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2008年2月

被害妄想

flair昨夜父に電話をして相談した結果、8日の土曜日からしばらく行くことになりました。
わたしは一週間ほどと思っていますが、両親はとても楽しみにしてくれており、「一ヶ月くらい居たらいいがな。」と言ってくれています。
でも、わたし自身も息子の親として、一緒に暮らせる日々はあとわずか。なるべく一緒に居たい気持ちもあって、悩ましいところです。


           ********************

26日は、産んでやれなかった赤ちゃんの命日でした。
お骨も写真もないのでお参りするところもなく、わたしとNさんは夜会って食事をすることにしました。
グラスビールで
献杯し、あとは特に赤ちゃんの話題は出ませんでした。
けれど、わたしは今も、あの時足の甲に出来た
「青い帯」を思い出すと切なくなります。
通常の婦人科の診察台には、足を固定するベルトはありません。
なので、麻酔が効いて意識を失ってからか、もしくは無意識ながら暴れて、ベルトをされ、更に暴れたために内出血をして、あんなくっきりとした青い帯が出来たのだと思います。

勤め先のご隠居のおじいさんが開腹手術をしたとき、もちろん全身麻酔で本人は意識が無いのにもかかわらず、「うおーっ」という大声が聞こえて、待っていたおかみさんや社長が、何だろうねと思っていると、手術を終えた医師が、「暴れて大変でした」と言ったそうです。


そう、麻酔されて痛みを感じていないのは「脳」だけ。
体は怖がっているし嫌がっているし、痛みも感じて逃げようとするのです。

悲しみの青い帯を、わたしは一生忘れることがないでしょう。


二時間半ほど飲食をして店を出て、雨のなか駅の改札までNさんはわたしを送ってくれました。けれども電車には乗らせてくれませんでした。
彼も、地雷だらけのわたしに気を遣って、日々疲れを溜めているのです。
問いただしたいことや強制したいことをぐっとこらえて、腫れ物に触るように接して守ってくれています。けれど、その根底が揺らぐときもあるようでした。

仕方なく二度目の療養が決まった時、
「じゃあ土日は全部僕にくれますか?」と彼はメールして来ました。
わたしは、この場合絶対に
「NO」の返事は出来っこないと諦めて、「もちろんです。」と返事を返しました。彼は喜んで「ヒメのよろこぶイベントを考えるからね」と言ってくれました。

けれどわたしは実は、『縛られた』そう感じていたのです。
『土日は全部彼と過ごして、家に泊まりに行かなくてはならないんだ。』と、そうとらえて少し暗くなりました。
Nさんの家は快適な家です。書斎もとても落ち着くいい部屋です。
誰も意地悪しないし、過剰にかかわってくるわけでもないし、日曜の朝も寝たいだけ寝させてもらっていて、嫌だなと思うことはありません。

でも、わたしはまだ、3月末から、週2~3日でも仕事に行けることを諦めてはおらず(メイトさんたちに怒られそうですが…。) 今のうちに、弁護士友にも会いたいし、実家にしばらく帰るという話が出たときも、土日を入れたほうがいいということになり、その両方の許可をもらうと、Nさんと会える土日は必然的に減ることになります。
弁護士友に会う約束をする前に、
「あなたの家に5時ごろ帰るから、そうさせてもらっていいかしら。」という聞き方をしたら、「5時ならいいよ。7時8時だとちょっと嫌だけど。」と許可してくれ、実家に帰ることも、息子のことを考えたら土日を挟んだほうがいいという結論に達して、駅の改札に辿り着いたわけです。

わたしは正直、夜遅くと、酔っているNさんと議論するのは好みません。
何度か書いたように、彼は11時には寝て5時に起きるという、大変正しい日本人なんです。そして夜は大抵酔っています。
なので、電話などで議論をしても、話は堂々巡りだし、しかも翌朝彼は覚えていないという、意味のない不毛な議論になることが多いので、わたしは避けてきました。


けれども彼も我慢を重ね、わたしを気遣う日々に疲れ、ふいに本音が出たようでした。
「そうやって最初の約束を無しにしてどんどん予定入れてっちゃうんだね。たいしたもんだと思うよ実際。」
その言葉にわたしは
カチン!と来ました。
「土曜だってさ、5時になんてうちに来れるの? 無理なんじゃないの?」

わたしは、友達に会いたい気持ちと、彼の家に行かなくちゃならない気持ちを両立させるための
折衷案として、「5時」という時間を決めたのです。そしてそれならいいよとさっき快諾してくれたばかりなのに、彼は本心ではなかったのでした。

「5時って決めて、それでいいよって言ったのに、何で今更疑うような言い方をして蒸し返すの?」
「だって久しぶりに会って楽しくお喋りして、できる限り一緒にいたいんでしょ。5時になんて来れないでしょ。」
「わたしは彼女とあって、もう充分と思ったことなんて一度もない。いつも名残惜しくてもっと一緒にいたくて、残念な気持ちでバイバイするわよ。だから今回だって同じことよ。それでも5時に行けばあなたもまあ許してくれるんじゃないかと思って出した時間で、それならいいって言ったくせに、なんなのよ。」

わたしは、争うのは嫌いだし余りしません。通常黙って聞いて、シャッターをおろし、どん底まで落ち込み、怒りや疑問は
発酵し、大ごとになってわたしはおかしくなり、弁護士の出番になってしまったりしてきたのでした。
だから、振りしぼるように頑張って反論しました。
「その時のキミの気持ちはどうなのか聞きたいんだよ。」
「気持ちってなによ。」
「4時ごろになった時に、じゃあわたし、彼がまってるからここでね~♪って彼女と別れて楽しみにうちに来るのか、それとも、まだ一緒にいたいけど、仕方ないからもう行くわね、と言うのか、どっちなの。その答えによっては別に来てもらわなくてもいい。」
「そんなの論理がおかしいじゃん。さっき、そうやってどんどん約束破って予定入れるんだね、大したもんだよって言ったでしょ。大したもんってどういうことよ。約束破ったらあなたはどうせいじけるから、5時には行くからって言ってんじゃん。その時のわたしの気持ちなんてどうだっていいじゃん。土日ともあなたに会うっていう約束を守ろうとしてるんだから文句ないでしょ!」
「それじゃ嫌なんだってば! 喜んで楽しみに来てくれるならいいけど、そうじゃなくて約束だから渋々来るのなら嫌だって言ってるんだよ。」
「約束を無しにしていくなんて大したもんだよってさっき言ったよね。だったら約束を破らないようにすることが大事なのであって、わたしの気持ちなんてどうだっていいじゃない。あなたが喜ぶから行く、ただそれだけよ。わたしの気持ちなんてそこには介在しないのよ。」

Nさんはため息をつきました。
「ヒメさあ…。僕は辛いんだよ。いつもいごごちいいって言ってくれてるけどさあ、先週の土曜日だって、来ようとしたら目まいで動けなかったんでしょ。それって、自分でも気がつかないストレスがあるんじゃないの? そのストレスが僕のせいかもって思うと、たまらないんだよ。実際、日曜帰った途端、キミは沈んで月曜寝込んだだろ? 本当は来るのが嫌なんだろ?」

わたしは返事に困りました。
わたしはその事実を把握していなかったのです。墜ちるのは理由が有ったり無かったりで、まさか彼の家に行った後必ず墜ちていると、気がついては無かったのです。

「そんなの…あなただって、わたしの実家に行ったら気疲れするでしょ。それと同じだよ。」
「だから言ってるの。来たくないのに無理に友達との時間を切り上げて渋々来るんだったら、来てもらわなくてもいい。」
「ああそう。だったら、約束破ったとか、大したもんだよとか嫌味言うのやめてくれる?」
「わかったよ。土日全部っていうのは、もう無しにするよ。僕よりも優先すべきものがあるのなら、予定入れればいいよ。」
その嫌味な言い方にわたしは泣きながら反論しました。

「ねえ、その土日全部下さいっていうのは、いつまでのことだったの? わたしたち結婚するんだよね。その後もずっとわたしは拘束されるの!? いつになったら解放されるの?」

Nさんは驚いてわたしを見つめました。
「何言ってるの? そんなわけないじゃん。仕事に行けなくなって、ヒメがしょんぼりしていると思って、じゃあ土日は楽しもうねって意味で最初言ったんだよ。それがいつも月曜寝込むから、僕がストレスの原因なのかと落ち込んでたんだよ。」
「えっ…。そうだったの? わたしを縛るために言ったんじゃないんだ?」
「違うよ。元気付けてあげたくて土日は二人でゆっくりしようねって言ったんだよ。でもキミがもしそれを義務みたいに感じていて、それで疲れて月曜寝込むのなら、僕は辛いんだよ。」

     …わたしの被害妄想も、いい加減にしなきゃ。

わたしは縛られたと感じ、義務感で彼の家に行っていました。
だから精神がヘルプサインを出してきて、行く前のめまいや、帰って来たあとのひどい落ち込みとなって現れていたのです。そしてそれにわたし自身、気がついていませんでした。


まったくひどい被害妄想です。本当に申し訳ない。意志の疎通ははかられておらず、思考はかのようにずれているわけです。
寒い駅のコンコースで議論すること2時間。
わたしは翌日
膀胱炎を発症しました。
でも、自分のせい。
病気とはいえ、一方向からしか物事を捉えられない偏った考え方のせい。
けれど、鎖が解けたかのように、わたしはやっと
になれたのも事実です。

カウンセリング、最初からおさらいしなくちゃ…。

ちなみに膀胱炎は、木曜に気功に行って、
波動療法で治してもらいましたgood

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ただの「娘」として。

メイトcherrychickcloverribbonのみなさん。お心のこもったコメント本当にありがとうございます。
どのご意見もわたしの事をよく見てくださっており、心に染みるものです。
またレスしますので、待っててくださいね。


         ********************

カウンセリングで、母体であるわたしが【退行】を起こしていると言われた時、わたしは非常にストンと納得しました。
「腑に落ちた」という感覚でした。
わたしは療養中ながら、皆様と同じように様々な役割を持っており、Nさんにとっては「婚約者」・Nさんの家庭には「新しく参入する家族」となります。
そして、休んではいるけれど、店の販売員。
息子にとっては「母親」。
病院では患者、カウンセリングではクライアント、誰かの友達、どこかの店の客…。


そのどれでもなく、退行を起こしているわたしが、喉から手が出るほど欲しいもの浮かび上がりました。

【両親から見た‘娘’】

わたしは、心の底からはじめて
「親に会いたい。実家に帰って娘に戻って、思い切り甘えたい!」そう思いました。

わたしは一人っ子です。息子も一人っ子です。だから兄弟と言うものを全く知らないしわかりません。
なので、子供時代のわたしがどうであったかを、比べる対象がないのです。
甘えっ子だったのか、暗かったのか、自立したタイプの子だったのか。
そして逆に両親も、わたししか育てたことがないので、比べる対象を持たないはずです。

けれどわたしは、甘え足りないし、本音でぶつかったり、弱みを見せて泣いたこともないのだと、再認識しました。
わたしのインナーチャイルドたちが欲しがっているのは、そこだと…。
その部分を埋めない限り、母体であるわたしは治らず、インナーチャイルドを満たしてやることができないのだと、気がつきました。

