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2007年6月

その日は来る。

翌週いつものように朝イチに面会に行くと、「拘留期間が20日間延長になった。」と言います。どうして?と聞くと、わからないと。
自分のことなのになんで質問しないんだと首を傾げながら、また弁護士に連絡して調べていただきました。
彼女は本当にお金にならない頼まれ事をたくさん受けてくれました。
すると、受刑者になるまでに規定の拘留期間が切れてしまうため延ばしたにすぎず、特に意味はないとのことでした。
延長された分、受刑者にならず面会できるのかと期待したのですが、だいたいは判決後二週間が経ったのちのある日突然、はい今日から受刑者ですからと言い渡しされるのだそうです。

きっちり二週間だと6月6日に受刑者になる計算でした。もしそうだと、朝本人に通達があり、荷物を整理(捨てたり領置=没収されたり)し、丸刈りにされ、私服ではなく受刑者の作業服になるとのことでした。
そしてわたしには、面会の窓口で、面会許可票を渡される時に、
「本人は今日から受刑者です。この面会が今月分となってしまいますがいいですか?」と言い渡されるのです。
そのセリフは、窓口で毎日のように誰かが言われており、いずれわたしも言われるのだと怯えているセリフでしたから、もう暗記していました。

そしてそれより怖いセリフはこれでした。
「本人はもうここにはいません。」

どこに行ったのですか、いつ行ったのですか…!
すがるような身内や内妻の質問に、窓口の係官は「それはお伝えできません。本人から手紙が来るまで待っていてください。」と、冷淡に撥ね付けるのです。

わたしにもその日は確実に来る…。

その日、もし受刑者になっていると、午前中は会えないと思われるため、覚悟をして、受付ギリギリの4時少し前に面会の申し込みをしました。
許可票を渡されながら、あのセリフをとうとう聞くかもしれないのだ…。

もうすっかり顔なじみになった窓口の係官は、目でわたしを呼びました。
おずおずとピンクの用紙をもらい、言葉を待ってみたが、係官は何も言いません。

「えっ!」とわたしが声を上げると、係官も「えっ?」と言って二人見つめあいました。
いえ、と言ってわたしは用紙を手にそそくさとソファに座りました。

普通に、会えるんだ。
拍子抜けしたような、こそばゆい嬉しさがあり、えっ!?と見つめあった係官の表情に初めて親しみを感じて頬がゆるんでしまいました。

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泣く材料

手紙を見つめて泣いているときに、弁護士から携帯に着信がありました。
出て、質問に答えると、彼女はわたしの様子に気付き、「どうかした? また泣いてるの? 今度はなあに?」と聞いてくれました。

わたしは彼からの手紙のあらましを話し、減刑を喜んでいないこと・さようならの文字があり手紙に涙のあとが見えたことなどを伝えました。
「ふ~う。それであなたは泣いておるのだね? 痛々しい限りだねえ。わかった、わたしから彼にハガキを出しておくよ。」

ほどなくしてFAXで、彼女が彼に宛てて書いてくれたハガキの内容が送られてきました。
まるみのある優しい筆致で、「今ヒメに電話したらあなたからの手紙を読んで泣いているところでした。裁判で戦い消耗し、その上愛する人と会えなくなるという喪失感に日々泣き暮らしているヒメの苦しみを理解し、男としてもっとしっかりしてください。また、あなたは階級社会の最下層に突入するのだという覚悟を持ち、決して諦めず、卑屈にならず、一日も早く復帰できるよう頑張ってください」とありました。

お礼のメールをすると、じゃあ投函するからと返事があって、その桜柄のハガキは二日後に彼の手元に届きました。
それを読んだ彼は空元気ながら少ししっかりしたようでした。

けれど、わたしはダメでした。
判決が出て二週間、双方からの控訴が無いと、刑が確定します。
被告ではなく、受刑者となるのです。
いままでは、たった10分とは言え、平日は毎日会えました。
それが、どこかの刑務所に移監され、いったいいつ、どこへ送られたのかは、教えてもらえないのです。
そして本人からの手紙を待つしかなく、面会が可能になっても、月一回からのスタートです。
それを想像するだけで、泣く材料には事欠きませんでした。

その日の面会でわたしが「会えなくなるのが辛い…」とぼろぼろと泣くと、彼は自分が辛いのか、自ら立って面会を切り上げてしまいました。

お互いの辛さを思い合うことは、とても難しいことでした。

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残酷なる落差

笑顔の無い彼に、良かったねとは言えなくなり、『気分はどう?』と質問しました。
彼は首を傾げました。
納得いかない、とでも言うようなひねり方でした。
わたしは、心底がっかりしました。涙を浮かべて減刑を喜び合うという設計が崩れてしまったからです。

『控訴する気があるとか…?』 わたしは恐る恐る聞きました。
『…んー。判決文を見てみないと何とも…。』
エエッという感じでした。
私たちにはもう使い果たした感があり、控訴すると、次はまた国選弁護人は代わってしまうのです。また一からという気力は残っていませんでしたし、何より、判決の結果について、彼が何の感謝もせず不服を持っているということににがっかりしました。

言っておくけど、検察からの控訴って可能性も、ゼロではないんだからね。検事は悔しそうな顔をして出て言ったし、弁護人は、よくて4年って考えてらしたのよ?
すこし厳しく伝えたものの、彼の態度はやはり煮え切らないままでした。

そのときは、判決後に出したわたしの2通の手紙はまだ彼の手元に届いておらず、彼は手紙を出しておらず、お互いの気持ちや事実を知らずに面会していたのです。


二日後、彼から判決の夜に書いた手紙が届きました。
それを読んでわたしは泣きました。彼は、3年と10ヶ月でも重いと感じたようです。客観的に罪状を考えれば充分軽減されているのですが、当の本人にとっては、長い月日だと感じたのでしょう。
そして、知られざる事実がそこには書かれていました。

裁判を終えた被告たちを乗せた護送車は、どの入り口から首都高に乗る規定なのかは知りませんが、察すると数寄屋橋を抜けて晴海通りを行くのでしょう。
そして、銀座4丁目の交差点の信号待ちで停まったときに、窓にかかっているカーテンを全て開けられたのだそうです。

夕暮れの銀座の真ん中で、護送車内は人目にさらされ、そしてそれよりも、犯人たちは、目の前に現実を突きつけられるのです。
通りを楽しげに歩いている人たちと、護送車に乗った彼ら。自らの犯した罪とはいえ、その落差には動揺を隠せないことでしょう。見せしめのためにか、と彼は表現していました。


手紙は、こう締めくくってありました。

【銀座の街とも、姫とも、会のみなさんとも、しばらくの間お別れです。さようなら。】

便箋が、ところどころたわんでいました。
彼との間にある、残酷なほどの落差に、わたしは泣きました。

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そびえ立つ境界

判決が出たことで、確かに一区切りという感じはありました。
そして、減刑の役に立てたという確固とした達成感が、わたしにも友人Kにもありました。
わたしにはまだまだクリアしなければならないことが山ほどあります。
一人で越えるには辛い山ばかりです。ずっと傍にいて世話して欲しいというのが本音でした。

しかし、Kは疲れ切っている。わたしがそうであるように。解放してあげなくてはいけない…。

思えば自分自身も、泣くことはあれど、よくぞ寝込まないで壊れないでここまで来れたと感じ入ります。
新聞で彼の名を見つけた日…わたしは、卒倒することもせず、泣き喚くこともせず、着替えて、化粧もして、地図を持って出かけたのです。不憫でした。

拘置所。破産。面会。差し入れ。裁判。法廷。証人。判決…。

そんなことは自分には無縁だと思って暮らしていました。
この3ヶ月でわたしはずいぶんと物知りになり、ある部分についてはわたしの弁護士よりも詳しかったりしました。店のおかみや、わたしの弁護士を拘置所に面会に連れて行ったとき、二人とも、『あなたはここに毎日一人で来ているの? こんなヤクザだらけのところに?』と、不憫がってくれました。

生まれて初めて拘置所というところに面会に赴き、生まれて初めて見る裁判が自分の彼氏のものであり、そして自分が証人として法廷に立つ…
こんな特殊な経験を出来たことを、無駄にはしたくないと思っていました。
ある年下の友達は、わたしの話を聞いて、『珍しい話ですよね。夫が倒れて…とか、亡くなってとかいう話ってたまに聞きますけど、逮捕されまして、って聞かないですよね。』と言いました。確かにわたしも聞いたことはありません。
しかも自分は自己破産を控えていて、翌週、破産の管財人との面接が控えています。
すごい経験をしてしまったなあと、しみじみ思います。


休み明けの月曜、いつものように朝一番に面会に行きました。
あんなに減刑されて、彼もきっと喜んでくれているに違いないと、わたしは笑顔で待ち構えていました。
しかし、彼の顔には笑顔は無く、感謝やねぎらいの言葉一つ、わたしは聞くことが出来なかったのです。

アクリルの仕切りは、面会室だけではなくて、私たちの心の中にもそびえていました。

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『解放してくれ』

帰りの電車に乗るころは、わたしの酔いは醒めていました。
友人Kを座らせ、わたしがその膝先に立っていると、彼がこう言いました。

『すまんが、俺をそろそろ解放してくれ。』

友人は、彼が逮捕されたときから必死にわたしを支え、愚痴を聞き、涙に付き合い、ほかのメンバーとの調整役になってくれていました。
3月~5月の仕事が最も忙しい時期に、わたしや彼のためにどれだ時間をつくり、また、休みを取ってもらったかわかりません。
Kはもともと痩せている体にさらに疲労を滲ませており、絶え間ない胃痛に悩まされていることも聞いていました。
けれど、彼氏をさらわれた今、頼りにして甘えられる男性は、友人をおいて他にはいません。なぜなら、Kは、わたしに対して特殊な感情を持たず、一切の下心がなく救ってくれていることを、わたしは理解していたからです。

そんなにもしてあげるのは、おまえは彼女を好きだからじゃないのか、という言葉にはならずとも感じるプレッシャーがキツいと、Kは言いました。女性として意識しているのではないからこそ出来るんだということを、わかってもらえないとも言いました。もう、いいだろう。この辺で俺を解放してくれ。検査に行きたい。キミもなるべく早く自立してくれ。じゃないと、その弱さにつけ込むヤツが出てくる。


わたしは、黙っていました。
解放してあげないとこの人は倒れてしまう。だけど…。

それを見越したようにKは付け加えました。表面的にでいい。相談には乗るし愚痴も聞く。助けて行く。だけど、窓口をほかのメンバーに譲らせてくれ。

わたしは、承知せざるを得ませんでした。
泡沫の宴は終わり、それぞれが家路について、一人づつになりました。

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歓喜の宴

勇んで和田倉公園に入ると、ガラス張りのカフェの入り口には、非情にも「CLOSE」の札が下がっていました。でも、中でお茶している人もいます。時間は2時半。どうやら2時半から5時半くらいまで一端クローズするらしいのです。
がっかりして、わたしたちは外の椅子に座り込みました。
仲間が、自販機でジュースを買ってきてくれ、「なんかしょぼいけど」などど言いながら、缶ジュースでとりあえず乾杯をしました。

