夫が心配している。

再婚して11年目に突入した。

けれど、11月にはもう、肺の腫瘍の手術をすることは決まっており、
10年で3回もの手術は、多いと思ったし、申し訳なかった。

働きに行けず(ひそかに打診は続けていたが駄目だったのだ)
稼ぐことをせず、
家事もやらず、お姑さんの世話もせず。

何にもしない状態で、生かしておいてもらいながら、
更には病気になって、手術が必要となり、
迷惑をかけるし、お金もかかるし、
本当に何のために夫は結婚したのだろうかと、
申し訳がなかった。

最初は、卵巣嚢腫。
うつされた病気を診てもらいに婦人科に行ったところ、
左の卵巣が鶏卵大に腫れていた。
なので、摘出することになった。

その時は、出産以来、初めての入院だったので、
特に深く考えず、
お金のかからない、4人部屋にした。

大失敗だった。

カーテン一枚隣に、見知らぬ他人が寝ている。
わたしは不眠症だから眠れない。
しかも、麻酔の副作用で、すごい吐き気。
翌日、皆さんに食事が配られるが、その匂いにえづいてしまい、
いたたまれない。
辛すぎる。

熱が出た人、頭痛がした人がいたけれど、吐いてたのはわたしだけで、
みんなより回復が遅れる。
「5時までに立って! じゃないと、交替で、看護師減るから、
トイレの世話とかしにくくなるのよ!」という、スパルタの看護師さんのおかげで、
おえええ~って言いながらも立って、歩いて、
何とか点滴の架台に助けられてトイレに行けて、
管を抜いてもらえた。

けれども、布一枚隣に、知らない人がいる、ということに、
わたしは耐えきれず、
退院してきてから、だいぶ長く、鬱状態だった。

次は、胆石が詰まった。

詰まっている間に肝臓さんの数値がエライことになってしまったようで、
すぐに車椅子に乗せられ、緊急入院だったので、
選べず、4人部屋だった。
他の皆さんには食事が出るのに、
わたしは、壮絶な、丸五日間の絶対絶食。
水とお茶を交互にちびちび、飲んでいるしかなかった。

あの4人部屋でも、精神をやられた。

なので、もう助からない胆石でみっしりの胆のうを、摘出する時は、
個室に入らせて欲しいと夫に願い出た。

夫は、渋った。
「いくらだと思ってるんだよ!」
「ガンでもないくせに!」
「死ぬわけでもないのに!」と、
個室の許可をくれなかった。

彼の最愛の奥さんは、ガンで、その病院で亡くなっているので、
たかが胆のうを取るくらいの手術で、個室は贅沢なのだそうだ。

そのせいで、わたしの精神がどうなろうが、
そんなことはどうでもいい。
知ったこっちゃない。
お金のほうが大事。


わたしは、主治医と相談して、「個室じゃないと、精神を保てないので、
個室が確実に取れるよう、手術は一か月後でいいので、
押さえてもらえますか?」と頼んだ。

自分の郵便局のささやかな貯金を崩すつもりだった。
その日の会計の時、夫から、「個室でも可。」という、
短い、愛のない、メールが来た。

どうせ許可してくれるなら、頼んだ時になぜ、いいよ、と言えないのだろうか。
ありがたみが全然違うのに。

わたしは、夫に、
「一人で入院するし、一人で退院して来る。だから休まなくていい。
手術の時は家族が来てないと駄目だから頼むけれど、
それ以外は一切、面会は不要。
忙しいんだ、メシ作らなきゃとうるさく言われるのが不愉快だから、来ないで。」
と伝えた。

夫は何故か、土日とも、12時に来た。
意味がわからない。
こっちはさっさと食べて、下げに来るまでに食べ終えていなくてはならず、
喋っていられない。
返って邪魔な時間帯になぜ来るのかが理解できなかった。