気がついてしまったら、会いたくて甘えたくて居ても立ってもいられない気持ちになりました。
数日経っても、気持ちが変わらないことを自分で確認し、
よし、行こう。と決心しました。
でも、電話は億劫。ハガキで知らせて留守電に返事をもらうか…と考えていました。


火曜日、夜出かけるので、息子の夕飯にシチューを作っていた午後、わたしは剥いていたみかんを放り投げて、発作的になぜか電話機を握り、実家の番号を押していました。
なぜこの瞬間??と自分でも思いながら…。
苦手な母が出ても、全部今の苦しみを話そう。いま辛くてどうしようもないってことを初めて自分の口から告げよう。そして、帰って甘えたい!と泣き叫ぼう。

電話に出たのは、父でした。

「もしもしお父さん、ヒメ。」
「おお、どうした。」
わたしは、昨年の五月以来一度も実家に電話をしていません。
実家からの電話にも出ていません。
連絡事項は、すべてNさんが窓口となって、父とやり取りをしてくれていました。
おかげでわたしは電話のコールに怯えることなく、「状態が良くなったり、気分のいい日があったら電話をかける」という約束だけして、一切出ず掛けずという日々を9ヶ月過ごしたことになります。

なので、父は当然、元気になったわたしをとっさに連想したはずで、明るい声で聞きました。

「どうや、最近は。ちょっとは調子がようなったか?」
わたしは弱弱しく答えました。
「ダメになっちゃった…。」
「え?」
父は驚いていました。

「年末に仕事に復帰して、忙しいピークの2月半ばまで頑張ったけど、ドクターストップもかかってたし、何よりもわたし自身が潰れてダメになっちゃった。」
早口でそういい終えるとわたしはワッと泣き出しました。

そして泣きながら、しゃくりあげながら、考える必要のないことまで考えて自分の首をしめて自責でつぶれそうなこと、社会人としてダメになってしまったことが悲しいこと、焦らずゆっくりと言われても、どう休んだらいいかわからず戸惑っていること、薬が4倍になったのにまだこんな状態であることが辛いことなどを、一気に話しました。


父は、合間合間に言葉を挟んで「そうやないよ。」とか「そんなことはないで。」と励ましながら、ただ聞いてくれました。

「ねえおとうさん!」
叫ぶようにわたしが呼びかけると父は優しく
「なんや?」と言いました。
「おとうさんにとって、わたしは誉められるところの無い娘なん? どっこもいいとこあらへん娘なん? 答えて! 何か、なんでもいいから性格的にいいとこないんか探して誉めて!!」

「うーん。」
父は困っていました。

「おまえはワシらにとって、大切な一人娘や。いっつも心配しとるし気に掛けてるで。」
「そうやなくて! 愛されてんのはわかってんねん! そうじゃなくて、性質とか性格とか生き方とか、なんか誉めてもらえるとこのない娘なん?」
「そんなことはないで。」
「わたし、今、何にもなれんかった自分が悲しいの。今は仕事にも行かれへん。何にも誉められることがないの。なんかいいとこ無いか探して!」
「うーん。あのなあ、自分の子供やからなあ、人前では不出来で何にも出来へん娘ですって、言うで。でもなあ、それは本心とは違うんやで。」
父は重い口をやっと開きました。


「おまえなあ、離婚してから、お父さんらが何にも助けてやらんかった中でなあ、息子をようそこまで一人で育てて来たなあ。ほんまにこれは、偉かったぞ。よう頑張って来たなあ。」

父から初めて誉められて、わたしも、わたしの中の子たちも一緒にわあわあ泣きました。

今もわたしはボトボト泣きながらこの記事を書いています。


「ありがとう、おとうさん。あのな、わたし、会いに帰りたいの。一人で帰りたいの。それで、誰かの何かじゃなくて、ただその家の娘として、甘えたいの!」

離婚してこのかた、わたしは一人で実家に帰ったことは一度もありません。
母を疎ましく感じるようになってからは、年3回の帰省が2回になり、1回になっていました。

「一人でか? おお、帰って来たらいいがな。こっちに来て、しばーらくゴロゴロしてたらええよ。な。そうし。待ってるから。」
「ありがと。ほなそうするから、甘えさせて。」

Nさんとも相談し、日にちを決めたらまた電話すると約束して切りました。


ただの娘として甘えに帰る。

今のわたしには、おそらくとても必要なことで、インナーチャイルドの誰かの後押しがあって突然電話が出来たのかもしれません。
父が電話に出たのも好都合でした。母相手だったら、こんなぶつけかたは出来なかったでしょう。



来週末に、わたしは娘になりに帰ろうと思います。
小さかったころそうだったように、3人暮らしをもう一度体験してこようと思います。
何かが変わるような気がしてなりません。



今日もご訪問ありがとうございますfootheart04

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欲しいもの。

土曜日の夜、Nさんから話があり、1ヵ月後の復職を目標とした「詰め込みカウンセリングには同意できない。」ということでした。

複雑骨折してしまったわたしには、今期は復職は諦めてもらいたいというのがNさんの気持ちでした。そしてカウンセリングは今後もずっと受けていいのだけど、一ヶ月で詰め込んでも、それは洗脳かもしくは付け焼刃にすぎず、ヒメ自身が本当に心から理解をして選択の出来る精神になれるとは到底思えない。自分で気がついて、自分が受け入れて、自分で納得して受け止めることが治療なんだから、ゆっくりとしたスパンで考えて、カウンセリングを上手に受けて欲しい。ということでした。

また、わたしが仕事に行くことにこだわり、そこに自分のアイデンティティを持とうとしていることについては、夫として寂しいようでした。
僕の
として生きる、それがヒメの存在意義だと思ってもらいたい。
働ける状態であるなら働いてくれてもいいけれど、病気なんだから、行けるようになるまで家に居て欲しい。どうしても働かなくちゃ生きていけないほど困窮はしていないから。
だからゆっくり治っていけばいいし、治らなくちゃと焦ることもないんだよ。
Nさんはそう言ってくれました。


なんと恵まれていることでしょう。

なのにわたしの不安・わたしの欲求は満たされることがなく、大好きな仕事にいけない苦しみと寂しさと不自由で、ゆうべも泣けてたまらず、寝られたのは4時を過ぎていました。

諦めること・捨てることをしないと、わたしの治療は進行しない。
なのに店に行きたくて売りたくて悶絶して泣く。
欲しいものは社会人としてのわたしの居場所。
誉められ認められる場所。成果を上げられる現場。

それは
「逃げ」なんでしょうね。
わたしは、家事ができない。Nさんの妻になっても、大家族の家事をこなすことなんて全然できない。僕の妻として存在してくれるだけでいいんだよ、というNさんの愛に満ちた言葉を聞いても尚、
主婦としての機能を果たせないわたしに、認められる機会も誉められるチャンスももうやってこないと考えてしまうと、わたしは仕事を求めてしまう。

この凝り固まった考え・卑屈な受け止め方・一方向にしか考えられない偏り。
それを今一度カウンセリングしなおさなくてはならない。

だから、急場しのぎの、ではなく、長いスパンで考えていかなければならない。

わたしは、今期は復職は出来ないのかもしれない。


うつ病で苦しんでいる方には、生きて行くためにどうしても働かざるを得ず、辛い思いをして血を吐く思いで働いていらっしゃる方がたくさんいることと思います。
どんなにお辛いことでしょう。だって、休んでいても苦しいんですもの!
わたしも、Nさんに巡り会わず、結婚することにならなかったら、そうやって働きながら、治癒もせず、苦しみぬいて
壊れて倒れるまで働くしかなかったでしょう。

だから、もう、これ以上多くを欲しがる必要は無いはず。
恵まれているのだから。



店に連れてこられて間もなく、Gさんが地検に逮捕され、泣きながら寝込んでしまいたかったのを阻止してくれたのは、店でした。行かなきゃいけない。ここで寝込んだら再起不能になる…そう思って自分に鞭打って行ったのです。
その翌年は、静岡に面会に行く以外は休みを取らず、メチャクチャに働きました。
去年はうつ病と診断されて間もなくでしたが、治療らしい治療も受けないままに、週イチの休みで働きました。
それでなんとか自分を支えていたし、喜びも多かったのが事実です。

けれど、わたしはいい子ぶって、全て全て
バケツに溜め込んでフタをして重石までしてきた。
今年はもう、頑張れなくなった。バケツから溢れてしまったから…。


江戸の町で働いていることが誇りでした。
お客様に喜んでいただき、社長に誉められることが快感でした。

それを諦めるか否か。今はその岐路です。
欲しかったものを手に入れて、自分もやりすぎなくらい入れ込んでいた、その仕事を手放すことは、苦しいのです。とてもとても…。

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【退行】

通いなれたビルの階段を3階に登ってゆくと、奥のセッションルームにカウンセラーの姿がちらりと見え、わたしはほっとしました。

わたしの姿に気がつくと、ドアを開けて迎え入れてくれました。

「お久しぶり。よく来たね。」
わたしはうなずくのがやっとでした。
紅茶を入れてくれながら、
「11月末に来て以来だから、二ヵ月半…ですかね?」ときかれ、まだたったそれだけしか経っていないのかと感じました。
わたしは、もう3ヶ月くらい働いたような気がしたのです。


向き合って座り、もう一度「よく来ましたね。」と言われました。
向こうにとっては仕事であり、わたしは一クライアントに過ぎないのですが、自分を受け入れて寄り添ってくれる場所があり人がいるということに、安堵感を覚えました。
カウンセラーはニコニコしながら聞きました。

「どうですか?」

「はい、あの…」

わたしが口にしたのはそれだけで、あとは涙がボトボト落ちてきて声になりませんでした。
そんなわたしを、カウンセラーは恐らくは優しい瞳で見つめて、
「うん。うん。辛いんだね。悲しいんだね。」と言いながら、しばらく泣かせておいてくれました。

ようやく喋れるようになり、わたしは、自分はもうかなり良くなっていて、働くのに何の支障もないと信じ、疑うこともなく、当然のように年末に
フルタイムで復職したことを話しました。
残業もして、6日間働き、年末年始はNさんと自分の実家に行き、戻って来た翌日から毎日
8時間働いたことを説明しました。
そしてそれとは別に、帰宅して家事をすませてから、寝る時間を削って店の
ブログを作っていたことも話しました。

「なんてことだ。」
カウンセラーは頭を振りました。
「…やってしまいましたね。心配していたんですよ。Nさんとお会いした時に確か言ったと記憶しているんですが、‘今の状態では復職は無理ですよ’と。でも先日‘助けてください’というあなたからのメールを見た途端、ああこれはやっちゃったんだなとわかりました。あのね、無理ですよ。無理に決まってます。」
「でもわたしの中には、年末に復職することは当然のことで、何の疑問も不安もなく、去年よりも頑張れるぐらいの勢いでスタートしたんです。」
「お医者さんは? 何と言ってましたか?」
「復職してからの診察だったので、実は復職したんですよ、と言ったら、なにい!?ってテスト受けさせられて、絶対に禁止する!! 認めない!!って、ものすごく怒られました…」
「いいお医者さんだ。私だって猛烈に反対して止めますよ。働けるレベルに回復してない。折れた脚で走り出したようなものです。しかも一日8時間で毎日? とんでもないです。」