わたしは弁護士にメールをしました。まだ帰り着いていないかもしれないけどと思いつつ、来てくださったことの御礼と、減刑を勝ち取れたのは情状証人のことを教えていただけたからなので、そのお礼も重ねて伝えました。そして、東京駅周辺で打ち上げをやる予定でいるので、もしよかったらとお誘いしてみました。

ほどなく返信が来て、「お仲間がたくさんいらしたので、安心して帰りました。本当に良かったですね。楽しい打ち上げをどうぞ。私は風邪気味なので失礼しますね。」とありました。体調が思わしくないのに来てくださったんだなあと、私たち全員が彼女のファンになりました。

陽の下で、ひっきりなしにわたしたちは喋り、笑い、それぞれが必要な各知り合いにメールをし、1時間ほど休憩しました。
そしてほかの二人が合流できる夕刻まで、どうしてもちゃんと乾杯したいという友人に連れられて(全員が大酒飲みなので)、東京駅の中にある蕎麦屋に落ち着きました。
そこでビールを飲んで、軽く酔ってから、八重洲の居酒屋に移動して二人を待ちました。  

いつも遅れて登場するボスも、どう仕事をやっつけたのか6時調度に現れました。
若いメンバーも揃い、わたしを真ん中に据えて、大音量の乾杯で、歓喜の宴はスタートしました。

思えば、いつも楽しい飲み会でした。
友人とボスが議論して終わってしまう回もあったりしましたが、いつも、逸脱せず、下品にならず、絡む人も潰れる人も無く、知的な笑いに満ちた楽しい飲み会でした。
でもこの日の打ち上げほど楽しいかったことは無かったように思います。記憶に残ってないくらい発散しました。

6人はスキップしながら八重洲通りを横切り、カラオケ屋に入り、声が枯れるほど叫び、踊り、クタクタになるまで遊びました。
可能なことなら、奢りたかった。でも、あのとき一体誰がどういう風に払ってくれたのか、まったく覚えていません。彼が逮捕されるまでは、年齢性別関係なく、全部ワリカンで通してきた会でした。

彼が逮捕されてから3ヶ月近く、会っても沈痛な相談ばかりになり、楽しい酒を飲んでいなかったため、その夜は全員が弾けました。達成感がありました。

彼も、喜んでいてくれるだろう。
わたしたちはそう思い込んでいました。

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そしてわたしへの判決

判決に続いて、主文が読み上げられました。
それを聞きながらもわたしの心からは歓喜の花火が吹き上がっていました。
減らせた。減らしてもらえた。
減らして、あげられた。

判決文の内容は、もちろん罪をいさめるもので、被害者のかたの信頼を裏切り、多大な精神的・物理的苦痛を与えたことを強くとがめられていました。
しかしながら、と裁判官は続けました。
支援してくれるグループがあり、婚約者の存在があり、婚約者は毎日面会に訪れ被告を支えており、結婚を決意している。更生を期待する意味をこめての判決である。

グループのことも、わたしの存在とやって来たことにも、裁判官は、反応してくれたのです。

未決拘留の差し引きは、30日間とするとのことでした。
ほぼ3ヶ月を未決で拘留されたわけですが、全部を引いてくれるのではなく、三分の一ほどでした。
3年と9ヶ月。これが彼に架された実刑でした。

しっかりと罪を償ってきてください、という裁判官の言葉に、彼は深々と頭を垂れ、そしてまた手錠をされ腰縄を結ばれました。

法廷を出ていくときに、傍聴席に向かってきちんと一礼をしました。
検事は、悔しそうな表情で出て行きました。
待合室に向かうとき、女神はわたしに微笑んで廊下に出て行きました。


わたしたちは待合室になだれ込みました。
弁護人が、助手とともに入って来ました。晴れやかな笑顔でした。

『減らして来ましたね。』
弁護人の第一声はこうでした。
『よくて4年、悪くすると4年6ヶ月と覚悟していたんです。』
『先生、本当にありがとうございました』
泣きながら、でもこれはうれし涙でそう頭を下げると、弁護人は破顔して、
『いえ、これは、あなたがたの力です。よくやってくれました。今回は助けられました。勉強になりました。』
そう言ってくださったのです。

わたしにはもちろんですが、休みを取り、駆けつけてくれた友人と仲間たちにとって、この上ないねぎらいの言葉でした。
『判決文の中で、あのように明確に情状証人のことについて触れるのは、大変珍しいことなんです。4行使用してありました。これは、すごいことなんですよ。少し前に900人の署名をもって臨んだ裁判をやったのですが、刑の軽減には繋がったものの、判決文ではたった一言も、それには触れてありませんでした。ですから、これがどんなにすごいことだか、わかりますよね。これは、みなさんの頑張りの結果です。』
わたしは嬉しくてボロボロ泣きました。

『刑期は、未決拘留を差し引くと45ヶ月間。しかし、本人の態度が良く、受け入れの態勢もしっかりあって、更生が期待できるとなれば、最短で刑期の三分の二での仮出所が可能と考えられれます。つまり30ヶ月。早ければ2年半です。これからも頑張ってください。今回はこちらがお礼を言いたいくらいです。お疲れ様でした。』
弁護人はそう言って出て行かれました。
助手の方から証拠品として提出していた書類・賞状などを受け取り、わたしたちは固いベンチにとりあえず座りました。


よかった、よかった、とつぶやきながらわたしは泣きました。達成感のある、爽やかな涙でした。
友人はグループのボスに電話をして報告しました。ボスもただ、「よかった、よかった」というだけであとは言葉にならなかったようでした。今日来れなかった若いメンバーにもメールで知らせました。
そしてあらためて、情状証人のことを教えてくれたわたしの弁護士に感謝しました。


わたしたちは4人で、東京地裁を出ました。
初公判の日と違って、湿気のない、うす曇りの、さわやかな午後でした。

どこに行く? ねえ、どうする?
わたしは完全ハイテンションでした。

鞄から東京の地図を出すと、なんでオマエ東京の地図なんか持ち歩いてんだよ!みんなに突っ込まれました。
わたしは、彼が居なくなってから地図を持ち歩くようになったのです。
それまでは、目を瞑って彼に手を引かれて都内を移動していたようなものでした。一人にされてから、そのことに気付いて地図を持ったのです。

「ここに行こう、和田倉公園! ここのカフェでお茶しよう!」
まだ陽は高く、居酒屋もやってないと考え、とりあえず休憩しようと思いました。

わたしたちは4人で子供のように手を繋ぎ、スキップすらしそうな勢いで、内堀通りを闊歩しました。

努力が実った実感に、わたしは有頂天でした。

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わたしの女神

地裁に着くと、仲間二人は喫煙室に行ってしまい、わたしはにぎわう午後のロビーで少しの間一人になりました。
頬を涙が伝って来ました。
怖い。怖い。怖い。
手足が冷たくなり、吐き気がして来ました。

鞄のポケットを探ってみましたが、いつも持っていたはずの「救心」がありません。
蒼白になっているわたしのところに戻ってきたメンバーが、どうしたのって心配してくれました。
きもちわるいの、吐きそうなの、心臓飛び出しそう、救心忘れちゃった…
すると彼女は、「どっかに薬局無いか探してくるよ」と立ち上がったのです。
「いや、行かないで、傍に居て…」 一回りも年上の彼女の腕にわたしはすがって止めました。

時間が近づき、エレベーターで4階に上がりました。今回の法廷は405号。覗いてみると、20人分くらいしか傍聴席のない、小さい法廷でした。
裁判の時間もたった10分しか取ってありません。判決を言い渡して終わりなんだなと諦めました。

友人がまだ来ません。法廷の向かいにある控え室に入ってメールをすると、「今着いた。タバコ吸ったら行きます」と悠長な返事が来ました。
そこに、コツコツと廊下を歩いてくるヒールの足音がして来ました。

ああ、来てくれたんだ…。

足音で、わたしはそうと知りました。

弁護士がまた、来てくれたのです。わたしの震えと恐れがすうっと引いてゆきました。
わたしは歓喜して、仲間に彼女を紹介しました。
『ヒメのことが心配で、来ちゃいました。』と彼女は笑い、みんなに刑期や仮釈のことについて説明をしてくれました。
明るい色のスーツを着た彼女はとても綺麗で、わたしは自慢に思ったくらいです。
彼女は、わたしの女神でした。
来てくれただけで、すでにわたしは救われていたのです。

やがて友人も笑顔で合流し、時間になり、開廷となりました。
弁護人、検事とも着席しており、わたしは周りをぐるりと仲間に囲まれて、傍聴席の一番前に座りました。
雛壇に座る、お姫様のように守られていました。

知らない顔は2人しかなく、おそらくは被害者がわの人でしょう。
それ以外の8人は、すべて彼やわたしの知り合いでした。被告人側の傍聴者が殆どなのです。

彼が、手錠・腰縄姿で入廷し、傍聴席に一礼しました。
裁判官が入廷しました。

判決が読み上げられました。

『被告人を、3年と10月(とおげつ)の刑に処する。』

さんねんととおげつ?
わたしはすぐには理解できませんでした。でもしかし、5年とも4年とも言わなかった。
3年台に、減刑されたのだ!

