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2007年9月

6日間。

《昨年12月の記録です。》


その後、年内の記録はまったく手帳にはない。
わたしは年末25日に復職した。

まったく店に顔を出さず、電話もしなかったわたしをいぶかしんで、数日前におかみから電話があった。
ちゃんと来てくださるわよね?という確認と、わたしが体を壊してはいないかという心配をしての連絡だった。

わたしは、刑務所の彼を捨てたことを、まだおかみに話せていなかった。
面会に行くわたしに、おかみは何度もお札を握らせてくれていた。
わたしの辛さや愚痴を、いつも聞いてくれて励ましてくれて、彼女はわたしの支えだった。

あんなに助けてくれたのに…。「今すぐ別れなさい」と泣きながら言ってくれた言葉を聞かずにのめり込んで、結局貫けずに逃げ出しただなんて、言えなかった。

「で、どうなの、Gさんは…面会には、行ってらっしゃるの?」
聞きにくそうにおかみは最後に付け加えた。
「いえ…もう、行っていないんです。」
わたしは万感を込めてその言葉を選んだ。彼女になら、それで通じるはずだと信じた。

「あ、そうなの、わかったわ。あなたさえ元気でいてくれたら、いいわ。」
やはり即座に察してくれた。
「じゃあ来て下さるのを楽しみに待ってますから。アテにしてますからね。」
おかみは明るく笑って、電話を切った。
わたしは彼女に感謝した。
江戸っ子はいい。激しい浮き沈みを経験してきた人である。弱味を見せない強さと、人に踏み込まない節度をきっちり持った人である。そしてわたしを、とても大切に思ってくれていた。今もそれは変わらない。

結局ウツ病のことは、店の誰にも話さなかった。
わたしは、勤められるかどうかすらわからず、最低限勤められたとしても、前年よりも売り上げを伸ばせるかどうかわからず不安だった。
自分のウツ病が、接客に・売り上げに、どう響くのかが全く予想が出来なかったのと同時に、ウツ病であると打ち明けて、その結果売りを立てられなかったら、やっかいな病気になったからだと「存在の否定」をされるのではないかと勝手に先回りして杞憂したからだった。

わたしは精神の病になったことを、特に悲しんではいなかった。重篤な体の病気ではなくて良かったと、そのときはまだ甘く考えていた。だから、自分の中に精神の病を蔑視する心理が潜んでいたかどうかはわからない。

けれども、少なくとも自分より上の世代の人たちには、「偏見があるのではないか」という偏見を自分が持っていた。
心が弱いからそんなことになるのだ、気の持ちようで治せる、そんな店員なら要らない…。そう、思われるのではないかと怖くて、わたしは事実を伏せて復職した。

ただ、体力が落ちてしまっていること、去年のように休み無しでは働けないことは言わなくてはならない。わたしは「自律神経失調症」がひどいということにして、肉体的な重労働は難しいこと・週一日通院のために休ませて欲しいことを、社長にはお願いした。
社長は、温厚な、トコトン我慢の人である。「わかりました、いいですよ。」と快諾してくれたが、その目にはかすかに不安が漂った。わたしは、アテにしてもらっている。

「Gさんは、お元気ですか。」
社長は小さな声で聞いて来た。
「いえ…もう行けてないんです。」
「あっ、わかりました。」
社長はそれ以後、何一つ質問しなかった。その気遣いがありがたかった。

報いなければ。

実は電車に乗るのも色んな意味でまだ怖かった。わたしはウィルスガード機能の高いマスクを買い、通勤時には必ずそれをした。何か症状が出るのではないかとビクビクしながらの通勤だった。

12月30日までの6日間を、わたしは休まず、遅刻せず、倒れることもなく、出勤できた。
手帳に何かを書き残すことすら出来ないほどの体調を押してだったのだろうと思う。

たった6日間…。

わたしの病を知る人たちは、それを称えてくれた。嬉しかった。そしてその後数ヶ月の繁忙な時期、そのことは自信となってわたしを支え続けてくれた。

業界の繁忙期は、まだ始まったばかり。
わたしの治療も、復職によって療養はたった3週間で一端打ち切りになり、病に薬をまぶしてバケツに入れフタをし、さらに重石までして、ハイシーズンに突入して行った。

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焦燥

《昨年12月のお話です。》


二回目の精神科受診の夜、わたしは初めて睡眠薬というものを飲んだ。
処方された2種類のうち、まず「レンドルミン」を飲んでみた。
それは効力を発揮した。わたしは眠れた。
眠れなくて朝になってから脳が諦め受け入れる眠りとは違い、強制的に取らされた睡眠は、はっきりとした覚醒をもたらした。

けれど、わたしはふしあわせな気持ちでいっぱいだった。
全身がきしむように痛み、押し潰されそうに重かった。
意味もなく憂鬱で、まったく気持ちが晴れなかった。

次の夜は「リスミー」という睡眠薬を飲んでみた。
これはわたしには効かなかった。体が痺れているのに意識は覚醒し、気味のわるい後味だけが残り、日中は相変わらず気分が晴れなかった。

ただ、動悸だけは治まった。これはパキシルが効いたのだと感じた。

ウツ病は免疫力を落とすと言う。重だるい体に更に風邪をひき、わたしは予定を次々キャンセルして、家の中で地団駄を踏んでいた。
睡眠薬が効いたのは、最初の一日だけだった。
ひどくなる咳に苦しみながら、眠れない焦りでわたしはおかしくなりそうだった。

いや、完全に、おかしかった。

しかし、薬を飲み始めて19日目。フッと憑き物が落ちたみたいに軽くなった日があった。

その日は婦人科の定期的な診察の日だった。生理の経過はよく、行く必要は無かったが、わたしはウツ病であったことを落合先生に直接報告したかった。
それまでずっと主治医として1年半診て来てくださったのである。

優しい声で呼ばれ、診察室に入った。わたしは精神科に回していただき、無事にウツ病であろうと診断されたことを、笑顔で報告できた。
「精神科の先生から、一応報告は来ています。」先生はゆったりわたしの眼を見てそう言った。ああ、報告が来ていたなら良かったとわたしは安堵した。
「あなたみたいなタイプを、いわゆる【仮面うつ病】と言うんですよね。」
「かめんうつびょう、ですか? それ、どういうものでしょうか。」
わたしは初めて聞く言葉に反応した。
「身体的な症状ばかりが先に出て、その裏にウツ病が隠れていることに気がつかず、色々な科を放浪してしまうんです。」

まさしくわたしはそれだった。
思えば心だってずっと辛かったのに、あんなことがあったのだから辛くて当然と考えていたし、また逆に「体が治れば心もしっかりするだろう。」とも思っていた。
次々に襲って来る不調や、あの天地のわからない目まいが、ウツ病かもしれないだなんていう知識も意識も、わたしには皆無だった。

精神と身体が、こんなに密着していること・表裏一体であることを、わたしは初めて認識している。
精神が身体を壊す、もしくは「もう無理!」とサインを送って来る。その事実は、いくら語っても実際に体験しないとわからないだろうと今は思う。

「では、こちらの科は、今日までということで。もう来なくていいようになればいいですね。」
落合先生は優しくわたしを送り出してくれた。
わたしは心からお礼を言った。お世話になったとしみじみ思った。

けれども、わたしはまた、落合先生に会いに行くことになる。


そうとも知らず、わたしは久しぶりに晴れた気分で、病院の帰りにデパートに行った。
特に何をしに行ったのか記録が無いが、「気分がよく楽しい」という記述だけが残っている。そういう日がたった2日間だけ続いた。その後また気分は失墜している。

治療は、まだスタートしてはいなかったのだ。


ウツ病は、自分に合う薬に巡り会うまでが大変である。薬に巡り会った時からが治療のスタートだと言ってもよいくらいだ。
しかもわたしはすぐに復職しようとしている。それが無謀であっても、その意志は変わらなかった。

効かない睡眠薬は止めて、わたしは咳をしたまま寝付けない夜を過ごしていた。
仕事に行けるのだろうか。いや、行けるだけでは駄目なのだ。売り上げを伸ばさなくては意味がないのだ。タバコ屋の店番に行くのではない。結果を出せなければ意味がないのだ…。

三度目の受診で、ようやく抗ウツ剤と精神安定剤が倍増され、睡眠薬には「ハルシオン」が処方された。

復職まであと3日という日だった。

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存在の意義

《昨年12月からのウツ記録です》

その日やっと病名がついて、わたしは本当に安堵した。
どこにも病気が無いのに具合が悪くて仕方がない。そんな鬱屈から解放され、わたしはむしろ嬉々としてNさんと弁護士と友人♂にメールで知らせ、やっと治療に取り組めることを報告した。

ウツ病がどういうものか、わたしは知らなかった。
治るとも治らないとも知らなかったし、原因も知らなかった。

わたしは帰宅してネットで調べた。
色々な知識を得て自分の病気のことを知っていくのは、ある種楽しい行為でもあった。
薬を飲み、精神的安静を保って行けば、いつだかわからないけれど治るらしいことも知った。

薬の効果が現れるまで最低でも2~3週間と言われる。その前に副作用が来る。
効果が出ず、つまり病状は改善しないまま副作用だけが出るこの時期は、ウツ病患者には結構キツい。
わたしは電車に乗れなくなった。仕事は、やむなく繁忙期の12月末まで行かないことにした。

毎晩泣けた。意味があっても無くても泣きながら、そして寝付けなかった。
口の渇き・吐き気・腹痛・発熱・目まい・動悸。
これらの症状が病気の症状なのか副作用なのかわからないままの二週間を過ごした。
幸いその間に来た生理は綺麗に終わり、吐き気も治まって来た。

動悸だけが残り、2回目の診察にわたしはタクシーを使った。
動悸が苦しく、悲しく、寝付けないことを訴えると、主治医は動悸の頓服に「コンスタン」という薬を処方し、睡眠薬を2種類出してきた。
「レンドルミン」と「リスミー」である。
この2種類の薬を一日おき交互に飲んでみて、睡眠にどう作用するか・起きた時の気分はどうかを比べるようにと言われた。どちらが体に合うのか、もしくはどちらも合わないのかを調べるのが目的だった。