笑顔のままカウンセラーは静かに怒っていました。

精神科医の話を受けて、Nさんが社長に会いに行ってくれ、
「社長命令でこの人を止めてほしい。」と頼んでくれてからやっと、わたしは週一日の休みと、半日休、そして一時間の遅刻ということにしたんですけど…と話している最中からカウンセラーは首を横に振っていた。
「無理です無理。倒れて潰れて当然です。週に2~3日、4~5時間が限度でしょう。医者は何と?」
「…復職は絶対に認められない。一ヶ月と持たずに潰れて、その時あなたはは悪化している。それでも働くと言うなら、週2~3日で、時間は3~4時間と…。」
「いいお医者さんだ。」カウンセラーは笑いました。
「医学と、心理学の両方の答えが一致している。つまり、それが今の客観的な正しい判断なんですよ。」

わたしはもう笑うしかな気持ちでした。そんななの?わたし。立派すぎるうつ病患者じゃないですか。ははは…。

「でもね、もう無理ですよ。働かせるわけにはいきませんね。骨折はね、骨が接かないうちにもう一度折れると、最初以上に痛みがすごいんです。そして、治りにくくなる。あなたは二度目の骨折をした。どうです、前より痛みがきついでしょう?」
その通りなんです。
わたしはゆうべ一人で悲しみと自責にのた打ち回った話をしました。


「Nさんや弁護士さんは、何と?」
医師・カウンセラー・Nさん・弁護士。これがわたしのための
プロジェクトメンバーだそうです。
「もう店は辞めなさいと言っています。他の店でもいいじゃないかと。」

わたしはまた泣き出しました。

「でも、わたしあの店がいいんです。ぼろくてちっちゃい店だけど、商品も方針も好きなんです。」

「わたしは、うつ病だからと言って特別扱いされなくてもいいです。辛そうにしていても、ああ今日は辛いんだなと察してくれたら充分なんです。理解はしてもらえなくていい。でも、何より辛いのは、うつ病が病気であるということを、認めてもらえないことなんです! 気の持ちようではどうにもならない、脳の病気であると認めてほしいんです!」
「おかみさんに認めて欲しいんだね?」

「そうです。あんなパンチくらっても、尻拭いさせられても、わたし本心ではおかみさんが好きなんです。もう80歳だから、重いもの持たせちゃいけない、高いところに登らせちゃいけない、新しいことも覚えられないからわたしがフォローしてあげたい。好きなんです。だからたまらなく辛い。認めてもらえず気の持ちようだといわれたことが辛くて、怖くて行けないんです。でも、働きたい! 充足感が欲しい! 自分で稼いだお金が欲しい! 社会人としての自分のアイデンティティが欲しいんです。認められたい、誉められたい、必要とされたい。どんなに愛してくれる人がいて、庇護されて、とてつもなくそれが幸せなことであっても、わたしは社会人としての自分の存在価値が欲しいんです!」

わたしは泣きながら思いのたけをぶちまけました。

「おかみさんが本当は好きなんです。恩とは違う。助けたい。あの店がいいんです。でもいまのこのわたしでは行けない…。それが辛くて、どうしたらいいかわからなくて、かなしくておかしくなってるんです。」
滝のようにわたしは泣きました。


「わかりました。」静かにカウンセラーはいいました。
「可能とは思えないのだけれど…セッションを続ける気があるなら、とりあえずまたプロジェクトを組んで、やってみましょう。」

「はい、お願いします。」
「だけど、私はまず無理だと思います。あなたはよくやった。頑張ったし充分貢献した。片足を骨折したまま、120%働いたのだから、換算すれば240%です。壊れて当然のことをしたんです。」
「はい…。」
「店は逃げていかない。あなたのお店に取っての貢献度や価値は今後も変わらない。寛解するまで復職は我慢すべきです。」

「いいですか、骨折はね、二度目のほうが痛みが強くて、挫折感も大きくて、厄介なことにその予後が悪い。これからの治療のほうが実は大変なんです。」

「それとあなたはメールで、‘聡明だったわたしはもういません。’って書いていたけど、そんなことはないはずです。さっき本音が飛び出しましたよね。本当はおかみさんが好きだって。助けたいって。優しいじゃないですか。あなたは、おかみさんに理想の母親を見ようと錯覚していましたね。その錯覚を取り去っても、まだ好きと思いますか?」
「…思います。」

「わかりました。じゃあまずは一ヶ月、やってみましょう。でも言っておきますが、僕は今期の復職は無理だと思います。」

         ********************

無理かもしれない。そして店には誰かが補充され、わたしの大好きな居場所は失われてしまうかもしれない。
二度目の骨折は余りにも痛みが強い。苦しい。悲しい。
わたし自身、本当にどうしてもあの店が良くて仕方ないのか、それは錯覚で、実は他の店でもケロッとして働けるのか、それとも執着しているだけなのか、今は全くわかりません。
理解しようのない世界に放り出されてオロオロしているのです。


「どの子が泣いていますか。」わたしはカウンセラーに聞きました。
「思ったよりもたくさんいますよ、あなたのインナーチャイルドたち。無理を重ねて母体(わたし)が壊れて、今、内側にいたインナーチャイルドが全員放り出されて右往左往しているようです。そして、あなた自身も激しいストレスと疲労で、【退行】して自分を防御しようとしている。」

【退行】…。

「とにかく、母体を治してインナーチャイルドを一人一人抱きしめて収めなければ…。今回は、容易じゃないということ、覚悟して一緒にやってみましょう。」

一度折った脚を再び複雑骨折し、脳は防御の為に【退行】を始めている…。

そう認めたとき、わたしは始めて、両親に会って思い切り甘えたいと思いました。
おとうさんのアグラのなかに納まっていたちいさい女の子に戻って、思い切り甘えたいのだと気がつきました。

わたしはわたしのインナーチャイルドを抱え切れない。
最後は自分で一人一人を抱きしめてやらなくてはならないのだ。だけど、その方法もわからず、自分は子供に退行しようとしている…。

二度目の治療のスタートです。
険しい道のりになりそうです。

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消えてしまいたい。

昨日(木曜)は早い時間から、息子の喜ぶ顔を想像しながら煮物をし、PCを開きましたが、何と言うか、上の空というか、心の中が空虚でブログを書く気にはなりませんでした。
そこで、仕事のブログを一旦終了することに決め、最後の一ページを書き、写真をいっぱい散りばめて、お客様にお別れの挨拶をしました。


夕方、弁護士友からメールが来たので、仕事ブログの最終ページを書いたと知らせると、読んだ彼女からすぐに返信がありました。
『ブログ読みました。涙が出てしまいました。ヒメ、本当によくやったよ。偉いよ。お疲れさま。』
その文を読んでわたしも泣きました。


食欲もなく、かといって眠る気にもならず、空っぽの心で虚ろに過ごしてから、遅い時間にお風呂に入って髪を洗いました。
秋から美容院に行ってなくて伸びきってバサバサの長い髪…。
洗うのも面倒。乾かすのも一苦労。けれど、美容院を予約して出かけて、そして大抵は望んだようにならなくて…それを考えると億劫で行けません。


お風呂を上がった時に、何をきっかけにしたかは忘れましたが、ぐうぅっと込み上げてくるものがあり、何故だかわたしは泣き出しました。
そこから色々な
後悔と自責がワッと出てきてわたしを縛り上げました

わたしは、たくさんの職種を経験した。どこに行っても最初は感謝され、重宝がられ、可愛がられた。わたしは一生懸命働いた。真面目に、嫌なことも断らずに仕事をした。
けれど、最後は
疎まれて辞めざるを得なくなって去る。

それを何度も繰り返しているのに、なぜまたそうなってしまいそうなんだろう。
大好きな職場なのに…。やりがいのある幸せな仕事なのに…。

もう行けないの? もう行ってはいけないの?

でも、疎まれるのは自分のせいだ。性格が悪いから誉められなくて、誉めてもらいたいが為に必死に仕事をして、やりすぎてしまう。そして疎まれる。

ある面接で
「では自分の長所をおっしゃってください」と言われ、全く言葉が出ず、落ちてしまったわたし。

大体わたしは、いつも逃げてばかりで、誰かを幸せにしたことなんてないじゃないか!

東京拘置所の仕切り越しに、この言葉を投げつけたことのあるわたし。
だけど
「相手は鏡」 そう教えてくれたのはその人だった。
まさに、誰かを幸せにしたことが無いのはわたしのほうではないか!


歳を取った両親に未だに心配をかけ、離婚したことで元夫とその両親を苦しめ、自分の両親に恥ずかしい思いをさせ、貧乏な暮らしで息子を旅行に連れて行けなかったばかりか、食べるにも困る日もあり、あの子のお年玉貯金も使い込み、クラフトの仕事の相方を捨て、刑務所に行ったかつての彼を捨て、そうやって逃げながら生きてきて、誰一人幸せにしてあげたことがないじゃない…。


嫌い嫌い、過去の自分が全部嫌い!

消して欲しい!
誰の記憶にも残らないよう消して欲しい!

今も…


わたしは消え去りたい…。


死にたいわけではない。それとは違う。
けれどこの心理は危ない。
わたしは安定剤を2倍飲み、頓服も飲んで、ぼろぼろ泣いて布団に入り、Nさんと、弁護士のPCにメールをしました。
しゃくりあげているわたしの気配を、息子が察して息を殺していました。
かけがえのない可愛い息子…。

メールの途中で、ふうっと薬が効いて来たのがわかりました。
体から力が抜けてゆく。
薬は有効だ。
きっと死んだりしないでいられる。


今朝は、弁護士からのメールで程よく起きて、夕べの洗い物をし、息子の夕飯を作ると、わたしは着替えて出かける支度をしました。

二ヵ月半ぶりの、カウンセリングに。
春のように
暖かい日和でした。

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ribbon
ななさん、diamondきららさん、コメントありがとうございます。週明けにゆっくりお返事しますね。

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顛末

昨日はひどいうつ状態で、ほぼ寝たきりでした。
夕方近くにやっと起き出して、夕べの洗い物をし、冷蔵庫やストックの食品をあさる。
スーパーに行くのが大嫌いなので、何とかあるもので一食作れないかと考えるわけです。
何とか二日は暮らせることを確認。お米を研ぎ終わったところで、息子から
「帰る」mailが来ました。

ウツってめんどくさい。理由がはっきりあって墜ちるときと、何だかわかんないけど墜ちていて浮上出来ない日がある。

何とか夕飯を作り、力尽きてぼんやりしていると、社長から電話phonetoがかかって来ました。

わたしの現在の状態と、うつ病についての説明、店にいてどういうことがストレスで耐えられないか、でも社長のお人柄と方針はお慕いしているので、細く長く働かせていただきたい。なので、ひとまず3月いっぱいは土日のみの勤務にさせていただき、4月以降はもう少し増やしたいと考えているのですが、こんな感じでもわたしを使っていただけるでしょうか。
そう書いた手紙に対する返事でした。


社長は正直困っていらっしゃいました。ストレスでわたしの「仮面うつ」が再発し、体調まで悪いのがわかってる。これ以上悪くなられては旦那さん(Nさん)に申し訳が立たない。
かといって、ストレスの元凶であるおかみさんをどうにかするということは、誰にも不可能なことなのだという狭間で、お辛いようでした。

「土日来てもらったとして、必ずストレスはあるわけですよね。あの人は人のペースとか気分を考えずに自分の我だけ押し通す人だから、誰にも止められない。じつは私も毎日ストレスでヘトヘトです。だから姫さんの辛さがわかるんですよ。」
社長はそう言いました。


