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2007年12月

お願い、休んで!

復職3日め。
朝はユンケルのお世話になった。
運よく目の前の人が途中降りて、座って通勤できた。

失神ZZzz…。

フラフラと階段を登って職場へ(駅歩2分)
着替えて掃除からスタート。

お昼休みというものはなく、交替でそそくさと昼食。
片手におにぎり、片手に携帯でメール。

その後、急に
ざわつきが襲ってきた。
甘えたい、泣きたい、元気なフリがきつい!
あわてて
ソラナックスを飲みました。

わたしは治ってなんかいない。でも、復職に悔いは無い。
アテにされる幸せ、役に立てる幸せ、必要とされる喜びは何にも代え難いのは事実。



でも、ここを読んでくださっている、休職中の方・療養中の方に、わたしはお願いしたいことがあります!

休んでいるのは、辛いでしょう。ゆっくりすればといわれても、罪悪感でどうしようもない日もあるでしょう。焦りで身が焦げそうな日もあるでしょう。
でも、
「療養」は、絶対に絶対に必要です!
薬だけでは病状は軽減しません。

「休養」が絶対に必要です。

むしろ、休養が必要なあなたに、「うつ病」が訪れたのかもしれないです。

どうか、可能な方は、可能な限り休んでください!
お願いです。
罪悪感・焦燥感で、寛解しないままストレスのある職場に復職しても、きっと最初の時以上に苦しいです。

だからお願いです。どうか
可能な限り、休んでください

わたしは好きな仕事・好きな職場です。それでも手は震え、セリフにつまり、覚えられず計算も怪しく、逃げたくなります。たった3日目なのに。

ソラナックスを飲むことを「ダメなヤツ」と思わずに、わたしは頑張ってみます。
だって、充分休んで、いい治療も受けましたもの。

でもでも…。


キツイよう…(泣)


おやすみなさい。

                                       キャラ姫

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生きております!

みなさん、応援とご心配ありがとうございます。
ヒメ、生きております。

朝起きて、朝パン食べて、着替えて、鞄持って、混んだ電車に乗って通勤し、8時間の仕事をしております。

そしてそしてヒメの気持ちは…





しあわせだーっ!!



必要とされること、アテにされること、自らの手で収入を得ること。
幸せでたまりませんっ。


でも初日は夜10時半に
玉砕
夕べもあまり記憶にない。
今日は遅れていて満員だった電車の中で
立ったまましばし睡眠ZZzz…。


まだ2日しか行ってない。年内あと連続4日。書いてない年賀状。年越し。帰省。新年は5日からお仕事。

大丈夫なのこのうつ病患者は…?

またちょこちょこ来て愚痴ります。本編に戻れるのはいつ(笑)



ありがとうございます。Marue_12gatu_25nichi_hina_tyobi_003
お風呂入ってねましゅ。

キャラ姫

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復職

あんなに楽しみにしていた療養生活だったけど、今日で終わり。
しっかり休ませてくれて、充分な治療が受けられるよう支えてくれた
婚約者に心から感謝します。
本当にありがとうございます。
本編では、一番荒れた時期のことを調度書いているので、Nさん本人も、読者のみなさんも、やや型にピタッと来ない感があるかもしれませんが、今の二人は信頼しあい、尊重しあい、心から必要とし合っています。

わたしが
残念なのは、もっと早くに決断して転院をしておけば、復職までにもっと治っていたのではないかということです。
カウンセリングも受け、気功・波動療法も受け、多方面からケアしてもらったので、実はもっと早く治るのではと自分でも甘く見ていたのです。

先日、メインとなるパキシルという薬が30ミリに増えました。大学病院に通っていたころの3倍です。それくらい、足りてない治療を一年も続けていたのだと思うと残念なのです。

カウンセリングでわたしはわたしの本質に気付き(まだ受容するには至っていません。)、波動療法では睡眠障害から救ってもらいました。
ブログを始めて、旅行にも行って、デジカメも再開して、忙しい療養生活でしたが、わたしは生まれて始めて、
自分のために時間をたっぷり使った7ヶ月半だったと思います。

だらだらとすることもなく(どうだらだらしたらいいのか最後までわからなかった。)、眠っているか、苦しんでもがいているか、忙しく何かをやっているか意味なくウロウロしているか…。そんな療養生活でした。苦しい時期もあったけど、とても楽しかったです。

一生のうち、二度と味わえないことだと思いました。

明日からわたしは
復職します。
大好きな職場なので行くのは楽しみです。
わたしをアテにして待っててくれるおかみさんがいます。
お客様とのふれあいがあります。

昨年末と同じ、初日からいきなり一日8時間/6日間連続の勤務です。
昨年は、うつ病と診断されて間もなくだったので、薬が効いて来たかどうか、ぐらいの微妙な時期だったのですが、倒れずに6日間行くことができました。
今年は充分休ませてもらい、30ミリに増やした薬ももう効果が出てくるでしょうし、睡眠障害も治っての復職ですから、少し楽なのでは?と思っているのですが…。

あっちからもこっちからも
クギを刺されまくっています(笑)

最初から飛ばすな、やりすぎるな、頑張りすぎるな、ちゃんと休め!、って。

休みは今のところまだ決めていませんが、他の人との兼ね合いを考えて、新年になってから考えようと思っています。

ブログも、今までのようには書けないと思います。
個々にレス出来ないかもかもしれませんがお許しください。
でも、時々「更新されたかな?」って、覗きにきてくださいね。

弁護士にこう言われました。
「お前は、うつ病患者に
あるまじき頑張りをしようとしておるな? なぜ、たいして待遇がいいとも思えないあの職場にそんなに入れ込み、ハチマキしてダッシュしようとしておるのか。頑張りすぎるのはうつ病患者には良くないのではないのか?」

確かにそうですよね。
全く頑張れない重いうつ病の人と、無理をすれば頑張れるけどあとで潰れるというタイプの人とがあると思います。

わたしはもちろん後者です。

潰れるかもしれない。力尽きるかもしれない。
それでも、わたしはわたしの
存在意義のために、少しの無理と、惜しみない努力をする。
…それしかできないんです。その方法しか知らないんです。Otaru_sapporo_092

だから愚痴聞いてくださいね。甘えさせてくださいね。
ヒメ、仕事、行ってきます。

みなさまに、
メリークリスマス
これからもよろしくお願いいたします。


                                 キャラ姫

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精神的飢餓

《本編は過去の出来事です。》
               ……………………………

わたしの
激昂ぶりに彼は驚き、「じゃあ月末にでも行きますか」と返信して来たが、わたしの心の氷河は碧く尖って固まってしまった。
その夜は、あまりの悲しみに眠れなかった。

暗闇で目を開きながら、わたしはインナーチャイルドの
泉ちゃん声を聞いた。

小学4年生になる春のことだった。
父は腎臓結石で入院していた。
父を大好きだったわたしは、学校があるときは帰りに病院によって顔を見てきたが、春休みになりそうそう行けなくなった。
ある日、母が洗濯をしながらわたしにこう言った。

「今日おとうさん帰って来るで。」
わたしは飛び上がって喜んだ。久しぶりに3人でごはんが食べれる。
うきうきしながら待っていた。

ところが、夕方になっても父が帰って来る気配はないし、母もご馳走を作る様子もなく淡々と家事をしている。
風呂掃除をしている母の背後から、わたしは尋ねた。

「おかあさん、おとうさん何時ごろ帰って来るん?」
すると母は振り向きもせず、事も無げにこう言い放ったのだった。
「ああ、あれはウソ。今日エイプリルフールやろ。」

わたしは声も立てずにきびすを返して、自分の使っている3畳間に駆け込み、ドアを閉めて声を殺して泣いた。
おとうさんに会いたかった。心配だった。帰ってくると聞いて本当に嬉しくて楽しみにしていたのだ。

