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2007年5月

東京拘置所へ。

翌日は雪でした。
湿った早春の雪の中を、都心にある金融会社まで出かけてゆきました。
担当者が来るまでたっぷりと待たされ、書類の控え一式を渡されて説明を受け、それを持ったままわたしはデパートに寄りました。何をしに行ったのか全く記憶にはありません。
またフラフラと自宅に戻り、わたしは彼の弟に電話をしました。

そのときまでわたしは、何とかして彼の代わりに借金を返さなくてはいけないものだと考えていました。それにしても3日後に控えた利息20万をなんとかしなければ…。
それを彼の弟に相談したかったのです。

散々たる結果でした。
弟はこう言い放ったのです。

オレは兄貴に頼まれたが、保証人を断った。アンタが勝手に受けた話だ。アンタが保証人にならなければ、借りることは出来なかった。そうすればもっと早くに決着がついただろうに、こんなことになったのはアンタたちの自業自得だ。オレは一円も出さない。親父にも出させるつもりはない。一切関わりたくない。以後金の話は一切しないでくれ。

そしてこうも言いました。
アンタ馬鹿じゃないのか。あんな男の一体どこがいいんだよ。

返す言葉もなく、助けてもらう望みも消え、力なくわたしは電話を切りました。


翌日は出勤し、力なく仕事をしていると、弟から電話があり、
『昨日言ったとおり、オレもオヤジも一円も出す気はない。だけど、あなたに弁護士を紹介します。月曜の朝一番に、その弁護士に電話をしてください。そして、誰にも相談せず、特に兄貴の関係者には絶対に内緒で、その弁護士に会いに行ってください。』
弟はそう言って弁護士の事務所と電話番号を伝えて来ました。
『でも、弁護士に払う費用すらわたしにはありません。』と食い下がると、『それはまあ、後で言ってくれれば…。』 そう言葉を濁して電話が切れました。

店に立ち尽くしたまま、わたしは泣きました。

気付いたおかみが飛んで来て、小さい体でわたしを抱き寄せて、どうしたの、大丈夫?と聞いてくれました。
切れ切れに説明すると、『まあ、身内なのに助けてくれないの?』と憤慨し、慰めてくれたのが救いでした。おかみはこの後もわたしを救い支えてくれる存在になりました。

彼の親会社の経理の人からは、『借金は何とかしてあなたが返すように。』という電話が一度来たきり、連絡が取れなくなっていました。弁護士を紹介されたと言って、その弁護士に会いに行って何が一体どうなるのかわからず、例の友人にメールで概要を知らせると、わかった、少し調べてみるから、明日の夜会おうと返信があり、翌日の仕事終わりで会いました。

友人は、東京拘置所の面会と差し入れについて調べたことをプリントアウトして持ってきてくれており、利息の支払日が明日で、とにかくもう、何とかしなければいけないのだけど…と言うと、明日、休みを取るからその弁護士のところに一緒に行こうと言うのです。
自己破産という手もあるよと、もう一束の資料を出しながら。費用は、基本20万に、事務手数料や実費が乗るのが相場らしい、それはとりあえずオレが出しとくからさ、と。

わたしは、とりあえず明日の朝一番に拘置所に行ってみると告げました。資料によると、面会が出来ない場合でも差し入れは出来るとありました。
彼が一体どんな格好で連行されたのかを誰も知りません。
でもまさか、下着の替えまで持って連行されるわけがないです。
暦では春でも、雪の降る気温の日々、暖房の無い独房でどうしているか心配でなりません。暖かい下着を差し入れたい、それよりも、差し入れをすれば、わたしが拘置所に来たことが彼にわかるはず…。
来た、ということは、見捨ててない、ということだと察してもらいたい。
会えない今、それしか方法が無い。それが終わったら連絡する。弁護士にも朝電話を入れてみる。

友人は、じゃあ、午前中は仕事に行って午後休みを取るから、どっちにしても会おうと言ってくれました。その夜もまた友人は次々と料理を頼み、食え、と言い、彼はひたすらビールをあおりました。