「せっかく頑張ろうと思って来てくれても、この前みたいにパンチ1,2発食らったらもう立てないでしょう? その傷を癒すのに5日間休んで、また土日来てまた傷ついて、そんな繰り返しでは姫さん全然治らないじゃないですか。」
その通りです。確かに。


「だから、まあ、来ないほうがいいと思います。体のほうが大事でしょう。」
社長も、わたしとおかみさんの間に立っての調整はできないようでした。何といっても相手は母親なのですから。

「わかりました。では3月いっぱいは休ませてもらいます。で、しっかり休んで4月には…」
「それはまあ、また考えましょう。」
さえぎって社長は言葉を挟みました。

「でも…。」
「とにかく、店のことは何も考えずに、ゆっくり休んでください。そうしてください。」

ワカリマシタ…としか答えようのない雰囲気で、電話は切られました。


わたしは、見もしないテレビtvを小さな音でつけたまま、通販のカタログをぼんやり見ていました。
札幌に出張に行っていた
Nさんから羽田に着いたとmailが入り、ねぎらいつつもわたしはさっき社長から電話でこういうことになったと報告しました。
『おお? そうなりましたか。じゃあ土日は全部僕にくれるかな? ヒメが楽しめる企画を毎週考えるから。』そんな返事が来ました。

ぼんやりカタログをめくっていると、帰宅したNさんから電話telephoneが来ました。
「もしもし? ヒメ大丈夫?」
「え? 何が?」
「社長からの電話でさ、すごく悲しい気持ちになってるんじゃないかと思って。断られた、来られちゃ困るって言われたと思って落ち込んでるんじゃないかと思って。大丈夫?」

…あれ…。

わたし、大丈夫じゃないみたい…。

Nさんの言葉は引き金となり、わたしは泣き出しました。
「悲しいよ。あんなに頑張ったのに、トラブルになるから来なくていいって言われたみたいで、すごく悲しい…。でも、今あなたから言われるまで、また気付かないふりしてバケツに入れてフタして、シャッターも下ろしてた! すごく悲しい。寂しい。働きに行きたいのに!」

これがわたしの本心でした。
Nさんが心配して電話をくれなかったら、バケツに入れたものは発酵して違う形に膨張し、それに気がつかないわたしは、また寝込んだり、仮面うつの症状を出していたにちがいありません。
感じなかったことにしてずっとバケツに溜め込み、それが溢れかえってうつ病を発症したのに、わたしはまた同じ事をしようとしていたのです。


「ねえヒメ、ひどい言い方するけど、解雇されたも同然だよ。もうそろそろ、しがらみを捨てて、一販売員としてただ働くという覚悟をしないと、もうあの店には居られないよ。はっきり言えば、僕は辞めてほしい。専門のキャリアがあるのだから、他の店でも喜んで雇ってくれるよ。そういう選択もあるのだなという事だけ、頭に入れておいて。」

あの店を辞める…
その選択肢は今までのわたしにはありませんでした。
けれど泣きながら、それも有りなんだと素直に話を聞くことができました。

「それにね、あの店はGさん(刑務所に行った人)に連れられて入った店でしょ。もう数ヶ月で多分出所してくるよね。そのことを考えると僕はたまらないよ。未練があったら君に会いに来るよ。そのしがらみを断ち切って欲しいのが本音なんだ。」

「それからね、ヒメは悪化してないと思うよ。以前はさ、嫌なことを嫌だと感じないようにして、溜め込んできたでしょ。でも今はさ、嫌なことにたいして‘それは嫌だ’って、感じる心が出来てるでしょ。それってすごい進歩じゃない? 恩のあるおかみさんに対して、‘それは納得がいきません!’って、言えたんでしょ? それ、すごい進歩だよ。」

これも目からウロコでした。
その通りなんです。

「だからさ、ちゃんと治ってきてるんだと思うよ。心配ないよ。」
「…そうだ…そうだよね。嫌ですとか、辛いですって、言えるようになってきたんだよねわたし…。」
わたしはしゃくりあげて泣きました。治るためには瓦礫を掘り起こし、木の根を抜き、地面を均さなくてはいけないと、自分で書いたばかりなのに、その作業が今行われつつあるなんて、考えもよりませんでした。
しばらく泣いていると、Nさんはこう言いました。


「また、カウンセリングに行っておいで。こうなるまでの顛末を話して、気持ちを話して、指針をもらっておいで。」


電話を切ったあとも、わたしは夜中3時まで泣いていました。
うつ病だからしょうがない。うつ病のわたしが本当のわたしなのだからしょうがない。
でも、店のレイアウトのディスプレーもPOPもポスターも、キレイに仕上げてきたのに…。
専門の本も自分で沢山買っていっぱい勉強したのに…。
ブログだって好きで始めたとはいえ、寝る時間を削って更新して、結果すごい反響があって、沢山の人が来店して買ってくれたのに…。


そんなわたしでも、要らないんだ…。来ないほうがいいんだ…。

わたしは夜中にカウンセラーにメールをしました。

助けてくださいと。

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heart04「銀靴メイト」heart04のみなさん、読んでくださってありがとうごないます。コメントもたくさんありがとうございます。ほんとうに癒され励まされております。
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「小梅」アルバムをUPしました。よかったら見てくださいねshine  ☆キャラ姫☆

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うつ病のわたしが本物。

迎えに来てくれたNさんの車のなかでひとしきり泣いて、泣き終わってから事の説明をし、社長にはこう言われたなどの報告をして、落ち着いたあたりで家に到着。
家族に挨拶したあと、彼の部屋に入ると…

新しく買ったデスク2つで、二人の書斎が出来ていました。
シックなこげ茶のデスクと、グレーの座面・オフホワイトのハイバックの肘掛け椅子。

座ってみました。

じーん。

こんな素敵な部屋で暮らせるんだ…。
Nさんは自分のPCでこのブログをチェックし、マハロちゃんのコメントに笑い、まきのすけさんのコメントについても色々話して、それからなにやらやっていました。
わたしは、自分の席に座って、デスクに身をもたせかけて、ただぼんやり過ごしていました。

ただぼんやり過ごす…。そうか、本来療養とはこういうことなのか…。
わたしは、3月いっぱいは土日だけの勤務にしたいとNさんに言いました。
それでいいんじゃない? そのあとのことはまた考えたらいいし、どうしてもダメだったら辞めて、すぐこの家に来ていいんだからね。とNさんは了解してくれました。

家族でごはんを食べ、お風呂に入って、また書斎に来て、キャンドルを灯してみました。
部屋を暗くして、炎が揺らめくさまをふたりでぼんやりながめました。
何か話したのか、何も話さなかったのか、覚えていません。
眠くなるまで、揺らめく炎を眺めてぼーっとしておりました。

翌朝、いつもどおりNさんは5時起き。わたしは8時半に「ごはんだよ。」と起こされて、はあいと返事をしたものの、起きなかったらしく、次に起こされたときは10時半でした。
あきれたヨメでしょ。でも、無理して出来るフリはしないでおこうと決めているので、悪いなあと感じるのは感じるけど、ゆっくり寝させてもらっています。

遅まきながらパンを食べて、それから梅を見に出かけました。

梅見は生まれて初めてです。
3年前に今の職場に入ってからは、一番忙しい時期なので休めるはずも無く、梅も桜も、ともすればハナミズキさえも終わってからしか、景色を見るゆとりは無く働いて来ました。

梅は、香りもいいし、まあるい蕾がなんとも言えず可愛らしいですね。
ゆっくり梅を見て、ついでにお墓参りもして、帰って来ました。

帰る道すがら、弁護士友とメールのやり取りをしました。
『どう。仕事をしばらく休むからと言って、自分の存在価値がなくならないって、わかったんじゃない?』
『うん、仕事に行っても自分が役に立たなくて、喜びもやりがいもかんじられないなら、存在意義も何も関係ないやね。』

そんなやり取りをしながら帰るうちに、わたしは気がつきました。

わたしは自分を粘土で固めて、その上に衣装を着て、そのまた上に鎧を着て生きてきた。
そうしてそれに耐えられなくなり、潰れてしまった。
鎧はNさんによって外され、友人やメイトさんやカウンセリングのお陰で不似合いな衣装も脱げた。
そして、粘土も壊れて、そこに弱くてちっぽけで、
何にもなれないわたし見え隠れしている

それが、本当のわたしなのだ。
つまり、今のうつ病であるこのわたしが、本当の私自身なのだと思えてきたのです。

しっかりしてなくちゃいけないキャラを脱ぎ捨てて、人に甘えたり、辛い時にちゃんと泣けたりする弱いわたし、本物なんじゃないか。

だとしたら、治らないことに焦る必要はないと感じました。だっていまが『素』のわたしなんですもの
その現在のわたしを、理解してくれている人、そして理解しようとしてくれている人、理解できなくても気を遣ってくれる人…そういう、今自分の周りにいる人たちを大切にしながら生きて行くことだけで、あとは何かになれなくても、わたしの存在意義はそこにあるように思えてきたのです

今、わたしはリセットされつつある。
そしてここからリバイブ
する。
自分の人格と人生を再構築し始めることができる状況なのだと思えるのです。
もちろんそこにNさんが居てくれるからっていうことが大前提ですけれど。

だとしたら、いきなり家を建て始めるのではなく、瓦礫や折れ枝だらけの地面を一度掘り起こして(これはきっと痛いと思います。)、穴ぼこだらけになった地面を綺麗に整えて、それからNさんと一緒に、そして弁護士友や友人や、メイトさんたちの言霊を聞きながら、わたしは人生の再構築がしたいです。

大好きな仕事にいけないのは辛いけど、なにもかも抱えていたらリセットは無理ですよね…?

まずは瓦礫を掘り出さなくちゃ。
みんな、力を貸してくださいね。

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このブログを読んでくださっている皆さんが「銀靴メイト」さんです。(←勝手にすみません。)コメントを下さっても、静かに読んでくださるだけでも、わたしの励みであるメイトさんです。これからもよろしくお願い致します。  ☆キャラ姫☆

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This is “HIME”

ご報告…………………。

ダメでした。

土曜日、出勤しました。
不正出血を起こし、動悸がし、胃液がこみ上げる体を電車に乗せて、出勤しました。
店が近づくと動悸が激しくなりました。

「おはようございます。」
帳場兼更衣所に上がると、おかみさんが「あら、おはようございます、ご苦労様。」と返事をして、いきなりのカウンターパンチ。
「よく休んだみたいね、太ったんじゃない? ねえ。太ったわよ。血色もいいし、もう大丈夫ね。」

わたしは、決して痩せた人ではありません。
年末に復帰してから、太りました。夏のあいだは誰もがエッ?というほど痩せたのに。(←それでもいわゆる痩せた人にはなり得ませんが。)
でも、4日間休んだだけで、少し痩せました。よく眠って、気功も受けて代謝がよくなり、リラックスして便秘が解消しただけで、スカートが回るぐらい痩せるものです。

それを「太った」と決め付けられ、血色もいいと決め付けられたのです。
その瞬間、何とか頑張ろうとしたわたしの小さい風船はしぼんでしまいました。

2gatu10niti_tyobi_006 着替えている間、ねこがじっとわたしを見つめていました。
もの言いたげな黄色い瞳。


わたしは黙って店に出て、昨日までに売れたものの梱包を始めました。
誰とも口を利きたくない。ただ仕事に集中したいと思いました。
お客様がいらっしゃれば笑顔で説明をし、お勧めをする。それは何とか出来るということを確認。
でも、仕事ってそれだけじゃないんですよね。
その日に限って問い合わせやクレームの電話が多く、ついにおかみはクレーム処理をわたしに投げて来ました。

去年までは、わたしは我慢してクレーム処理をしていました。おかみの尻拭いもしていたことになります。これも仕事だし、江戸っ子のおかみが高飛車に謝ったところで、新たなクレームを作り出すばかりだしと諦めてわたしが引き受けて来ました。

でも、今年はもう、そんな精神状態にはありません。自分を保つだけでも精一杯なので、人の尻拭いまではとてもじゃないけど無理なんです。
わたしは初めておかみに反論しました。

わたしが休んでいる間に起こったクレームを、おかみさんが処理して、それがまた間違っていたからと言って、なぜわたしが更に電話をしなければいけないんでしょうか。先ほどの電話で、代替品をまた送りますとおっしゃっていましたよね? それでいいんじゃないんですか?