一番辛い部分を悪気なく刺してその刃先をぐりぐりと回されたように、わたしは全身が痛くなるほど泣いた。


残酷だと思うと、泉ちゃんは呟いた。
期待させておいて裏切る。それは人にとって最悪に残酷であった。


わたしは、カウンセリングの回数を減らした分を、自宅でのホームワークに費やすことになっていた。認知療法の一種なのだが、どんな時・どんなシーンで気分が落ち込んだか、そのときどう考えたか、そしてそれを解消するためにどういうことをしたのかを、日を追って一覧表にしていく。
それをしましょうといわれた日からやればいいものを、わたしは遡って前回のカウンセリングの翌日からの出来事を
詳細に記し、提出までにはその当日にまで追いついていなければいけないと躍起になってホームワークに取り組んでいた。
適当に・ほどほどにということが出来ないわたしは、Nさんが
「電話してもいいかな?」とメールを寄越すのをことごとく断って、ヘトヘトになるほどブログをいじったりホームワークをやったりした。

「じゃあ月末にでも行こうか。」

Nさんが提案した北海道行きに対して、わたしは
「NO」と言えてなかった。
そういう自分の心が貧しくて飢えていて、本当に切なかった。
なのに
「NO」と言えない、自分の精神的な飢餓状態が、わたしは情けなかった。
プライドも意地も邪魔をできないほど、わたしは北海道に行きたかったのだ。

飢えていたのだ。恥ずかしいくらいに…。


悪しくも台風が訪れ、わたしは起き上がるのも困難となり、気持ちも焦っているところに、悪気のないおはようメールがNさんから届いた。
「すごい雨だよ。起きてみないかな?」

わたしはとうとう耐え切れず、彼のPC宛に長いメールを送った。
何が悔しくて
療養中の身台風のこんな朝7時半に、起き上がれと言うのか。
おかしくならずに生きているだけがやっとなのに、どうしてそんな要求をするのか。

彼への信頼と、結婚そのものへの喜びさえもが、
根底から揺らぎ始めていた。

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最も残酷なこと。

人はわかったような気持ちになっても、実際に経験したことのないことを理解するのは相当に難しい、とわたしは思う。

婚約者だった人を、アパートの鍵を一緒にもらいに行くその朝に突然逮捕され、しかもそれを新聞で読んで知るという特異な経験をわたしはしたが、その気持ちを理解できる人は少ないだろう。
また逆に、いくら自分が罪を犯したとは言え、拘置所に入れられて外界と遮断され、手錠腰縄で法廷に入廷してくるその人の気持ちも、わたしには理解不可能である。

今、コメントを下さる皆さんのご意見を含めて考えるのは、うつ病の人間をパートナーに持つ人の気遣いや悩みは如何ばかりであろうかということだ。
わたしは、立場が
であったらきっと支えて行けない。
自分がなったことのないうつ病の相手の心と、具体的な生活を支えているパートナーさんたちには、お礼の申しようもない。
        
 ……………………………………………………
《本編です。》

秋が終わるまでのわたしの状態はひどかった。そして残念なことにそれは薬が全く足りていなかったせでもあったと今ならわかっている。
その時には自分もわからず、Nさんもわたしの地雷がどこにどれくらい埋まっているのかわからずに踏みまくって、わたしはしょっちゅう壊れて寝込んだり発作を起こしたりし、Nさんはそれが自分に帰依していると知るたびに苦しんだ。

7月に、今年も北海道に行こうという話が出て、それはブログの記事にも書いた。
小樽・札幌、もしくは支笏湖もいいねと、宿までめぼしをつけてあった。
ところが9月は思うような飛行機が取れず、10月にしようかということになっていて、わたしはとても楽しみにしていたのだった。

人によっては、「たかが北海道」かもしれない。
けれど、わたしに取っては、
生涯行くことなど出来ないであろうと諦めていた大地なのだ。
全ての楽しみを捨てて刑務所の彼を待つといきがっていたわたしには、
無縁の大地だった。

それが去年、Nさんに函館に連れて行ってもらえた。2泊してゆっくり見て回った。
まだ結婚に踏み切る意志のなかった頃だったが、自分が北海道にいるということが、本当に夢のようだった。
二人で
同じものを見て、いいねと言い合った。

あの幸せな気持ちをまた味わいたい。結婚してしまえば逆に家族の手前行きにくくなる。
わたしは
小樽行きを楽しみにしていた。

ところが9月に入っても、Nさんは動き始めようとはしなかった。
即断即決即実行の彼が、どうしたんだろうと、遠まわしに聞いてみると、全く思いもかけない返信が戻って来たのだった。

「今年は難しいから、またいずれね。」

…どういうこと!

わたしは怒りを爆発させた。
難しいってどういうこと!
費用がなくて無理だというなら、早々にそう言って取りやめにしてくれればわたしだって無理は言わない。しかし、費用云々ではないことなどはわたしにはわかっている。

「今年は急に実家に行ったから、小樽はお流れになったと考えていました。」
彼はそう弁明した。
そう、確かに8月に急に実家に連れて行ってもらった。母は涙ぐんで歓待し、わたしはそのことには
心から感謝している。とてもいい親孝行ができた。

で、だから北海道がナシになったって? いったいいつ、そんな話し合いしましたっけ?

ひどい! なんでそんな残酷なことを言うの?
出張で年に何回も北海道に降り立っている彼と、人生のなかで叶うことのない夢だと思っていた北の大地に行けることをワクワクしながら待っていたわたしとでは、天と地の感覚の差がある。

重みが全然違う!
であれば尚更、行けない理由が出来たのであれば、そう伝えてくれてもいいではないか。
話し合いもなく、勝手に彼の頭の中だけで中止にされて、それを知らずにワクワク待っていただなんて…。

残酷だ。
ルートや宿まで相談したではないか。
10月にって言ったじゃないか…。

「期待させておいて裏切る。」

これが人間にとって何よりも残酷な仕打であると、そのときわたしは知った。


そしてそれを、わたしは刑務所にいるGさんにもしたのだということにも、間もなく気がついた。

          ……………………………………………………

《本編は9月当時の話です。》

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殺される心

今日は本編です。
        *******************

再開したカウンセリングは、今後の五回をどう進行して行くかを話し合っていたので、心情を吐露するには至らず、わたしにとっては
未消化なすっきりしないものになってしまい、軽くはなれなかった。

欲求不満なわたしは少し無理をして、お気に入りの天然石の店に寄った。
そこで体力を消耗したのか、もともと無理なのに行ったせいか、帰るなりわたしは寝込んでしまった。

苦しかった。

Nさんに寝込んだ旨をメールするが、飲み会で彼は前後不覚になっていたのだろう、何の
返信もなく、そればかりか「帰ります。」とも「帰ったよ。」とも連絡がなかった。

ますます具合を悪くして吐きそうな気分で、明日のデートには行けないかも知れないとメールを残して、わたしは薬を2倍飲んで深く墜ちた。


翌朝、どうやら無事に帰宅していたらしい彼からメールが入っていたが、わたしへのいたわりは感じられず、涙マークのいっぱいついたメールには、デートをキャンセルされたことが
「自分を全面否定されたようでショックです。」とあった。

わかっていない。この苦しみを全然わかってくれてない。
言葉では
「ヒメが一番だよ、何より大事だよ。」と言ってくれてても、いたわる気持ちが無く、キャンセルされた自分の寂しさ前面に出す彼に、わたしは絶望した。


何も食べられず寝ていたが、息子には何か食べさせないと…。
ここのところずっと具合が悪くて買い物に行けてないため、もう食材はない。
夕方、薄暗くなってから、わたしは帽子を目深にかぶり、一番近いスーパーに渋々出かけた。