帰宅して早速「コンスタン」を試してみた。
15分ほどで動悸は綺麗に治まった。しかし同時にわたしは昏倒するかのごとく寝入ってしまい、起きたら夜になっていた。

仕事に復帰するまであと二週間しかない…。わたしは焦りまくった。
それまでに副作用を消化し、睡眠を確保することを可能にし、週6日/8時間の労働に耐えられるようにならなくてはいけない。


この、【~でなくてはいけない。】という思考そのものがウツ病を引き起こす性質であり、もしくはウツ病の人が陥りがちな思考でもあるのだ。
弁護士も、友人も女友達も、そして誰よりNさんが、躍起になってキリキリしているわたしを止めにかかっていた。
「行ければよし、行けなくてもしょうがないんだよ、病気なんだから。その場合は僕が面倒は見るから。無理しないでほしいよ。」
Nさんはそう優しく言ったり、時には理攻めでわたしを上から制止した。

けれどもわたしは聞く耳を持たなかった。
繁忙期に店に戻れないのは、自分の存在価値を失うことだと泣いて反論した。
無理はする。無茶もする。でも絶対に仕事に行く。あの店に行って、販売実績を上げ店の評判を上げることが、わたしの使命であり目標なのだと泣いた。
それができないのであれば、生きている意味すら見出せない。わたしは自分を追い込んでいた。

創造力と創作力、集中力・気力を失い、クラフトの仕事がまったく出来なくなったわたしには、もう、おかみのいるあの店で働くことだけが、自分の存在意義だった。
「ヒメの存在そのものが僕には価値がある。仕事だけが存在を示すものではないよ。」 
Nさんはそう言ってくれたが、わたしは一切聞かなかった。

ギリギリと下唇を噛む思いで、自宅療養を続けた。

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ヒキコモリの脳

昨年の秋の終わりに、わたしはようやく【ウツ病】ではないかと診断された。
薬を試してみないとわからないと言いながらも、問診表を記入している段階で、わたしには自分が病んでいるのは精神であったのだと理解した。
そこから治療とプチ闘病がスタートした。


その顛末を今後は書いていくつもりですが、今日はちょっと順序を無視して、昨日の出来事を書きます。

            ******************

【気功整体院】というところに行って来た。
体の歪みを正す整体と、気功と、波動療法というのをやってくれる医院である。
最近のわたしの状況を知った知人が、紹介してくれた。知人もかなりお世話になっているそうだが、もとはバンド仲間だとのこと。
一も二もなくわたしは予約を入れ、昨日行ってきたわけだ。

気功は、【気】を信じる人にしか効かないかもしれないと思っていた。見えないものを信じないタイプの人は沢山いる。わたしは以前から信じているので、知人の紹介をありがたく受けて、柏まで行ってきた。
力でどうこうする普通の整体やマッサージとはわけが違う。
予約の時に、『あの…わたし、悪いのは体じゃなくて、脳なんですけどいいですか?』と聞いたら『へっ?』と問い直され、『ウツ病なんですけど…』とカミングアウト。
『ああ、そういう方がいっぱいいらしてます、大丈夫ですよ。』と言って頂き、安心して向かった。

開院したばかりの綺麗な居心地のいい医院だった。
まずは全体を診てみましょうと言われ、リラックスウェアに着替えてうつ伏せになる。
背骨に沿ってその両側の筋肉を確認。次に座って首・肩を確認。
悪いのは脳なんです、と言ったが、実は首も回らないし左腕は上がらないし股関節はギシギシである。けれど精神的なことのほうが遥かに辛くて、身体症状はもうどうでもよくなっていたのだ。
「うわぁこれはすごいな。ムチウチになったことがあるんですか?」 首を優しく揉みながら先生に聞かれた。もちろんNO。それくらいひどいらしい。

思えば18歳で働きだしてから、ずっとうつむいている仕事だった。下を向いていることがわたしの日常だった。それに、写真を撮るとわたしは必ず傾いでいた。どこが湾曲してるのか、まっすぐになろうとすればするほど、わたしは傾いだ。

背中は甲羅のようにバンバンで、特に腰がひどいとのこと。
腰椎・仙骨・骨盤が、それぞれてんでバラバラの向きでそれなりの変なバランスを取ってしまっており、だから歩いていてすぐに脚が動かなくなるのだそうだ。
股関節も開かず、完全にバランスの壊れた体をしていた。

ほぐしてもらったあと、波動療法に移行した。仰向けに横たわり、両手に金属の棒を持つ。波動を内臓に送ってもらう。臓器によって持っている波動が違い、また、病気によって反応が変わるので、例えば肝炎でも、B型かC型かまで判別できるとのこと。
わたしは肝機能が弱っていた。飲酒の習慣はないので、恐らくは服薬のせいだろうということになった。主治医は薬の少ないドクターとして有名だが、それでもわたしは8種類の薬を飲んでいる。肝臓だってお疲れなのだ。

そしていよいよ脳に波動を送る。正常な反応だと、先生が手に持っているアンテナ(ワイヤー)が、円を描く。
睡眠野に波動が入れられる。普通の人は眠ってしまうそうである。もちろんわたしはそんなものには屈しない強靭な入眠障害を持っている。
「うーん、これじゃあ眠れないわけだ。見てごらんなさい。」先生に言われて覗くと、アンテナは、かすかに左右に振れているだけだった。
しばらく送り続けたようだがびくともしない。
諦めて前頭葉に移る。前頭葉は会議能力をなくしており、集中力がなく創造力もない。
大脳全体の反応が鈍く、それがあたかもシャッターのように脳を覆っている。

天頂に、チャクラ(サンスクリット語で「輪」)があるのだが、わたしのチャクラは頑強に閉じており、自然界から、また人からの良い【気】を取り入れることができないでいるとのことだった。

わたしの脳は、引きこもっている!

チャクラを閉じ、反応の乏しい大脳で、よどんだ【気】を出さず、良い【気】も取り入れず、曇った空気のなかにわたしの潜在意識はあるのだ。

二度目。三度目。やっとわたしの睡眠野は、諦めて反応した。アンテナが小さく円を描いた。
しかしそこで、潜在意識から「もうやめて!」というストップが来た。
ほぐしてもらったばかりの両腕がズドンと鉛になった。
脳への侵入に耐えに耐えていたのが限界に達したらしい。
そう先生に告げると、「へえぇ~。」と驚いていらした。心理学と気功はクロスしてないのだなと知った。

わたしは帰る途中で何故だかヘロヘロになり、料理は無理と諦めて夕食は買って帰り、そして、睡眠薬に頼ることなく、10時に寝付いた。
睡眠薬を飲まずに寝付いたのは、10ヶ月ぶりのことだった。

そういえば施術が終わってお水を頂いているとき、「わたしの場合、次はまた気が向いたときに来ればいいのでしょうか?」と尋ねたら、先生はびっくりして、
「とんでもない! あなたはそんな悠長なレベルじゃないですよ。せめて来週来て下さい。」と言われてしまった。


ヒキコモリ脱出作戦始動である

明日からはまた、順を追って書いて行きます。

        *****************

掲載の許可を頂いたので、興味のある方、そしてお困りの方はぜひこちらへ。ごくまれに、地方出張でお留守の場合もあります。
【柏氣功整体院】
千葉県柏市中央町5-9 ニホンメガネビル202
Tel・Fax/04-7164-1106

http://www1.ocn.ne.jp/~kikou/

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辿り着いた病名

翌日、予約時間より早く到着するよう、タクシーを拾って大学病院に向かった。
婦人科の受付で、他の科に回して頂く可能性があるので早めに来たと告げると、予約より早く、落合先生の優しい声で呼ばれた。

天井が歪み、天地のわからなくなるひどい目まいの二度目が来たこと。

自律神経の薬が効かず、動悸・息切れなどの症状が止まらないこと。
眠れないこと。
それらをドクターに静かに話すと、先生は、
「では、まず、耳鼻科に行って耳に原因が無いかを診てもらいましょうか。そのあとは、耳鼻科の先生に任せましょう。今こちらから電話をいれておきますから。」と言ってくれた。

お礼を言って、別館の耳鼻科に行き、問診のあと様々な検査を受けた。
目の奥も耳の奥も見られ、ヘッドホンをしての様々な聴力も検査した。

もちろん、異常なしである。

「どうしますか。…もし、いやでなければ、精神神経科に行ってみますか。」

耳鼻科の先生も、婦人科の先生も、そして何よりわたし自身が、これはもう、体の病気ではないと考えていたのだ。わたしは頷いた。はい、回してください、と。


生まれて初めての精神科だった。受付を済ませると、一度窓口に呼ばれて、白い冊子を渡された。

冊子と思ったものは、「初診問診表」だった。驚きの厚みである。
どの科に行っても、問診表はペラもの。それが精神科では冊子ほどのページ数なのだ。
わたしはワクワクしながらページを開き、項目ごとに、度合いの数字に○をつけたり、文章で書いたりしていった。

そして書き進めていくうちに、わたしの目から涙が落ちはじめた。
わたしは、あきらかに精神を病んでいる。
規則正しく5番を○で囲まれた自分の問診表を進めながら、わたしはようやくここに辿り着いたことを知った。

もっと早くに、心療内科に行っていればよかった。そしたらここまで壊れなかったかもしれない…。
そんな後悔のもと1時間ほど待ち、わたしは精神科の診察室に呼ばれた。

ドクターの机と椅子。患者の椅子2脚。たったそれだけの殺風景な白い部屋。わたしの予測は大きく外れた。
ドクターはわたしの問診表を繰りながら、
「恐らくは、【ウツ病】ではないかと思います。どういうストレスが今まであったか、差し支えなかったら話してくれませんか?」と促した。

わたしは、逮捕された彼のことと、その後の面会生活、裁判、刑務所通いなどのことをを中心に話し、それが体力気力をどれほど消耗したか、けれども、支えてくれる人たちがそばにいて、申し訳なくて『辛い、もう無理』と言うのが遅れたことも話した。