「その代替品が、無いのよ。」
「無いものを送るとお客様に言ったんですか?」
「だってしょうがないじゃない、そうするしか方法ないでしょう。もう2回クレーム来てるのよ。」
「それは、最初にクレームが来た時に適切な処理がなされなかったからですよね? で、また代替品を送るって伝えたんでしたら、そうなさればいいんじゃないんですか。」
「だってこれ、あなたが売ったお客さんでしょ。最初から事情を聞いて、処理してよ。」

理不尽な要求にわたしはイエスとは言いませんでした。
「じゃあ、この件について社長に相談してきます。」
、わたしが手に取った伝票をおかみはひったくりました。
「いいわよ、わたしが電話するわよ!」

意味がわかりません。もう一度代替品を送るとお客様に言っておきながら、それが無いからと言ってわたしに尻拭いをさせようとする。

梱包している手が震えて紐が縛れませんでした。
するとおかみが来て、
「はい、最初から話を聞いて頂戴。」と、受話器を差し出したのです。目の前に、お客様に繋がった電話を。

なんでわたしなの!
でも繋がっているお客様の手前、もう電話を受け取るしかありませんでした。
気の毒にお客様は何度も何度も事情を説明させられ、声は尖っていました。
けれどわたしから買ったのは覚えているので、お客様にも勘違いがあることをやんわりと
説明し、売る場合のご説明が足りなかったことはお詫びすると、気持ちは和らいだようでした。

「おかみさん、代替品を送りますと、お客様におっしゃったんですね?」
わたしはしっかりと確認しました。
「そうよ。でもその大きさのものがうちには無いのよ。」
「それについてはわたしの範疇ではないですから、社長に相談なさったらいかがですか。」
言い捨てて、わたしは展示場にいる社長のところに走って行き、事の顛末を話すとボロボロ泣いてしまいました。
頑張って出てきたのに…。夕べは「きっと大丈夫」って思っていたのに…。こんなことで駄目になってしまうわたしは、今現在店にいても使い物にならない。何の役にも立たない。
それだけじゃなく、全身に針が刺さったように痛くて、胸の中が重くて苦しくて、声も出ない。

「太って血色がいいって、朝一番に言われたんです!」
社長にそういうと、社長は鏡を指差していいました。
「ねえ姫さん、自分で見たら一番わかるよ。土気色だよ。一目でわかるよ。もう今日もいいから、帰っていいですよ。いてくれたら助かるけど、いなくても何とかなる。今大事なのは、店じゃなくてあなたの精神でしょう。あの人には(おかみは社長の母親)みんながやられてる。それを諦めて割り切ってみんなやり過ごしているんですよ。でも今のあなたには耐えられないでしょう。わたしも、おかみには毎日言っています。言ってないわけじゃないんです。でも聞く人じゃない。だから姫さん、しばらく離れたほうがいいです。」

わたしはわぁわぁ泣きました。もうダメだ、こんなに好きな仕事なのに続けられない。
あんなにお世話になった恩人であるおかみさんなのに、耐えられない。

医者が職種も聞かずに『復職は認めない! 一月たたずに悪化するよ!』と怒ったのは、こういうことだったのでしょう。
たとえ慣れた職場・好きな仕事でも、ストレスはあって当たり前。それに耐えうる状態に、君は回復していない。
こういうことだったのだと、わたしはようやく気がつきました。

どうして壊れてからじゃないと気がつくことができないのでしょう。
どうして恩人であるおかみさんにストレスを感じてしまうのでしょう。
こんな馬鹿な自分。こんな恩知らずな自分。水に濡れたらすぐさま破れる薄紙のような情けない自分。

わたしはNさんにメールをしました。
『早退するので迎えにきてください。』
朝から心配をしてメールをくれてた弁護士友にもメールをしました。彼女からはこう返事が来ました
『うん、そうしなさい。もう、いいよ。』

もういいよ。
この一文を読んでわたしはまた泣きました。
そうだ。もういい加減理解しなさい姫。
医者の言うとおり、
メイトのみんなが言うとおり、無理なんだよまだ。もう充分頑張ったよ…。

迎えに来たNさんの車に乗り込んだ途端、わたしはワッと泣き出しました。
Nさんは頭をなでて、よしよし・なでなでしてくれました。

悲しい。好きな仕事なのに、恐らくはもう今までみたいには働けない。情けない。

でももう、認めなきゃいけない。
自分の状態が、こんな風に悪いのだという事実を。
そしてこの弱いちっぽけなわたしこそが、真実の自分であるのだということを。

This is “HIME”  これが真実のわたしなのだ。
やっと見つけた本当の自分とは、「うつ病の自分」だったのです。

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★メイトさんへ。明日みなさんにお返事しますね。
 いつも本当にありがとう。支えてもらっています。
  ☆キャラ姫☆

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震えてる。

アラームをかけずに、目が覚めるまで眠ってていいんだ…って思いながら眠りに入る時、とてつもなく幸せを感じます。

療養中は恐らくはパキシルが足りていなかったせいで、わたしの
睡眠障害はひどいものでした。どれ一個取っても眠くなる類の薬を8種類飲んでも、眠気はおろかアクビすら出ない。渋々布団に入っても、眠れない苦しさと罪悪感に身悶えする。
その苦しさは忘れられません。

今は、薬と波動療法のお陰で、睡眠障害はなくなりました。
眠くなるんです。そして身悶えすることなく眠れるんです。

微笑みながら眠りについて、目覚めたのは11時半。気持ちのいい目覚めでした。
今日は息子に頼まれた用をこなしつつ、出かけてみようと決めていました。
年が明けてからは仕事でヘトヘトか、ただ眠って過ごす休日しか経験していません。

外に出るとすごい
青空でした。
春先のように暖かい日でした。
電車に乗り、降りて歩き、用事を二つ済ませて、バスでショッピングモールに行きました。
いつ来たっけ。すごい久しぶり。

080215_17340002 フードコートでうどんを食べて、ちょっとお買い物。
目当ては息子に皮のキーホルダーを探すこと。ま、これならいいかなっていうのを購入。

080215_17360001
でも、和雑貨屋さんに寄って自分のものも買っちゃいました。
ちりめんで出来た鈴付きの鈴型ブローチ

職場でエプロンにつけます。

それから、和柄のエコバッグを発見。
セルリアンブルーの地色に牡丹の柄の派手なのにしようかと思ったけど、やっぱり
梅柄だなあ。品がいいもの。
080215_17340001080215_17510001
畳むとお財布サイズですが、開くとビッグなのだ。

今までは小さいエコバッグしか持ってなかったので、これで万全。安いお買い物だけど、久しぶりに自分のものを買って満足しました。

でも、いつもそうなんだけど、食品売り場に辿り着く頃は疲れちゃってる。
少し食品を買って、帰りのバスを待つ間、暮れてゆく空を見ながら、4日休んだけど、まだ笑顔で出勤できるまでには心は
回復していないことを感じました。

日曜は、東京マラソンで道路封鎖されるため、その日を選んで買いにくるお客さんはいません。だから最初から休みを取ってあります。
なので、土曜日は久しぶりにNさん宅
にお泊まりです。日曜は近所の梅園に行く予定です。

混むとわかっている土曜日に休むのは、いくらなんでも気が引ける。
行くのも辛いが、行かないのも辛い。
売り場の構成もどうされちゃっているか気になる。
やっぱり行こう。
来週からのことはそれから考えよう。そう決めて、今そう書いています。

だけど…
心はちょっとだけ
震えてるのです。

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メイトさんたち、コメントいっぱいありがとうございます! Nさんからのコメントで、マハロちゃん悶えてる…って、Nさん笑っていましたよ(笑)
今日はお返事できなくてごめんなさい。

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裏返しのハリセンボン

夜になってから、携帯に着信がありました。
今は着信はOFFにしていて、かかって来ても出ません。
家の電話も基本出ません。
怖いからです。
かけて来たのは、おかみさんでした。

昼に送ったわたしのFAXは、間に合いました。

ブログを見たお客様がいらっしゃったのは午後で、はい、聞いておりますよって顔でみんなが接し、サービスをしてお買い求めいただいたという報告でした。

「お客さんはすごく喜んで帰られました。」
その一言を聞いて、「もう遅いかも…」と思いつつもFAXを入れて知らせておいたこと、本当に良かったと思いました。


接客業をしたことのある人はわかると思いますが、お客様はすべて、大げさに言えば「わたしは特別な客よ。」ぐらいの気持ちを持っておられます。
それはどなたの中にもあります。
せっかくブログを見て、店を確認し、
「明日伺いますので。」と予告メールまでしているのに、「ブログを見て来ました。」と言ったときの反応が、「ああそうですか、どうも。」と言われるのと、「○○様ですね、お待ちしておりました。」と迎えられるのでは、天と地の違いです。
買い物の喜びすべてのテンションが違ってきますし、店の印象がとにかく変わるはずです。

FAXが間に合ってよかった。
もういいや、知らない!って寝たんですけど、起き抜けに殴り書きでもFAXしておいて本当に良かった。


忙しくてキツイ時期に、店のブログを頑張ってやって良かった。

そうだ、こんなときにはメイトのみんなが言うように、自分を誉めてあげればいいんだ!
銀靴を休んでまで、頑張った仕事のブログは充分効果を発揮したよ。
無給で、睡眠時間を削ってまでやったブログだったけど、喜んでくれたお客さまがいっぱいいたよ。
よくやったよヒメ。がんばったね。


↑これでOK?(笑)
2gatu10niti_tyobi_009

でも、仕事に行くことを考えるとまだ、体に針が刺さります。

わたしはまるで、
裏返しのハリセンボンです。
外からのストレスに、内側を向いた針が、心を刺す。体を刺す。


裏返しのままでいいから、針の先の丸いハリセンボンになりたいよ。

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決断のボーダー

昨日の夜遅くに、Nさんから電話があり、仕事のブログのほうで、読んでくれた人から「14日に伺いますのでよろしく。」ってコメントが入っているよ、と教えてくれました。

わたしはたまりにたまった洗い物と格闘していて、まだPCを開いていなくて、わたしよりもわたしのブログ二つを熟読してくれているNさんが(笑)、先に発見してくれたんです。

迷いました。
ブログを見て来店してくださったお客様は、ほとんどの場合、
「ブログを書いてらっしゃる方は…?」と探しに来てくださいます。この方も以前に一度コメントのやり取りをしている方なので、きっとわたしが店にいたほうがいいに決まっている…。

『気』をいっぱい入れてもらって歪みもコリも治してもらって、頑張れば行ける体調になってる。

行こうか…どうしようか。
Nさんは、
「行く行かないを決めるのはヒメだけど、知らないといけないと思って知らせておくね」というスタンスでした。

「うー。うー。…行きたいけど…我慢して休む!」

わたしは自分に言い聞かせなだめるように、そう宣言しました。
わたしが休んでいても、ブログさんは仕事をして売り上げに貢献している。
多分大丈夫と思うけど
、「ぐにゃり」さんのご機嫌はしばらく様子を見ないとわからない。
たった二日休んだだけで、精神の磨耗が戻るとは思えない。

本当は行って接客したい!
だけどここが
「我慢のしどころ」、つまり決断のボーダーはここに引くべきなのではないかと考え、そう宣言したのです。

わたしの店じゃない。社長が居てくださればきっと丁寧に説明して感じ良くお勧めしてくれるに違いない。
そう信じて、我慢して休むことにしました。

感情とは別の決断なんだけど、きっとこれが今のわたしには正しいはずだと…。

だけど、そういう大切なお客様だということは社長には知らせたい。
でもでも、わたしはうつ病になって以来電話が大嫌い。ましてや休んでいる身で電話なんてし辛い…。

あああー。もういい。寝る。わたしの店じゃない!