退院も一人で、タクシーは使ったが、
一人で帰って来た。

あんな言われ方をされて、感謝する気持ちもなかったし、
本当に冷たくて、わたしの精神なんて、どーでもいいと思ってるんだ、としか、
思えなかった。

今回、亡くなった奥さんと同じ部位、肺の手術。

厳密にいえば、奥さんは肺の中皮という膜のガンだった。
わたしのは「縦隔腫瘍」と言って、
肺でもなく、心臓でもなく、食道でもない「縦隔」という空間に出来ている腫瘍。

大動脈とは数ミリ離れているらしいが、
内膜にどれくらい密着しているのか、
肺側にどれくらい癒着しているのか、
それは、開けてみないとわからない。

形が丸っこく、半透明なので、
悪性っぽくは見えないが、
腫瘍マーカーの値は、少し高めで、
一部、悪性化が始まっているかもしれない、とのことだった。

それも、開けてみて、採ってみて、とったものを調べてみないとわからない。
今の時点では、何もわからないのだ。


わたしは、悪性ではないと思っている。
悪性だったら、もっと、どこかに、不調が出ると思うのだ。
確かに、声が枯れやすいので、そこは問題化もしれないが、
父も、母も、ガンの手術の前は、自覚症状こそない、とは言っていたが、
どこか、おかしかった。

自分の体なので、わかる。
一部悪性化していたとしても、死には至らないと思っている。
そう思ってないと、やってられない。


初めて、夫が心配をしている姿を見た。

年末のイレウスの時だって、あんなに苦しんで唸っているわたしを見てたのに、
病室の、第一希望はトイレなしの安い個室、
だが、第二希望が、二人部屋にしてあった。

あんなに、個室じゃないと無理!、って言ってあるのに、だ。
そんなにわたしにお金をかけるのが惜しいのか!と喧嘩の時に聞いたら、
ああ、惜しいね!と言い放った。

わたしの精神より、病状より、お金の方が大事な夫。
それを言うと「金がなきゃ、生きていけないだろうが!」と怒鳴るが、
夫は、そこそこの資産家だ。
結婚前は、それでわたしを吊っておきながら、
結婚したら、病院の個室代が、惜しくてたまらないのだ。


でも、今回はわたしの命の心配をしていた。
もしも死んだら、という話になったので、
わたしは、遺言状のありかを教えた。
執行人が夫であり、息子と相談しながらやって欲しいと書いてある、
ちまは、譲渡主さんに話してから、息子夫婦に頼んで欲しいと伝えた。

幽体離脱しちゃったら、頑張って体に戻るからさ。
わたしと夫はハグをして慰め合った。

悪性ではないという保証はない。
あけてみて、採ってみて、悪性っぽかったら、
肺の一部や、リンパ節などを切除しなくてはならない。
開いて、採って、閉じて、二週間の入院、では、終わらないかもしれない。

かと言って、今やれることは何もないのだ。

そうね、もう、気合いしかないんだよね。

生きていたい理由があるんだ。
やりたいことを、見つけたんだよ。
それで自分がどうなることを望んでいるのかがわかっちゃったんだよ。

だから、何かを失っても、
手さえ動くなら、生きていたい。
そういう欲が出ちゃった。

いつ死んでも別にいいや~って思って生きていたのにね。


12日に入院で、タブレットを持って入るけれど、
手術後はICUに入るし、数日間は身動きも取れないだろうから、
この「銀靴」の更新は、
生きて帰ってくるまでは、無いかもしれません。

更新が止まったら、
ああ、駄目だったんだな、と思ってください。

そんなことになるつもりはないですが。


それでは、行ってまいります。

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マイナス8キロ。

思えば、10月からずっと、無理をしていた。

数年ぶりに出展し、その初日に、委託先が決まった。
出展を終えると、わたしは猛スピードでフォトブックを編集し、入稿し、
作品を作り足し、
委託店舗さんにその月のうちに納めるよう、準備を進めていた。