人と行き交うときにどっちによけたらいいかわからず怖くて立ち尽くしてばかりいた。
献立を考えて食材を買うなんて無理なので、手当たり次第値引きシールの貼ってある食材をカゴに入れ、震える手は小銭をばらまき、逃げるように家に戻った。

何かを作り、息子の手前何とか食べた。


薬を飲んで寝ようとした瞬間に、ちょっと大きい発作が襲ってきた。
タオルを顔に当て、自分を抱きかかえて苦しんだ。ひきつけながら泣いて泣いて、疲れ果てる
長い発作だった。

ようやく眠りについたものの、翌日は頭痛に悩まされた。

しかし、このあとわたしをどん突き落とす事柄がまだ待ち受けていた。

人の心とは、言葉とは
残酷である。
相手の
心を殺すことなどたやすいことなのかもしれない。

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アリガトウ。

たくさんの励ましのメール本当にありがとうございます。
わたしはおそらくこのブログ上でもオトナぶっていて、
新聞連載小説のようなドキュメンタリーを書くことが目標だったみたいで、だらだらと愚痴ったり弱音を吐いたりができませんでした。

みなさんに頂いたお言葉を読んで、弱虫でもいいんだ、ここには何かしらの縁を持っている方が読みに来てくださっているんだからいいんだ、ってなんだか気が抜けました。
いい意味でですよ。

しっかりした文章を書かなきゃ、みんなの期待に応えなきゃって、躍起になっていた部分があります。

3日間ほど寝たり起きたり寝たりで(圧倒的に寝ている時間のほうが長い)、なんだか、気力も萎えました。

美容院もキャンセルしちゃいました。いいもう。ばさばさに伸びた髪をヒッツメて毎日古布のリボンを結んで出勤する!

年賀状ももういい。市販のものに文章を手描きする!
 

大掃除なんて言葉知らない!
クリスマスなんて聞いたこともない! わざわざまずい時期のケーキ買うことなんてない!

           
***************

職場復帰までの間にブログは
現在進行形に追いつき、そこには、寛解して活き活きと働くヒメの姿がある予定でした。

あああ。ところがブログはNさんとの関係がよじれていた時期のことなので筆が進まず…。(今はもちろん仲良しです)
カウンセリングの進行も含めて書きたいことは一杯あるので、だらだらぽつぽつ書いていいですか?

仕事に復帰したら、たまにしか更新できないけど、忘れないでいてくれますか?



わたし、すごいことに気がついたんです。
って、皆さんはそんなこと当たり前に知ってて日々そういうふうに生きていらっしゃるのかもしれないんですけど…


【自分を許せなければ、人を許すことはできない。】

自分を好きになってあげなくちゃ、人を救ったりできないですよね…。


うつ病は辛い。
何が一番辛いって、辛さが傍からは見えず、
どこにも傷が無く、手足もついていて、ひどい咳もしていないのに、とてもとても気力が湧かず動けなくなってしまうってことを、わかってもらえないこと。

いっそパニック発作でも出てるときのほうが、ああどこだか具合が悪いんだなと訴えが効いていいのだけど、「なにもやれない自分。やれない自分への苛立ち。周囲からただ
怠けているとしか見えないだろうと考える辛さ」…これが辛い。

いっそ脚が一本無ければ!などど、不謹慎なことを考えてしまいます。そういう方々の苦しみも考えられないくせに…。


外から見える傷が欲しい。
明らかに「病んでいる」のだというバッチが欲しい。

そう言えば、うつ病と診断される直前、辛い体に鞭打って電車で通勤していた頃、いつも席を譲ってくれるインド人風の方がいました。
中年の男性で、当然わたしより年上です。快速電車なので混み合っており、わたしよりも年配の人も立っているしかない通勤電車です。
眼が合うと、手招きをしてわたしを呼び寄せ、席を替わってくれるのです。
そしてわたしのまえにその人は優しい微笑みを湛えて立っているのでした。

あのひとには、わたしの何かが見えていたのでは…?と思います。
ありがたかったエピソードです。


ほんとうにみんな、
アリガトウ。
心無いコメントを入れられて傷ついてブログを閉めてしまう人も居る現状のなか、わたしのところに来てくださる方はみんな優しくて、本当に支えられています。

これからはちゃらんぽらんなブログになってしまいますが、それでも来てくださいますか?
もう、手帳を繰って事実に沿った文章を進行していくのはずっと先になってしまい、「えっと、何の話だっけ?」と皆さんを???させてしまうかもしれませんが…。


それでも「銀の靴」を続けたい。Sayama_koten_2007_dec_013 

どうかまた、来てください。
更新がたまにになっても、止めないので、どうか来てくださいね。


んんん…。本日の気力終了かも…。
個別にコメントのレス出来ないかもしれませんが許してくださいね。

ありがとうございます。


                          キャラ姫

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どーにもならない(泣)

たまには愚痴っていいですかあ。
弱音吐いていいですかあ。

先週ソラナックス飲むこと5回。
転院して順調に安定剤を減らして来たのだけど、手の震えとか不安感とか些細なことに過敏に反応して出てしまうパニック発作とか、なのにそいつらを押さえ込んでこなす役割は「ほどほど」に出来ないー。

10時に寝て、まさかね、と思いながら念のためにかけておいたアラームで起きたのが12時。
2時間じゃないですよ。14時間寝たんですよ。

ドウナッテルノワタシ。

枕は布団上には無く、掛け布団は横向いている。

ヨロヨロと着替えて心療内科に。

症状が良くないと訴えると、主薬であるパキシルが増えました。
安定剤は増やしたくないというのが先生の方針。

ここに来ての増薬。だけど発作が出てしまうのだから仕方ない。
大学病院に通っていた1年はなんだったのかとかなしくなるよー。


25日から仕事に復帰する。焦る焦る焦る。焦る焦る焦る焦る。

やらなきゃいけないこと満載なのにできない。

今日もお風呂に入って寝ます。
コメントくださった方、ご訪問くださった方、ありがとうございます。
ゴメンナサイ。

キャラ姫

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わたしも傷ついていた。

P1080604 今日の東京は、すっきりと晴れ上がった青空でしたね。
風が冷たくて寒かったですが、本当に綺麗な空でした。


今日は本編から外れます************

金曜・土曜とソラナックスを飲んでいます。
ずいぶん良くなったと思ったけれど、それなりに、一生付き合っていく病気なのかもしれないと今になって実感しています。
ここのところなんだか、治っちゃいそうに思ってたんですけどね。
高血圧や糖尿病と同じように、一生薬を飲みながら、調子の悪い日も苦手な場所もありながら、
そーっと生きて行くしかないのだなあと、ある意味諦めました。それが今回わたしに架せられた人生なのだと。

それでも、いいことは色々あって、人の気持ちに敏感になった分、人の辛さや悲しさ、苦労している部分などが見えやすくなりました。

一人でも二人
でもいい。楽にさせてあげられたら、それがわたしの生きる意味だと思っています。


ゆうべはNさんの家に泊まって、お昼までには帰ろうと思っていたのですが、あんまりお天気が良くて、今年の最後の紅葉を見ようよと、Nさんに「六義園」に連れて行かれました。

その道すがらのことなんですが…

Nさんは、いつもいつも
、「ヒメが喜ぶように」といことを基本に考えてくれている人です。
今日は一号線に出た途端遠くに東京タワーが
綺麗に見えて、彼は東京タワーが一番迫力を持って見えるよう、一号線から愛宕通りに入るカーブを曲がって、わたしに東京タワーを見せてくれました。