離婚の経験とその周辺の話もした。離婚に対してもまだ遺恨があることを自分で認識した。生活はキツく、親にも頼れないでいたことも話した。
わたしはボロボロと泣いて、若いドクターはテイッシュを何枚も手渡してくれた。

「おそらく【ウツ病】だと思います。お薬を出しますから、今飲んでいる薬は一部やめて、こちらにしてみてください。抗ウツ剤・精神安定剤を出します。動悸については婦人科で出してもらっていた薬を継続してみてください。」
「また、抗ウツ剤には効果が現れるより先に副作用があります。口が渇いたり吐き気がしたりします。でも慣れますので、勝手にやめたり減らしたりせず、我慢して飲んでください。そして、これらの薬で、いままでの体の悪い症状がなくなれば、それが、【ウツ病】だったという証明です。様子を見てください。また、睡眠については、抗ウツ剤の効き目を見てから考えましょう。」

こうしてわたしは精神科患者の仲間入りを果たした。
帰り道、ゆっくりと駅に向かって歩きながら、わたしは実は心底安堵していた。
「やっと病名がついた。ようやく辿り着いた。」

いくら調べてもどこも悪くないのに絶え間なく襲って来る体調の不良。
辛くて辛くて、なんでもかんでも辛くて、眠れなくて苦しくて。
刑務所の彼氏をもう支えられないくらい気力も尽き果てて…。

そりゃそうだよなあ。ウツ病にぐらいなっておかしくないよなあ。

秋の日差しのなかを、わたしはようやく腑に落ちた気持ちでゆっくり歩いた。
しかしわたしのこの時の安堵感は、甘かったとしか言いようがない。

一年後のわたしはまだ、こうして苦しんでいるのだから…。

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訪れた使者「ぐにゃり」

それは突然やって来た。
まだアラームも鳴っておらず、自分自身も目覚めには到達していない。
目を閉じたままの闇の視界で、「ぐにゃり」と世界が歪んだ。

なんだこれ…

わたしは始めて自分の体に恐怖を感じた。
目を閉じたまま、少しだけ頭を動かす。「ぐわあぁあぁん」と見えてない視界が回転する。

吐き気がする。
なんだこれ、どうなったんだ…。
けれど寝たまま吐くのは嫌だ。
すぐそばに息子が寝ているが起こすのもかわいそうだ。
わたしは起き上がってせめてトイレか洗面所に行こうとした。
体を横に向ける。もう冷汗でびっしょりである。そして目を開けてみる。

どれが壁でどれが天井かわからない!
わたしは慌てた。脳の病気だ。いやメニエールか。病院に行かなきゃ。

横向きの姿勢から、膝を曲げて、なるべく頭を動かさないよう、吐き気に耐えながら「座った」つもりになった。
とたん激しいゆがみの目まいが襲い掛かり、上も下も自分の向きもわからなくなり、わたしはスッ転んでタンスの角にいやというほど後頭部を打ち付けた。

ぐにゃぐにゃの世界にチカチカと星が見えた。

息子が起きて蒼ざめた顔をして無言でわたしを見ている気配がした。
わたしは吐き気をこらえながら強がった。ママ目まいがするから、病院行ってくるからね。

ずり這いをしながら廊下にでて、トイレに入ったが、吐き気がするだけで何も吐かなかった。

手の届く服を引きずり抜いて、なんとか着替えた。
わたしはタクシーを呼び、大学病院に向かった。

受付で症状を説明する。今も絶え間なく目まいはありますか?と聞かれ、今は軽いので大丈夫ですと答えると、脳外科ではなくやはり総合内科に行くしかないとのこと。
3時間待ってようやく診察を受けた。
耳鼻科系の目まい(メニエールなど)なら、絶えず目まいがしていてこんな風に座ってられないという説明だった。
目まいの薬を処方され、様子を見てください、とあっさり返されてしまった。
事実、その日はもう目まいは襲っては来なかった。

翌日は婦人科の定期的な診察日だった。わたしは主治医に昨日の目まいの事を説明した。するとドクターは、今までの婦人科の薬と自律神経の薬に加えて、「精神安定剤」というものを初めて処方した。それが今も欠かさず飲んでいる「デパス」である。わたしはすんなりと受け入れて、その日から安定剤を飲み始めた。

仕事に行ける日は数えるほどしか無かった。
めまいは来なくなったものの、生理がくれば激しい痛みに寝込み、台風が来れば起き上がれず寝込み、割れるような頭痛、そして発熱…。


そして11月に入り、わたしにとうとう「眠れない夜」が訪れるようになった。
デパスを飲んでいるのに眠れない。疲れていて体調が悪いのに眠れない。

朝の5時になり、店に行けない旨メールで知らせ、ようやく眠りに付くという3日間をすごしたあと、そいつは再びやって来た。

目覚める前の「ぐーにゃーり~」が襲って来たのだ。
もうわたしは無理をして起き上がるのをやめた。一日寝ていた。翌日が婦人科の診察日だったからだ。わたしは「ぐにゃり」に、されるがままになっていた。

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見逃されたサイン

わたしがウツ病だと診断されたのは去年の11月30日。
「ウツ病患者」としてはごく初心者である。
けれど、いったいいつからウツ病であったのかはわからない。どこまでさかのぼればいいのかがわからない。

婚約者が逮捕されていきなりいなくなるという不測の事態に直面し、おかしくならないほうがオカシイ。
そのせいで借金を被るハメになり、やむなく自己破産に至るだけでも結構キツイ。

生まれて初めて裁判に証人として出廷し、そこで初めて彼の馬鹿げた空恐ろしい罪状をザクザク聞かされて、おかしくならないほうがオカシイ。

毎朝拘置所に面会に行き、仕事に行き、帰宅して家事をこなし、自己破産の準備をしたり彼の荷物を整理したり、手紙を書いたり人に会ったり…そんな毎日を繰り返していたら誰でも間違いなく壊れてしまう。

2年と少し前。
彼が被疑者から受刑者に切り替わり、面会出来なくなったときからわたしの体は大出血を始めた。
最初はさほど大げさに考えず、町の産婦人科に行ってみた。
そこで検査をしたが癌細胞は検出されず、注射と投薬で何らかのホルモン治療をされた。

その方向が間違っていたのか、切れ目なく襲って来る様々なストレスに耐えかねたのか、出血は止まらずフラフラになった。

この時点で、それがウツ病であると診断できる医者はいないだろう。

わたしは紹介されて郊外のクリニックに赴き、そこで『最悪は、卵巣と子宮の摘出』という診断を受け、うちでは手に負えないと、大学病院を紹介されたのだ。
それが、現在も通っている大学病院である。

大学病院では婦人科の医長さんに診ていただけた。そしてそのドクターは、「手術の必要なし。自然治癒する。何かよほどのことがあったのではないか? 例えば、3ヶ月前から、半年前ぐらいに…」とわたしの目を見た。
わたしはボロボロと泣いた。

そこでもまだ、それがウツ病であるとは考えもしなかった。
その後何度も不正で大量な出血を繰り返したが、そのだびにその大学病院に行き、検査をし、薬を変えたり増やしたりしながら乗り切ってきてしまった。

年が明け、わたしが「供託」を諦め、刑務所の彼にしてあげられることがなくなると、体も諦めたのか出血は治まり、数ヶ月の小康期間を得た。

しかし、やがて症状は溢れ出した。
とにかく膨大に辛かった。どうしてこんなに辛いのか、どこからその辛さが湧いて来るのか、そしてなぜそれに耐えられず自分は泣いてばかりいるのかが、わからなくて泣いた。
あんなに楽しかった飲み会ですら辛かった。


次に生理が止まった。膀胱炎になった。微熱が出た。そして大出血がまた襲ってきた。婦人科の医者に「うわ。」と言わせたほどの出血。

動悸・息切れ・立ちくらみ・倦怠感・震え・発汗…

婦人科でそれを告げると、ドクターは「自分が主治医となって自律神経失調症の薬を出しましょう。」と言って、婦人科と併せて薬を出してくれた。

残念ながら、その種類の薬は効かなかった。動悸がひどく、自分で数えてみても軽く100は超えている。闇の中で動悸を数えていてどんどん眠れなくなって来た。

このころ、つまり去年の9月になってようやく、これは何らかの心身症なのではないかと疑い始めた。
「ウツ病」という明確な病名が選択肢にあったわけではない。
ただ、何か精神的なもの…。そうかもしれないと、考えてみたに過ぎないのだ。

考えただけで、わたしはまだ行動を起こさなかった。

婚約者を捨てることに決め、その手配や作業や精神の維持で手一杯だったからだ。
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医学的なケアをされず、病んだ精神はどんどんサインを出して来ていた。
『助けて! もうやめて!』と。

わたしは辛すぎて、その
叫びを逆に見逃してしまっていた。

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わたしにとっての「銀の靴」

東京拘置所に通い詰めた3ヶ月間。
季節は冬の終わりから初夏に流れるころでした。
初めて拘置所を訪れたときは、またセーターを着てコートも着ており、雪の舞う日もありました。

最後に訪れたときは、半袖で、ストッキングも穿いていませんでした。
まったく外が見えず誰とも接触のない灰色の世界で暮らしている住人たちは、面会に訪れる人の服装でしか季節を感じることはできません。
半袖になったわたしを見たとき、「もうそんな気候なんだ…」と彼が呟いたのを覚えています。

わたしは3ヶ月間毎日、銀色の靴を履き、緋色の鞄を持って通いました。
その靴は、数少ない彼から買ってもらったものの一つでした。

二度乗り換えて小菅に降り立ち、はるか遠い面会の門を目指して塀の周りを競歩し、駐車場を横切り歩道橋を登って下りて、ようやく入り口に辿り着くのです。
面会が終わるとまた小走りに小菅に戻り、2回乗り換えて職場に向かいます。

