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発病

わたしはそれから7月に入るまで、まったく休みを取っていません。
出勤しない日には自分の仕事の講座や注文品やサンプル作り、果てはホームページ作りにまで手を出しました。
それを、その時期にやりたかったかどうか、今となってはわかりません。
しかし、生活を援助し応援してくれる人たちが居る以上、わたし自身もやる気があるところを見せなくてはいけないという
強迫観念にとらわれて、自分にムチを振るい続けました。
そしてそれを手伝ってくれる年下の友達も来てくれ、彼女の明るさにもわたしは救われていました。


体は、既に10日以上ものあいだ、ものすごい量で出血を続けており、それが先月止まってしまった反動だと考えるにしても、一向にしぼんでいかない大量の出血に、トイレに行くだび心が真っ青になりました。

調度新店舗の出店準備という重荷が重なり、貧血がすすんだのか絶えず視界は揺れ、階段を登ることどころか立っていることすら辛くなってきたわたしは、新店舗に近い町の産婦人科を訪れました。
自分でも、これは長引く・働きながら通院するためには店の近くがいいと考え、タウンページで調べて行ったのです。

本当に地域に密着した感じの「町の産婦人科」というたたずまいの医院でした。
10日以上激しい出血が止まらないと話すと、内診と超音波で調べられ、子宮の壁内部に小さい筋腫があることを告げられました。 
しかし、筋腫は子宮の内側にあるわけではなく、壁の中です。
それがこんな大出血をおこしている感じはしなかったのですが、人生でありえないくらいの経験をしてしまったわたしには、何が起きてもおかしくない感じもあり、いわれるままに投薬を受け、ホルモン剤の注射に通うことにしました。


その甲斐あってか、新店舗のオープンの日までには出血は少量にはなり、週一回のホルモン剤の注射と服薬で、新店舗に通うことは出来ました。また、細胞検査の結果、癌ではなさそうだということも判明しました。

しかし、心は晴れず、彼がどうしているのか、まだ東京拘置所に居るのか地方の刑務所に送られたのかもわからず、重く黒いものを胸の真ん中に抱えたままの毎日でした。

そして7月になり、わたしは休みを取って、ほぼ一ヶ月ぶりの小菅駅に降り立ちました。
東京拘置所にまだいれば7月分の面会ができる。
既に移送されてしまっているなら、その事実だけは把握できる。

正門の門番さんはわたしを覚えており、久しぶりだねえと声をかけてくれました。

面会の申し込みをしました。
わたしを目で呼んだのは、「えっ?」と見つめあったあの係官でした。

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