車は
、「家裁前」の交差点で信号待ちをしました。
彼は斜め右角を指差して、「日比谷公園だよ。」と
教えてくれました。

「…知ってる…。」

そう答えたわたしは、全身に針が刺さったような痛みを感じて硬直していました。
「あっ。…そうだよね。ごめん。」
Nさんはすぐに気がついて気遣ってくれました



刑務所に行ったGさんの、初公判のあの曇天の朝が、まざまざとわたしの脳を支配していたのです。
あの朝、西新橋にあった国選弁護人の事務所で、被害者の方から
上申書が出されておりかなり不利と聞かされ、シュミレーションでは声も出すことも出来ずに時間を迎え、同じく証人として立ってくれる友人と弁護人とで小走りに事務所を出て、地裁に向かう途中、信号待ちをした交差点でした。

吐き気をこらえ、冷たくなって震えている手を握ってくれる人もなく、肩を抱いてくれる人もなく、わたしは裁判所に駆け込み、初めて法廷というところに足を踏み入れたのでした。

初めて見る裁判が、自分の彼氏のもので、手錠腰縄姿の彼を目の当たりにし、満席の傍聴席の法廷の真ん中で、わたしは彼を救うために証言をしたのです。



わたしはあのときもう、恐らくは病んでいたのでしょう。
正気だったらとても出来ないことをやったのです。


そして求刑五年という、突きつけられる真実。
「もうやれることは何もありません。今日で終わりです。」という弁護人の言葉…。

声をあげて泣き崩れるわたしをソファに座らせ、後ろ髪引かれながら仕事に言った友人K。
一人ぼっちになり、2時間泣き続けた裁判所。
そこに行く道が、この通りでした。


日ごろは思い出
さない事実と記憶。
けれどもわたしの全身の細胞の一つ一つに
記憶は留まっており、いまその細胞がいっせいに騒ぎ立て、針を刺されるようなあの日の痛みを思い出させていました。


     わたしは、傷ついていたんだ…。


はじめてその事に気がつきました。
悲しかった。悔しかった。切なかった。
でも、当時のわたしは、
傷ついていたんだ
そこにフタをして頑張ってしまって発病したんだ…。


真実を、一つ一つ受け止めていこう。
傷ついていたのだから、今泣いてあげよう。
あの人のためにではなく、
自分のために泣いてあげよう。

P1080598_2 切ない交差点を過ぎ、裁判所の前を行き過ぎ、わたしは自分のために泣きながら、最後の秋を見に行きました。

東京の街は、イチョウの葉が風に舞って青い空を彩っていました。

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‘No Problem’まいっか。

カウンセリングというものは、退行睡眠のように、過去のトラウマを解消していくものなのだとわたしは勝手に解釈していた。
精神科医
は「現在の精神医学では過去を穿り出すことはしません。」と言っていたし、カウンセリングもまた、「現在の自分を知り、認め、受容する。」ことが出来るようになった時に初めて、自分の過去を自分で抱き締めてあげられるようになる
その時その人は
「再生」する、という理念で行われていた。

最初の目標は
『現実的な対処能力を身につけること。』だと言われた。

正直言ってうつ病は治りにくい。
その人の過去や性質と、人間関係・仕事などのストレスが複雑に絡み合ってどうにもほどけなくなったときに発症するのだと思うからだ。

過去を消すことは不可能である。
性質も変えられない。
けれど、カウンセリングのセッションを重ねていくうちに、段々と自分の偏り・歪み・受け止め方の癖などに、自分が気付いてくる。


同じ言葉を受けたら、それを言った人も、シチュエーションも、もしくは意味すらも違うのに、瞬時に傷ついて、同じ道を走り、同じ箱のフタを開けてしまい、同じ気持ちを味わって墜ちてゆく。
それを、同じ言葉を言われても、以前とは違う道を辿り、違う箱を開けて、違った対応が出
来るようになる。
それが『現実的な対処能力』を身につけるということなのだ。

そして、最終的な目標は、
『全面的な自己の受容』であるとのことだった。
それが、『精神的な自立』ということであり、今まで依存的にしか人を愛したことのなかったわたしの、セッションの最終到達点であった。


全面的な自己の受容。

これが実現した時、自分の身に、些細な恐怖から大きな出来事まで、あらゆることが起きても、有用なことは出来るようになるとのこと。
つまり、不安が無くなり動揺しにくくなるということで、脳は、感情に振り回されること無く決定が出来るようになる、ということだった。


「ま、それが出来れば神様ですけどね。」とカウンセラーは静かに笑った。

「自分の現状で一番嫌なことは何ですか?」

カウンセラーに問われた。
「…言葉に過敏過ぎるところと…卑屈な受け止め方をしてしまうことですね。」

「失う恐怖から解放されれば、その二つは解消されると思います。」


そう言われてもわたしの頭はメモを取るだけで一杯で、まったく理解できなかった。
いまこうしてメモ帳を見ながら、
わたしは再構築の作業をしているのかもしれない。


「あの…自己の受容とは、‘Very Good’ ではなく、‘No Problem’でいいんですか?」
わたしはふとひらめいてそう尋ねた。
「そうです、その通りです。あなたの辞書に載っていない、まいっか、を見つけることです。」


わたしが求めていたのは、常に‘Very Good’だった。
そうじゃなくていいんだ。
‘No Problem’…別に構わないよ。まあいいじゃん、でいいのだ!?

それがわたしにやってくることはあるのだろうか。
憧れの、
‘No Problem’…。

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蜘蛛の糸

8月・9月は本当にきつかった。
精神状態がおかしいから体の調子が悪いのか、体の具合が悪くてことさら精神状態に響くのか、もうこの頃はわからなくなってしまっていた。

ただ一つ言
えることは、鍵はNさんだった。

彼が訴えを聞いて優しい言葉を返してくれればそれで何とかやり過ごせる。
わたしが普通じゃない精神状態であるのに、軽視されたり、へそ曲がりなメールが来たり、酔って全く返信が無かったりすると、わたしはどこまでも墜ちた。

それほど彼におぶさっていた
のだと言える。

なので彼を悪く書くようで心苦しいのだが、この頃のわたしは完全に
不信感で一杯になっていた。
訴えをスルーされる。返事をくれない。メールが来たかと思うと完全に外した話題で地雷を踏みまくる。(もちろん、今はほとんどそういうことは無い。)


彼はわたしのうつ病を、立派に「軽視」していた。
…経験が無いからわかってもらおうとしても無理なのだ…。
そう思おうとしても、他の誰が理解してくれなくても彼にだけはわかって欲しい!
 わからなくてもいいから受け止めて欲しい!と、わたしの心は泣き叫んでいた。

心の中には
蒼い尖った氷の塊があり、インナーチャイルドはそこに閉じこもって膝を抱えて後ろを向いていた。
苦しさに耐えかねて頓服を飲むと、氷の塊はすこし弾けるが、その破片
は内側にささって痛くて、傷口から血が流れた。

毎晩飽きもせずに泣いて、わたしは、
泣かずに眠れる夜はもう自分には訪れないのだと諦めて、そしてその事実にまた泣いた。


カウンセリングを再開する前日。
行くのが嬉しいはずなのに、楽しみのはずなのに、わたしは家の中を歩き回ったりうずくまったりして、辛くて苦しくてたまらなかった。
カウンセラーからは残り5回分のプログラムがメールで送られて来ており、わたしはそれを自分が読むより先にNさんに転送し、OKをもらって晴れて再開することになったのだ。

カウンセリングに行く。それはわたしの「蜘蛛の糸」である。そこにしかこの苦しみから逃れる突破口はない。
けれども、彼が、わたしがカウンセリングに行
くのを本心では嫌がっている。
わたしが心を移すのではないかと疑われている