血を流し続ける体と悲しみに蒼ざめた心を引きずって、銀の靴は走り続けました。

緋色の鞄は、買ったときに嬉しくて彼に見せると、「これ、○○○っていう店のでしょ。」と言い当てられて驚きました。
ブランド品でもないその安物の鞄の店を、何故知っているのか不思議でしたが、その真相は、彼が逮捕されて後に明らかになりました。
彼のダンボール11箱の荷物を預かったとき、中を見て、ふとつまみ出してみた書類が、横領をした相手の方に起こされた民事裁判の記録と、その方の事業の一覧でした。
経営している沢山の会社名の中に、その鞄の店があったのです。

なんという因縁だろう。
わたしはアクリルの仕切り越しに彼に聞きました。
「あの、赤いバッグ…。」
彼は、被害者の方がその会社を立ち上げるときに全ての準備をしたのだそうです。
イタリアに赴き、皮の買い付けまでやってきたということでした。



        緋色の鞄・銀の靴

        それは、わたしのでした。


拘置所通いで底が無くなった靴は、なんとなく保管してありましたが、このブログを始めたときに捨てました。
鞄も、代わりを買って、ようやく捨てることが出来ました。
鎧が要らなくなったからです。
わたしは衣装も脱ぎ、これからは粘土で固められた自分の外殻を壊し、奥に潜んでいるインナーチャイルドを引っ張り出して、抱きしめてやらなくてはいけません。


005_3 自分の中心部にあるブラックホール。それが何であるかを見なくてはいけないのは、少し、怖いです。
でもわたしは新しい自分を構築したい。

わたしの鎧としての「銀の靴」は、ここで終わりです。

このあとは、構築と再生のうつ病ブログとなります。
今後ともよろしくお願いいたします。

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女神の言葉

2007_0731tuchiura0005 わたしは、婚約者が逮捕されたときに彼の借金の連帯保証人になっており、その相談にと紹介された弁護士と、今も個人的に付き合っています。

彼女は、依頼した自己破産のことだけではなく、むしろ初めての経験にオロオロしているわたしの質問に答え、不安を解決し、接見禁止の時期に闘って彼に面会に行ってくれたのでした。

なぜ、そこまで…?
わたしが数ヵ月後に聞くと、こんな答えが返って来ました。

『知り合いがあなたに自分を紹介するときに事件の流れは聞いていて、チンピラに騙されて闇金の保証人にされ、そのチンピラが逮捕されて借金を被り、売り飛ばされそうなパープー姉ちゃんが居る、という認識だった。だから最初に電話が来たときに「あなたが相談者本人なの?」と確認したし、事務所に来たあなたを見て、落ち着いた普通の女性が来たことでびっくりした。話す言葉がとても生真面目で、騙されたことにも気付かず、男を信じている態度に、この人はチンピラにも金融にも近づくべき人ではないし、かといってそういう荒波をなぎ倒していける強さは持ってないと感じた。』

『守ってやらなければいけない人だと思うと同時に、人と人としてのシンパシィを感じて、ほっておけなかった。』

彼女は、自己破産の部分以外は無償で、いつもいつも相談に乗ってくれ、わたしの不安を解消し、資料を取り寄せたりしてくれました。
情状証人のことも彼女が教えてくれ、国選弁護人に会いに行ったほうがいいとアドバイスもくれました。それをやったことで、わたしたちは、あの人の刑を減らしてあげられたと思います。

初公判で求刑まで行き、5年という長い求刑に青ざめ、そして証人として余りに準備とリハーサルが足りなかったと悔やんで泣いたわたしに、彼女はこんな言葉をくれました。

『あなたの証言が減刑にどのくらい影響するかと言えば、多くても数ヶ月でしょう。けれども、あなたが証人として立たなかったら彼は誰も庇ってくれる人もないまま、職業としての弁護士が頭を下げて裁判は終わってしまうのです。』

『刑務所に入る前に彼が外界から聞く最後の言葉として、本気で心配してくれる証人の声・本気で弁護してくれる弁護士の声が鼓膜に残って、それを頼りに数年の刑務所生活を過ごします。刑期の長さの違いではなく、それがあるかないかで彼の精神への影響は全然違うのよ。弁護士は、たとえ刑務所に入ることを防いでやれなくても、庇ってくれようとした人が一人でもいたんだという記憶を持っていて欲しいと願って活動をしているのです。』

『あなたは十分に役割を果たしたわよ。十分以上だわ。だから、今後ゆっくり考えたり感じたりしていく中で、彼を捨てても当たり前のことです。誰もあなたを責めません。別れたほうがいいとわたしはやっぱり思うけれども、今は気持ちのままにするしかないでしょうね。』

わたしはこの手紙を読むと今も泣けてしまいます。
こんな素晴らしい人と出会えたこと、そして今彼女と友人として付き合っていられるということは、刑務所に行った彼が残してくれた財産だと、感謝しています。

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防御反応

夕べは結局朝まで起きていた。
小さい音で点いていた隣の部屋のテレビが朝の番組を始め、その押し付けがましい明るさに耐えかねて、ササッとシャワーをして寝付いた。

「4時5時ならあなたは睡眠薬なしで眠れるリズムの人ですよ。」
精神科医が言ったとおりだった。寝付くときの記憶すらないほど呆気なく眠りに落ちた。

今日は一日何をしていたのだろう。
夕べも朝まで何をしていたのだろう。
まったく思い出せない。現実感がない。
自分の休ませ方・癒し方を知らないわたしは、現実逃避をするしか心を守る術がない。
だからおそらくそうしていたと思う。

現実逃避は、精神を守るための防御反応である。

親からとか、夫からとか、彼氏からとか、一気に言葉を浴びせられたり、詰問をされたり、畳み掛けるように追い詰められると、その内容がたとえ「じゃあどうするの」という質問に過ぎなかったとしても、わたしの脳はシャッターを下ろし始める。
何を言われているのかわからなくなるのだ。
話し合いも返事も出来なくなる。思考が止まっているのだから当然である。
そしてこの局面をやり過ごすには、迎合するか黙るか泣くかしかなくなる。
それを見て、征服欲を満たされた相手もいたことだろう。

下りたシャッターの内側で、わたしの時間は止まる。

残念なことにわたしのウツ病は悪化して来た。それをゆうべはまざまざと認識した。
認知の歪み・卑屈な物の捉え方・そして人格障害。それは薬では治せない。

今急ぐのは、心を守るために、命を守るために、可能な限り、有効と思われる治療を受けることだと悟った。
この場合重要なのは、私自身が『有効である』と認識している治療を行うということ。
それは、生きて行くのに必要なことなのだ。
今やるべきことがそれなのだ。

この状態のまま新しい環境に突入すれば、わたしは簡単に狂うだろう。
覚悟しているつもりだったが、甘かった。とても甘かった。
シロウトには手に負えないものだった。
愛は必須、けれども愛にはなぜか枠が付いている。その枠内で済まないことがあるのを知った。愛のためだという名目で、我慢してはいけないものがあるとわかった。

わたしは、自分のインナーチャイルドを引っ張り出して、抱きしめてやらなくてはならない。その子にも限界が近づいている。
少しの贅沢を、しかも自分で働いて作ったお金で買った贅沢を、罪悪だと思い恐ろしくなって泣き出してしまった。


わたしは、静かに、自分と対峙したい。
070714_14350001_2
もう、あれもこれもは出来なくなった。
シャッターはまだ下りている。
小さい女の子は、蒼い氷の塊のなかで膝を抱えている。

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ただ悲しい。

ウツ病は見た目ではわからない。
ひたすら落ち込むだけ落ち込んで、薬で劇的に治るメランコリー型のひとは勝負が早くていい。

わたしの傷口は人に見えない。
しかも人前で、どんなに取り繕うことも演じることも可能である。
だから目前で発作でも起こさない限り、病気だと信じてもらえない。
絶対に信じてもらえない。
精神のなかで何が起きているかを洩らさない限り、わかってはもらえない。

しかし、洩らした時にはわたしは既に正気を失っているということであり、そのときにわたしを見捨てない人はいるのだろうか。
わたしのウツには、特効薬はない。もちろん、いつ治るかもわからない。
ずっと治らないとわかったときに、わたしを欲する人などいるのだろうか。

いま、予定にない薬を飲んで、紙一重のところで踏みとどまっている。
シャワーを浴びたらまた発作が出るのはもうわかっている。

発作は、一種の放出であるので、出してしまったほうが予後がいい。
けれども余りにも孤独なので、シャワーをためらってしまう。

発作の一連の流れの、最後の痺れの部分で眠りに入れるよう、時間を逆算して浴びよう。
ひとりでひきつけて、孤独になって、だんだん馬鹿馬鹿しくなるまで泣こう。吐くまで泣こう。

病気のせいにするなという無言の圧力を感じる。
最近人の心に敏感すぎて、察知出来てしまうのがとても辛い。
綺麗なこころの人もいる。オトナの理性をきちんと持っているひともいる。
気遣って言ってくれてることと、本心が間逆のひともいる。

病気のせいにしてはいけないの?
だとしたら、120%頑張って倒れたほうがよかったの?

なんのための滑走路なの。飛び立つためではないの?
ジャンプする前には、一番低く屈まないと出来ないんだよ?

理解を得られず、誰もが自分の思惑どおりにならないということを不愉快に感じていることが悲しい。
ただただ、悲しい。
かまってくれとは言ってない。
理解されたいだけなのに!