そこに、ムギが、突然食べなくなった。
食べない、イコール、死ぬかもしれない、だ。
わたしは一人でムギを捕獲してキャリーに入れ、
動物病院に連れて行って、入院させた。

原因はあれかも、これかも、と、二転三転したが、
わからない。
ムギは食べない。
わたしは、毎日毎日、面会に通って、
二時間ムギを抱きかかえて過ごした。

そして制作をして、委託店舗さんに行って、ディスプレーして、
納品に至った。

そしたらもう、11月の出展がすぐそこだ。

幸い、ムギは食べられるようになり、出るものが出て、
退院になった。
ムギはわたしに怒っていて、しばらくは会ってくれなかった。
毎日面会に行って抱きしめてたのも、退院させてきたのも、ママなのに。

ムギはパパに怒られて、やっとわたしに乗るようになった。

ムギが入院している時だったかな、その後かな、
血を吐いた。

消化器って、割と容易く出血するので、あまり気に留めなかった。
リウマチ内科の先生に一応報告したら、
太田胃散飲んでてくださいね、って言われた。

その後も、出展の準備と委託店舗さんへの入れ替えなどで、
ずっとずっと忙しくしていて、
全く自炊をしていなかった。
買って来たものを温めもせずに食べたり、レトルトで済ませたり。

11月になって、咳が出始めた。
時間が惜しいので、市販薬で何とかならないか、しばらく試したが、
ダメなので、
自宅に一番近いクリニックに行って、泣きついて、気管支炎の飲み薬と、
胸に貼る、気管支拡張のテープを出してもらった。

その状態で、委託店舗さんに行き、入れ替えをしていると、
わたしの咳を聞いて、店長さんが、
「それ、咳喘息じゃないかしら。わたしもそうなんだけど、そっくりよ。」
とおっしゃった。

…ああ、もうだめだな…。

わたしはその意見に従って、地元の総合病院にかかった。
初診の医者が気まぐれで、レントゲンではなく、CTを撮った。

それで、肺に腫瘍があるのが発見された。
既に5センチあって、大動脈との隙間は、数ミリという有り様だった。

咳は、気管支炎だった。
抗生物質を含むお薬で、一週間で治まるよ、と言われ、
わたしはリウマチの治療をストップして、気管支炎の薬をしっかり飲んだ。
けれども、全く咳が治まらず、翌週行くと、
「なんだよ、咳喘息になっちゃってるじゃないか。」と、
ドクターががっくりしていた。

すぐに治療が喘息用に変わり、ステロイドを点滴されて、薬も変わった。
もう、寝た切りだった。

咳をしていては、食べるものも食べられない。
だんだん痩せて来た。
もとがすごく太っているので、毎日会う人にはわからないが、
数カ月ぶりに会う人ならわかるだろう。

咳が治まってからは、紹介された大学病院に行って、
検査検査、問診、検査検査、問診、の日々が始まった。

検査が多いので絶食も多く、夕方まで何も食べられない日もあった。

そして、年末に、腸が絡む、癒着性イレウスになってしまった。

食生活が酷すぎたのだ。
自炊をする暇がなく、温かいものも食べておらず、
買って来たお総菜やお握りやお弁当で済ませていた。

イレウスは、そんなわたしへの「警告」だったのだ。
このままだと、大変なことになるよ?という。

幸い、緊急手術にはならず、短期間で退院し、
お粥オンリーね!と強く念押しされて、
お正月もお粥三昧だったが、
自分で煮炊きをすることの大切さを、イレウスは教えてくれた。

もう、普通食で大丈夫、と言われているのに、
わたしは自分が作るお粥にハマって、
毎日お粥を炊いている。
一日一食はお粥。甘めの梅干しで食べる。
全然、全然、飽きない。
どういことだろうか?