そう考えると行くことが憂鬱で苦しくてたまらないのだ。

健常なひとには恐らくこの気持ちがわからないのだろう。

寝付けない夜を過ごし、わたしは1時間半の時間をかけて、カウンセリングルームに辿り着いた。
わたしの顔を見て、カウンセラーの顔色も曇った。


「先日はキャンセルしてすみませんでした。理由はお察しかと思いますが…。」
わたしが切り出すとカウンセラーはこう言った。

「ええ。お辛いでしょう。」

「カウンセリングは、最初に言ったとおり、治るとは限りません。何回受けたら良くなるというのも、個人差が激しいので、予測を立てることは不可能です。ただ、あなたは理解力があって言葉も全部通じるので、何とかこの5回で行って見ましょう。」

そしてこう続けた
「今回は、今後5回のプログラムの構成について話し合いましょう。カウンセリングではありません。お代は結構です。なので、カウントしないで次回から5回分ということにしてもらえるよう、婚約者の方にお願いしてください。」

わたしは頷いた。代金も取らず、このためだけにわざわざ出てきて下さったことが申し訳なかった。


「では、現在のあなたの状況から、図を含めて把握して行きましょう。」
カウンセラーはファイルのわたしのページを、わたしは手帳を開いた。

あと、たった
5回…。
わたしはどこまで登れるのか。
治らなくていい。もうそれは諦めた。
けれどどうにか
「底上げ」をしたい。苦しみの余り正常な判断を誤るといけない。
わたしは必死だった。

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エビのしっぽ。

昼間パワーストーンの店に行き、今夜はもうぐったりです。
石たちのパワーに負けてしまうのです。
でも好きな店があって、久しぶりにわざわざ行ってしまいました。

なので重い本編から外れます。**********


貧乏だった時期がありますか?

わたしは子供の頃は貧乏だったけど、公営の住宅に(2DK平屋)住んでいて、そんなに裕福な人は居なかったのであまり感じませんでした。

本当に貧乏で辛かったのは東京に来てからです。
当時の夫は地方に本社のある会社の東京支店に転勤で来たので、給料体系は田舎の本社と同じでした。
手取りが11万。そこから夫は3万円のこづかいをもって行き、家では必ずビールを飲みました。残金7万で親子三人暮らすのです。
光熱費公共料金新聞代を払うと、残りは僅かで、まだ喋れない子供が八百屋のまえで
葡萄を見て買って欲しいと泣いても、その子を引きずって帰ってくるしかありませんでした。

買ってやりたかった。
たかがデラウェア

でもそこに500円使ってしまうと肉野菜が買えません。そんな生活でした。

美容院にも行けず、髪は自分で切っていました。

公園で仲良くなったママ友達と一緒にスーパーに行くと、彼女たちは平気で出始めの高いイチゴをカゴに入れます。
わたしは若いママだったのでまだ「うちは貧乏だから」と言えましたが、二度と一緒には行かなくしました。

息子が幼稚園にはいってから少しの時間働き始めましたが、小さい頃の男の子とは弱い生き物で、しょっちゅう病気になります。
そのたびに休まなくてはならず、お局様からのあからさまな差別や、同じパート仲間のおばさんたちからの風当たりも強く、居づらくなってしまいました。
パートを終えて急いで迎えに行くと、息子は園舎から出され、不安げな顔でいつもひとりで
ぽつんとベンチに座って待っていました。
切なくて、悲しくて、夫に訴えたところで給料が上がるわけもなく、わたしは病弱な息子を抱えてパートを転々としました。

やがて離婚し、息子と二人になりました。


息子が中学生になってもまだ貧乏で、バスケット部に入りたいという希望をかなえてやれませんでした。シューズやユニフォームで、数万円かかるということがわかったからです。
息子に無理だと告げると、彼は諦めて、ラケットを買うだけでいい卓球部に入りました。

入部して数日した時、わたしが仕事から帰ると息子がベッドに顔を伏せていました。
聞くと、卓球部は小学生のときからやっていた子ばかりで、初心者は自分一人だとのこと。
「ぼく一人だけ、打てないの。当たらないの…」そう言って涙をこらえて震えていました。
「泣いていいよ、ママしか居ないから泣きなさい。」
そう言ってしばらく泣かせたあと、座卓にテープを張り、わたしは下敷きを持って、打ち合いの練習をしました。
球から眼を離さないこと。
運動オンチなわたしが教えられるのはそれだけでした。

夏休み、毎日部活があり、ヤツは毎日休まずに練習に行っていました。
毎日お弁当を作って持たせました。
けれどある日、とうとう食べるものがなくなりました。
肉も野菜もありませんでした。


わたしは、残りごはんで卵だけが入ったチャーハンを作り、具の何にも入っていない焼きそばをつくり、お弁当箱を斜めに区切って詰め、紅しょうがで区切り線をつけました。

昭和30年代か!と思うような、貧しいお弁当でした。
今日はどこからかキャッシングして来よう…。わたしは息子を送り出して仕事に行きました。

帰宅して流しに置かれたお弁当箱を洗おうと開けて見ると、なぜか
エビのしっぽ一つ、入っていました。
息子の部屋に行って聞いて見ました。

「みんなが、ボクのお弁当が珍しいって言って、食べたいって言って、あげたら、卵焼きとかエビフライとかくれたの。」

そう、得しちゃったね~。と息子には明るく言いました。
わたしは台所で泣きました。

本当に貧しかった頃の、切ない話です。

息子は最後まで、
レギュラーになれませんでした。

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氷河

カウンセラーには、キャンセルの理由は伝えなかったが、数日後以下のようなメールをした。
【先日はキャンセルしてしまい申し訳ありませんでした。次回は31日にお願いしたいと思うのですが、空いていますでしょうか。また、お忙しいのを承知のうえで、お願いがございます。事情により、11月30日を最終日と定め、その日を含めて今後5回カウンセリングを受けたいと考えております。そこで、その5回分の進行プログラムをお考えいただき、お手数ですがメールにて送付いただけませんでしょうか。それを、婚約者に見せます。次回伺うまでで結構です。ご無理を申し上げすみません。お察しの上、どうかよろしくお願いいたします。】

わたしはカウンセリングという作業を気に入っていた。
経済的に可能な限り通いたかった。
けれども、彼の苦しみを知ってしまった以上、それを無視してまで通う強さも力もわたしにはなかった。

彼が可哀相だったし苦しめたくはなかった。
資金も底をつくのももう見えていた。
行きたいだけ行けばもちろんキリがないが、わたしは最終日を決め、あと5回行くことにした。
Nさんは、行かないで欲
しいがせめて週二回に減らしてくれと言った。
それを言葉通りにとって週二回行っていたのでは、彼の気持ちを尊重したことにはならないと考え、だいたい3週間に1回
というペースで行くことにし、その残り5回でどこまでわたしが楽になれるのかはわからないまま、そう、誰にもわからないのだが、自分一人でそう決めた。

翌週会った時、弁護士は怒りではなく「あんなに気に入って楽しみに通ってたのにねえ…やっと見つけた蜘蛛の糸だったのに…かわいそうに…」と同情してくれた。
彼女がわたしの代わりに怒ったり同情して慰めてくれることで、わたしは癒された。
Nさんも、わたしがまずは次の予約をすぐにキャンセルし、プログラムが出されたら見せると伝えると、素直に
「ありがとう」と喜んでくれた。

それでいいのだと思った。

それが最善であると、それしか妥協点は無いと、その時は思ってそうした。


しかし、わたしのシャッターが下りた心の中には静かに火がくすぶっており、インナーチャイルドは
蒼い氷の塊にとじこもったまま、出てこようとしなかった。
勝手に増やした安定剤は、どうにか眠りを提供してくれはしたが、朝はとてもじゃないけど起きられず、寝込む・出かける・寝込むの繰り返しが続いた。