これは、病気であるということを。
認知が歪んでいるのも、何度も確認してしまうのも、取るに足らない細かいことを気にするのも、病気なんだとわかってほしい。

060902_10110001_3 だれか、わかってほしい。
だれのせいにもしないから!
悪いのは全部わたしだから!
それでいいから、病気なんだとわかってほしい。認識してほしい。

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誰か止めて…

疲れた。体を休ませたい。ゆったりとした気分になりたい。のんびりしたい。

けれど一昨日からわたしは止まらない。止められない。
どうしたらゆったりした気分になれるのかわからない。
そもそもゆったりとした気持ちが、思い出せない。
療養中なのに、ここ数日自分を追い込んでいる。
台風で寝込んだ分を取り戻そうとしているのか、このあと倒れるのを予告しているのかわからないが、わたしは止まらない。

夜中に服の整理をし、トイレ掃除をし、風呂のカビ取りをし…動き回り、訳も無く歩き回り、疲れた、休みたいと思いながら止められない。

脳が沸騰してる。
判断したり選択したりすることができない。
やることの順序がメチャクチャになる。
ハンドクリームを塗ってから手を洗ったりしていて、気付いて愕然とする。

震える手で携帯メールをしてひらがなだらけであることに驚く。
いっぱい薬を飲んで眠ってみたくなる。
それをしないために、今ブログを書いてる。

まだ、正気はある。キーも打てている。

そしてきっと今夜は寝付けない。闇の中で、自分の耳鳴りを聞きながらただ横たわっている。明日が雨であればいいのにと願う。

わたしは、重症ではない。でも、治りにくいウツ病患者である。
正気を失うことを恐れてる。なるべく、書きたいと思う。

だめだ、腕のブレーカーが落ちた。ここで終わらないといけないらしい。

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消えない傷痕

婚約者が逮捕されてからの1年半、わたしが必死に行ってきたことは、社会的にも正しいことではなかったかもしれません。彼本人のためにもならなかったのかもしれません。

そして何より、
『期待させておいて裏切る』という、人として最低なことを彼に対してしてしまいました。それは恥ずべきことであると、今も考えています。

もう頑張れなかった。それは本当です。自分一人を生かしておく手立てさえ失っていた。それも真実です。
わたしは、愛してくれ、守ってくれる男性の胸に身を預け、刑務所の彼氏を捨てて逃げました。それは消えない罪であります。

けれど、他にどんな手段を選ぶことが出来たのか、今もわたしにはわかりません。
彼が地検に逮捕されたときに、「関わりたくない」と判断して、面会になど行かなければ、彼はわたしに頼ることもなかったでしょう。
初公判で余りにも馬鹿げたひどい罪状を聞いて、「ありえない!」と判断して去っていけば、こんなに苦しむことは無かったでしょう。

けれども、どのタイミングでもわたしは去れなかった。彼が欲しているものが、ただ「愛されること」であることに気付いていたからです。

あの人は、わたしを愛してはいなかった。愛されている自分に満足していただけで、わたしを慈しみ守る気持ちなどなかった。途中そう気がついていたけれど、愛を注ぐことによってきっと空洞を埋めて、更生させられると、浅はかに信じていたのでした。

一方通行の身勝手な愛は磨かれることも成長することもなく、あの人を駄目にして、そしてわたしの中から消えました。

考えていたよりも相当に早くわたしはボロボロになり、全てを放棄して、Nさんの胸になだれ込みました。

「最初から無理だったよ。でも言えなかった。」 会の人たちはみんながそう言いました。
今回の決断を恥じないでください。ずっと仲間です。若いメンバーはそうメールをくれました。
「思ったより持ち堪えたわね。」 女性メンバーはそう言って笑ってくれました。

どうせ無理だ……そう思われていたのだと思うと、やるせない気持ちで一杯になりました。よくやったと誉めてくれる人はいない。

わたしの苦しみの一年半はなんのためにあったのだろう…。


けれど、世界でたったひとり、わたしを抱きしめて、ねぎらってくれた人がいます。

Ikenohata_037_2 それがNさんです。
わたしを抱きしめて、父親がしてくれるようにうしろ頭を撫でて、

『よく頑張ったね。充分してあげたよ。いいこだよ。』
…わたしは声をあげてNさんの胸の中で泣きました。

世界でたったひとり、そう言ってくれた人の庇護のもと、わたしは今こうして生きているのです。


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幕は下りた。

弁護士からの通達(抜粋)

************************

先日ご連絡いたしました。彼女の体調は相当に悪く、働くことの出来ない状況です。
けれどもご承知の通り働かないと家賃が払えない生活であり、心が休まりません。
ストレスが大きく、心身が悪循環し合っている状態です。
彼女にはもう、気力・体力・経済力、何もありません。
よって、大人の男一人の身元引き受けをする力は無いという決断を下しました。
Gさんには申し訳ないと申しておりますが、P会の方々とも相談し、会の総意としての判断であります。

保護監察官に先日彼女は届け出をいたしました。その書面がGさんにも来るだろうと思います。その前にわたくしから手紙で知らせてやってくれという希望でしたので、ここに連絡いたします。

彼女には今後一切接触なさらないよう、併せてご連絡いたします。彼女はもう、心身が壊れているのです。

お辛い状況はお察しいたしますが、ご容赦ください。

*************************

わたし一人の決断ではなく、「会の総意である」ということに、恐らくかれは叩きのめされたことでしょう。判決文に、異例のこととしてその存在を記述された特別なバックアップだったのです。その会に帰ってくることを喜びに、彼は耐えてきていたのです。

なかなか言い出せずにいるわたしにしびれを切らして、弁護士は友人にもメールをして、わたしの心が既に回復不能であるということを伝えてくれました。
その中には「あんなにお世話になって助けてもらいながら申し訳なくて言い出せない」と躊躇していたわたしの気持ちについても代弁されており、また、「疲れ果て、傷だらけになった彼女を、友達として優しく受け止めてやってほしい。」ということも、書き添えられてありました。
本当に、この弁護士はわたしの女神でした。

友人はきっと、蒼くなったことでしょう。「コイツをまた俺が背負うのか!?」と…。

その後日会ったとき、わたしは友人に叱られました。
彼を捨てて逃げたことを、ではなく、やりすぎて甘えさせたことについて、でした。

「正直Gさんは甘いと思う。あんな犯罪を犯したことを反省しているとは思えない。親族にも疎まれ、仕事だって見つかるかどうかわからない。キミや俺らに頼りっぱなしだ。世間はそんなに甘くない。」
ふむふむとわたしは聞いておりました。
「だけど、Gさんをそうさせたのはキミだ。甘やかしすぎた。」

確かにわたしは、彼を救う・助ける・支えるという名目で、壊れるくらい頑張りました。
けれどそれは、世話を焼くことでわたし自身の「存在意義」をそこに見出したかっただけなのであって、彼の為ではなかったのでしょう。

まるで悲劇のヒロインになったかのように、いい気になっていたのです。

わたしは悲しくなりました。頑張る方向を間違っていた…。無駄だったのだ、と…。
友人は厳しい声で言いました。

「俺は、Gさんは満期まで務めて来たほうがいいと思ってる。彼自身のために。」

2007_0707karuizawa0011_2弁護士からの通達が届いたあとも、彼からは返信は無かったそうです。
法務省からも文書が手渡され、書類は書き換えられたはずでした。

こうして幕は下り、わたしは、彼とは全くの他人となりました。

それから一年が経ちました。

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最終通達

Ikenohata_049


わたしのその言葉を聞いて、弁護士は「自分でやれる?」と聞いて来ました。けれども、わたしにはもう何の気力も残っておらず、すべてをお願いしますと頼んでしまいました。

担当保護司に電話すると、保護司は既に辞任しており、後任は付いておらず、彼は保護監察官の直轄になっているということがわかったそうです。
役所はもう閉庁している時間で、明日の朝法務省に電話をしてくれるということで、話は決まりました。

         彼を捨てる

考えてもいなかった結果を手に入れてしまったわたしは、わたしの口から知らせるべき人が二人居ることを考えました。
一人は、ここまでただただ支えてくれた友人。
もう一人はNさんです。

Nさんとは、あのとき(ブログ「芽吹きの雪崩」8/23、「捕まえる機会」8/27記)以来、離れられない仲となり、恋人のように付き合い始めていました。
わたしはNさんに『わたしが一番じゃなきゃ嫌だ! ほかの女性を見るなんて嫌だ!』というとんでもない自己中心な要求をし、Nさんは数日悩んだのち、付き合い始めていた彼女を振りました。
そしてわたしだけに愛情のシャワーを注いでくれ、不安定な心と生活を支えてくれ、逢うたびに耳元で、「ヒメが欲しい。手に入れたい。手元に置きたい。」と囁き続けていました。

わたしがまだ「彼氏に会いに出かけている」こと、「なんだかわからないけれど大きなものを抱えている」ことを、知っていながら追求せず、わたしも話すに話せず(Nさんと刑務所の彼は顔見知りです。)、そこを避けながら、恋人として付き合い始めてしまったのです。

けれども、わたしは身元引受人として彼氏を刑務所に迎えに行くという考えは、捨てていたわけではありませんでした。(今思うと馬鹿げていますが…。)
迎えが無いと仮釈放で出て来れないのです。わたしが行かなくては…。
出してやって、適当なアパートに住まわせてやり、仕事を探して暮らしていけるようになるまでは面倒を見なくては…と、思い込んでいたのです。

そうしてから、Nさんのところに、ボロボロになって倒れこもう。抱きしめて、待っていたよと言ってもらおう…。
そんな勝手なことを考えていました。

Nさんは、いつまでも待つよと言ってくれていました。手に入るわけがないと思っていたヒメが僕を見てくれて必要としてくれているなんて夢のようだと。だから待つよと、言ってくれていました。
けれどもNさんと付き合いだしてから半年間、わたしは刑務所の彼から逃げること・情熱を失くしたこと・任務を放棄すること・助けてくれ、支えてくれ、応援してくれてる人たちのことを考えると決心がつかず、どうしよう、どうしようと悩み苦しみ、体も精神も壊してしまって来たのです。

Nさんからは、「僕はいつまででも待つけれども、ヒメはそろそろ自分の幸せというものを考えてもいいのじゃないかな。」と言われていました。
ズタズタになったわたしは、もうNさん無しには色んな意味で暮らして行けなくなっており、彼はわたしを手に入れることを自分で決めてかかっていたので、わたしの「捨てる」勇断には静かに喝采してくれました。

友人に、言わなきゃ…。

でも言えない…!