隣で友人が小さくガッツポーズをしました。
歓喜の宴のスタートでした。

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嵐の前

判決言い渡しの前々日は、無理を言って弁護士に会ってもらう約束になっていました。
わたしたちは手紙やFAXなどではなく、電話やメールでやりとりをするようになっており、プライベートな話をする仲になりつつありました。

彼女とのランチの日、朝いつものように拘置所に面会に行くと、面会室に入ってきた彼が、わたしを見て飛びのいたのです。
びっくりした顔をしてキョロキョロとしています。
『どうしたの?』と聞いても、彼は答えません。
一体何に驚いて飛びのいたのか全くわかりません。面会にはわたししか来てないし、事前に「○○さんの面会です」と呼ばれて独房を出て来ているから、驚く理由は何もないはずなのです。
不思議に思いながら面会を終え、差し入れをし、わたしは日本橋に向かいました。

のちに彼からの手紙に、『あの日は姫が光り輝いていて眩しくて驚きました。後光が差していてとても綺麗な光でした。』と説明されてありました。
面会室には、もちろん窓はありません。蛍光灯の光だけであるし、わたしはライトもしょってない。彼の目にだけ後光が見えたのだろうと思います。
彼からは「観音様」、グループのドンからは「あなたは菩薩と阿修羅を持っている」と言われたことがありましたが、まさか後光まで差すとは思ってはいませんでした。



公判前日は、友達と、その夫、夫の弟という4人で遊びました。
友達は、判決が明日と聞いて約束を延期しようかと言ってくれたのですが、わたしは眠れなかった体にドリンク剤を投入して出かけました。とても一人ではいられる気分では無かったならです。
彼らはわたしに肉を食べさせ、カラオケに行き、デザートまで詰め込ませ、弟さんの車で駅まで送ってもらって帰りました。なんだかもう、破れかぶれです。
ですが、かれらの気遣いが嬉しく、思ったより楽しく過ごしてしまいました。
そしてその夜は、前夜寝られなかったせいもあって、ぐっすりと眠ってしまいました。

判決の言い渡しは、初公判から二週間めの、金曜午後でした。
前回の公判に来られなかったグループのメンバーが休みを取って来てくれることになっていました。
わたしは朝、差し入れのためだけに拘置所に赴き、そのあと北千住でほかのメンバーと落ち合い、拘置所の建物を臨める店で軽くランチをしました。

わたしは、無言でした。
今から自分に下される裁決を厳粛な気持ちで待っている感じでいました。

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自分への裁決

公判が金曜だったため、次に彼に面会できたのは月曜の朝でした。
明るい話題をいくつもメモして用意して行きました。なのに、わたしは彼の顔を見た途端、激昂してしまったのです。

初めてのことでした。
はらはらと泣いたことこそあったものの、声を荒げて彼をなじったことなどありませんでしたから。たった10分の面会、出来れば笑顔で話したいと心がけていました。
そのかわり手紙を殆ど毎日書いていました。それで心情は伝え、面会のときは元気な笑顔を見せ、安心感を与えるのが正しいと考えていたからです。

しかしその日は抑えが利きませんでした。
激昂していたので何を喚いたかはあまり記憶にありません。ただ、
『反省が足りないのよ!』 『被害者の方へのお詫びがなってないからこんなことになるのよ!』 『いちいち指示されたからじゃなくって、自分で考えて迷惑かけた人に手紙書きなさいよ! わたしが32通出してて、あなたからは10通しか来てない! 書かない日は何してんのよ、ヒマなんでしょ!』……

『あなたは、今まで誰かを幸せにしたことが一度でもあるの!』

彼は、黙っていました。涙を浮かべていました。わたしの剣幕に刑務官が立ち上がって、仕切りの向こうから静止しようとしたくらいでした。
面会は早めに切り上げられ、彼は黙って小部屋を出て行きました。

裁判での彼の態度が不甲斐なかった。
なぜもっと早くに、何通でも、被害者の方に手紙を出さなかったのか。毎日暇なのに。
裁判で、わたしは何故もっと泣き喚いてアピールできなかったのか。
もうどうすることもできないという絶望感を、彼にぶつけてしまったのです。

判決が出されるまでの二週間のあいだ、わたしは毎日誰かに会い、友人やおかみや、わたしの弁護士を面会に連れて行きました。
家に帰ってからは、彼の仕事の荷物をひっくり返し、わかりうる限り、お預かりしている書類などをその会社に郵送しました。
自分の自己破産の最終書類、住民税の申告、友達とランチ…
自分を痛めつけるかのようにわたしは隙間無く予定を入れ、手紙を書き、寝る間を削って動いていました。


判決の日が迫っていました。それは彼にではなく、むしろわたしに下される裁決であると、わたしは感じていました。

わたしの人生への、裁決だと感じていたのです。

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『今別れなさい。』

東京拘置所には、被疑者・未決囚・短期刑の犯罪者など様々な犯人が収監されており、当然面会に来る人も多種多様に亘ります。
重そうな鞄を提げているのは、弁護士。不愉快そうに早足なのは検事。
週のうち、月曜と金曜が混んでおり、週の真ん中の朝一番などは割と空いています。

春休み期間などは若い人が多く、待合室から笑い声が上がったり、面会の個室でも楽しそうな笑い声とともに、「じゃあまた来るからなあ。元気でな!」と笑顔で出てくる男子たちなども居ました。
フィリピーナばっかりの日もありました。小さい子供を連れている女性が多かったです。
ヤクザの集団に巻き込まれた日は、待合室でタムロしていたヤクザの大親分が来たとみえて、下っ端たちが2列に整列して出迎えたり送ったりする光景がありました。
わたしは、はいすみません、通りますよと、その中をかいくぐって行くのです。

著名人が逮捕されたときはもっと大変です。
拘置所の正門前には何台もの中継車が並んでワゴン車の屋根にはアンテナが並び、面会用の門の前では、カメラマンと記者が幾重にも取り囲んでいるのです。
その中を掻き分けていくのはまた大変でした。テレビに映るわけにはいかないし、顔を隠してさりげなくすり抜けて行きました。

2ヶ月半も通っていると、職員の方も売店のおばちゃんもわたしを覚えました。
面会の申請の窓口の前の机で記入していると、ピンクの許可票が先に出来上がって用意されていたこともあり、それには思わず
「顔パスかいっ」とツッコミを入れたくなったくらいです。
売店のおばちゃんも親切でした。どれを買おうか迷ってると、これがいろいろ詰め合わせになってていいわよ、なんてアドバイスしてくれたり、今日はお花が入ったところよと知らせてくれたりしました。

朝一番に面会に来ている人は、大体面子が決まっています。お互いに顔見知りです。しかし、決して話をすることはありません。挨拶すらしません。
誰もが幸せではなく、深い心の闇を抱えてここには来ているのです。

毎朝会う人に、自転車で来る、大柄な女性がいました。膨大な食べ物を毎日差し入れしています。食パンなら毎日一袋、それにお菓子や缶詰や雑誌などです。若い息子さんでも入っているのかと思い、並んで差し入れ書を書いているときにチラッとみると、続き柄の欄には「内妻」と書いてありました。
辛いだろうなあと思いながら、彼女とも一度も目を交わすことすらなく終わりました。
ヨボヨボのおじいさんとも毎朝一緒でした。悲痛な表情をした痩せたお綺麗なご婦人ともよく会いました。拘置所は、挨拶すらしない・することが出来ないという、異国よりも特殊な空間でありました。

拘置所で、わたしはしょっちゅう泣いていました。廊下を歩きながら・エレベーターの中で・待合室のベンチで…。そのたびに友人にメールをし、友人は仕事中でも可能な限り返信してくれました。
でも、驚くことに、泣いているひとを殆ど見たことがありません。辛い、切ないに決まっているのに、どうして泣いている人が少ないのでしょうか。
日本人でなければ、拘置所の待合室はもっと騒然とした場所なのではないかと思います。


初公判の翌日、店のおかみに話をしました。初めて聞く罪状のひどさにおかみはのけぞり、そして言いました。
『ねえ、辛いのはわかるけど、あなた、今別れなさい。うちもあの人にはとても世話になったわよ。だけどそれとこれとは別。救っておいてあとで別れるとなると、逆恨みされるわよ。悪いこと言わないから、今別れなさい。』
おかみも、泣いていました。二人で、手を取り合って泣きました。

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微笑むこともできない。

まだ、裁判所に…あのままいます。先生来てくださってたんですか?』
『うん、どうしようかと思ったんだけど、やっぱり気になって。時間作れたから行ったの。』

ありがとうございます…つぶやくように言うと、彼女はわたしをいたわるようなゆっくりとした口調で言いました。
『よく頑張ったわね。あなた、立派だったわよ。』そして続けました。

『あの男はね、あなたが人生賭けるような男じゃないわよ。』
『えっ?』
『ランクが低い。あなたや、ご友人が付き合うランクの人間じゃないわね。あなた、別れることは考えられない?』

わたしは、別れないと答えました。ランクについては、わたしにはわかりませんとも…。
でも、救いたくて少しでも刑を軽減したくて法廷に立ったのに、求刑は既に決まっていたのだし、わたしは思うように上手に返答できなかった…。
途切れ途切れにそう伝えると、彼女はやはり優しいゆっくりとした口調で慰めてくれました。

『そんなことないわよ。よく頑張ったわ。でも正直言って、あなた方の証言でどれくらい刑が短くなるかはわからない。本人の態度が悪すぎるのよ。でもね、仮に、酌量されなくて満期くらったとしても、あなたのしたことは無駄じゃない。あなたが居なかったら、彼は証人も無し、情状酌量のための資料提出も無し。面会に来てくれるひとも無し。なーんにもないじゃない。刑の軽減以前に、あなたは彼の心に、確実に何かの種を蒔いたと、わたしは思うわよ。でも、別れたほうがいいとも思ってるけどね。』

それでようやくわたしはクスリと笑い、20分ほどの電話を切りました。
ありがたかったです。奈落から這い上がる気持ちにさせてくれました。
さて、どうするか。

取りあえず、今日はまだ行ってないんだから、拘置所に行こう。面会できなかったら、差し入れだけしてこよう。
そう思って立ち上がったとき、友人からメールが入りました。
「今どこですか」
「まだ地裁。動けなかった。」
「会えますか」
「仕事は?」
「終わらせた。もう出られる。迎えに行こうか」
「今から拘置所に行きます」
「俺も行く。すぐ向かう。では小菅で。」

そんなやり取りをして、合流できることになりました。心配してくれていたんだ…。嬉しかったです。
北千住で乗り換えた電車に、友人と会の仲間が一人乗っており、3人で小菅から拘置所に向かいました。
二人とも拘置所は始めてだということです。
わたしは馬鹿みたいに自慢げに門番さんに挨拶をし、塀に沿った遠い道のりをはしゃぎながら歩きました。建物に入ってからは、あちこち案内して回って、友人に制止されたほどはしゃいでしまいました。 

彼は裁判所から戻って来ていませんでした。そうか、一人ずつ送り迎えしてくれるわけがない、本日裁判を受ける被告を全員バスに乗せて、全員終わるまで待たせているのか、と気付きました。しかし、せっかく来てくれた二人を面会させたくて、受付の時間ギリギリに許可票を出してみました。
しかしやはり彼は戻ってきておらず、面会は叶いませんでした。
友人が売店でいろいろなものを買って差し入れしてくれ、残念だねと言いながら拘置所を後にしました。

わたしたちは離れがたく、疲れた体に鞭打って、北千住の居酒屋に入って他の仲間を呼びました。
外は大雨になっていました。

涙雨だね。仲間の一人がわたしを見て言いました。
既に喋る気力も無いのに、わたしはみんなと一緒にいました。
微笑むことももう出来なかったのに。
冷たい雨の夜は暮れてゆきました。