生理のときは感情の乱れをコントロールすることができず、おかみさんと電話で話しただけで大泣きし、翌日は
廃人のように一日天井を見上げていた。
生理の痛みとその時期の心の揺れをNさんに訴えたが
「生理もうつ病も経験がないので。」と軽視された。

訴えをスルーしないで!と約束してもらったからこそ、一番効果があると思われたカウンセリングを大幅に減らしたのに!
彼の短所であるひねくれた部分はメールの文章にも現れる。
わかっているから、
「そんなこと言っちゃやだー」とわたしが受け流せばいいのだが、当時のわたしの心は氷河で出来ていた。彼の言葉遊びに付き合える精神状態ではなかった。

泣けて泣けて眠れず、睡眠薬と安定剤を両方足した夜も何度かある。


『治っていないし、治らないとしか思えない』
当時の手帳には乱れた文字が散乱していた。
そして残念なことにこのあと半月以上にわたってそれは続き、加速してわたしをどんどん壊して行った。

もう
8月が終わろうとしていた。

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治れなくていい。

カウンセリングを、Nさんは本心では止めて欲しがっている。
それがわたしに有効だろうがそうでなかろうが、わたしが自分で知り合った男性のもとに嬉々として通って、自分の心の奥をさらけ出していることに嫉妬して苦しんでいる。

さらうようにわたしを手に入れた彼には、次にわたしがさらわれることへの恐怖心があり
苦しんでいる。

綺麗になったり、眼に力を持ったりして、活き活きと回復していくわたしが、男性に対して「眼の力」を使うことを恐れている。

そう、考えてしまうNさんの気持ちを、わたしは論理的に理解はした。
なぜなら、Nさんに会い、付き合い、愛し、結婚を決意するまでの以前のわたしなら、ありえることだったからだ。

けれど、わたしは自分がもうそういう自分には戻らないのだろうということがわかっていた。
だから、Nさんの心配は杞憂にすぎないのだ。わたしにはもう彼しか見えていない。
ただ、言葉をいくら尽くして説明しても、今の彼の心には届かない。

受け止めただけで沸騰しているわたしのうつ病の脳は、それ以上考えることを停止して、またさらに眠れない夜が続いた。
疲れていて何にも出来ないのに、眠ることもできない。
わたしはうつ症状を重くした。

弁護士に報告メールをすると、彼女は烈火
のごとく怒った。
「ヒメがせっかく有効だと自分で感じて通っているのに、それを取り上げようとするとは何事か! わたしならどんな手段使ってでも行ってやる! なぜそう言わない!?」
「理由が費用のことじゃなかったからだよ。」
「でもヒメはカウンセリングが有効だと思ってるんでしょ? 良くなってきたんでしょ?」
「うん…。そうだけど…。彼はわたしが治って元気になることを恐れてるのかもしれない。」
「Nさんだけを見て、頼って、しなだれてるアンタが好きだってことだね? アンタが小悪魔に戻るのを恐れてるんだね?」
「そういう言葉ではなかったけど、多分そうだと思う。でもわたしはもう戻らないんだよ。」
「ならカウンセリング行けばいいじゃん。治るためでしょ?」
「わたしね、泣くほど嫉妬で苦しんでいる彼を無視して、それでも行くって言えないよ。辛い気持ち、わかるもの。だから、あきらめる。」
「もうカウンセリング行かないってこと?!」
「ううん、そうじゃない。」
わたしはある決心をした。

「もう、治らなくていい。」


わたしはカウンセラーにメールを入れて、その週末の予約をキャンセルさせてもらった。
都合がありまして、とだけ断りを入れた。次回についてはまた改めてご連絡
させていただきます、と書いた。


わたしのウツ状態はひどく、体調も悪くなり、病院にもタクシーで往復して、あとはほとんど臥せっていた。
夜は眠れなくて怖くて、わたしはこっそりデパス(安定剤)を余分に飲んでラリって寝た。



カウンセリングは、わたしには有効でとても興味深い分野だった。相手の気分を気にすることなく話したいことを話し、泣き、ヒントをもらったり進歩を誉められたりする。心理学の一部も学ばせてもらう。
わたしはわたしの非常に偏った思考回路と、典型的な「…ねばならない。」120%の体質について知り、インナーチャイルドの存在をも知った。


自分の歪み・偏り・思考のクセ、恐れ。そういうものを知って、そしてそれを否定するのではなく認めて理解をする。そうやってこれから再生のプログラムを歩んでいくところだったのだ。これからが構築だったのだ。

それでも、彼の苦しみを無視することはできなかった。
彼なしでは生きていけないのはどちらでも同じである。
正常に彼を愛していても。うつ病のまま彼にしなだれかかっていたとしても。
それなら彼の気持ちをなるべく優先しよう


こんなふうに心に無理をさせることがわたしの精神にどう影響するかはもうわかっていた。

わたしは、治らない。気持ちよく寝付ける夜はもう一生やって来ない。
けれど、彼を傷つけ苦しめて、治るかどうかわからないカウンセリングに行くことはもう出来ない。


わたしがあきらめたのは「治ること」だった。

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ベッドの真ん中に

わたしには兄弟姉妹がいない。つまり兄弟喧嘩というものをしたことがない。
親は頭ごなしに押さえつけるのみの親であったため、親子喧嘩も不可能だった。

そのせいか、わたしは人と言い争うことがとても嫌いだ。喧嘩なんてできない。
討論会とか言い争う声を聞くだけで、わたしの弱った精神は精神安定剤を必要とした。

論理的に説明をしようとはするが、相手が感情のみでぶつかってくる場合は、反論はしない。
ただ、黙る。
相手の感情的な言葉はもらさず聞いている。
だんだんと耐えられないらしいとなると、意識が遠のくようにシャッターが下りてくる。
わたしの思考と感情は停止する。

シャッターをおろしたままわたしは上辺だけふむふむと頷いている。
けれどもう、心は機能してはいない。

黙って彼の言い分を聞いていた。費用対効果だなんて、研究費用のようなことを言われても、わたしには想像もつかない。カウンセラーも、「いついつまでに治ります、といったものではないんですよ。自分の全てを認め、受け入れたときに、いつの間にか楽になっている、そういうカウンセリングを目指しています。」と言っていた。

カウンセリングによって劇的によくなるか、そもそも有効なのかどうか、現場を見ていない彼にはわからなくて当然だろう。受けている当人がまだわかっていないのだから。

彼の憂いは理解した。カウンセラーとの出会いも彼としては気に入らなかっただろう。
許可はしてくれたが、「ヒメは僕以外の男に心をさらけ出すんだね。」と悲しがっていた。
しかし、受けてきた結果、わたしは自分の中にインナーチャイルドを見つけた。
トラウマを解決するのは精神科ではない。カウンセリングによって自分がするのらしいと気がついたところなのだ。

ここでやめるのは嫌だ。費用云々というのなら、誰かから借りてでも行きたい。わたしはそう考えた。せっかく解体して土壌をならして、さあ新しい家を建て直して行きましょうというこの段階で止めることは、拷問に近かった。

しかし、どうも彼の本意はそこには無いように感じる。
それが顔を出すまで、わたしは悲しい顔をして、ただ黙っていた。

しばらくして彼が口調を変えた。
「ごめん…。僕、もう駄目になった。」

どきんとした。本音が頭を出し始めた。
「駄目って、どうしたの?」
わたしはその時冷えた心のまま、精一杯の優しい声を作って尋ねた。

「駄目になった…。眼に力が出てきたって言われたって聞いて…我慢してたけど、耐えられなくなった。」
彼は眼を潤ませながら腕を広げてわたしを引き寄せ、腰に抱きついた。
「ヒメを失いたくない。目に力が出てきて、どんどんしっかりしてきて、キミはどこかへ行っちゃうんじゃないの?」
「失わないよ、何言ってるの? わたしにはあなただけだよ。」
「わからないよそんなこと! キミはその眼の力で、いったいどれだけの男を惑わせてきたの。僕は不戦勝で、相手が居ない間にキミをさらった。ってことは、キミが眼に力を持ったとき、僕が最後の男じゃなくなる可能性が出てくるんだって気がついたんだ。」