…でも、今日12時に起きてわたしが何よりも先にしたことは…
社長にFAXしたことでした。
12時だったので、ご来店されたあとだったら何の意味もないのですが…。
放置することがどうしても出来ず、一応、自分にとってするべきことはしたぞ、という
罪悪感逃れ。

ちなみに、昨日の夕方、弁護士友から『あんたマサカ、気功に行って楽になったから明日から出勤しようだなんて考えてはおらんだろうね?』とクギを刺されております。
へへへ…。バレテル。

メイトさんたちも、友達も、ありがたい。『頼むから休んでくれ、幻影を捨ててくれ』と懇願してまでわたしを気遣ってくれてるのです。

「ぐにゃり」は、今日は訪れませんでした。波動で封印されたようです。

昨日までは、「ぐにゃり」さえ来なかったら、明日金曜から復帰しようと考えていました。

でも、今、それを書こうとキーを打っていたら、がこぼれて…。

まだ行きたくない。また心が壊れる。そんな気がする。
メイトのななさんのおっしゃるとおり、痛みは伴って当然。でも、まだ傷がズキズキ痛くて、職場に戻ることを今考えただけで、涙が出てしまうんです。

行かなきゃいけない。
でも、多分この涙は
「行きたくない! 辛い!」というサイン…。

体を整えて、仮面うつを取り去ったら、本心が見え隠れしてきたようです。

明日、行くか行かないか。
決断のボーダーはどこに引かれているのでしょうか。

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再びの仮面うつ。

2gatu10niti_tyobi_001 三連休は、どうにか天気にも恵まれ、忙しい3日間でした。
そしてわたしは、
『壊れる前にブレーキをかける』ということが、初めて出来ました。

    
連休明けから、休んでいます。


「ここで休まないと壊れてしまう!」
そうわたしに決断させてくれたのは、「仮面うつ」の症状が出始めたからなんです。
体中が痛い。どこということなくひたすら痛い。
理解力がなくなり、電卓に数字を打ち込むことすら覚束なくなる。
動悸が激しく、時に話すときに息切れするくらい激しくなる。

連休の真ん中の日の帰り、あの「ぐにゃり」がやってきました。
そう、天地がわからなくなるあの「目まい」です。
わたしの「仮面うつ」の最終段階です。

もう限界が来た。これを耐えて超えてしまったら、わたしは倒れて、もう来れなくなる。
そう判断できたのは、経験でもありますが、コメを下さる
「銀靴メイト」のみなさんのおかげです。
もちろんNさんは、
「休んでいいんだよ、辞めたっていいんだからね。」といつも言ってくれてます。その安心感は計り知れません。
けれど
「銀靴メイト←(勝手に命名)の皆さんが、休んでほしい・無理しないで欲しい・ほどほどに頑張ってほしい、と繰り返しお言葉をくださったおかげでもあるのです。

わたしは社長に、限界が来たので、数日休みをくださいとお願いしました。
体も疲れ果てましたが、人との摩擦と調整に精神を磨耗されました。

  
最終日、いつまで休んでいつからまた行こうかなんて考えられないくらい疲弊しました。
なにも出来ず、いつもくらいの時間に寝て、翌朝、最初に起きたのが8時半。Nさんに「いってらっしゃい」とメール返信して爆睡。
次は10時半。「ぐにゃり」とともにヨロヨロとトイレに行き、水を飲み、目薬をさしてという一連の作業をして、考える。

今起きればブログもかけるし家事もできるなあ…。買い物にも行けるなあ。

でもわたしは「ぐにゃり」を連れて布団に戻り、気功の先生にメールをしました。
「あすは予約空いていますか?」
そして大雨の音を聞きながら、またウトウトすることを繰り返しました。
うつ病になってから好きになった雨の音。

次に起きたのは午後二時半でした。

再び「ぐにゃり」と共に起床。
うがいをして顔を洗って、13時間半も眠ったことに変な満足を得ながら、メイトのみなさんにレスだけ書きました。

明日の午後は空いていますという気功の先生の返信があり、予約をして、さあ夜はブログを書こうと思っていたのですが、どうにも気力がついて来ない。
やりたいのにやれないもどかしさに身悶えしながら、わたしはお風呂に入って寝てしまいました。
台所は洗い物の山。

今日起きたのは10時半。「ぐにゃり」はまだ一緒にいる。
起き上がるのに20分もかかる。
パンを食べて、うろうろしていたら、なぜか時間が無くなり急いで出かけました。
すっごい風! 寒ーい! 

でも、駅のホームから、わたしは今日空を見ました。

空を見上げて雲を見るなんてこと、いつからしてなかっただろう?
朝起きて、電車の中ではメールか、寝る。
帰りは疲労にうつむいて歩き、休みの日は閉めきった家から一歩も出ない生活。

空が綺麗だなあ。雲が白いなあ。流れてゆくなあ…。

療養生活をして居る時には、何もかもが後ろめたくて焦燥感があって、あんなに時間があったのに空を眺めてなんていなかった。
いつもいつもうつむいていた。
働いて、そして得る休日の、なんと愛おしいことだろう。


気功でたっぷりほぐしてもらい、歪みを矯正してもらい、波動を通してもらい(施術台でわたしは爆睡…。) 終わって帰る時には、肺のすみずみに酸素が行き渡る感じがしました。
前頭葉が固まっていて理解力・解読力が働いていなかったとあとで先生に聞きました。
目まいは波動が通せたから、明日からは大丈夫だと思うよ、とのこと。


パキシルを40も飲んで、精神状態は何とか保てている。発作も恐らくは抑えてくれるだろうと思う。
けれど、どんな仕事もストレスがあり、ストレスのない仕事も人間関係もあり得ない。
それに耐える力が、とてもとても小さいのがわたしなのです。
だから限度が来た時に、体を使って知らせて来た。
動悸や「ぐにゃり」がその使者なのだと思います。

それを見逃さず、こうして休養すれば、また数日後にはきっと働ける。
そうしてだんだん自分の限度やタイミングがわかるようになるのかもしれない。
少なくとも、今回はそれが出来ました。
絶対に頑張らなくてはいけないときに、気功やら頓服やらドリンク剤の力を借りて乗り切り、あ、危ないと感じた時点で休みをもらえました。

恵まれていると思います。



「まだ治らないの? 昔はそんな病気なかったわよ。そんな幸せな状況で、一体何に不満があるの。うつ病なんて、要は気の持ちようよ。」
大好きなおかみさんにそう言われてしまったとき、わたしは打ちのめされました。
そして、しがらみを捨てて、一販売員にならないと続かないと、やっと気がつきました。

受けた恩は恩。それは忘れない。けれど、自分の精神を守るために、切り捨てなければならないものがあると、気がつきました。
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とりあえず木曜は休みます。我慢して休みます。

金曜行くかどうか…。それはまだ、決めかねています。
心の磨耗はそんなに早く修復できないんだもの。

長くなっちゃいました。
「銀靴メイト」のみなさま。いつも読んでくださって本当にありがとうございます。
そして通りすがりのみなさま。引っ掛かってくださって、ありがとうございます。




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【気】とはすごい!

みなさんコメントすごく嬉しいです!
ありがとうございます。今夜はレスできなくてごめんなさいm(_  _)m


朝の憂鬱感がどうにもならない。いや、寝る時も辛かったので、頓服も飲んで寝たんです。
そうすると起きられるかどうか自信がありません。
アラーム二個を時間差で(それぞれスヌーズ付きで)かけ、Nさんはいつも見計らってメールをくれるので安心安心。でも不安は消えず、弁護士にもメールで、朝起こして欲しいと頼んで、ようやく眠りにつきました。

全員のご協力のもと無事起床。
ドリンク剤服用。パン食べて安定剤を飲んで、また憂鬱な気分のまま出かけました。

早退させてもらおう。三連休が大変のはずだもの。少しでも精神を休めよう。
そう思って出勤したわたしを、おかみさんが待ち侘びていて、伝言が二つありました。
昨日買ったあるお客様が、夜通し悩んだ末もう少しグレードの高いものに買い換えたいのだけど、昨日接客してくれたお姉さんはいるかい?とのお電話が一点。
もう一つは、昨日接客したお客様が、わたしがお勧めしたものに決めたいので、取り置きをお願いしたいのだけどあのおねえさんは?という電話が一点。

ありがたいことです。

着替えて準備をしたとたんに、グレードアップしたいお客様が到着されました。

そんなふうに忙しく始まってしまった本日、気がつくと憂鬱感は消え、気持ちがすっきりしています。
パキシル40の効果が、そう早くは現れないと思うんだけど…と思っていると、気功の先生からメールが届きました。
『ブログ読んで心配になり、今朝から何度か【気】を送っています。でも、ずっとあなたの波動がマイナスなんですよ。辛そうですね。で、今もう一度送ったら、やっとプラスになったのですが、いかがですか?』

せんせい…(涙)

お金も払ってないのに、気を送って、波動を調べてくださっていたんだなんて…。
ありがたくてありがたくて、感謝の言葉もありません。
さっそく、調子が良くなった旨をお礼と共に返信しました。

早退しようと思っていたのですが、ブログを見てきてくださったお客様もあって、忙しくなり、元気に働いて定時までちゃんと仕事しました。

昨日発作をおこしてボロボロだったわたしがですよ?

【気】とはすごい!
先生の「なんとかしてあげよう。」というお気持ちもすごい!

