ありがたさと幸福感confidentでいっぱいです。みんな大好きですheart01
また改めてレスしますねmailpencil

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心の診察

わたしが秋に転院した心療内科は、どうしてこんなところに、と思われるような駅のそばにあります。
川風の吹き抜ける寒いホームは、いやでも拘置所に通っていた小菅の駅が思い起こされます。
医院はその駅を出て徒歩1分のところにひっそりとあります。
業界では恐らくは超有名なお医者さんです。医師を育てる側の立場の方です。
遠くは北海道からいらしている患者さんに出会ったこともありました。

火曜日、12時調度に訪れると、お会計を待つ人がいただけで、患者さんはほかには居なく、すぐに呼ばれてわたしは防音の診察室に入りました。

先生は白衣を着ていますが、その日は脱いでいて、お洒落なジャケットを着ておいででした。

「こんにちは。」と声を掛けるとわたしを見て、「おお。」と思い出されたようでした。

「どうですか、パキシルを増やして。少しは落ち着きましたか。」
「それがその…申し訳ないような感じなんですが、仕事にも行ってないのに、良くなっているという感じではないんです…。」
恐る恐るわたしは本当のことを話しました。

パキシルを
40ミリも飲んでいるのに、なぜ症状が好転しないか、ということでこの日はこんな風に話が始まり、転院してから初めて、色んなことを質問されて答えたり説明したりしました。

わたしの「病気」としての鬱、つまり脳の状況は、この量のパキシルを飲めば段々良くなるものだけど、それが好転しないのには、なにか「脳」以外に原因があるのではないかと言われたのです。


まず仕事の話をしました。
「先生のおっしゃったとおり、潰れてしまい、それ以来休んでいますが、大好きな「職種」なので、行けない事が悲しくてたまらないんです。それについて、もう無理なんだろうか、もし行ってもすぐ駄目になるのだろうかと悲しくて、毎晩泣けてしまうんです。」と説明しました。

それがきっかけとなり、毎日自責の念が強く、過去の自分を思い出すと身震いするくらい嫌で、消してしまいたい衝動があり、後悔と自責で何時間も泣けてしまうことを話しました。


そこで先生が「生活はどうしてるの」と聞かれたので、「5月に結婚する婚約者がおり、その人に全て見ていただいています。」
と答えました。
どういうふうに会っているかを聞かれたので、いまは土日泊まりに行っていると答え、ついでなので、月曜に寝込むことが多いという話もしました。
自分ではそうだと気がついていなかったけれども、最近彼に指摘されて、そうかもと思ったし、彼は
「自分がストレスなのではないか。」と気にしている、と話しました。

「泊まりに行くことや、働けなくて生活を見てもらってることが、実はあなたには引け目なんではないの?」

「…そうです。自分の価値を見出せないんです。」

先生の見解はこうでした。


「結婚するからとはいえ、生活の面倒を見てもらっているということがあなたの心を縛っている。引け目になっている。かといって働くのは無理だ。だから、調子がわるいから今日は会いたくないなとか、心の奥底で思っていたとしても、「養われている」という感覚が強くて、嫌なことを嫌だと言えない。彼の要求を飲まなければいけない、叶えなければいけないという意識が強い。それが脳の病気としての「うつ病」が治るのを阻んでいる。
これから結婚するのであればなおさら、嫌なことを嫌だと言える関係になっておかないと、ぜったいにあなたはまた壊れるし、結婚生活も幸せにはいかないよ。」

先生は優しく諭すかのように、わたしに話してくれました。


「わたしは気が弱くて、人と喧嘩した経験も少なくて、自分が言ったことで相手が不機嫌になったり、怒ったり、いじけたりされるのが、嫌でたまらないんです。」
「自分さえ我慢してやりすごせればいい、と、そういつも思ってるでしょう。」
「はい。できればそうしたいと常に思っています。」
「でもそれでは、結婚生活は続かないしあなたのウツも治らないよ。パキシルはいい薬だし、量も充分だと思う。あなたが、彼に対する引け目をなくして、少々喧嘩になってもいいと思って、言いたいことをちゃんと伝えられるようにならなきゃ。対等じゃないと、関係は続かないものだよ。」
「でも働いてないこととか、彼の要望を叶えてあげられないということは、彼に対して激しい引け目になっています。対等だなんて思うのは無理です。」

「あのね、一時的な付き合いなのであれば、それでサヨナラになるだろうけど、結婚するんでしょ? この先まだ何十年も一緒に生きて行く相手に、嫌なことを嫌だと伝えられないでは幸せじゃないよ。ウツも治らないよ。本当の療養とは、ストレスを少なくすることだよ。」