彼はわたしの腰を掻き抱いて泣いた。
「僕が最後じゃない。キミはまた次の男を見つけて飛び立っていく。その相手は心をさらけだして癒してくれるカウンセラーに違いないと思ったら、駄目になった…。」
わたしは黙って彼の髪を撫でた。わたしの眼からも涙がこぼれて彼の頭にぽとんと落ちた。
「ごめん。子供みたいなこと言ってるって、わかってる。だけど怖いんだ。ヒメの眼の力を僕は知ってる。嫉妬で死にそうに苦しいんだよ。僕とだって週に1回か2回しか逢わないのに、カウンセリングにも週に1回、1時間半も掛けて通って、僕には言わないことをさらけ出しているんでしょ? 再構築なんてしなくていい。いまのヒメでいい。行かないで欲しい。苦しくておかしくなりそうなんだよ…。」

ごめん、ごめんねと謝りながら、彼は自分の本心をさらけ出した。
「こんなこと言ったら、病気のヒメの心の負担になるって思って我慢してきた。でも‘眼に力’って聞いてから、駄目になった。」

わたしは自分の心をシャッターで区切ったまま、彼の言葉を聞いて同情した。
嫉妬の苦しみはわたしにもわかる。何とかしてあげなくてはならない。

「言われたことは理解した。あなたの苦しい気持ちもよくわかった。苦しめてごめんね。考えてみるから、少し預からせてね。」
「アリガトウ…」
子供のように彼は呟いた。
「ただ、一つだけ聞いて欲しいことがあるの。」
彼はわたしを見上げた。
「はっきり言うけど、あなたがとても忙しくて体調も悪くて、わたしの辛さ苦しさを訴えても無視したから、わたしはカウンセラーに連絡したの。いま、忙しい時期だということもわかる。わたしのことを‘一番大事だよ’と言いながらも、実際問題そうはできないのも社会人として理解はする。」

「でもね、無視しないで欲しいの。訴えをスルーしないで欲しい。何にもしてくれなくていい。ただ、スルーしないで受け止めて欲しいの。それをお願いしたいんだけど。」
「わかった。努力する。そうするように心がける。」
彼は涙を拭いてそう言ってくれた。

ダブルのベッドで抱き合って眠った。
眠ったのは彼で、わたしは睡眠薬を飲んでも尚寝付けないという夜を、相変わらず繰り返した


ベッドの真ん中に細く悲しい溝があった。

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「行かないでくれ。」

***本編です***

ホテルに戻って少しお酒を飲みながらゆっくり話しをするのが二人の楽しみなのだが、この夜はそうはいかなくなってしまった。

何らかの話の流れはあったとは思うが、あきらかに不機嫌を押し殺して、Nさんは質問して来た。
「カウンセリングだけどさ、最初は2~3回続けて通って、そのあとは間隔をあけるっていう説明だったはずだよね。」
「うん。そうだったけど、一般的には、ってことだよ。」
「なんで毎週行く必要があるの?」

わたしは嫌ーな暗い気持ちになって声が低く震えた。
「行きたいし、有効だと自分で思ってるからだよ。」
「でもさ、最初の話と違ってるじゃん。もう2週おきになってもいいはずなのに、来週だって予約したんでしょ?」
「でも、初回はインテークといってカウンセリングではないから、実質3回しか受けてないよ?」
「ならもう、2週に一回にしていい頃なんじゃないの? それはカウンセラーが毎週来なさいって言ってるの?」
「違うよ。わたしが行きたくて予約してるんだよ。」
「なんでそんなに行きたいの。」
「有効だと思うから。お金を払って専門の人に話を聞いてもらうことが、わたしにはとても有効で、自分の中を見ていくことや整理していくことが、楽しいから。」
「いいお客だってことだよね。」
彼は半ば吐き捨てるように言った。
「そうでしょ。来なさいって言わなくてもヒメのほうから行きたくて毎週予約して安くない料金払ってるんだからさ。」

わたしはどんどん心が冷えて行った。
「それって…費用がかかりすぎてるってことが言いたいの? 贅沢だからセーブしろって言いたいの?」

声を震わせてわたしは聞き返した。

わたしは生活費の全てをNさんに負担してもらって今療養生活をさせていただいている。
だから、彼が『NO!』と言ったら、わたしはそれを押し通せる力を持っていないのだ。

飼われているのだ。
自分のうつの中の最も嫌いな部分が顔を出した。
わたしはNさんに飼われているのだ。お金のことを言われたらひとたまりもないのだ。

「かかり過ぎっていうか…費用対効果だね。」
彼は理詰めで来た。
「いつまで行くの。何回行けばどう治るの。どういうふうに効果が現れるの。その目処無くしてダラダラと行かれるのは僕は困るな。今僕には何にも見えない。」
「カウンセリングは、治してくれるものじゃないのよ。いまは、やっと古い家を解体して中をさらけ出して、材料を提出したくらいの段階なの。これから、カウンセラーのガイドやヒントを受けながら、自分で自分をを再構築していくのよ。そういう段階なの。」
わたしは必死に説明した。

「そう言われても、僕には見えない。わからない。そうする事がヒメにとっていいことなのかもわからない。わからないものに費用を掛けるより、病院をかわるとかいう方法だってあるでしょ。」
「でもわたしには有効なの。これから自分を再構築していくのよ! 自分を好きになりたいのよ!」
「再構築なんてしなくていいよ! 僕と付き合い始めた時、キミは多分もう発症してた。そのヒメを好きになったんだよ。変わる必要なんてないよ。そのままでもいいよ。今のヒメが好きなんだよ!」

そこでわたしはフッと気がついた。
この人は費用のことが言いたいのではないのではないか?
深いところに秘めたものがあって、それをすり替えて表現しているのではないか?

「もうカウンセリングに行かないでくれと本当は言いたい。でも、ヒメがそんなに求めていて有効だと言うのなら、せめて毎週じゃなくしてほしい。」


彼の声が潤んで来た。
わたしは、黙った。

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みんなありがとう!!

みなさんにいっぱい「おめでとう」をいただき、その一つ一つが生きる力になった気がします。
お顔もご素性も知らない同志、こんなふうに交流できるなんて、
うつ病もわたしには結果プラスでした。
だいぶ良くなったので、今後は勉強して、一人でも二人でも、心を楽にさせてあげられるようなわたしになりたいと思います。


生きる力を、ありがとうV4_anim046

Nさんありがとう。
弁護士センセイありがとう。
男友達Kありがとう。
おかみさんありがとう。
キヨミちゃんヤスコさんユリちゃんしげちゃんともちゃん小林せんせい落合せんせい佐山さん石原さんありがとう。

My_jewely 今日の夕食は、栄養バランス関係なく、焼きタラコのおにぎりとケーキ。

飲みに誘われたのを断って帰ってきた息子は、奇異なメニューに首を傾げておりました(笑)

ではこのあと本編を書きますね。
本当にありがとうございます。


キャラ姫

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今日はわたしの

Bu07_tp_4

     お誕生日です

 

 

 歳を取ってしまうのは嬉しくないけど
 生きてた。生きていられた
 わたしを救ってくれたみなさんに感謝します          

                

           ありがとう。  

M5_2

            

                                                                 キャラ姫

                                                                                     