あんなに救ってくれて、助けてくれて、支えてくれてきたのに、「やっぱり駄目でした~。」なんて言えない…。

一番先に言うべき人に、言えなくて言えなくて、日にちは経過し、わたしはその間に彼氏の荷物を整理しなおして箱を減らし、知り合いの倉庫に全て残らず出してしまいました。

床を掃除して新しいラグを買い、押入れを掃除して扇風機とストーブをしまい、布団もしまえるようになり、足を伸ばして座れるようになりました。
すこし、心を許せる家に戻りました。


法務省の保護監察官は、弁護士経由では駄目で、直接話さなくてはならず、電話をして身元引受人を辞めたいと言葉で伝えました。優しい女性の方でした。
理由を聞かれ、体を壊して働けず、とても面倒を見ることが出来ないので、というと、監察官は「では体が治ったらどうでしょう?」と聞いてきました。
「いえ…。心がもう、治らないので…。」そう答えると、了解してくれました。
彼女が切ろうとする電話にわたしは質問しました。
「このあと、どうなるのですか?」 
「どうって、あなたはもうこれで…」 
「わたしのことじゃなくて、彼のほうは、満期でしか出て来れなくなるんですか?」
「いいえ、」彼女は説明してくれました。
「身元引受人が居なくなったからと言って、仮釈放が一切無くなるってことはないですよ。本人の態度次第です。」

少しホッとしました。けれども、身元引受人を失い、帰住予定地を失い、内妻を失い、保護司も付いていない彼は、最短なら2年半で出てこられると考えていましたが、それは到底無理で、ほぼ満期に近い年月をすごし、真面目であれば刑期を数ヶ月残して仮釈されるという感じになってしまうでしょう。

法務省から彼宛に、身元引受人が辞任したことが文書で伝わる…。それではあんまりだ。気の毒すぎる。
わたしは弁護士に、彼に最後の手紙を出してくれるよう頼みました。
そしてそれは、弁護士から受刑者への、画然たる「文書通達」でした。
先だって出してくれた、親しみを含んだ手紙とは全く違うものでありました。

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どこに希望があったの?

P1070368_3 そこからのわたしは心もズタズタ、体もボロボロでした。

出血は止まることなく襲い続け、わたしはアドバイスを受けて、その出血の一番ひどい日に仕事を休んで大学病院の婦人科に行きました。

先月静岡に面会に行った後も激しい出血で訪れており、それは薬で止まったのですが、その後たった一週間でじわりじわりとまた攻めて来ており、やがて激しさを増し、その日は念のため替えの下着まで持っての通院でした。

「すごい出血で…診察台に上がれるかどうかも…。」そう言うと落合先生は、気にしないでいいからとやさしく言ってくださいました。
案の定下着を取った時点で大出血がおこり、立ちすくむわたしの足元を看護師さんが始末してくれ、診察した落合先生は、婦人科医でありながらその惨状に『うわ。』と声が出てしまったくらいだったのです。
二倍に増やされた薬でとりあえずは止めましたが、落合先生からは手術を勧められました。そうしないともう薬だけでは対処が出来ない状態でした。

仮の手術日を決め、その日からしばらく仕事に行けずわたしは家で苦しみを抱えていました。


受刑者処遇法がこの年の6月に施行され、今までは向こうからの発信が月2回(3級受刑者)だったのが5回まで許可され、彼はたった一枚の便箋を、あの面会以降何度か送って来ていました。

決壊を起こしてからはそれらを読む気力すらなくもちろん返事も書かず、綺麗にファイルしていたのも億劫になり、わたしは全てに捨て鉢な気持ちになっていました。

何のために頑張って来たの。
どこに希望があったの。
どうして彼と出会ってわたしは彼を選んだの。


決壊したわたしの心を受けて、弁護士はとりあえず「しばらく行けないし手紙も書けない。」という手紙を出してくれました。

接見禁止の時に拘置所と地検の検事と闘ってまで面会をしてきたくれた弁護士です。彼も恩義があります。わたしがその後継続的にお世話になっていることも知っています。

彼女は今、心身ともに疲れ果てており、弦が伸びきってしまった状態にあります。出血も動悸もひどく、服薬していますがその薬の影響でウツ症状もでています。ですので当分面会には行けないし手紙を書く気力もないようです。また、あなたから手紙が来ると、返事を書かなきゃいけないという観念にかられるので、そこの所もご考慮くださいね。】
こんな内容の、親しみを含んだ手紙を彼女は送ってくれました。

…わたしは、まだ期待をしていました。
彼がわたしの苦しみをわかってくれるのではないかと。
自分の言った一言がヒメの心をいたく傷つけ、それは再起不能なほどのダメージを与えてしまったことなのだと理解してはくれないかと。

そのときわたしは全てを捨てて二度と行かないという決心をしていたわけではなかったのです。
まだ、少し休んだら復帰しなくてはいけない・わたしが身元引受人として迎えに行かなければ仮釈放されない…。そう考えていたのです。


数日して、彼から弁護士宛に手紙が届きました。
『返事が着たからとりあえずFAXするわ。本体はあとで郵送します』と、弁護士はFAXを送って来てくれました。
それを足踏みしながら引き抜き、読んだわたしはその場にへたり込みました。

このひとは、なにもわかっていない…。

そのとぼけた何の危機感もない文章を読んで、わたしは夕暮れの台所の床に、しばらく座り込んでいました。
そして立ち上がると、携帯を握り、弁護士にメールをしました。
「先生、FAXありがとうございました。これで充分なので、手紙本体は送って下さらなくて結構です。」
ところが郵便はもう出されており、断ることは出来なくなり、わたしはもう一度彼女にメールで問いました。

「先生…彼は、これは、わかっていて気付かないフリをしているのだと思いますか? …それとも、まったく事の重大さを理解してないのか、どちらだと思いますか…?」
すると弁護士は返事を寄越しました。
『彼は、全く理解していません。自分のことしか考えていない。そう思います。』


『先生、わたし、もう頑張れません…。』
わたしがそう口に出したのは、その時でした。

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決壊。

Jindaiji_022 人は期待をするから、そうじゃないことが起きたり意にそぐわないことを言われると、がっかりしたり怒りを覚えたりするのだとは思います。

その日の疲れ切ったわたしも、薄汚れた仕切り越しに聞く、彼からのいたわりや感謝の言葉を期待していたのでしょう。
暑い中ありがとう、混んでいたかい? 具合が悪いのにすまないね…etc.

そんな言葉をもらいたくて行っていたという時点で、それはもう愛ではなかったかもしれません。


『なんだ、全然やせてないじゃない。』

開口一番、彼はそう言い放ったのでした。
遠いところありがとうでもなく…大丈夫かいでもなく…。

そのとき、確かに、頭の奥で、
「プチッ」というかすかな音が聞こえたのを覚えています。
わたしはパイプ椅子に崩れ落ち、ひとこと、こう返すのがやっとでした。
「やせたのよ…これでも…。」
けれども片耳しか聞こえない彼にはそのちいさな声は届きませんでした。

何を話したか、まったく記憶に残っていません。
ただわたしは、もう来れないとまで行かなくても、かなりの時間を空けたほうがお互いのためだとぼんやり考えながら彼の話に相槌を打っていました。
時間が近づき、意を決してこう言いました。
「今月は、体力的にも、経済的にも、2回目は来れない。9月のことは仕事の休みもわからないし、また手紙で知らせるから。」

その時の、彼の拗ねた瞳を、今も忘れられません。
悲しいとか寂しいとか怒りとかではなく、歪んだ拗ねた瞳でした。

そしてそれが最後となりました。

わたしは面会に行かなくなり、二度と静岡に新幹線で降り立つことは無くなりました。
真夏の静岡を背にして、わたしは品川に戻りました。


大した言葉ではないのかもしれません。
健康で、生活苦で無かったならば。
器以上に頑張ってしまっていて、壊れかかっていなければ。

けれどわたしの弦はそれによって最後の一本が切られ、自分の愛が消え去っていたことを知りました。
彼に会いたくて彼を喜ばせたくて、楽しみに静岡に通っていたのは、初めての面会の7月から、「もうしてあげられることが何も無い」と、『供託』を諦めた12月までの5ヶ月間。
何のために頑張るかを見失ってしまってからは8ヶ月間/月2回の面会を、ただこなしていたに過ぎなかったことに気付いてしまいました。

彼に対する不満を沢山抱えていたことにも気付きました。
新監獄法・新会社法・更生保護制度改革提言
これらの差し入れを彼は要求しました。
わたしがプリンターを持っていないことは承知のはずで、それを誰かに頼んでプリントアウトしてもらい送ってくれと気軽に言うのです。
一つ目は友人に頼み、二つ目は4500円もする専門書を買って重たい思いをしながら持って行き、三つ目は弁護士に頼みました。

「ヒメの体と生活を優先してくださいね。ストレスを溜めず健康になってください。」???