そして先生はこう聞きました。

「あなたは相手を信頼していますか?」
「はい。」
「では、こう言いなさい。今しばらくは、薬の影響で性行為が苦痛です。毎週泊まりに行く事も苦痛です。だから、しばらくの間だけ、我慢してください、と。病気を治すために。」


「あなたの場合は、薬だけでは治せない種類のようだ。自分を縛っている鎖を自分で切らないと、一生再発を繰り返すことになるよ。今、この結婚前というのは非常に大切な時期だよ。結婚してから揉め始めたのでは、あなたのダメージが大きい。結婚までに理解しあえて、本音を伝えられる仲になっておいたほうがいい。」
「はい…。」
涙ぐんでいるわたしに先生は言いました。

「いいですか、勇気を出して、嫌なことは嫌だと言いなさい。多少ぶつかっても、喧嘩になっても、怖がらないで言ってみなさい。」


嫌われるのが嫌で、常に摩擦を避け、みんなを盛り立てる役を演じてきたわたし。
嫌われたくなくて、不愉快に思われたくなくて、いい子ぶって、強く意見を押して来なかったわたし。
そして言えなかった過去の恨みつらみで、心の奥はいっぱいの、汚いわたし。

それをさらけ出しても尚、愛してくれる人がいるのだろうか。
我慢して受け流したつもりで、常に怒りや悲しみを堆積させてきた結果、うつ病を発症したわたし…。


相手の愛を心から信じなければ、さらけ出して甘えることはできません。彼にも、友達にも、そして親にも。
それが出来るようになるかどうか…。
うつ病のせいだけではなく、わたしの心の闇を開かないと、ウツの寛解も、将来の幸せも難しいのかもしれません。


Nさんが大変すぎやしないか、大変すぎて面倒になって、重荷になって、もう要らないと思われやしないか…
結局言えない日々が続いて、わたしは一生治らず、人格が壊れてどんどん正気を失っていくのではないか…。


そんなときに一人になれる場所はもうなくなる…。


けれども、30分も心を診察してくださった先生には感謝です。
得した気分でした。

そのあと、わたしは何と半年ぶりに美容院に行きました。
なにかあるといけないと思い、ソラナックスをのんだのですが、いつもは別に眠くなったりしないのに、もう眠くて眠くて、何をされても頭がカックン、カックン…。

「すみません。」と謝ると、担当美容師さんは、「体調が良くないときの眠気ですね。」と言いました。確かに、疲れてしまいました。
でも、髪を10センチ切ってさっぱりしました。身奇麗にしていることは、うつ病に効果がありますね、きっと。

明日は八王子のイトコに会います。わたしの理解者です。

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やっぱり病気なんだ。

土曜日は、久しぶりに弁護士友に会いました。
嬉しくてウキウキして出かけました。…乗換えを間違えないように慎重に…。

彼女は真っ赤なコートをひるがえしながらわたしの乗ったタクシーに駆け寄ってきて、降りたわたしのアタマをクシャクシャと撫でて、
「ひさしぶりだねえ!」と言いました。
毎日必ずメールはしていますが、会える喜びというのは格別のものです。


080301_14140002 極上の緑茶を飲み、買って来てくれたかわいいお弁当を食べ、高ーいケーキを食べながら、色々話をしました。
080301_14140003
話は常にあちこちに飛んでは戻り、わたしについての話しは、大体がブログに書いてあるわたしの日常や病状を中心に進行します。

「あんなに嫌がっていた実家に、アンタが一人で行く気になったんだなんて驚きだわ、大丈夫なの?」
と聞かれ、そりゃ画期的なことだもんなと思いながら、
「大丈夫かどうかわかんないけど、そうしたいって誰かが心の中で求めてるから、行って来てみる。駄目だったらすぐ帰ってくるから。」
「うん、そうしなよ。しばらく居るって言っちゃったんだから居なくちゃなんて無理したらきっと逆効果だからね。」

親は、わたしが行くことをとても楽しみにしているようでした。
離婚してこのかた一人で帰ったことがなく、ゆっくり数日過ごしたこともなく、使命を終えるとそそくさと帰って来ていたのですから。