わたしはこうして沢山の方々に助けていただきながら生きています。
うつ病になったこと、大きな学びであり、大きな恵みであります。
治ることに焦るばかりではなく、治っていく過程を大切にし、いつかわたしは、うつの人の話を聞く側に回りたい。

そう考えるようになった、
キラキラの一日でした。

明日からの三連休は忙しいはずです。先生に「また【気】を送ってくださいますか?」と甘えたら、「よっしゃ!」と返事がありました。

現在甘えてばかりのヒメですが、いつか
誰かを救える存在になるのが夢です。

それでは早めに寝ます。
おやすみなさいです。

あ、わたしに気功波動療法をしてくださっているのは、「柏氣功整体院」の小林院長です。
サイドバーからリンクできますので、近郊のかたはぜひ一度、行ってみてくださいね。



ヒメ

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「舌の根も…。」

乾かぬうちに、やっちゃいました(泣)

        
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朝から憂鬱。行きたくない。
でも絶対今日は混む。そんな予感がして必死に行きました。
こんなにいい天気で、大好きな季節なのに、心が晴れない。どんよりした故郷の空のようです。

着替えて店に出るとすぐにお客様でした。その方がサラッと「これいただくわ。」とお決めになって持ち帰られてからあと、次々とお客様が訪れ、あっという間にお昼を過ぎてしまいました。

動悸がひどい。無理をしている。
社長のところに避難して少し座っていると、内線で呼ばれました。
「さっきのお客様が戻って来られたのでお願いします。」と…。
あわてて売り場に戻り、接客して、お決めいただいて一連の作業をしました。
わたしの動悸はどんどん苦しくなり、忙しくてイライラしているみんなの気持ちが針となって、むき出しの心に刺さってきます。
お客様のために、店のためにやっていることなのに、どうしてそんな扱いなの?

おにぎりを食べても味がよくわからない。空腹感も満腹感もない。
Nさんに泣きメールを入れて少し甘えました。
それから涙をこらえてまた接客に出ました。
午後は関西人のお客さま。値切るので、
「もう、そんなご無体な…。わたしやせ細ってしまいます。」と答えたら、おじさまは笑って、「充分肥えてるがな。けどべっぴんさんやから、この店で買うわ。持っていくからちゃんと梱包してや。」

嬉しい瞬間です。

ところが売り場に戻るとまたトラブルが発生しています。
調整を頼まれ、何度も社長のところに相談に行ったり報告しているうちに、限界が訪れました。

椅子にちょっと座ったとたん、視線が遠くに行き、表情が消えていくのがわかりました。
「OKですよ、了解しましたから。」
そういう社長の声を聞いたとたん、じょばーっと泣けて来て…。

「発作は起きなくなりました。」
医師にそう言った舌の根も乾かぬうちに、やってしまいました。

動けなくなり薬を取りに行く事もできない。
そのまましゃくりあげて泣くこと1時間。使い物にならず売り場には戻れませんでした。

帰りの電車では、たまたま座れて、駅で降りようと立ち上がった途端、ひざに力が全く入らなくてがくがくっとなり、前にいた男性の腕にしがみついてしまってビックリされました。

        
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わたしが八方美人だからいけないんです。
あっちでもこっちでも言い分を聞いて、それをいい顔で受け止めて、クッションになりつつ伝えに行く。でも実は双方不愉快なわけなんです。その波長をまともに受けて、今日は壊れてしまいました。

いままでずっと、八方美人で来たから…嫌われるのが怖くて、責められるのが怖くて、傷つきたくなくていっぱい演じて来たから…
それが自分の首を絞め、手枷足枷となってしまっています。
「やかましいわ! 自分で言いに行けやボケっ!」って言えたら、楽になるんでしょうか?
…そんなこと、やれるわけがない。

だってわたしは「いい人」でいたいもの。
いい子じゃないと愛されないと思い込んでいるのだもの。
むき出しの自分で他人と接するなんできっこない。傷だらけになる。


思い切り泣きたい。
でも、泣かせてくれる胸が無いと泣きづらい。
わたしの「泣ける胸」はNさんだけ…。
いつでも辞めていいよ、休んでいいよ、って言ってくれるから、わたしは頑張れる。
会ったら真っ先にまず泣かせてもらう。
そんな変なデートも月に2回くらいがやっとです。

でも、「泣ける胸」があるわたしは、しあわせ…。
この世で最も辛いのは「孤独」ですから…。

        
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休みは連休明け。まだ4日もあります。
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混むとわかっているこの三連休、わたしは乗り切れるのでしょうか。


早く効いて! パキシル40!

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とうとう40mg

Marue_12gatu_25nichi_hina_tyobi_040 本日は5時間労働にて早退。これくらいだと体も楽です。
でも、ブログを見て来店くださった方がいたし、他にもご来店のご予定の方がいたのですが、後ろ髪引かれつつ早退して、心療内科に行きました。

昨日は最悪な気分で、朝安定剤を(こっそり)2倍飲み、途中頓服も飲んだのですが、全く効かず、
「もうダメだ、もう続けられない。みんなが言ってくれたように休もう。どんどん悪化する…」と半泣きで帰って来たのです。

動悸がひどくなり、寝つきが悪くなり、朝の憂鬱感は増すばかり。
大好きな新聞も読めず、本も読む気にならず、音楽も聴くことができないという状況になってしまっていました。

ざわつく。しめつけられる。こみあげる。あふれる。

はっきりとした大きな原因があってそうなるならきっと理解してもらえる。
けれど、些細なことで、もしくはちょっぴり思い出したりしただけで、または身近な人が不機嫌なため息をついただけで、わたしはたちまちこの状態に陥ることが出来るようになってしまっていました。

Nさんは
「良くなっていく経過の中の、触れ幅の範囲だと思うよ。」と言ってくれましたが、そうではないことは自分でわかります。
少し悪化したことは、冷静に客観的に把握していなくてはいけません。

『どうしよう。なんて言おう。』
心療内科に行って、まだやっぱり働いているなんて言ったら、きっとすごく怒られて、もう知りません!!って言われちゃうかな…。働いてること、隠そうかな…。
でも、悪化は止めたい。薬を何とかしてもらうには何か言わなきゃ…。

あいにく医院は空いていて、考えをまとめる暇も無く呼ばれてしまいました。
「どうですか。」
曖昧な質問をされます。うう…、どう答えるべきか…。

「少しは落ち着きましたか?」
「…うっ…あっ、いえ、あの…。」
「横ばいですか。」
「あの…パニック発作は少なくなりました。でも、その…動悸がまた激しくなってしまって、苦しいんです。…それと、憂鬱感が増していて…。」

仕事のことを聞かれるかな…とわたしは身を縮めました。
「ふうん…。」
先生はわたしの眼をギロッと見て、軽くため息をつきました。
バレてる。きっと働いていることはバレてる…。

「さて、どうしようか。」
怒られると思い身を縮めていたのですが、先生はカルテをめくってペンをポンポンと動かして少し悩んでいました。

「よし、思い切ってパキシルを40mgに増やしましょう。」
「はいっ。」
わたしは即答しました。
主薬を増やすしかないのでしょう。わたしの『鬱』は、残念ながら良くなってはいないのだから。仕事も、辞めないのだから。

          
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わたしは、せっかく頂いた7ヶ月間の療養生活の過ごし方を、とても残念に思っています。
それは、自分の認識が甘すぎたことです。
去年、わたしはうつ病と診断されてからたった24日間で仕事に出ています。
その時に飲んでいたパキシルは、たったの10mgです。
ウツ病を治すために必要な、メインの薬が今の四分の一の量でした。
そして睡眠薬も数種類試して、どうやらこれが良さそうだと決まるか決まらないかの時点で仕事に出ています。

うつ病=療養 という選択は、そのときのわたしにはありませんでした。
働き続けることが当然と考えていたからです。
わたしは心を封印し、精神の不調にはフタをして重石を乗せました。
そして週一日の休みだけで、毎日8時間働きました。

好きな仕事、いごごちのいい職場。
けれど、病身には無理だったはずです。
逮捕された以前の恋人を支えると豪語して動いていたときと同じペースで、わたしは仕事をしたのです。
そうやって精神を封印された結果、溢れ出した『鬱』は、様々な身体症状を出現させてわたしを苦しめました。

最後は打ち果てて数日寝込んで休んでしまい、情けない終了になって、そこからわたしの療養生活は
しょんぼりとスタートしたのでした。

         
********************

うつ病を発症したまま働いたことは、仕方ないと思います。生きて行く手段です。
だけど、療養生活に入るときに、今の心療内科に転院しておけば…。
途中何度も転院は考えたのに、グジグジと10月になってしまった。
もっと早く転院して、パキシルを足りるだけ飲みながら、療養生活を送っていたなら…。

わたしはすっかり治って、今、バリバリと働けていたかもしれません。

カウンセリングも、気功・波動療法もわたしにはとても有効的でしたが、その効果が何倍にもなって浸透し、療養生活の間にすっかり治っていたかもしれないのに…。

わたしの認識の甘さを、残念に思っています。

ほとんど治療らしい治療をせずに無理矢理働き、途中悲しすぎるアクシデントもあり、わたしのうつ病はスキルスのように進行して行った気がします。
療養生活のほとんどが、不調だったように思えてしかたありません。
薬が足りてない状態のまま療養していたわけです。
寝付けない夜に苦しみ、罪悪感や焦燥感に身悶えし、パニック発作を起こし、わたしは全く良くなっていきませんでした。

ようやく転院したのと、波動療法のおかげで、わたしはやっと眠りを手に入れることは出来ました。
本来ならここからの療養であったなら、軽症で治ったことでしょう。
いま、大好きな新聞すら読めない状況にまで追い込んでしまったのは、わたしの認識の甘さです。

         
********************

今夜から40mgを飲みます。
効果がいつごろから出るかわかりませんが、混みあう予定の週末を控え、今夜はここまでにします。
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今日はレス書けなくてごめんなさい、ありがとうございます。嬉しいです。
ななさん。マハロちゃん。ひろすぃさん、いつもありがとうございます。


キャラ姫

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猫の眠り。

Marue_12gatu_25nichi_hina_tyobi_038 雪の日曜日。お客さんも少なかったので、売れたものの出荷準備をし、展示替えをして、帰ろうとしたわたしに、社長が「明日はゆっくり休んでください。」と微笑んでくれました。
そして
「今日はどうでしたか? ストレス無かったですか? 辛いことはありませんでしたか?」と聞いてくださったのです。
「はい、大丈夫でした。ありがとうございます。」と答えて帰宅したのですが、社長のお気遣いにしみじみと感謝し、やはり、無理しすぎない程度にこの店で働こうと思いました。

でも…うつ状態がひどいときは「もう無理、おかしくなる、みんなの言うとおり辞めて療養すべきじゃないのか。」と悩みまくるのはわかっていますが…。

夕べは大好きな夜更かしをしてブログサーフィンをし、遅い時間にぬくぬくと眠って、眠りたいだけ眠りました。幸せな気持ちでした。


何度も目が覚めて、その都度、起きようとすれば起きられる状況でありながら、寝返りを打ってまた布団にくるまり、トロトロと眠り、色んな夢を見る。
誰にも邪魔されず、罪悪感なく、トロトロと眠り続けられることを、最高の癒しだと感じます。


店の帳場にがいます。
最近はテーブルの真ん中に置かれた箱に入って、全ての気配を聞きながら、一日トロトロと眠っています。
名前を呼べば耳だけが反応し、体を撫でればしっぽを動かして返事をする。
そーっと寝顔を覗き込むと、ねこも薄目を開けてわたしを見ている。
鼻先に指を持っていくと、少し嗅いで、ペロッと舐めてくれる。
起きてはいない、眠り込んでもいない。