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自分の悲鳴

東京地裁の広いロビーの中央で、わたしと友人と、弁護人は向き合いました。

『先生…。5年は、重くないでしょうか。』
弁護人は即座に答えました。
『いえ、普通です。あの罪状だと、わたしは7年食らうと考えていましたから。』
『そんなに…?』
『金額も大きいですが、内容が悪すぎる。被害者から上申書が出ていたのも厳しい。5年なら普通です。』

ボロボロと音を立てるかのように涙がこぼれました。

『先生、わたし、検事からの質問に上手く答えられませんでした…。』
『いや、充分ですよ。』
『このあと、わたしに出来ることは何でしょうか。』
『何かというと?』
『刑を軽減するために何か…』
『執行猶予を付けたいとか? それは…』
『執行猶予を期待できる罪状じゃないことは、わたしにも理解できます。でも、少しでも刑を軽くする何か…』
『もうありません。』

弁護人はわたしを遮って言い切りました。
『もうありません。今日で終わりです。では。』

何ということか、わたしはたった一回のチャンスを不完全に終わらせてしまったのだ!
もう出来ることは無いのだ…。
帰ってゆく弁護人に頭を下げながら、ボトボトと涙がこぼれました。
固まって動けないわたしを、友人が引っ張りました。とりあえず、座ろう、と。
そこで、声が出ました。悲鳴のように。

友人はわたしを抱えるようにしてソファに座らせました。
泣き喚くということを、わたしは子供のころからしたことがありません。いつも我慢して、一人でひっそり泣く子供でした。
自分の悲鳴のような泣き声におののきながらも止めることはできませんでした。

『なあ、大丈夫か、俺、午前中しか休み取ってないんだ。どうしてもやらなきゃいけない仕事あるんだ。』
友人はオロオロしながらそう言いました。
いいよ、大丈夫だから、行って。
言葉にはならず、身振りでそう伝えると、彼は、ゴメンと言って走り出てゆきました。

裁判所のロビーで、わたしは一人になりました。
こんな日に、こんな日に限ってどうして一人…。

わたしは一歩も動くことが出来ませんでした。 
「ありません、今日で終わりです…」その言葉が頭を回り、ただただ泣き続けて座っておりました。
外はやはり曇天の霞ヶ関。

東京は、いいところです。そんなわたしを気にかける人はありません。
2時間たっぷり泣いたあと、自分の弁護士に電話をかけました。裁判の報告をしたかったのと、この苦しさをわかってくれるのは、彼女しかいないと、すがったのです。
携帯に、すぐ出てくれました。
『だいじょうぶ? わたしも、行ってたのよ、裁判。あなたのこと、見てたわよ。今どこ?』

彼女は、自分の事件でもないのに、法廷に来てくれていたのです。
わたしはハラハラとまた泣き出しました。

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絶望の奈落

わたしの後は友人の証言でした。
友人は場慣れしており、しっかりと落ち着いた声で弁護人の質問に答え、安心して見ていることができました。
その証言に対しては、残念ながら検事からも裁判官からも詰問されることなく、友人はわたしの隣に戻ってきました。

そして、被告人自身への質問となり、彼が両脇を刑務官に挟まれて証人台に着きました。そこで腰縄が解かれました。

その光景を思い出す度に、怒りがこみ上げます。
関西弁で「アホかっ!」とツッコミを入れたくなります。
彼は深々と椅子に腰掛け、ゆったりと背をもたせ掛けたのです。
犯人なのに。

弁護人からの反省を促す質問。……ピリっとせず。
検事からの差すような尋問。……のらりくらり。
裁判官からの質問に対して彼はとうとう、「まあ、そう思われても仕方ないですけど。」と開き直ったのでした。
待って、そんな言い方は無いでしょ、どうしてなの!
「どうして!」、と声に出してしまったわたしを、傍聴席の数人が見つめるのに気付きました。
傍聴席の一番前の角で、ジリジリとしてやりとりを見つめました。
手を挙げて発言したいくらいでした。割って入りたいぐらいでした。
しまった、打ち合わせと刷り込みが足りなかった…。

「最後に、何か言いたいことはありますか」
裁判官に問われ、彼はもごもごと口ごもりました。
さあ言って! わたしは心の中で叫びました。
どんなに悔いているか、申し訳ないと思っているか、反省しているか言って!
そして更生を誓ってみせて!

「本当にどうもすみませんでした。」

…たったこれだけでした。
裁判官はやや驚いて、「それでいいですか?」と聞きなおしたくらいでした。
わたしの顔も苦渋に満ちていたと思います。
どうしてなの。あんなに、いつも大勢の前で弁舌してたじゃない…どうして心から叫ばないの…。

もう一度、言い含めて二審に臨まなければ…。

しかし、そう考えたわたしの甘い考えは即座に打ち砕かれました。
その場で求刑が出されてしまったのです。
『被告に5年の求刑をします。』
検事は、事も無げに、そう言い放ったのです。

ヒッ!と、自分が悲鳴を上げるのを聞きました。
5年…重すぎる…5年も待つの? まだ2年しか付き合ってないのに、その倍以上の年月を待つの? 逢えないまま待つの?

判決言い渡しの日程が通達され、裁判官は去りました。
彼は手錠をされ、再び腰縄で縛られて、法廷を出てゆきました。振り返ってわたしを見ました。
この光景を、遠い昔、経験したことがある…。
鈴が森か、小塚原かで…。

次の裁判の関係者がなだれ込んで来て、わたしはよろけながら廊下に出て、友人と共にエレベーターで降りました。

絶望の奈落に落ちていくエレベーターのようでした。

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法廷の真ん中

弁護人からの質問は、わたしと彼がどのように知り合い、いつごろから交際し、結婚を意識したのはいつごろかという経緯、そして彼の地元でのボランティア活動の実績などについてが主でした。それと彼の生い立ちについて知っていることを話すように言われました。

7歳で実母を亡くし、長男であったために人に甘えるということが難しかったかもしれないこと、皮膚病がありコンプレックスが強いと思われることなどを説明しました。が、実はもう、ほとんど記憶が残っていません。
ただ、うまくいかなかった朝のシュミレーションとは違って、弁護人がどういう答えを求めてしている質問なのかを、冷静に聞き分けて答えることができました。おどろくほど落ち着いており、やはり正気ではなかったように今は思います。

検事からの尋問が始まりました。
取調べをした検察官は移動で部署が変わってしまい、法廷を担当したのは若い女性の検事でした。
彼女が私に詰問したのは、彼の横領について知っていたのか、どう考えるのか、これからどうするつもりなのかという、罪と返済についてに一貫しました。

『事件については、知りませんでした。罪については、一番お世話になったお客様の大切な財産に手をつけたわけですので、金額のみならず、信頼を裏切ったと言う意味で、罪は深いと感じます。返済については…。』 言葉に詰まりました。
ここを弁護人と打ち合わせしてなかった。どう言ったらいいのかわからない。返せないとは言えない。返せるとも言えない。
『…彼が必死に働いて返していくと考えています。そしてそれを出来うる限り支えていく覚悟でいます。』
そうとしか答えようがありませんでした。

検事は次に、彼と旅行に行ったことがあるか、高価な贈り物をもらったかを尋問してきました。

『日帰りで近郊に出かけたことは2~3回ありますが、宿泊を伴う旅行は経験がありません。また、5万円を超えるような高額なものも、買ってもらったことはありません。』
そう答えると、検事は怪訝な顔をしました。そうだろうと思います。5400万もの金額を一人で使い果たした男が、婚約者には旅行も贅沢なプレゼントも与えていないのです。
でも、それをされてなくて良かった。横領金で旅行などに連れていってもらっていたら、わたしは自分の人生を暗闇に葬りたくなっただろうと思います。

そして、裁判官から私への尋問が始まりました。これも聞いていなかったので驚きました。裁判官はゆっくりと丁寧な口調でわたしの心情を尋ねました。

事件を知ったとき、どう思いましたか。
『まさか…という、信じられない気持ちでした。』
どうして信じられませんでしたか。
『その時期わたしはまだ彼と知り合っていないのでわかりませんが、知り合ってからはお金に困っているようには見受けられなかったからです。そして彼がいつも自分のことは後回しにして人の頼みごとを聞くような人だったからです。そして…実は今も、信じられません。』
彼はどうしてこんな事件を起したと、あなたは考えますか。
『…平易な言い方ではありますが、女性やヤクザにチヤホヤされて、いい気分だったのだと思います。小さい頃に実母を亡くし、長男であったため甘えることが出来ず、また、彼は皮膚に病気があり正直見苦しいので、…わたしがこういうことを言うのは極めておかしなことですが…お金を使わないと、女性と付き合うのは難しかったのではと考えます。』

あなたは、毎日拘置所に面会に行っていると聞きましたがそうですか。
『はい、欠かさず行っています。手紙もほぼ毎日書いています。』
あなたはこんな事件をおこした人と、まだ結婚する意志があるのですか。

『…あります。結婚します。入籍して一緒に暮らします。私が支えます。』

わたしのやや左後ろに座っている彼がすすり泣いていたことを、わたしはのちに友人から聞いて知りました。あまりの涙に弁護人が後ろからティッシュを差し出したそうです。

ですが、彼の心情には気が及びませんでした。
わたしは身を乗り出して裁判官に訴えました。わたしが支えますと。

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おびただしい罪状

法廷に足を踏み入れて、わたしはギョッとしました。
そう小さいほうではない406号法廷は、ほぼ満席なのです。

どういうこと…?
こんな個人の、ニュースにもなってないこんな裁判に、こんな人数の傍聴者が入るわけが無い。知り合いが数名パラパラと座っている傍聴席を想像していたわたしは凍りつきました。
わたしと友人は、証人なのに座る席がないくらいの満席なのです。
弁護人が職員に告げて、弁護人席の近くに席を作ってもらい、やっと座ると、後ろを恐る恐る振り返ってみました。
圧倒的に学生ふうの若い人が多いのです。談笑しています。アッと思いました。高校や大学には、ゴールデンウィークの谷間の平日に、裁判所を見学するという体験授業があったはずだ。それだ…。

右奥の扉が開いて、彼が入廷して来ました。

前と後ろに刑務官が付き、手錠に、腰縄姿でした。


アクリルの仕切り越しではなく彼を見るのは久しぶりでした。声がとどく距離、弁護人の前の席に彼は座りました。両脇を刑務官に挟まれて。

裁判官が入廷し、初公判は始まりました。
そこで検事の口から、わたしは今の今まで知らなかった彼の恐ろしい罪状を聞いたのです。知らなかった、初めて聞く話ばかりでした。

わたしは、やむにやまれず横領して使い込んだのだと思っていました。ヤクザに付け込まれて仕方なく手を出してつぎ込んだのだと思っていたのです。この瞬間まで。
でも、違いました。
彼は5400万の殆どを、自分の遊興費に使っていたのです。共犯者は無し。それ以前の自身の借金の返済もされておらず、ただ自分の虚栄心を満たすためだけに使ったのです。