「わたしね、父とはこの間電話で泣きながら話して結構すっきりしたし、おとうさんは優しかったけど、ネックは母なんだよね。」
「アンタはお母さんにどうしてもらいたいわけ? 今までのひどい仕打ちを謝罪してもらいたいとか?」
「ううん。それは無理だよ。覚えてるわけが無いし、子供に謝れる人じゃない。争えばわたしが傷つくだけだよ。ただね、わたしは許したいの。母親だからと言ってわたしより出来た人格者だとは限らないし、魂のレベルで言えば向こうが上とも限らない。だからね、許すために、何か一つでいいからわたしを誉めてもらいたいと思ってる。」

「んー、あのさあ、アンタのブログ読みながら、じゃあアタシはアンタのどこを誉められるかということを時々考えるんだけどさあ、わかんないんだよ。悪いとこはすぐ浮かぶのにさ。」
わたしたちは笑った。
「たしかにアンタは真面目で、あるところピュアだとは思う。でもだからこそ付き合ってるのかと言われると、別にそうじゃないんだよねえ。出あったその瞬間に、アタシはアンタにシンパシィ感じたし、辛い時にいつも誠実に支えてくれたし、その誠実さにアタシも応えたいと思うし…。」

「どこどこが長所だから、付き合っておけば自分に取ってプラスになるからキープしとこう、なんて思って付き合うんじゃないんだよね、友達って。だから、アンタの長所がアタシにはわからんよ。でも、友達なんだよね。」

男女ではなくても、一瞬にして惹かれあう関係はあります。
医者にしても先生にしても、
「ああこの人なら自分を委ねよう」と思える相性があると思います。
颯爽とした弁護士である彼女が、ボサボサの髪をひっつめて薄汚れたセーターを着た、一依頼人にすぎないわたしになぜシンパシィを感じ、入れ込んでくれたのかは不明ですが、それは人と人との出会いというものなんでしょう。いわゆる
「ご縁」です。



弁護士は、仕事柄ウツっぽい人や、うつ病と思われる人と接する機会がたびたびあります。依頼してきて、調整をしたり裁判への最中にウツを発症してしまう人も居るし、明らかにうつ病と思われるのに自分で気がついていない人もクライアントには居るそうです。
一言で、ウツと言っても表面に出てくる症状や特徴は色々ですが、わたしの症状の話をすると、なるほどあのクライアントさんと同じだわ、ということがあるようです。

「アンタのブログに、過去の自分が全部嫌いでたまらないって書いてあったけど、それってどんな感じ?」

そう質問されてわたしは詳しく説明しました。
「それって、あーあ、あの頃のわたしってかっこ悪かったなあ、とか、失敗しちゃったよなあ、とかいう程度では治まりがつかないってこと?」
「うん。そんな自分であったことがものすごく恥ずかしくて汚くて申し訳なくて、みんなの記憶から消えたいの。例えば、小さい頃の息子を叩いたり引きずったりしたことが、悔やまれて申し訳なくて、あんな可愛くて繊細な子だったのに、わたしはなんて事をしてしまったんだろうって自分を責めて、辛くて、泣いて泣いて止まらなくて、寝ている息子を見ながら声を殺して一晩泣けるのよ。」

はああー?

彼女は目を真ん丸にした。
「あたしなんか頭にきて靴で殴ったこともあるわよぅ。でも、それはそれで仕方なかったなって思えるもの。」

「わかった。教えてあげる。」
彼女は言った。
「心配ないわ。あなたは、立派に病気です。ちゃんと病気だわ。」

そっか、なら仕方ない。
メイトさんの言うとおり、医者やカウンセラーのOK無しに働いてなどはいけないくらい、ちゃんと病気なんだ。



駅で別れるとき、わたしは寂しくて涙ぐみました。
彼女はまたわたしの頭をクシュクシュとして、またね、と去って行きました。
帰りの電車の中で、わたしは不安発作に襲われ、ソラナックスを飲んで、乗り換えの駅で少し座って休んでから帰宅しました。



テレビで、珍しく映画を観ました。
『それでも僕はやってない』

手錠・腰縄姿で入廷する息子を見つめる母親の気持ちを思うとたまりませんでした。
わたしにはすでに記憶の一部分でしかなくなっていますが、あの人の初公判の日は、人生で最も辛い日の一つとして残っていくでしょう。

自分を擁護しようとしてくれた証人、そして弁護人の言葉の一つ一つが、被告の心に届いていてくれたらと願います。



疲れてしまい夜は早めに眠りましたgawksleepy

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flair
メイトのみなさんへ。
コメントはしばらくのあいだ承認制にさせていただいています。なのですぐに誌上に反映しなくてつまらないかもしれないんですけど、今までとかわらずどんどんmailくださいねtulip
お待ちしていますpencil

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