明日は、彼との記念日です。新しく借りたアパートで、二人ですき焼きをしてワインを飲もうと約束していました。

その記念日に、二人が会うことすら出来ず、しかも拘置所に行くことになるだなんて…。

私は、銀の靴を履き、緋色のバッグを持って、東京拘置所に向かいました。
曇天の月曜でした。

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アパートの鍵

わたし達は、彼と友人を含めて、男性5人女性3人の飲み仲間でした。
たいていはわたしが声をかけ、月に1~2回集まって飲みました。
よく飲みよく喋る集団でした。年齢も立場も様々であり、時には論議し、時には朝までカラオケで騒ぎ、騒ぎながらも知的で節度のあるこのグループを、わたしも彼も大切に思っていました。

友人と向き合って席に着き、震えながらはじめて酒ではないものを飲みました。友人Kは次々に料理を頼み、『食ってないいだろう。倒れるぞ。食え。』と言ってくれました。
わたしは知っている限りの情報を話し、自分の置かれている状況についても全部話しました。
聞けば私からのメールを受けて会が召集され、事実が告げられ、全面的にわたしと彼をバックアップするという決定がなされたとのこと。単なる飲み友達だと思っていた仲間に、まさかこんな人生の一大事で救われ支えられていくことになるとは、そのときにはまだ理解不能でした。

月々の利息返済額から推測すると、彼が抱えていた借金は推定800万だろうと言われました。でも、何度か借りているので、そのうちの一体いくらの分の保証人になっているのかがわからないこと、先ほど金融の担当者と会って、弁済にはこういう種類があると言われたことも説明しました。

やがてその居酒屋がラストオーダーとなり、一人になりたくなかったわたしは友人にすがり、もう一件行きました。そして友人は、
『この先、俺らはキミを支えていく。できる限りのバックアップをする。それが彼を救うことに繋がる。そのかわり、何でも話してくれ。』
わたしは泣きながら頷きました。

『そしてもうひとつ。今から何がどんなふうに展開していくのかわからないが、彼が帰って来たときに、この会は、存在する。…彼が戻ってくるのを、待っている。』


人の心を救い、支え、癒すことができるのは、人の心だけなのだ…。涙に暮れながら、わたしは今自分が他人に支えられていることを実感しました。わたしは今まで、人を支えたり救ったことなどない。
友人はその後わたしの全ての話を聞き、判断し、愚痴や迷いに渇をくれ、癒し、命すら救ってくれる存在となりました。

けれど、今は目の前の問題を解決していくしかない。明日、金融機関に出向いて、書類を一式貰い、彼の弟と相談するつもりだということを話して、その夜は別れました。

帰り道、電車の中や駅のコンコースでわたしを見つめる男性がいると、地検の検察官ではないかという気がして落ち着きませんでした。
わたしは彼にとってもっとも身近な存在であり、事情聴取があって然りと考えたからです。逮捕されたのが、アパートに入居する日だったということも気にかかっていました。
そんな偶然があるだろうか?  
地検はずっと彼を張っていて、引っ越すことに感づいて、当日早朝踏み込んだのではないだろうか…。

このことはその後長くわたしの心を苦しめました。まだ少し先でいいよという彼の言葉を聞かず、探してきたアパートを契約させたのはわたしだからです。

手に入らなかった、レトロなクローバー型の真鍮の鍵…。

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泣きたかった。

彼を会わせたことがある従姉妹に、わたしはこの件を連絡しました。
当時パソコンをもらったものの、まだ立ち上げてもいないうちにこんなことになってしまったため、その従姉妹が、東京拘置所について調べたことを携帯にメールで送ってくれました。
面会・差し入れ、時間など、詳しく調べてくれてありました。  
けれど、面会に行っても恐らくはまだ会えない。もともと刑務所・警察関係の本が好きで読んでいたわたしには、多少の知識がありました。まずは、とにかく、仕事に行かなければ…。