どうやったらそうやって暮らして行けるのか教えてくれ!
心の中では叫んでいました。
だったら自分の稼いだ報奨金で買ってくれ! 
(刑務所では給料ではなく、働いたご褒美としての報奨金ということになっている/給料として換算すると時給数十円だが)

最後の弦が切れた途端、わたしの心の中は一気に不穏になり、楽しいと思えることが少なくなり、体調が次々と崩れ、週に3日ほどしか仕事に行けなくなってきました。

思えばそれは、ウツ病のサインでした。
発症はいつからかわからないものの、堰を切ったようにここから症状があふれ出したのでした。

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最後の一本

2007_0731tuchiura0004 こちらのブログに励ましを求めて来訪してくださっていた方の、期待を裏切ってすみません。

自分の中に、「無理かもしれない」という思いがよぎるようになってから、実際に言葉に出すまでは半年。そこから、新しい人生を選ぼうと決めるまではまた3ヶ月。

言い訳がましいですが、スパスパと事を進めていけたわけではありませんでした。
悩んでいることで精神的負担があり、そのせいでさらに体が壊れて行ったのは事実です。
なので、わたしの口から「もう頑張れない」という言葉が出た途端に弁護士が行動したのは、わたしの体と、精神の変調を彼女が既に感じ取っていたからです。

けれども、それで良かったと思えるようになるには程遠く、きちんと彼本人と話し合って決別することが出来たなら、自責の念も少なく、彼のほうも理由を知ることができて良かったのではないかと、その後何度も弁護士に相談しました。
けれど、彼女の答えはいつもNO。
友人にも店のおかみにも聞いてみました。手紙を出してはどうだろうかと。
けれど、すべての人の答えはいつもNOでした。
彼のためにならないと。

友人には、『ゼロか100かどちらかだろ。全部背負えるのなら全部頑張れよ。だけど、無理だったら何も残すな。ゼロにしないと、かえって残酷だ。』と言われました。
おかみには、『理由を知らせると、逆にむこうが未練を残すから、そうやってフッと消えたままでいいのよ。書いちゃいけない。』と言われました。

今はその意味がわかります。当時のわたしは、彼の為ではなく、自分をただ正当化したくて彼に手紙を書きたかったに過ぎないのです。

アナタのせいでこうなった、だからわたしがアナタを捨てるのは正当だ。こんなに頑張ってあげたのだから。…わたしは、おそらくそう言いたかったに過ぎないのです。

彼にとって理由などどうでも同じこと。
たった一つの希望と拠りどころを、瞬時に失っただけです。
理由を説明されても納得はいかなかったでしょうし、自分が悪かったと思ってもいないでしょう。

自分が発したたった一言が、わたしの弦の最後の一本を切っただなんて、思いもよらなかったでしょう。


最後に面会に行ったのは、去年の8月です。
わたしは出版社の仕事を終え、翌日は店に出て、その夜から台風で、しかも体は大量の出血を続けており、文字通りフラフラの体で、やっとの思いで東京駅に着きました。
そして、ごった返しの東京駅を見て初めて、世間が夏休みであると気がつきました。

人ごみをかいくぐって中央改札に向かい、いつもよりはるかに長い長い列に並んで切符を問うと、いつも乗る「ひかり」は、喫煙のB席しか空いていませんでした。
わたしは車内での食事は諦め、子供連れの騒がしい構内を抜けて、ようやく車内になだれ込みました。

ジメッと暑い静岡に到着しても、静岡駅も混んでおり、トイレに行って自分の出血に蒼くなり、バス停まで急いで、どうにかいつものバスに乗り…。
バスを降りたとき、わたしは失神しそうでした。

ずっと体調が悪いことを、彼には手紙で知らせてはありました。
「何よりもヒメの体調を優先してくださいね。」 
そう手紙には優しく書いてありました。
…体調をもし優先するなら、わたしは既に働ける体じゃないっ! そう書きたいのをこらえるしかありません。泣いても頼んでも、塀の中の彼が何かをしてくれるわけではないのですから…。
働いて自分の生活を維持して、月に2回の面会に3万円を費やし、その上彼が帰って来たときのために貯金しておけ?
この体でどこをどうしろと言うの。もう体を売ることも出来ない。
何の手立てもなく、ただ必死に静岡に向かっていたにすぎない…。

面会のドアを開け、座ろうとするより前に珍しく彼が入室して来ました。
そして彼の言った最初の一言が、わたしの張り詰めてボロボロになっていた弦の、最後の一本を、切ってしまいました。

わたしは、椅子に、崩れ落ちました。

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逃げ出したわたし。

(本編に戻ろうとしています。)2007_0707karuizawa0005_2

今までの記事の書き方はどうも出来なくなったことがわかりました。
わたしの「潜在ちゃん」が嫌がっているのです。
ですがわたしには、今書いてしまいたい理由があります。なので思い切って「お尻」から行くことにしました。

彼氏を逮捕されてしまい、どうしたらいいかわからず、このブログに辿り着いて、毎日のように読んでは、ご自身の指針とまでは行かなくても、支えにして下さり頑張っている方がいらっしゃることを思うと心が痛むのですが…。
ここでまた、いい子ぶっても仕方ないですよね。

わたしは、刑務所にいる婚約者を、捨てました。


体と精神を壊し、誰かの庇護無しには生きて行けなくなり、その人に愛情を持ち、婚約者を捨てて、いまはその人の保護のもと、療養生活を送らせてもらっています。

『駄目かもしれない…。もう頑張れない…。』
わたしがそう口にしたときは、もう充分に葛藤した挙句のことで、それによって既に精神をかなり傷つけていました。
体は、坂道すら登れない有様で、止まらない出血・動悸・震え・冷汗・激しい頭痛・天地のわからなくなるほどの目まい…。

けれど、体のせいではなく、わたしは逃げ出したのです。捨てたのならまだしも…。
あるときあることによって(後日書きます)、プツッと音がして切れて、わたしはそれきり面会に行かなくなりました。手紙も書きませんでした。

「もう頑張れない。」
そうわたしが言葉にするや否や、わたしの弁護士は矢のようなスピードで動き始め、わたしから鎧を剥がしにかかりました。
担当保護司はその職を辞しており、次の保護司は就いておらず、法務省の保護監察官と直接話すことによって、わたしは身元引受人の任を解除されました。同時にその旨は、弁護士からと法務省から文書によって彼に知らされることとなりました。

それきり、他人になったわたしには、彼の気持ちも様子も、まったくわからなくなりました。今誰かと手紙をやり取りしているのか、だれか身内が面会に行っているのかわかりません。

『あなたは騙されたのよ? 本当に愛してる大事な女なら、数百万の借金の連帯保証人になんかするわけないじゃない! それもヤクザに渡すためのお金だよ? 預かったものは全部家から出しなさい。一つ残らず。そして忘れなさい。』
グループの女友達が言ったこの言葉で決心し、わたしは預かっていたすべてのものを家から出して放棄しました。

あれから1年が経ちました。

結局、わたしはウツ病であったことがわかり、今は庇護されて安らかに療養生活を送っています。ウツ病であったことは、逃げの口実には都合がよくて、正直ホッとしたのも事実です。けれど、もう頑張る気力も無く、頑張る意味さえ失くしていたのもまた事実でした。
「それでいいんだよ。あなたには無理だったよ。」 周りの人全てがそう言ってくれました。
それでも、わたしには「逃げた」足枷がついて回ると感じています。心の、奥底に。

彼が出所してきたら…?
何がどうなるのか、今はわかりません。考えても仕方ないと思います。
わたしは違うひとに愛されてその人を愛し、新しい自分を構築し始めており、新しい生活も、間もなく始まることになっています。
初めて、「逃げる人生」から、「構築する人生」に切り替えていこうとしているところです。

逃げた事実は消えません。
足枷が、外れる日は来るのでしょうか。真に解放される日は来るのでしょうか。
でも、幸せになってもいいですよね…。

塀の中の彼氏を待っているみなさん。
わたしはまっとう出来ませんでした。すみません。
みなさんは、もし可能なら待っていてあげてください。
このブログで何度も書いていますが、人を救うのは愛のみなのです。罰を受けたからと言って更生できるわけではないのです。
待っているあなたの、愛で更生し救われるのです。
けれど、どうかご自分の心に忠実であってください。これだけはお願いです。
あなたは壊れないでください。義務や情だけで、務まる役割ではありません。人一人の人生を背負うのは、とてつもなく大変なことです。

そして逆に、『期待させておいて裏切る』という、わたしがやった最低なことはしないであげてください。

幸せを、祈っています。努力が報われることを祈っています。

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雨の音。

Jindaiji_001 (まだ本編ではありません。)


やっと少し浮上してきました。
夕べは横になってから40分ほどで寝付いて(優秀優秀。)、アラームで1回起きて、なぜか大汗をかいていたので一枚脱いでタオルを変え、友人からメールが来てやりとりし、そのあと雨の音を聴きながら、また寝てしまったようです。
昼にメールで起きてからは、重石が取れたような気持ちになっていました。台風の影響で体はだるいのですが、そろそろブログも本編に戻れるかもしれません。

わたしは水が嫌いです。顔を洗うのも大嫌い。プールの授業があるという理由で、夏が大嫌いでした。今も、食器洗いや洗髪は嫌でたまりません。

でもいつの頃からか、雨の日は好きになりました。
雨の音を聴きながら、うとうと眠っていられる日曜の朝が大好きでした。
傘をさして病院に行くのも好きでした。歩いているとき、誰にも顔を見られなくて済みます。

雨のドライブで、窓ガラスにあたる雨粒を見ているのも好きです。

雨はわたしを癒してくれます。雨だから、のんびりしていよう。
日常の焦りから少し解放してくれます。

ブログについては、わたしは「このあとあのやり取りをこう書こう」という筋立てがあったのですが、それをわたしの「潜在ちゃん」が激しく嫌がっているらしいことに気がつきました。
「ひょっとして、書いちゃ駄目なの? それでわたしを寝込ませた?」
そう尋ねてみたのです。あ、もちろん心の中で。

『嫌や! 辛い!』
そう答えが返ってきました。なぜか思いっきり関西弁でした。
「書いたらあかんの? そこ書かんと、進まれへんねん…。」わたしも関西弁で返してみました。
『嫌や。今でも辛い。自分のせいやから余計辛い。悲しさを忘れられへん。』
「そうかあ、いまでも辛かったんかあ。ごめんなあ、平気なフリしてたからなあ。わかった、そんならそこ書かんで、飛ばすわ。それでいい? 辛いってこと、忘れへんから。」
わたしがそう心の中でつぶやくと、こぼれていた涙がスッと止まりました。
彼女からの、『それやったらええよ。』というサインだと受け止めました。

↑頭のおかしい人みたいでキモイですか?(笑)
これを声に出し始めるとヤバイのですが、カウンセラーは、「潜在意識存在を認め、語りかけ、声を聞くということは効果的です。」と言っていたので、ご心配なく。

わたしは、表面の自分と、潜在意識が余りにもかけ離れているために、軽い人格障害を起こしているにすぎず、それを再構築してその差が縮まれば、辛さ苦しさが減るはずだとのことです。
いわゆる「裏表のない人」というのは、きっと潜在意識と表面の自分がとても近くて、無理のない人格なのでしょうね。

Jindaiji_023 思いがけず関西弁だった「潜在ちゃん」と、少しでも歩み寄り、理解しあえたらいいなあと思っています。
彼女の意向を汲んで、明日からモデルチェンジした本編を始める…予定です(^^)v


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眠りへのいざない

Blog_from_nao (やっぱり本編ではありません。)



うつ病には、必ずと言っていいほど何らかの「睡眠障害」が症状として現れます。というより、うつ病を見分ける大きな判断材料にもなっているといいます。
種類としては、
・早期覚醒……早くに(例えば3時4時に)眼が覚めてしまい、そのあと眠れず、慢性的に睡眠不足。
・中途覚醒……1時間とか2時間置きに眼が覚めてしまい、いくら眠っても寝た気がせず疲れが取れない。
・入眠障害……寝つきが非常に悪く、疲れていても寝付けない。しかし一端寝付くとある程度は眠れる。
こんな感じです。もちろんんこの複合型の人もいらっしゃるでしょう。

眠れないということは、本当に辛いことです。
「死にそうになったらどうしたって眠っちゃうんだから気にするな」 とか、
「どうしても朝起きなきゃいけない用事が無いなら、寝たいときに寝てれば。」 
「どうせ寝れないのなら、何かやってればいいじゃない。」
そんなふうに、人は色々言ってくれます。

でも、眠れないことは、孤独なことなのです。怖いことなのです。わかりますか?