脂ものがあまり食べられなくなった。
カキフライ弁当を買ったら、カキフライが3個で限界だった。

甘いものは食べている。心の栄養だから。
でも、おかずは煮物や湯豆腐、
脂身のない、ささみを焼いたり、豚肉のロースを焼いたりしている。

体重が、10月から、8キロ減った。

例の、あの帰省で、母と揉めて、
そのあと、過食スイッチが入ってしまい、
パンとチョコを狂ったように食べて、半年で6キロも太った。
息子がビックリしていた。

やっと、やっと、あの憎い6キロを落とせたのだ。

ボディセッションというのに行ったとき、
「あなたは、太っているのではなく、むくんでいるのですよ。」
「循環が良くなれば、アッと今に12キロ痩せます。」と言われた。

本当に12キロ痩せられるのか、わからないけれど、
とにかく、8キロ減って、アゴがわかるようになった。
顔つきが変わった。
顔にしわが出来た。

今まで、しわがなかったのは、パーンとむくんでいたからなのだ。

12日に、入院する。
制作を終えたので、この後は、入院に向けての準備に入る。

手術は怖い。
開胸するから、今までの手術とは比べ物にならない。
肺炎になったりしなければ、二週間で帰れる。
ちまが可哀想だから、とにかく早く退院して、
ちまとのんびり二人で過ごしたい。

まだまだ、太った人のままだけれど、
体重が減ったのは嬉しい。
それが、警告であったからでもいい。
病気由来でもいい。
体重が減って嬉しい。

ボタンが閉まらなかった、お気に入りの水色のダウンコートが着られる。
それも嬉しい。

明日、委託店舗さんに行き、あとはちまちまと用事をこなし、
三連休明けに、入院となる。

                                        

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「最愛」。

息子と二人きりで初めて行ったカラオケは、
もう、めっちゃ楽しかった!

おそらくは、こんなに楽しい相手は、いないだろう。
24年、一緒に生きて来たということはそういうことであるし、
また、好みが非常に似ていることも、偶然ではない。
わたしは、年齢の割に感覚が若く、
息子にとっては懐メロ級のクイーンを知っているのは、
完全にわたしの影響だ。

クイーンの他に、「こち亀」も、
息子は全巻、単行本を持っている。
「こち亀」も、なぜかクイーンと同じ、わたしが中学2年の時に始まったのだ。

最初は、投稿されて金賞を獲った一話が掲載されたのだが、
その強烈なインパクトにみなが打ち震えた。
即、連載が決定して、すぐに少年ジャンプの、巨頭となったのだ。

当時、秋本治氏は、ペンネームを使っていた。
それが、ふざけ過ぎたペンネームで、
その頃、流行していた「ガキデカ」(がきデカかな…??)という漫画の、
作者名が、「山上たつひこ」という人なのだが、
秋本氏は、まさか、と思っていたのか、
「山止たつひこ」(やまどめ・たつひこ)というペンネームで、
デビューする羽目になってしまったのだ。

賞を取ったのはまあ、それで行ったとしても、連載が決まった時点で、
名前をすぐに直せば良かったのだが、
ジャンプ編集部も、ここまでの実力があり、支持があるとは思っていなかったようで、
そのままの名前で、しばらく連載をせざるを得なかった。

途中、やっと、これはいかん! 長期戦になる!と気づいて、
やっと本名の、秋本治という名前に変更をした。

けれども、その頃には、単行本ももう出ていて、
わたしは、「山止たつひこ」名義の、貴重過ぎる単行本を、
数冊持っている。
働くようになって買い足して揃えていたのだが、
やがて息子が少年ジャンプを読むようになり、わたしも読ませてもらい、
二人が離れる時、息子が、この貴重な初版の単行本をもらいたい、と言った。
(あと、スキャットマン・ジョンのCDも持って行かれた)
息子は、物を大切にする子だし、価値もわかっているので、
あげることにした。
本当に貴重なものだと思う。