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「猫とひるね。」

古い友人の猫作家さんの個展に行って来ました。

初めて彼の作品に出会ったときからファンになり、時には仲間であったりしましたが、いまは友人です。


Sayama_koten_2007_dec_001_2 ←路地の小さい花屋さんで、小さい花束を作ってもらって行きました。

花束を注文するって、幸せですね。


すぐに飾ってくださいました。

  

Sayama_koten_2007_dec_004_2 ←魂の入ってるコがいます。
                    

Sayama_koten_2007_dec_002_2 ←箱に入るの大好き。Sayama_koten_2007_dec_003_3

                               

袋にも入ってみないとね→     

              

Sayama_koten_2007_dec_005_4 ←猫の宴会。

Sayama_koten_2007_dec_006_5 ←凛としています。

   

※作品は許可を受けて撮影・掲載しています。

           

 Sayama_koten_2007_dec_009_3                        

←許可を受けたので作家さんの横顔ちらり。

【お知らせ】
この個展は12月7日まで開催中です。
中央区銀座7-5-15銀座蒲田ビル4F
ボザール・ミュー
(11時~18時。最終日は17時まで。)

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もうひとつの世界

わたしの意識を連れて行こうとした‘誰か’…

まったくおかしな話で、そっち方面には関心のない人にとっては「何言ってんの」と思うだろうが、わたしは何となく納得した。

あのときのわたしは体温が下がり、血圧はさがり、汗をかいていたという。
貧血とかパニックというより、「ヒメばかりか僕まで引きずられそうな感じだった。」とNさんは説明した。
確かに、「やめてくれよ!」とNさんが叫ばなかったら、わたしは完全に失神して、違う世界にワープしてしまっていたかもしれない。

瞬時意識を失っただけで、呼び戻されたあとは元気いっぱい、お酒も少し飲み、いっぱい食べていっぱい喋った。
「一体なんだったんだろうねー。」
なんとも不思議な体験に、わたしは興味津々だった。うつ病と関係があるのだろうか?

「…品川駅に、何か、思い当たること、ある?」
Nさんは質問した。
「品川? いや、別に何にも… えっ? あ…。」
わたしは思い出した。

「静岡からの帰り…品川で、降りてた…。」

「降りてたほうか…」
Nさんは予想していたかのようにそう呟いた。

静岡に面会に行っていた1年間。わたしは行きは東京駅から乗った。
薄い文庫本を買い、お弁当を買って乗り込むことがささやかに楽しみだったから。
帰りもよく東京駅の大丸に寄って帰った。
けれども体を壊してからは帰りに寄り道することも厳しく、品川で降りて乗り換えて帰るようにしたのだった。

帰りに乗り換えに使っていただけだったので、新幹線改札から高輪口への風景は叩き込まれているが、その逆の風景にはなじみがなかった。
Nさんと一緒に居ることが楽しくて、品川駅にまつわる事柄を、わたしは一切思い出さなかった。
それがいけなかったのか?
「忘れてはならない」という警告だったのだろうか…。
それとも、直感の強いNさんのことだから、何かに引き込まれそうになるわたしを感じたのだろうか…。

それが品川駅の新幹線の改札口で起きたということは、刑務所にいるGさんと関係があるのだろうか。
彼はわたしを恨んでいるのだろうか。生霊となってわたしを引きずり込みたいほどに…。
それとも一人幸せにはしゃいでいるオモテ面のわたしを、インナーチャイルドが制止しようとしたのだろうか。

わからないまま、わたしたちは再び品川駅を通り抜けてホテルに戻ることにした。
Nさんに手を引かれ、眼を閉じてわたしは新幹線口をやりすごした。
「だいじょうぶだよ、さっきみたいに体温も血圧も下がってないよ。ゆっくりゆっくり…。」

少しだけ手は冷たくなっていたが、わたしは品川駅を克服した。

『忘れてはいけないのだ。背負っていないにしても。』
わたしはそう心に刻んだ。

ホテルに戻り、部屋でゆったりと二人で過ごそうとしてお酒の準備をした。
ところが、そうはいかない事態になってしまった。

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連れて行かれる?

世間では「お盆休み」というものに入り、わたしたちは遠出を控えて、品川のホテルに一泊してゆっくりすごそうという計画を立てた。

午前中に深大寺に散歩と撮影に出かけ、お蕎麦を食べてからホテルに移動した。
暑さの厳しい日であったが、深大寺は涼やかな風が吹きぬける、神を感じるしっとりとした地だった。

お盆休みのシティホテルは地方の人や海外の人で溢れ返っていた。
車を停めるのもチェックインにも時間がかかった。

部屋でシャワーを浴び、休憩して夕暮れになってから、彼の好きな和風の居酒屋に行くべく、ホテルを出て、品川駅の反対側に行こうとした。
駅前の交差点は、人で溢れ返り、様々な地方・あらゆる国の言葉が行き交っていた。

最初に異変を表したのは「手」だった。

手が冷たくなり、震えはじめた。
次に両腕が鉛のように重く肩から抜けそうになった。
人ごみにやられたかな?と思い、彼の腕にすがって我慢した。

信号が変わり人並みが移動を始めた。
わたしは彼に肩を抱かれてそろそろと歩き出した。
ものすごい人ごみだから、どのみちゆっくりとしか歩けないのだが、何かわたしはおかしくなった。
脚が重くなり、一歩一歩が前に踏み出しにくくなった。

彼に引きずられるように駅に着き、エスカレーターに乗せられてから、どんな風におかしいかを彼に途切れ途切れに説明した。
「戻るか?」
「いや。もうお腹空いてるし、行こ。ゆっくり連れてって。」
「大丈夫か? 無理しなくていいんだよ?」
「ううん、行きたい。」

エスカレーターを降りたときには一層足が前に踏み出しにくくなっており、踏み出せば絡まり、彼はわたしの体を抱えるかのようにして人ごみをすり抜けつつゆっくり進行した。
手は氷のようになり、腕と脚には鉛が入り、足首には足枷が着いていて、わたしはほとんど歩けなかった。

JRの改札を通り過ぎると人ごみは無くなったが、わたしは彼にほとんど抱きかかえられている状態だった。
「駄目だ、戻ろう。」
「いや。行きたい。」
そうしてゆっくりと歩を進めて、新幹線の改札出入り口に差し掛かったときだった。

わたしの膝は折れ、気が遠くなった。

薄れる意識の中で、彼がわたしを抱え上げながら、
「やめてくれよ!」と叫んだ。


その声で、わたしは瞬時に意識を取り戻した。Nさんが怒ってる…。
床に膝をついていたが、スッとわたしは立ち上がった。
首の後ろと後頭部のあたりから、すうっと、何かが抜けるような気がして、わたしの氷は溶け、鉛は消えて無くなり、足枷は外れて、ビックリするくらいシャンとした。


「ごめんごめん。抜けた。もう大丈夫。」
わたしはそういうと彼の手を掴んでスタスタと歩き出した。肩をはじめ体はすっかり軽くなっていた。

人ごみが怖かった?
いや…そういう精神的なぎゅうーっという緊張とかザワザワする感じではなかった。
何かがおぶさったような、そんな感じだった。

それが新幹線の改札あたりで気を失いそうになり、「やめてくれよ!」というNさんの叫び声で意識が戻った。

わたしは、Nさんに怒られたのだと思っていた。居酒屋でそう聞くと、
「違うよ。ヒメに言ったんじゃないよ。」
「えっ? そうじゃないの? わたしを怒ったのだと思ってた。こんなところで倒れるなよって。違うの? 誰に言ったの?」

「キミを連れて行こうとした`誰か´に、言ったんだよ。」
彼はそう言って日本酒を口に運んだ。

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