海外旅行に行き、スナックに通いつめ、その店の女性全員を連れて韓国や台湾などに何度も行き、果てにはヤクザの宴会に招待されていい気になって、ご祝儀と言う名の撒餌をしたのです。祝儀袋の中身は10万だったということでした。それをばら撒き、「社長、社長」とおだてられて、横領金を使い果たしたのちは、あらゆる手段で絞り取られたのです。
わたしに背負わせた借金も、ヤクザに渡した金でした。

目まいの押し寄せる衝撃の中、弁護人の弁論が始まり、わたしは呼ばれました。

法廷の真ん中に立ちました。
宣誓をして、着席すると、弁護人からの質問からスタートしました。


よく正気を保っていたと、当時のわたしを可哀相に感じます。
いいえ、もしかしたら、すでにもう、正気では無かったのかもしれません。冷静だったらむしろやれなかったことを、わたしはやってのけたのです。

マイクに向かって、わたしは低い落ち着いた声で答え始めました。泣きもせず。慌てることもせず。淡々と。

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初公判の壁

ゴールデンウィークに突入する直前、わたしはふと思い立って切花を独房の彼に差し入れました。わたしの好きなトルコ桔梗の花束で、1000円もしました。が、思いのほかそれを彼は喜び、担当職員から借りた牛乳瓶に刺して世話をしていると気持ちがなごむと手紙にありました。

拘置所からは、空が見えません。運動も室内の細長いスペースで監視されたまま行うそうです。まったく外界と遮断されたグレー一色の世界で、彼は世俗からも隔絶され、疲れ果ててやつれていくわたしには気付くこともないようでした。
土日祝日は面会はできません。充分な話し合いもできず有効な指示も出せないまま面会ができなくなり、わたしは仕事帰りに友人に会って、打ち合わせを重ねました。


初公判の日は、5月には珍しい寒い曇天の朝でした。
休みを取ってくれた友人を二度のメールで起こし、自分は眠れなかった重い体に冷や汗をぐっしょりかきながら、ジャケットを着てラッシュに揉まれて新橋に着きました。
友人はもう待っており、『今そこでソバ食ったから万全。キミは?』と笑顔でした。
強張った顔でわたしは首を横に振り、弁護人の事務所に向かいました。
朝のうちに打ち合わせとシュミレーションをして、弁護人と一緒に東京地裁に行くのです。
友人の後を小走りでついて行きながら、ぎゅうっとなる心臓を抑えていました。

エレベーターに乗った時、こらえきれずわたしは友人の手に自分の手を滑り込ませました。お願い、今だけお願い。そう言うと、彼は「大丈夫。うまくやれる。」と言って、はじめて握り返してくれました。

事務所に着くと、助手の人は書類のまとめをするのにバタバタしており、弁護人自らがお茶を入れてくれました。そして、「困ったことが起きました。」と言うのです。
『被害者の方から、上申書が出ました。お詫びの手紙が間に合わなかったようです。裁判官あての上申書で、「多額の財産を使い込まれ、年老いた自分は将来が不安です。遺産の相続税も借金をしてようやく払いました。何の改心も反省も見られない被告には、可能な限りの重い刑を架してください。」という内容です。』

やられた…。わたしはショックで固まりました。被害者のかたは、会社を幾つも相続し、財産ももちろんあります。けれど誠意のカケラも見せない彼に対して相当な怒りをあらわにしており、また弁護士9名の名前を連ねて、直接検事に上申書を送っていたのです。

しまった、もっと早く手を打っておけば…。日にちが足りなかった。用意も対策も足りなかった。しかしもう1時間後に裁判は開廷される。
わたしたちは弁護人から本日の裁判の流れが書かれた「証拠調請求書」と、弁護人の書いた「弁護論旨」を受け取り、それに沿ってシュミレーションをしました。
裁判は、検事が罪状を読み上げるだけで相当な時間を要します。特に、数十回にわたって横領を重ねていた彼の罪状には長い時間がかけられると予想され、私たちは失敗のないよどみの無い証言をしなくてはなりません。

けれど、弁護人とのシュミレーションでわたしはもう言葉に詰まっていました。
上申書が出されてしまったことのショックで口が聞けないのです。
弁護人は諦めて、「では、私が誘導するようにうまく質問をしますから、落ち着いて答えてください。検察官は女性です。意地悪な質問をされるかもしれませんが、耐えるように。」と言われ、友人はシュミレーションをやる間もなく、助手の方と4人で、小走りで地裁に向かいました。

初めて入る裁判所。
初めて見る裁判。…それがまさか自分の彼氏の裁判であろうとは…。
そしてわたしは、その法廷の真ん中に立とうとしている。

今にも崩れてしまいそうな自分を支えていたのは何だったのでしょう。

世間知らずで馬鹿なわたしは、406号法廷に足を踏み入れました。

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情状証人になる。

国選弁護人の事務所は、裁判所にほど近い西新橋のビルにありました。
それぞれ仕事を早退したわたしと友人は新橋で落ち合い、大阪地裁で既に民事裁判が結審し、彼が敗訴していたことを告げ、資料を見せました。これで地検の特捜が動いた訳がわかったと二人で納得しました。
軽く打ち合わせをしてから、弁護人のところに向かいました。

雑然とした事務所で、しばらく待っていると前の客を送りがてら弁護人が出てきました。
名刺を交換し、挨拶をしたあと部屋に通されて話が始まりました。
わたしたちはそれぞれの立場と現在の状況、彼の人となりを説明し、弁護人からも質問があり、そして初公判の時に情状証人として立たせて欲しい旨をお願いしました。
その為に彼の荷物から探して引っ張り出した、使えそうな賞状や書類なども見せました。

わたしたちは、友人Kが立つのがいいと考えていました。
時間さえ許されるならもっとメンバーは用意できると思っていました。
ところが弁護人は、証人こそ許可してくれて、返ってこちらも助かりますと言ってくれたものの、
『時間的に証人は本来は一人、最大でも二人がやっとです。そして選ぶとしたら、あなたです。』と、わたしを指名したのです。

わたしが? 
社会的地位もなく、彼が社会に貢献していたことを証明できる立場でもなく、第一、生まれてこのかた裁判を見たことすらないわたしが法廷に立つ…?
その疑問と不安について弁護人はこう説明しました。

『各種表彰状、裁判所の参与員の委任状や、街づくりアカデミーの修了証などは、証拠品として有効なので提出します。ですが、証人として必要とされるのは、彼の功績を称える人ではなく、彼の更生を保証できる人物なんです。待っている人がいる・復帰を具体的に支える人がいるということが、刑期を短くするには有効なんです。しかもあなたは、一日も欠かさず毎日面会に行っている。手紙もこの時点で20通出しておられる。それが何よりの証拠となります。』

『裁く裁判官は、人です。人の心を打つ言葉を持っている人。それが証人には必要なんです。』

わたしは、法廷に立ち、彼を救うことを決心しました。
数日後、弁護人から連絡があり、情状証人を2名と、社会貢献の証拠品の提出が地検に許可されたとのこと。わたしと友人が証人として立つことに決まりました。

ところが彼本人は、まだ被害者へのお詫びの手紙も出していませんでした。
弁護人に言われ、出すように伝えましたが、「まだ早いと刑務官に止められたから」と、いい返事をしないのです。
裁判まで、ゴールデンウィークを挟むためもうあと数日しかありません。そんな悠長なことを言っている暇はないのです。
わたしは彼を叱咤し、すぐに被害者のかたにお詫びの手紙を出し、そしてその写しを弁護人に宛てて発送するように指示しました。

初公判は、ゴールデンウィークの谷間の平日午前、東京地裁で開廷されることになっていました。
間に合うか。 わたしたちは、資料集めと証言集めに飛び回りました。

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11箱のダンボール

いつしか花見も終わり、春の雨が続いていました。
最初は冬の色だった拘置所前の公園の桜が、芽を出し花がほころび、花びらを散らし、季節は移っていきました。

わたしは毎朝欠かさず拘置所に通い、仕事に行き、休みの日には拘置所から帰ると自己破産の準備をし、そしてそこに押入れを片付けるという作業が加わりました。
彼の親会社の経理の人から連絡があり、会社に残っている彼の荷物を全部引き取ってくれと言われたのです。受けるしかありません。

国選弁護人が決まってから10日。私たちはじりじりとした気持ちで待ちました。
弁護人が接見に来ないのです。
あれほどの地位を維持している弁護士が国選を受けるからには、何か理由があるはずで、公判当日に初めましてということはないだろうとタカをくくっていたのですが、10日経ってわたしはしびれを切らし、彼には、接見に来て頂きたいと今一度手紙を出すように指示をし、友人には直接電話をかけてもらいました。
弁護人は裁判に言っており不在で、友人は身分を明かして伝言を頼んで切りました。

翌日、拘置所に面会に行くと、昨日わたしが帰ったあと、弁護人が接見に来てくださったことを聞きました。若い助手と二人だったとのこと。
安堵に胸を撫で下ろしました。
彼はわたしの存在を話し、婚約者であると説明したそうです。
友人に告げると彼も安堵しながら二度目の電話をして、翌週のアポを取ってくれました。二人とも仕事を早退して、弁護人の事務所に相談とお願いに上がることになりました。

週末、彼の荷物が送られて来ました。
ダンボールで11箱でした。
地検が持って行ったので、パソコンこそありませんでしたが、着るものまで含めて、書類の類一切、おびただしい数の印鑑、果てにはハンガーや消しゴムにわたるまで、根こそぎ送りつけられてきました。
廊下や洗面所に積み上げられたダンボールを見て、呆然としました。勝手に捨てるわけにはいかない、けれどこのままではしまえない。一つ一つ開けて中身を確認し、箱の外
側にその内容を書きました。

何気なく引っ張り出した一冊の書類にわたしは固まりました。
それは、大阪地裁の、裁判の訴状でした。被告人は彼。
原告の陳述書もあり、この横領については民事裁判がすでに行われ、彼は敗訴し、支払いが決定されていたのす。

彼の手帳が出てきました。照らし合わせると、裁判のために何回か大阪に行っています。彼はわたしにも黙って、大阪地裁の被告人として出廷していたのです。原告代理人は、何と9名もの弁護団。被告は彼一人。

誰にも言えず、どんなに苦しかったことでしょう。

敗訴し、支払いが決定されたのに一円も彼は返さなかった。
それで被害者の方は、東京地検に依頼したのです。どうして逮捕が地検の特捜だったのか、ようやく理解できました。