本当は休みたかった。大声を上げて泣きたかった。泣きながら寝込んでしまいたかった。

けれど、今寝込んだらもうわたしは起き上がれなくなる。しかも彼から紹介された職場。
行って、話さなくては…。わたしは重い体を引きずって職場に向かいました。



お話があります。そう言って正座して、おかみに切り出しました。
彼が逮捕されました。ここに仕事に伺うことはしばらくできません。

彼の罪状を詳しくは知らず、人柄すら本当には知らなかったわたしは、その「しばらく」というのがどれくらいなのか見当もつかないまま告げました。彼と25年来の付き合いであるというおかみは腰を抜かさんばかりに驚愕し、にわかには信じられないと言い張りました。新聞に載ったこと、拘置所に居るのはあきらかであることを話し、わたしが借金の連帯保証人になっていることも話しました。

そして虚ろなまま仕事をし、その夜、ホテルのロビーで金融会社の担当者と会いました。本人が失踪したということにして、書類のコピーをもらいたいことと、どういう対処があるかを教えて欲しいと告げると、担当者は本人の失踪に驚き悔しそうな顔を隠しもせず、借金は連帯保証人が払うことになること・支払いの方法にはいくつかあることを提示されました。
明日、書類を取りに行く旨を伝えて席を立ちました。払うしかないのか。でもどうやって? そこへ、昨日知らせた共通の友人からメールがあり、会うことになりました。


待ち合わせの駅に着くと友人が立って待っており、駆け出したわたしは彼に抱きついて声をあげて泣きました。
「うん。うん。辛かったね。」と言いながらも、わたしを抱きしめることなく棒立ちになっている彼の手に触れると、お互い冷え切っており、とにかくどこかに入ろうと、居酒屋のビルに向かいました。

子供のように、わたしはしゃくりあげていました。

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どこに行けばいい?

地図を持って出かけたものの、どこに行けばいいのか迷いながらの道程でした。
彼の弟に電話したものの、運送業である弟は一端仕事に出ると携帯には出ません。
実家に行って父親に会うしかないか…
アパートを借りる不動産屋に行けば、保証人である父親の住所と電話番号はわかるだろう。
その駅で降りて不動産屋に向かうと、シャッターが下りています。定休日でした。
番地もわからず尋ねて行くのは無謀…。

会社に、行くしかない。
彼は自営ですが、経営に行き詰まり、数ヶ月前に事務所を畳み、昔付き合いのあった事務所にデスクだけ置かせてもらい仕事をしていました。そこで親しくしていた経理の人の名前は知っていました。
再び電車に乗り、地図を頼りにその会社を探し当てました。
出てきた女性に取り次いでもらうと、その経理の人が怪訝な表情で近づいてきました。彼の名を告げると、アッ、と言って、応接室に通してくれました。幾つも並んだデスクの端っこに、何にも載っていない空っぽのデスクが一つ不自然に…。 
地検が持って行ったんだ…。そう思わざるを得ない風景でした。

ドアを閉め、その経理の人は、わたしの素性を尋ね、婚約者であることを告げると、納得して話をしてくれました。昨日朝9時少し前に地検が踏み込んで来て、一切を持って行ったこと。彼の自宅には、一昨日の早朝6時に、地検が踏み込んで連れていったらしいことを教えてくれました。
横領したのは、新聞に載っていたとおりの5400万余り、一番大きなお客様の遺産を管理していたのを使い込んだようだとのことでした。

もはや、疑うことも出来ずかばう事のできない真実がそこにありました。

わたしは、彼の連帯保証人になっていることを告げました。その金融機関を紹介してくれたのがその人だと、以前彼に聞いて知っていたからです。支払日が間近に迫っているが、わたしにはその能力もなく、一切の書類は彼が管理しており、わたしは自分が一体いくらの保証人になっているのかすら知らなかったのです。
それほど、彼を信じていました。

金融機関の担当者とは知り合いであるから、会う段取りをとってもいいと言ってもらえました。同行することをお願いしてみました。わたしには、全くどうしたらいいかわからず、頼るべき相手を失って、雪原に一人立っているような心持でした。