わたしは、『入眠障害』です。
疲れたなあ、眠いなあ、じゃあ寝よう…と、すうっと眠りに落ちてゆくあの甘美な感覚を、もう1年味わっていません。眠りへの甘い誘いを、すっかり思い出せなくなりました。
用があって早起きした日も、歩き回って体が疲れた日も、人と会って精神的に疲れた日も、本を読みすぎた日も、すこしビールを飲んでみた日も、コーヒーをやめてもアロマオイルを嗅いでも、眠くないのです。寝付けないのです。

布団に入って、30分…1時間…1時間半…。2時間も悶々として、外をバイクや車の走り出す音が聞こえてくると、泣きたくなります。寝ていない罪悪感と、寝なくてはいけないという強迫観念で、心臓がバクバクしてあぶら汗をかきます。

早朝の約束なんて怖くて出来ません。起きなきゃというプレッシャーは、寝なきゃというプレッシャーになり、ますます眠れないのです。

睡眠時間が短くても大丈夫な体質の人もいます。4時間も寝れば充分という人もいます。
わたしは、最低でも6時間寝ないと、自律神経に異常をきたす体質なので、それを切った睡眠で出かけるとなると、その日一日は具合が悪いという前提で行くことになります。

また、わたしの母は、『早く寝なさい!』が口癖の人でした。そこから強迫観念が生まれてもいます。「早く寝ない子は悪い子」なわけですから…。

幸い、早期覚醒も中途覚醒もないので、寝付くことさえ出来れば、よほどのことをされない限り、6時間は確実に眠り続けられます。その点は、ほかの睡眠障害の人よりも良かったなあと思います。

わたしの飲んでいる薬は、どれ一個とっても激しい眠気を誘う薬です。そういう類のくすりを7錠と、それにハルシオンという睡眠薬を足して飲んでもなお、寝付けない。
薬が効いて来たのは、体の痺れでわかります。ああ、効いて来た…わたしは期待します。
ところが、脳は冴え渡り、眼は閉じてはいるけれど、爛々としているのはわかっています。眠くなってくれず、体だけが大量の薬効で動かなくなっているのです。

たまにどうしようもなくて寝てしまうときは、相当に具合が悪くて寝るのであって、その場合は悪夢にうなされ呻きながら暴れているらしいです。


眠くなった、さあ寝よう…。
そんな、眠りへの甘美な誘いを、わたしはもう一生味わえないのかもしれません。
 

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ちいさいわたし。

Tyobijinndaiji_017 (やはり本編ではありません。)


夕べは参りました。寝ようとして全ての薬を飲んだところで発作が襲ってきたのです。
精神安定剤のデパスと、頓服のコンスタンは、一緒に飲んでも効果が出ないので(相性が良くないらしい)、このまま頓服を飲まずにやり過ごすしかない…。
泣きながら、それでもタオルを口鼻に当てて過呼吸にならないよう気をつけながら引き付けていました。

きっかけは、お風呂。わたしは水に触れていると泣けるのです。だから食器洗いも嫌だし、お風呂も好きじゃないし、髪を洗うなんて怖くてたまらない。
夕べはずーっと胸が痛くて苦しくて、それが何故だかわからないので(わからないのでウツ病なのですが)、お風呂で「潜在ちゃん」にきいてみたのです。どうした? 何が苦しい? 出て来てごらん…。
3日前から蒼い氷の中に閉じこもっている彼女に心のなかで声をかけました。

途端、駄目になりました。
わたしはまだ「潜在ちゃん」の声が聞けない。何を望まれ、どうして欲しがっているのかがわからない。おそらく彼女もうまく表現出来なくて涙で訴えて来たのです。

わからないよ、わからない。お願い鎮まって…。
お風呂を上がって、水で薬を飲んだ途端さらにまた彼女が泣き出しました。嗚咽もこらえられず、床に座り込んで動けなくなりました。タオルを顔に当て、泣いてひきつけている母親を、息子は少し離れて黙って見ていました。彼がどんな顔をしていたかわかりません。
ただ、寝るときに、ドアは閉めず照明も皓皓とつけたままにして、彼はベッドに横たわっていました。ちいさい優しさでしたが、嬉しくて、そのあと1時間くらいで発作は治まり、明け方眠ることができました。

「潜在意識」 これはわたしにとってはインナーチャイルドです。
可愛がってもらいたかった小さいころの自分。
優しいことばをかけて欲しかった小さいころの自分。
旅行というものに行ってみたかったわたし。
熱を出したり怪我をしたときに怒られるのが怖かったわたし。
人前でけなされることが辛かったわたし。

その子を、抱きしめて喜ばせてあげたい。もう怖がらなくていいよ、大人になったんだからねと、安心させてやりたい。欲しかったものを買ってやって、行きたかった旅行にも行かせてやりたい。

よかったね、きれいだねって、一緒に喜びたい。
2007_0731tuchiura0031_2 
ちいさい女の子の、あらゆる『怯え』を、取り去ってあげたい。

それがわたしの、望みです。

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惜しみなく。

(まだ本編に戻れません。) 2007_0707karuizawa0007_3

精神状態が悪く、とても手帳を繰って文章を書けそうにありません。


昨日はカウンセリングに行きました。
カウンセリングの初回は、インテークといって、導入部つまりあらすじを話すものです。そこで、どんな経緯で鬱病を発症したかをわたしの場合は7月に話しました。
その後、それぞれの人・または事象についての話しをして、その当時の自分の気持ちや、現在の気持ちなどを話します。
カウンセラーはそれを通してわたしのこれまでの生き方・考え方のクセを見ていくと思われます。

これまでの4回のカウンセリングで、おおよその材料は提供したので、現在カウンセラーの前には、わたしの骨組みが見えており、どこが歪んでいるのか、どこがズレているのかがわかっているはずです。けれどカウンセラーは教師ではありません。クライアント(患者)に教えるわけでも矯正するわけでもないのです。
『お手伝いをする。』わたしのカウンセラーはそういう言葉を使います。
『あなたが、自分で気付き、自分で認める。そうすることによって再生する。再構築する。そのお手伝いをさせていただきます。』カウンセラーはそう言います。

昨日は、残り5回でどこまでやれるかの打ち合わせでした。認知療法の一部を宿題として自宅でやることにもなりました。
「あなたは理解力が高く言葉も全て通じるので、なんとか5回でやってみましょう。」
そう言われて昨日は終了でした。

自分の内面のドアを開けられたり、外側にさらされたりすると、普段は隠れているその『潜在意識』(わたしはこれを「潜在ちゃん」と呼んでいますが)がビックリします。陽を浴びる事に慣れてないからです。そのうえ、「こうなんじゃないかな?」なんて声をかけられたりしたら、感極まって吐くほど泣いたりします。

粘土で型を作られ、それに衣装を着せられ、鎧まで着せられてその重さに喘いでいたわたしの核は、無力で無能な、臆病な女の子です。
傷つきやすくて、それが怖くて先に相手を傷つけていた子供時代。
それでは人が離れると知り、型を造り始めたのが高校生ごろ。
そのころのわたしはパニック障害・自律神経失調症でした。

離婚してからは摩擦を避けるために衣装を纏い、人に言えない生き方をしたために攻撃を避ける鎧まで着込んで、どうにもこうにも動けなくなって、潰れました。

わたしは、自分を実験台にして、カウンセラーと同じ『クールな頭脳・ホットな心』で再構築をしてみたいと思います。
と、ご立派なこと言ったりしてみますが…。

実際は…ゆうべからとても具合が悪くて、向こう側に引っ張っていかれそうなのをもがいて苦しんでいました。
今日は嫌でたまらないけど食材がないのでスーパーに行きました。
曇りで、しかも夕方なのに帽子を目深にかぶり、献立を考えることもできず値引きシールの貼ってある肉を適当に買い、震える手で小銭を払い、よろけるので何度も人に迷惑をかけながらやっと帰宅しました。
でも、そんなことは辛くない。おお、今日は病人だあー、ひどいなあーと、思っていればいい。

もし辛いとしたら、身近な人がそれを理解してくれず無視されることなのではないかと思います。
手伝ってくれなくてもいい。飛んで来てくれなくていい。頑張れることはやってみる。
でも、呼びかけたら答えてほしい。
「大丈夫か? 辛いね。 よくやれたじゃん。 どこが苦しい? どんな風に苦しい? 休んでていいよ。 眠っていいよ…。」
そういう言葉があれば、治る治らないにかかわらず、丸裸の「潜在ちゃん」は、安心するでしょう。癒されて、こころのトゲやささくれも無くなるでしょう。

2007_0707karuizawa0010 言葉には、魂がやどります。
言葉は人を救います。そして、言葉で人を死なせることも可能です。
大切に扱っていきたいと思います。

大切に、そして何よりも、惜しみなく。

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