手帳のところどころに、 という文字がありました。
わたしと会う約束をした日でした。涙が溢れました。
わたしはその手帳を手元に置き、ダンボールに再び封をしました。

押入れに入りきらない荷物はリビングに積み上げられ、くつろぐとは程遠い部屋の中で、わたしは彼を守り、取り戻すことにだけ必死でした。
罪を犯したら、罰を受けます。それは当然のことです。ですが、罰では人を矯正することはできません。

人を救うのは、ただ、のみなのです。

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不幸中に幸いだらけ。

初公判の日程が決まると、国選弁護人が決まります。
面会の時にその弁護士の名前を聞き、メモをとりました。
翌日、友人はまた休みを取ってくれて、自己破産の支払いと相談に二人で出向きました。友人は東京駅の前の銀行で50万を下ろすと、事務所で払ってくれました。
のちに、飲み会のメンバーが、一人で負担はさせられないと言ってくれ、出し合ってくれました。
他人のためにお金を出してくれる…。彼の弟や父親のことを考えると、それがどんなに凄いことかが身に沁みました。

そしてもう一人、わたしの弁護士もまた、普通ではありませんでした。

自己破産について色々質問したあと、国選弁護人が決まったと話すと、すぐさま調べるよう事務方の女性に言い、持ってきた資料を見て『ほう、これは凄い。スゴイ人が就きましたよー。』とのこと。
恐る恐る見せていただくと、弁護士としては一番脂の乗り切った世代、しかも、弁護士会のなかで、あらゆる役を歴任している大物なのです。
一般的に、国選弁護は報酬が数万円という儲からない仕事です。
なので、多くは、なりたてで経験の浅い弁護士が勉強のためにやるか、年老いてやる気のない弁護士が生活のためにやっているか、どちらかが多いそうです。
実際、初公判の当日まで接見にも来てくれず、いかなり初公判で初めまして、というケースも多いと弁護士は教えてくれました。

ツイている…正直そう思いました。なぜ、そんなバリバリの敏腕弁護士が、国選をやっていて、業務上横領で本人が罪を認めているというこんなつまらない事件の弁護に就いたのか、まったくわかりません。

弁護士は、『なにかわたしに出来ることはないですか。』という質問に、『そうねえ、その国選さんに挨拶に行くのはいいと思うけど…あと、情状証人として法廷に立たせてくれと、頼んでみたら?』

【情状証人】…初めて聞く言葉でした。
被告人が、社会に居る時にどれだけ社会に貢献していたかを訴え、どれだけ更生の期待が持てるかをアピールすることによって罪の軽減をはかるというものです。
一も二も無くそれをやると決め、友人も証人として法廷に立つことを了承してくれました。友人のように社会的地位の確立された男性が法廷に立てば、裁判官の心象は良くなる。友人も燃えて、可能なら証人なんか何人でも用意できると豪語し、国選弁護人に自分が連絡を取り、挨拶に行き、証人のことを頼むと言ってくれました。

拘置所では、本人は一日一通しか手紙を出せません。
わたしは国選弁護人に手紙を書いて接見に来ていただけるようお願いをするように彼に指示をしました。
それと同時にこちらでも始動しました。それができたのは、自己破産を依頼したにすぎないわたしの弁護士が、依頼以外のこうした相談に快くのってくれたおかげです。
相談料を取らないので、私たちは大きな菓子折りを持っていきました。
彼女は、渋々受け取りながら、もうこれきりにして欲しい、相談くらいならいつでも乗るからと言ってくれました。

そして、彼が刑務所から出てきてからの生活をしきりに不安がるわたしに向かって、こうも言ったのです。
『その彼さえ裏切らずにしっかりやってくれるなら、子会社の仕事を用意してあげてもいいわ。少しハードだけど。』


わたしはまた泣きました。どうしてそこまで、と…。

後日彼女は『客のうち、誰にでも親切にしてるわけじゃない。でも、あなたには何かシンパシィを感じたの。放っては置けないと感じちゃったのよね。』と打ち明けてくれました。

事務所を辞して友人と二人になってもわたしはまだ泣いていました。こんなに、人に助けられ救われる経験は初めてでした。
起こった出来事は、在ってはならないことです。ですが、わたしはすべてに於いて恵まれていました。不幸中の幸いだらけだったのです。

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偽りの蜜月

その後の日々は、朝拘置所に行って、面会が終わると仕事に行き、仕事が終わると帰宅して家事を済ませ、彼に手紙を書いて、自己破産の準備を少しづつして、力尽きて眠る、ということの繰り返しでした。

朝一番に会えるよう家を出て2度乗り換えて小菅の駅に向かいます。
歩いているのがもどかしく、小走りで面会の門に向かいます。
毎日同じ格好をして同じ時間に小走りで通り過ぎるわたしを、正門の門番さんはすぐに覚えて、いつも優しく声をかけてくれ、それが気持ちを安らげてくれました。

受付を済ませてピンクの用紙を手に入れると、会う権利はわたしの手中にあります。
それでほっとして、トイレに行って化粧を直し、何か飲んだりしながら、9時になって呼ばれるのを待ちます。
受付番号が若くてもすぐに呼ばれるとは限らず、すぐに立ち上がれるよう、鞄を手に持ったままモニターをにらみつけていました。

面会が終わると、必ず何かを差し入れし、また走って小菅に向かい、2度乗り換えて職場に向かいます。工事中の秋葉原の乗り換えは気が遠くなるほどキツくて、職場にたどり着いたときには息も絶え絶えです。
しかし接客業。果てしなく微笑み、説明し、おススメして売り上げを伸ばさなくてはいけません。

1時間遅刻している分の時給を引かれ、拘置所に通う交通費と差し入れで日に2~3000円を余分に消費し、わたしは困窮していきました。
体の消耗も激しく、朝起きる時、全身がきしみます。それでも彼に会いたい一心でわたしは走っており、手紙も、ほぼ毎日書いて投函しました。

自宅玄関から、153歩のところに郵便ポストがあります。毎晩そこに投函に行き、先行きの不安を月に投げかけたり、自分を励ましたりしながらの必死な毎日でした。

その間、初公判の日程が決まりました。それに伴って国選弁護人も選定されました。彼からの手紙には、『公判はあと一ヶ月も先です。』と書かれていましたが、わたしたちにとっては一ヶ月しかないのです。
何かできることがあるのならすぐスタートしなくてはならない。

塀の中で、本人はいたってのんびりしており、わたしの差し入れで着々と太っており、様々な問題を抱えて右往左往しているわたしと友人はやつれてゆきました。

それでも、毎日彼に会えて、手紙を書けるわたしは幸せでした。そう、思っていました。彼を救うのはわたしだと自負していました。
偽りだらけの、儚い蜜月でした。

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忙しい拘置所

彼の隣には(というより一段高い机に)刑務官が座り、話の一部始終を聞き、メモを取っています。
思ったことを言うことも聞き出すこともできません。
さめざめと泣いて抱き合うことも、愛してると言う事もできません。
しかも、30分と思っていた面会時間は、10分ほどで打ち切られました。
『どうしてですか! 規定では30分って書いてありました!』わたしは立ち上がって抗議しました。
刑務官は仕切りの向こうから穏やかに、
『それは、30分以内でという意味で、30分ということではないのです。東京拘置所のように、何千人も収容して、何千人も面会に来る施設では、10分がやっとです。じゃないと間に合いません。それでも今日は初めてだから12分まで待ちました。どこか地方の、ヒマな刑務所だったら、30分が可能かもしれませんね。』 
わたしは仕方なく立って、『明日の朝また来るから!』と彼の後姿に声をかけました。

面会が終わると、わたしは勢い込んで差し入れをしました。
『何が食べたい?』と質問すると、恐らくは自戒の意味で、『食べ物はいいよ。出されたものだけで我慢する。切手と封筒だけ入れて。』と彼は答えましたが、そんなのは形式的に聞いただけで、本当は売店のショウケースの端から端まで全部買って差し入れたかったのです。
数ヶ月前にどういうわけか読んだ受刑者を書いた小説には、甘いものが無性に欲しいと書いてあったので、まず、チョコレートと羊羹を差し入れました。タオルと切手と封筒と雑誌も差し入れました。彼が欲しかろうが欲しくなかろうが関係ありません。わたしは差し入れがしたいのです。

これからは毎日来て毎日会って毎日差し入れをする。手紙も書ける。メールでしかやりとりしたことがなかったため、手紙は初めてです。それは、命綱となるものでした。

帰宅すると、彼からの手紙が来ていました。初めての手紙なのに、たった一枚の、感情のこもらない文書でした。検閲を意味する、青い◎の印がついており、一部消された文字がありました。

彼から手紙が来ることよりも、自分が書けることの喜びが大きく、溢れる想いをものすごいスピードでA4サイズのプロジェクトペーパーに4枚にわたって書き(今後も便箋などではとても間に合う文章量ではないと判断)、見た目ですぐにわたしからの手紙とわかるよう、長3のピンクの封筒に入れ、記念切手を貼り、ナンバーを入れて送ることにしました。この形式はその後一貫して変更せず、資料などを送る時には、水色の封筒にして差別化しました。そのほうが保管にも便利だと考えたからです。

No.01とナンバリングしたピンクの封筒を投函し、わたしは新橋に向かいました。お金を貸してくれている知人に会うためです。それは大変後味の悪い別れになってしまいました。その後144日の間、その人とは会うことがなく日々は過ぎました。

わたしは、走り始めていました。
それは傍から見たら馬鹿な戦いだったかもしれません。
けれども、誰もわたしを止めることは出来なかったと思います。
そのときのわたしは知りませんでした。坂を登ったら、次は下るのだということを。

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悲しい香水

その週のうちに、わたしは東京拘置所に出向きました。
職員の人が調べる書類を、アクリルの仕切り越しに覗き見ると、彼の名前の欄はアミカケ処理がなされておりグレーでした。
それが他の人と同じ白枠になったとき、面会できるのだと思い、その日に焦がれました。下着しか入れられないと言ったくせに、普通の洋服も差し入れできることを窓口で確認し、わたしはジャージと綿ニットのタートルを差し入れしました。

通って、会える日を心待ちにしていることをわかってもらいたくて、一度には差し入れず、週末にもう一回差し入れに行きました。
拘留期間は多くの場合が22日間。
そのころにはPCを使える状態に出来たので、様々な不安や疑問について調べまくりました。22日間の拘留だとすると、来週には会えるようになるかもしれない。
わたしは指折り数えて待ち、休みを取って、五度目の小菅駅に降り立ちました。

面会は、一日に一組としか許可されていません。誰かが面会した後であれば、はるばる行ったとしても会えないのです。
身内にも見捨てられ、誰も面会になど行きはしないとは思っても、不安で、受付の始まる8時30分に窓口に申し込みの書類を提出しました。
すこし待っていると、『○○の面会の方』と彼の姓を呼ばれます。
窓口に戻ったわたしに、初めて、ピンク色の許可票が渡されました。

やっと会える!