翌日の夜、担当者との面談を設定してもらう約束をすると、お互いの携帯番号を交わして、会社を辞しました。

その帰り道、そうだ、知らせなければいけないな、と思い、彼とわたしの共通の友人Kに、メールを入れました。
『彼が、東京地検特捜に逮捕されました。今朝の新聞で知りました。今彼の会社に行ってきました。地検が持って行って何もありませんでした。わたしは彼の連帯保証人になっています。』と。
数秒で返事があり、向こうも動転したのか、『何新聞?』というだけのメールでした。わたしが読んだものと、その他2誌に載ったらしく、それを知らせると、『明日会いましょう。話してくれれば力になります。』 という力強い返信がありました。

それを嬉しいとも感じないうつろな心で、わたしは家に戻りました。
途中彼の弟から電話があり、わたしの留守電で初めて兄貴の逮捕を知ったこと、自分は保証人を断ったし、関わりになりたくないことなどを告げられました。夜になって、経理の人から、彼が今、東京拘置所にいることを教えられました。

そこから3ヶ月間、履いていた銀の靴の底が無くなるくらいに通い詰めた、拘置所通いの始まりでした。 

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新聞に彼の名。

その朝、新聞の社会面に、わたしは彼の名を見つけました。小さな記事でした。
仕事に行く日なら、絶対に見過ごしてしまうような小さな記事。

二人で住むアパートの鍵を一緒に不動産屋にもらいに行って、一緒に掃除をするという約束を、彼は連絡もなくすっぽかした、その翌朝のことでした。

わたしは、多分叫んでいました。

嘘だ、そんなはずがない、そんなことが起きるわけがない! 
…しかし、震える手で何度記事を読み返しても、彼の名であり、年齢も、職業も、住所も、間違いがありませんでした。
毎日欠かさずメールをやり取りし、必要な時には電話を掛け合っていた仲です。
部屋を借りるという大事な約束を、連絡なしにすっぽかすわけがありません。
前夜、携帯の電源は落ちており、ただ事ではないという不安の中、ひとり丸くなって迎えた朝のことです。
信じるしかないのかという絶望が襲ってきました。

会えない! わたしは二度目の叫び声を上げました。

彼を逮捕したのは、警察ではなかったのです。  

【東京地検特捜部】…彼を逮捕したのは、地検の特捜でした。

会えるわけがありません。容疑は、『業務上横領』  特捜が動くほどの事件…? いや、きっと何かの間違いに違いない、そういえば遺産相続の仕事をすると言っていた、その件で少しお金を少し動かしたか、誰かに貸してあげたか、何らかで誤解されたに違いない…。  けれど、横領をしたとされる年月日を呼んで、息を呑みました。
わたしが彼と知り合う以前の年月日なのです。

知らない彼。知らない仕事。知らない事件。

そんなバカな…人の為に自分の時間を割いて尽くす彼が、横領だなんて…しかもその額は5000万を超えている…。一人の犯行とは思えない、きっと騙されたに違いない。
わたしは必死でした。震えながら、必死に彼をかばっていました。

わたしは、彼の借金の連帯保証人になっていました。それは知っていました。月々20万円にも及ぶ『利息』の支払日が数日後に迫っていることも、知っていました。
払わなければ電話がかかってくる。会社に電話が来る。家に押しかけて来られる。

事実を確認しなければ。その利息の支払いを何とかしなければ。
そして、彼をこの手に取り戻さなければ…。

よろよろと立ち上がり、わたしは着替えて、化粧をし、地図を持って、まだ冬の香りのする3月の朝に、踏み出して行きました。

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彼が逮捕された。

皆さんは、ご自身に経験が無ければ、テレビドラマでしか拘置所や刑務所の面会シーンをご覧になったことが無いはずです。

ですから、あれが事実なんだと思うしかなく、もしくはそんなことに興味すら湧かないかもしれません。

でも…もしも、自分の大切な人が、逮捕されたら…?

あなたはまずどうしますか?


それまでのわたしは、そんなことをもちろん想像したこともなく、毎日目の前の問題を解決しながら生きて行くのにただ必死でした。

そしてある朝、新聞の社会面で、わたしは自分の彼氏が、東京地検特捜部に逮捕されたことを知ったのです。

その一昨日の夜までメールを交わし、一緒に住むアパートの鍵をもらう日の朝、彼はわたしの前から忽然と消えました。


そこからのわたしを、どうかこのブログで読んでください。

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