そんな猫の眠りを今日は味わいました。

嫌なことを忘れてます。自分のこと、嫌いじゃないです。誰も恨んでないし、悲しくないです。


眠りはわたしにとってはリセットと静養です。

わたしは赤ちゃんのころ、眠ってばかりいる手のかからない赤ちゃんだったそうです。
余りにも眠り続けるので、母が育児相談の日に医者にきいたのだそうです。
医者はこういったそうです。
「眠りたくて寝てるんだから、寝かせておけ。腹が減ったら起きる。」


生まれながらに、短い眠りでも活動できる
ショートスリーパーの人と、わたしのように、眠ることを何より大事にし、沢山眠ることによってようやく活力を取り戻せるというタイプもあります。

残念なことに、ロングスリーパーの人は、「ったく、いつまでも寝ていて…!」と邪険にされ、ショートスリーパーの人は正しい日本人として崇められます。
損だなあと思います。
でも、クリエイティブな人ほどロングスリーパーなんだと聞いたこともあります。アインシュタインは毎日10時間寝ていたとも。

人はそれぞれ違う。それは病気だろうとそうでなかろうと、違って当たり前なのだと、認め許しあえたら、きっと幸せなのにと思います。夫婦だから、家族だからと言って、何もかも揃える必要はないとわたしは考えています。マイペースのB型さんだからこそそう思うのかもしれませんが。
それぞれが思いやり合いながら暮らすことはとても大切なこと。でもそれが、個人の自由を奪うものであったり、規制するものであってはいけないと思うのです。



わたしは、今の心療内科に転院して初めて様々なテストを受け、自分が「ストレスに対する耐性」から、はるか遠くにあることを初めて知りました。
本当は弱くてすぐ吐いちゃうくらい脆いのに、いい子でいなくてはいけなかったから演じ続けてきたわけです。

そして、激しいストレスに晒されると、わたしの脳にはシャッターが降り、何も受け入れられなくなり、思考はストップし、そして異様に眠くなります。
それが、脳からの危険信号で、精神を守るために脳が行うことなのだと知ったのは、最近のことです。


可愛そうなことにその性質は息子にも引き継がれており、小さい頃、一度に沢山質問(というより詰問)をしてしまうと、ぽーっとしてしまい、何も答えなくなり、やがて逃げるように眠ってしまうことがよくありました。
未熟な母だったため、可愛そうなことをしたと、今も悔やんでいます。



眠りは、防御壁です。
波動療法を受ける前や、転院して増薬してもらうまでの、「寝付けない夜」の孤独と罪悪感を、わたしは一生忘れない。
そして今、薬を使っているとはいえ、15分くらいで眠りに入れることを、本当に幸せに思います。
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うつ病の家族を持つみなさん。
どうか、眠らせてあげてください。
眠りの中で、みんな傷を修復しているのです。

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ママコノシリヌグイ

昨日の土曜日は、自分の担当フロアは全くふるわず、他フロアへの案内と応援ばかりでした。
もちろんそこでも売り上げは立てていますが…。
誰も居ない担当フロアに戻るのが耐えがたく、夕方までほとんど2階にいました。

わたしの店じゃない。
来たお客さんを逃しているわけではない。
今日はたまたま、そのタイプの人が来なかっただけなんだ。
…そう思ってみても、売上帳をみてはため息をつくおかみさんの様子に耐えられず、逃げてしまっていました。


どうしてみんなは、割り切って働くことができるんだろう…。
売り上げがあろうが無かろうが給料は同じ。
包材を無駄に使っても「あたしのお金で買ったわけじゃないしー。」

POPを描いたりポスターを作ったり、ブログまでやって、店を盛り立てようとしているわたしは、馬鹿なの?
好きでやっているのだから、それについて別の報酬がでるわけでもない。
社長が喜んでくれて、お客様にとって少しでもわかりやすくなってくれたらいい。

わたしは、割り切れない。
雑貨屋に行っても、「これを店のディスプレーにしたら素敵じゃないかしら」と考えてみてしまう。


        ********************

「なな」さんから頂いたコメントは、まさに的のど真ん中を射抜いています。本当にそうだと感じます。
でも、どうしたらそうなれるのかが、わたしにはまるでわかりません。


なぜなら、わたしは物心ついた時からずっと、「演じること」をやめたことがないからです。

いい子で居なければ、成績が良くなければ愛されなかった・認められなかったわたし。
一人っ子だから親の目はすべてわたしに向けられ、かと思うと幼子を完全に無視して二人の世界に入ってしまう仲のいい両親。
クシャミをしても、熱を出しても、吐いても、転んでもわたしは叱られ、熱も怪我も出来るだけ我慢したり隠したりする少女になりました。

辛くても悔しくても一旦それをやりすごし、自分の部屋で声を殺して泣きました。
親の前で…いえ、誰の前でも、泣き喚いたことなどありませんでした。

ずっと演じ続けてきて、そうじゃない自分がどれほど冷たく恐ろしい性格をしているかなんて、ここにはとても書けません。
そんな自分が嫌いです。


わたしは、残念なことに、過去の自分が、どの過去の自分も、大嫌いなんです。

思い出したくもない自分ばかり!!
憎らしい、ずるい、かわいげのない、自己中心な、優しくないわたし。
嫌い嫌い。大嫌い。


          ********************

子供の頃から、わたしは自分の家に違和感を感じていました。
よく働く両親。間違ってはいない両親。
でも、小さい頃からなぜか「ここは自分の居場所ではない。」と考えていました。
ここは父と母が作った家庭で、わたしは場所を借りているだけ。ずっとそういう感じがしていました。
だから早く家を出たかったし、「食わせてやってる、住まわせてやってる。」という重圧から逃れたくて結婚をしました。

結婚生活は、残念ながらそれだけで毒吐きブログを一本立ち上げられることができるほどひどいものでしたが、元夫の転勤のお陰で東京に出てきてマンション暮らしになったとき、冗談抜きで『天国』だと思いました。

自分として生きていける喜び。好きな時間に出かけられる自由。好きな時間に綺麗なお風呂に入れる解放感。
実家に居る時も、結婚してからも、出来なかったそんなささやかな自由にわたしは歓喜したのです。

わたしは東京に居つきました。


         ********************

いったいわたしはいつからウツだったのか。
うつ病を発症したのが2年まえだとしても、子供のころから憂鬱な子供であったことは間違いがないです。実家を仮住まいと感じ、両親に対して、残念ながら「親しみ」を感じたことがないからです。
誉められることもなく、縛られ、抑圧されて大人になったわたしは、自分で子供を産んでみてその愛らしさと愛おしさに驚き、わたしは親から言葉や態度で虐待されていたのでは…と感じ、恨みさえ抱くようになってしまいました



4歳のころ。
わたしは母と散歩をしていました。
土手に見つけた花の名を尋ねると、母が「これは、
ママコノシリヌグイ。」と教えてくれました。
「どうしてそんな名前なの?」 幼いわたしが訪ねると、母はこう説明しました。

「ほら、触ってみ。葉っぱの裏にトゲが生えていてチクチク痛いやろ? 継母はね、継子が憎いから、お便所のあとお尻を拭くのに、わざとこの葉っぱを使うんよ。だからこういう名前なの。」
4歳のわたしは、そこで深く納得をした覚えがあります。

     【わたしは、ママコだから、仕方ないんだ。】


なぜそう思ったのかはわかりません。
わたしは自分を居候のように考え始めました。
進学高校に入学しながらも、大学に行かず就職したのは、早く「養われている」引け目から脱出したかったからです。


        ********************


演じていないわたしを愛される…。
それが可能なんでしょうか。


せっかく与えてもらった7ヶ月あまりの療養期間中も、ぼんやりしていることや、たくさん眠ることについて罪悪感を感じ、追い立てられるかのように療養は終わってしまいました。

【罪悪感なく眠りたいだけ眠る。】

それはわたしの何よりの希望です。

安心していられる自分の棲家で、眠りたいだけ眠る。
痛い葉っぱでお尻を拭かれる恐怖からも、誉めてもらえない孤独からも逃れ、ありのままのちっぽけな自分に返って、ただただ、眠りたい。

守られて、何の心配もなく、温かく「気」の通りのいい部屋で、眠りたい。
鎧を脱いだちっぽけなわたしで。

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うずくまるわたし。

強制的に休みをもらって、たっぷり眠って、カレーを作って、頂いたコメントに返事をして、家に居る間はリラックスしました。

でも、夜になって、
明日は行かなきゃ、と思うと、ある映像が現れて消えなくなりました。

わたしが、売り場の床に膝と額をついた格好でうずくまっていて、泣いている映像です。
それをもう一人のわたしが至近距離で眺めています。

大好きな仕事、気楽な職場、喜びのある職種、分かち合える仲間、受け入れてくださっている社長。
こんなにこんなに恵まれているのに、なぜ?

「行きたくない」
この店に勤めて、はじめてそう思っています。

「うつ病」というのをわたしはハンデだと自分で捉え、それを承知で使ってくれている社長に少しでも貢献したいと、店ブログをやったりポスターを作ったりして頑張ってきました。
ブログ効果は思ったよりも大きくて、わたしが店を休んでいても、ブログの記事は仕事をしてくれており、お客さんが店を探し当てて来て買ってくださっています。

わたしはというと、こんなに恵まれた状況なのに、こともあろうか、初めての「行きたくない。」に戸惑っています。

Nさんの存在があって、いつでも甘えていいからでしょうか。

それまでは、生きて行くために働かざるを得なかった。行きたいとか行きたくないとか、そんなこと考えている暇なんてなかった。
だから、これは甘えかもしれません。

    でも…

誉められたことなく育ったわたしは、仕事で成果を上げて存在意義を示し、誉められることでしか自分を好きになる方法を知らない。
性格的に誉められるところなんてないのだとしたら、仕事で頑張るしかない。

認めてほしい。役に立つと言われたい。頼りにされたい。必要とされたい。
自分で収入を得て、遠慮なく暮らしたい。

仕事以外で、どこにどうやって自分の存在意義を示したらいいのか、さっぱりわからない。
ほどほどに頑張って、の、ほどほどラインがどこに引かれているのか全く見えない。


もう危ないからやめておこうって、わからなかったから、当時の彼氏を逮捕された時も遮二無二頑張ってやりすぎなくらい頑張って、そして大切なことは何にも見えてなくて、徐々に切れて行っていた弦の、最後の一本をぶち切られて、はじめて「もうダメだ。」と気付いたという、鈍い鈍いヤツなんです。

だから、この喜びのある仕事を、続けていいのか、悪くなりすぎないうちにストップすべきなのか、そしてそれはいつなのか、わたしにはわからない。

店の床にうずくまって泣いているわたしは、どのわたしなの?
わたしはどうしたいの?

「もうダメだ。」ってわかるまで、行ってていいの?
それじゃもう遅いの? 壊れちゃうの?

居場所を失うのは嫌だ。働く誇りを失うのは嫌だ。江戸の街で働いて成果を出していることに生きがいを感じてる。それを失うのは嫌だ。

誉められたい、認められたい、頼りにされたい!

うつ病だけど働けたよって、言いたい…。


でも、わたしにはもっと大切なものが、あるんですよね?
新しい人生がやってくる、その時に壊れてしまっていたら、何にもならないですよね?


とりあえず、明日は行きます。混む予定の土曜日。
わたしは自分の果たせる役割を果たしに行きます。

どうか見守ってください。


☆ヒメ☆

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