もう既に泣きそうでした。
面会許可票の色は、階ごとに変えてあります。彼が居るのは8階でした。モニターの画面に受付番号が映し出され、合成の音声で呼ばれると、持ち物検査のゲートに向かうのです。トイレに行って化粧を直し、耳の裏に香水をつけ、待合室にもどってモニターをにらみつけていました。心臓が飛び出しそうでした。

番号が点灯し、同時に呼ばれました。
ゲートの通路横に、ロッカーがあります。泣くに決まっているわたしはハンカチと、質問することを書き込んだ手帳を持って、緋色の鞄はロッカーに入れました。
持ち物・身体検査のゲートに並び、順番が来ると、持ち物をトレイに出し、ロッカーの鍵と許可票を見せるシステムで、係員は二人いました。鍵と許可票の番号を記入し、手帳をぱらぱらと見ると、ボタン操作で奥の扉のロックが解除され、その重い扉を押して、拘置所の内部に入ります。
弁護士待合室を左に見て、突き当りを右に折れ、長い長い廊下を歩きます。グレー一色のひたすら長い廊下です。
やがてエレベーターホールに行き当たりました。広い円形のホールは、恐らくは屋上がヘリポートでしょう。
大きなエレベーターが左右に2基ずつ、計4基あり、ボタンを押して、来た箱に乗れば8階に連れて行ってもらえます。

8階に着くと、そこにもまた小さい待合ホールがあり、窓口で許可票を見せると、座って待つように言われました。ここに居るんだ、やっと会えるんだ…。

やがて番号で呼ばれ、3番の部屋に入るようにと言われました。

テレビや映画でした観たことのない、面会シーン。
まさか自分がこんな経験をしようとは、考えたことがありませんでした。
3号室の扉を開けて中に入りました。2メーター角くらいの部屋のこちら側に、エンジ色の椅子が3脚置いてあり、そしてその部屋の真ん中には、天井までのアクリルの仕切りがそびえていました。

ほんの少しの期待も打ち砕かれました。彼は、まだ受刑者ではありません。
もしかしたら被疑者で居る間はその仕切りのない部屋で会えはしまいかと、無知なわたしはかすかに期待していたのでした。
もう彼に触れることは出来ないんだ…。耳の裏につけた香水を、不憫に思いました。

やがて、刑務官に連れられて彼が入室してきました。

わたしが選んで差し入れた服を着ていました。やつれていました。名を呼んだわたしの目から涙が溢れ、彼はわたしに深々と一礼しました。彼の目にも涙が溜まっていました。

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闘う弁護士

翌日は出勤しました。
弁護士からの『行って来るよ。』という連絡は特に無く午前中が過ぎ、わたしは食事に出ました。
たまには、ちゃんと食べようかな…最近、何を食べたか記憶にないし…わたしが元気出さなきゃ彼を守れないし…などど考えながらある店に入り、注文をしたところで、携帯が鳴りました。弁護士からでした。心臓が飛び出しそうでした。
出ると、第一声彼女は叫びました。
『会って来たわよ!』

会えたの? 会ってきてくれたの? 本当に?

言葉が出ませんでした。店の外に出ました。
『ホントですか? 会えたんですか?』 
『会えたわよ、っていうか、大変だったわよ!』
…聞けば、やはり本人に弁護を依頼された弁護士以外は会えない決まりだそうです。しかし、彼は弁護士を雇う金銭などあるわけが無く、もちろんわたしにも無く、友人はグループを召集して相談してくれたそうですが、わたし一人を救うのが精一杯で、彼のために弁護士を雇うだけの余力は無い・国選弁護人でいってもらうしかないという結論に達していました。だから、本来なら、彼の弁護人で無ければ、会えないはずなのです。

彼女は、闘ってきてくれたのです。

拘置所の面会の窓口で騒ぎ、地検の担当検察官を電話口に呼び出させ、拘置所の職員ともみ合ってその受話器を奪い、『弁護士に会わせないって、どういうことよーっ!』と叫び、とうとう検察官にYESと言わせて、面会を勝ち取ってくれたのです。

たった2度会っただけの、客のひとりであるわたしのために。

『元気でしたか?』変な質問をしてしまいました。
『元気っていうか、まあ、あんなところに入ってるんだから元気でもないんでしょうけど、ボロボロだったわよ。どうしちゃったのっていうぐらい、ボロボロ。でも、生きてたわよ。接見禁止なのに見知らぬ弁護士が来て面会できたってこと驚いてた。あなた、あんなオッサンのどこがいいのよ。』 
言いたいことを言う人で、わたしにも笑みがこぼれてしまいました。次の報告を聞くまでは。

『伝えたわよあなたの言葉! 「待ってるから、わたしのところに帰って来てください」って、伝えたわよ。…彼ね、号泣してた。』

その言葉を聞いて、わたしはワッと泣き出しました。
昼休み時間でにぎわう飲食街の真ん中で、いい大人が声を上げて泣く姿は、奇異だったに違いありません。
でも止めることが出来ない叫びのような号泣でした。
泣いているわたしに、彼女は言葉を続けました。
『本当に彼もそうやって号泣して、喋れるようになるまで随分待ったわ。あなたが拘置所に来ていること、彼わかってたわよ。感謝してるって。そしてね、伝えて欲しいって。』

『待っていて欲しいって…。』

まだ取調べが続いており、起訴されるまでは接見禁止が続くこと・罪は認めているので、もう間もなく取調べも済んで起訴されるであろうということ・借金のことが心配だったが、弁護士が就いて自己破産に向けて進行しているのを聞いて安堵したこと…そして、差し入れてくれた下着はありがたく着ていること・スーツにコートを着て連行されたので部屋ではコートを羽織っており寒さには耐えられるが、スーツ一着で寝起きしているため、擦り切れて破れてしまった、なので部屋着を差し入れて欲しいとのことなどの伝言を聞いてきてくれました。

ありがとうございます、ありがとうございます…ただ、そう言うのがやっとでした。こんなにしてくれる方が居るのだと不思議でした。
しゃくりあげながら電話を切って店に戻ると、提供されてもう冷めてしまった定食が置いてあり、それをしっかり食べて、腫れた目でわたしは職場に戻りました。


わたしのために闘ってくれる人が居る。守ってくれる友人がいる。
勇気が出ました。
そして、彼が逮捕されてから、初めて、幸せな気持ちになりました。

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「行って来てあげる」

翌週、一人でアポを取って再び弁護士に会いに行きました。
知人に借りている借金のことと、彼のことについて相談したかったからです。
知人に借りたいきさつ・その人との現在の関係などを交えながら説明すると、彼女は
『それは踏み倒すしかないわね。』と言いました。
金額が大きく、今お金を動かすと、管財人に怪しまれる・つまり、返済能力があると見なされて自己破産が認められなくなる恐れが大いにあると言うのです。
『でも…返さないわけにはいかないんです。返したいんです。』そう言うと、
『どうして? そのせいで彼氏の借金400万背負うことになるかもしれないのよ? そっちの人には、いつか、何年かしてから個人的に返していけばいいじゃない。』と言われました。その通りです。
でもわたしは、返すことにこだわりました。ここで一回清算しておかないと、呵責に耐えられそうに無かったのです。

弁護士は大きく息を吐いて首を傾げました。
『わからないわ。だって、逮捕された彼とはもう終わりなんでしょ? その、お金貸してくれてる人と付き合えばいいじゃない。あなたはね、彼氏に騙されたのよ? 騙されてハメられたのよ?』

『いいえ。』わたしは首を振りました。
『違います。騙されていません。わたしが彼を救います。全てこれからなんです。見捨てません。待っています。でも…でもそれを伝える手段が今は無いんです…。』

言いながらボロボロと涙がこぼれました。
『いったいいつ会えるようになるのか、今どうなっているのか、暑いのか寒いのか、知る手立てが無いんです…。』

それを聞いて、彼女は『うーん。』と唸りました。
『借りてるお金は返したいのね? 今後その相手と付き合う気がないなら踏み倒せば楽になるのに、どうしてなの?』 
『何というか…一般の、人なんです。こういうことに関わらせたくないし、返さないと自分が苦しくておかしくなりそうなんです。』 
『うーん。』弁護士はまた唸りました。
『正直、困るのよね、返されることは…。でも、まあ、そんなに言うならいいわ。考えるから。で、あなたは逮捕された彼を待つつもりなの?』

『待ちます。取り戻して、わたしが支えます。でも、そのことを今は伝える手段が無いんです。きっと不安に思ってる。安心させてあげたいけど、それができませ…』

『アタシが行って来てあげようか?』 …さえぎって弁護士はこう言いました。
『あなた、当分その人には会えないわよ。アタシが行って、伝えてきてあげようか? それで、彼の言葉もあなたに伝えてあげるわよ。』

会って二度目の単なる自己破産の客に向かって、彼女はとんでもないことを言い出しました。
『先生は、会えるんですか? 本人の弁護士じゃないのに?』  
『それはホントのところわからない。でも、明日なら時間作れるから、行って来てみるわよ。ダメだったらごめん。とりあえず言いたいことと聞きたいこと書いて。』 
…わたしは、信じがたい思いにとらわれたまま、項目を書こうとしましたが上手く出てこず、帰宅したらすぐFAXを入れることを約束して、事務所を辞しました。
今回も、そして実は前回も、彼女は相談料を受け取りませんでした。
全部込みでいいと…。自己破産を頼んだだけであって、彼の逮捕については彼女の仕事ではないのに…。

でも、甘えることにしました。この人に託すしかない。彼にどうしても伝えて欲しい。待っていますと。       

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取り戻してみせる。

金融機関は、かつて『返せないなら腎臓売って来い!』と叫んで世間を騒然とさせたところでした。
弁護士に教わるまでそんなことすら知らず、彼の言うままに書類に記入し実印を捺したのです。
世間知らずのバカもいいとこでした。
弁護士からFAXが送られ、私に手出しが出来なくなりました。あの若い担当者は地団駄を踏んで悔しがったことでしょう。
実際、弁護士宛には怒号の電話があったそうです。

わたしも、歩いていて人目に怯え、家に居ても電話やチャイムに怯えていました。家の電話にも携帯にも、何度もその金融会社から電話が入りました。

けれども友人と弁護士のお陰で、最悪の事態は免れた感があり、わたしは彼の弟にメールをしました。
弁護士を紹介してくれたお礼を言うのと、50万という費用について相談したかったからです。赤の他人が50万も出すと言ってくれているのです。身内なら少しでも、という気持ちがありました。

しかし、メールは瞬時にはじき返されて来ました。エッ?と思い、携帯に電話をすると、その携帯は、解約されていました。

弟は、弁護士を紹介して、押し付けて逃げたのです。

わたしは、兄弟がいません。なので、兄弟というものがどんなものなのかを知りません。
でも、これはあんまりではないか…。肉親とはこんなものなのか…。
わたしは絶望しました。同時に、他人のわたしに大金を出してくれ、毎日不安と苦しみに明け暮れるわたしにメールや電話で励ましをくれる友人Kにあらためて驚きました。

もう、弟を追うまい。自分が惨めになるだけだ。この手に取り戻してみせる。孤高にならなければならない。わたしはそう考えようとしました。

自分の自己破産に向けた様々な準備、彼が借りて、一日も住めなかったアパートの解約、仕事に行きながらそれらをこなし、夜は友人に会ってもらうという数日を過ごした後、わたしは二度目の東京拘置所の門をくぐりました。

窓口で聞くと、やはりまだ接見は禁止で、手紙を出すことも許されません。いったいいつ面会が許可されるのかわかりませんでした。

春の兆しが見え始めたその日は、半袖の下着を一枚だけ差し入れてきました。
会えるようになるまで、時々訪れて、一つずつ何かを差し入れようと思ったのです。
差し入れできるのは下着だけ、房の中で所有できる枚数には限りがあるとのこと。
ネタが尽きたら、こんどは毎日1000円ずつ入れて行こう。
そうすることで、わたしが来ていることを彼に伝えようと思いました。

見捨てない。愛している。取り戻してみせる。

その信念だけで、目まいに襲われる日々を走っていました。わたしは、世間知らずで、自分の器さえ理解していない、馬鹿な女でした。

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自己破産するしか…?

東京駅で待ち合わせて、友人とわたしは弁護士事務所に向かいました。
エレベーターで上がると、広々とした綺麗な事務所に数人の女性が働いていました。
色合いも落ち着いており、パーテーションを巧みに使った、洗練された事務所でした。

相談室に通され、弁護士が来るのを待ちました。
しばらくして、風のように彼女は入って来ました。
黒いスーツをサラリと着こなした、ドラマにでも出てくるような美しいいでたちと、よく通る声を持った人でした。
見た途端、嫌な感じがしました。この『嫌な感じ』というのは、わたしにとってとても特殊な感覚で、それは『自分と似た感じ』なのです。
しかし親近感というのではなく、悪事を身内に見られてしまうような罪悪感を瞬時に感じました。

汚いセーターを着て髪もボサボサの自分が悲しくなるほど素敵な弁護士でした。

彼女は歯切れのいい口調で質問を始めました。
わたしは、持ち歩いていた彼の逮捕を報じる新聞の切抜きと、借金の書類の写しをを見せながら、ぽそぽそと答えました。その間に事務方の女の子が次々とコピーをとって行きます。
『あなたねぇ、』と弁護士は呆れたように言いました。
『そんな金額、払えるの? 払う必要も無いわよ。持ち家ある? 車持ってる? 貯金は?』…すべてにNOと答えました。
じゃあ、自己破産するしかないわねえ。何にも失わないからいいんじゃない? 弁護士は事も無げにそう言いました。

確かに、弁護士にとっては自己破産など毎日数件扱っているかもしれないありふれた【仕事】なのでしょうが、わたしは、恋人が逮捕されたことも始めてなら、弁護士という立場の人に相談をするのも始めてで、しかも、自己破産をすると決めて今日やってきたわけではないのです。
しかも、わたしの場合は事件絡みの破産になるため、裁判所の管財人というのが就くということでした。
管財人とは、わたしの財産を(ありませんが)管理し、郵便物も全て管理し、自己破産をするのに不適合が無いかを見届ける任務の人で、裁判所から任命されるそうです。
その費用が別途20万円必要で、それは一括納入。弁護士費用は経費・手数料全て込みで30万円。
『合計50万だけど、弁護士費用のほうは分割でも可能よ、3万円の10回払いでどうかしら。』 
弁護士が説明するのをわたしはさえぎりました。待ってください!

ちょっと、待ってください。わたしには人生の一大事なんです。大切なのは、何回払いかではなくて、自己破産をするのかどうか・それを今ここで依頼するのかどうかということなんです…。
でも、これを言えずにうつむいていました。どうすればいいのか、どう説明すればいいのかわからなかったのです。
友人Kが、口を開きました。『すみません、彼女がお願いしますと言えないのは、費用が無いからなんです。でも、費用は全額僕が払います。一括で払います。なので、お願いします。』 
友人はそう言って依頼してしまいました。じゃ、と言って自己破産に向けてのスタートが切られてしまいました。

このときの、友人Kの決断には、今も感謝しています。
実際に後日50万円を下ろして一緒に払いに行ってくれたのです。
ですが、わたしは生活にこまった時期にある知人から多額の借金をしていました。その借金のことを、友人の前では弁護士に言えませんでした。

この日が金融会社への利息の支払日にあたるため、弁護士は直ちに自己破産の手続きに入り、金融会社には、【弁護士が就いて自己破産の手続き始めたから、おめえら彼女に手をだすなよっ】という意味の書類がFAXされます。と、同時に、わたしは一切の金銭の移動が出来なくなり、クレジットカードで借りているぶんのみならず、その知人に借りている借金をも含めて、返済しないということになります。
それは困った…内心焦っていました。

しかし事務方から次々と説明を聞き、それを数日でこなさなくてはいけません。自己破産の正式な申請は急がないのですが、その前にやるべきことが色々あるのです。口座の残金を下ろし、引き落としにしている公共料金は振り込みに変えること、生命保険の解約。キャッシュカードを明日事務方に送ることなど…混乱しながらもメモをとり、順序を組み立てるだけで必死でした。

いなくなった彼を偲んで泣き伏す暇の無い、怒涛の春が押し寄せてきました。

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灰色の記念日

一言で表現するなら、そこは灰色の世界でした。


初めて小菅駅に降り立つと、風の吹き抜ける荒野のような土地柄でした。
高いところにある荒涼とした駅。
長い階段を下りて改札を出て、人家を見ても、その印象は変わらないものでした。
改札を出たところに拘置所への道順が書かれてあり、それを繁々と眺めてから、わたしは一日目の一歩を踏み出しました。

高速の下、川沿いの道をひたすら行くと、拘置所の正門がありました。
でもそこは面会のための門ではありません。角を曲がり、高い塀の続く道を、ひたすら歩くのです。
途中で9時になったので、弁護士事務所に電話を入れました。弁護士は、まだ出勤してないとのこと。教わっていた携帯にかけました。
出たのは以外にも女性でした。名乗ると、弁護士には話が伝わっていたようでしたが、『今バスに乗っているので、あとで掛け直します。』と囁くような声が聞こえました。
綺麗な声の人でした。

コンクリートで出来た愛想のない門をくぐると、目の前に灰色の要塞がそびえ立っていました。
緑が何もない砂漠に、まだその容積を増やし続けている巨大な建物には、圧倒的な圧迫感がありました。
ここに彼が居る…。駐車場を回避するように定められた順路どおりに歩き、鉄板のガタガタする歩道橋をわたり、面会の玄関に入りました。
そこもまた、灰色にしか見えない世界でした。
待合室の壁には電光掲示板があり、そこに番号が表示されると、面会用のゲートをくぐり、ひたすら長い廊下を歩き、エレベーターに乗り、指定された階に行くのだと資料にはありました。

わたしは、まず、面会の受付に行って窓口で尋ねました。
『ここに居るらしいのですが、面会が可能かどうかを聞きたいのですが…。』 
『いつこちらには入ったかわかりますか?』
『先週です。』
『では面会申し込み書に必要事項を記入して提出してください。』 
…もしかして、会える!? 面会の申し込み用紙に記入して窓口に提出し、しばらくそこで待っていると、声がかかり、再びアクリル越しに職員と向き合いました。

『この人は接見禁止ですから、面会は不可能です。』

じゃないかと思ったから最初に聞いたんだよ、と思いながらも、本当にここに居たんだという安堵もありました。ここに居れば、命は守られる…。

『いつ会えるようになりますか。』と聞いたら、
『それはわかりません。』と素っ気無い返事です。
『差し入れは出来ますか?』『それは差し入れの窓口で聞いて。』
あくまでお役所仕事です。だけど、市役所や区役所じゃありません。特殊な人だけが、深い心の闇を抱えて来る、特殊な場所なのです。知らないことのほうが当たり前なのです。

わたしは反対側にある差し入れの窓口に行って尋ねました。
『接見禁止で面会出来ないのですが、差し入れはできますか?』
『現金と下着は可能ですよ。』
『どうすればいいですか?』
『買ったものを持ってきてもいいし、今入れたいのならそこの売店で直接差し入れできます。現金は、用紙に書いて、隣の窓口でどうぞ。』

わたしは売店に行きました。ショウケースにお菓子や缶詰が展示してあり、本、雑誌、新聞、生花、パンなども置いてありました。
呆然としていると、職員の女性が、『お決まりでしたらどうぞ。』と記入用紙を差し出しました。初めてであることを告げ、下着を買いたいというと、薄手と厚手があると言われました。寒い思いをしていると心配だったので、厚手の長袖の下着とズボン下、替えのブリーフと靴下を2枚づつ買って差し入れました。
その売店で買ったものは窓口を通さず直接本人のところに行くようでした。
書類には、日付が入ります。
今日が記念日なのを、彼は覚えているだろうか。わたしが来たことを、その意味をちゃんと理解してくれるだろうか。

現金1万円も別に差し入れました。
わたしは印鑑を持たず、わざと拇印を捺しました。
会えない、話せない、触れることが出来ない今、指紋でもいいから見てもらいたかった。
その想いで拇印にしたのでした。


外に出て歩きはじめたとき、弁護士から電話が入りました。
妨害電波がガーガーと割れた音を立てており、彼女の声はところどころしか聞き取れませんでした。
あなたが、相談したい本人なの? 今日来られますか? 
…午後は仕事に出る予定をしていたし、相談したいのかどうかもわからず、わたしは携帯を握った手をだらりと下げて、灰色の建物を見つめていました。
ここにいるんだ。来たよわたし。 
…携帯から、『もしもーし! もしもーし! どうしたのーっ』という弁護士の声がして、我に返りました。
『その人が借金してる相手は、ヤバイところよ! すぐ手を打たないと危ないわよ! 来れるの来れないの!』
弁護士が叫んでいることが不思議でした。でも、フッと気が向いたのです。
行くだけ行ってみよう。

2時に約束をすると、職場に欠勤することを連絡し、友人にメールで成り行きを知らせました。わかった、一緒に行くから、待ち合わせ場所と時間を指定してくれと返事が来て、わたしたちは東京駅で落ち合いました。


この後巡りあう弁護士が、その後わたしを救い、支え、守ってくれる人になるとは、考えてもいませんでした。

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