ああ、話がズレまくり。

つまりわたしと息子は、気の合う間柄なのである。

カラオケを堪能して、また都心の映画館に戻った。
トイレに行き、直前にももう一回行こうねと話しながら、開場を待った。
実はカラオケで、クイーンを2曲ほど入れてみたら、
なんと、これから見る「ボヘミアン・ラプソディー」のシーンが使われた映像だった。
開場して、席について、コートを脱ぎ、鞄を置いて、
お互いにもう一回、トイレに行っておいた。

ああ、ワクワクする!
小さい頃、わたしの流すカセットでクイーンを聴いていた息子。
今、一緒に映画が見られるだなんて。



映画「ボヘミアン・ラプソディー」は、
クイーンの成功体験の映画ではない。
フレディ・マーキュリーという、クイーンのボーカリスト、
彼の人生とコンプレックスを描いた作品である。

長い期間の話を二時間に納めるため、
やむを得ず、時系列の変更を許可した箇所があると、
インタビューで、ブライアンが語っていた。

息子は、最後の「ライブ・エイド」のライブシーンが圧巻だよと言っていた。
感動したらしい。
息子からメールなんて、まずないのに、わたしに思わずメールして来たくらい、
感動的だったようだった。

映画は、とてもよく出来ていた。
役者さんは、すごくちゃんと、メンバーを演じていて、
ロジャーは本物みたいに可愛かったし、
ブライアンの弾き方も本当にそっくりで、
ジョンにいたっては、本人よりもめちゃハンサムだった。

フレディを演じた人は、フレディのコンプレックスを出し切るために、
義歯をつけて演じた。
フレディは、一般の人よりも上の歯が4本も多かったため、
かなりな出っ歯で、それがコンプレックスではあったが、
口腔内が広くなるめ、もともとある4オクターブと言う声域を、
活かしきって歌うことが出来る、稀なるボーカリストだったのだ。

アフリカで生まれ、インドの寄宿舎制の学校に入れられていたことに、
ほんの一行しか触れられていなかったけれども、
そのことも、フレディのコンプレックスを描くためには、
もっと強調すべきだった。

何よりも、クイーンと言うバンドは、
世界に先駆けて、「日本」で火がついて、売れて、
それが逆輸入されて、本国イギリスで売れ始めたことに、
全く触れていなかった。
そこだけは、失敗であると言える。

リアルタイムでクイーンが日本に入って来た時のこと、
アッというまに日本で売れて行き、
ファンクラブが設立されたこと、
ミュージックライフ誌でしか情報を得られず、
隅々まで読みつくしたこと、
初来日の時の、羽田の大混乱、
ホテルへのグルーピーたちの乱入など、
実話を実際に体験しているわたしから見たら、
日本の話を飛ばしての映画作りは、ちょっとあまりにも、空洞が大きすぎる。
一分でいいから、描いてくれていれば、
フレディが、寝る時に着物の長襦袢を着ていたことへの、
もっと深い意味が添えられたのに、と残念である。

ライブの時の映像は、素晴らしかった。
この時、フレディは、自分の命の限界を悟っている。
その上で聴く「ボヘミアン・ラプソディー」の深みはすごい。

何十万人もの観客を操れる、あの、血が沸くような感動を、
彼は胸に抱いて、昇華して行ったことだろう。

わたしはボロボロ泣きながら見た。

ライブ・エイドは、1985年のものだった。
わたしは、その年に結婚し、年末に息子を出産しているので、
クイーンどころではなかったのだ。

翌年、東京に転勤でやって来て、
カセットで自由に曲をかけて、おやつを作ったり、夕飯を作ったりしていて、
息子は1歳前から、クイーンを聴いていたことになる。


映画が終わり、わたしは涙をふきふき、
まだ、息子と一緒に居たくて、
「軽く何か食べて帰ろう?」と誘って、
イタリアンの店に入った。

映画の話をしながら、ピザとパスタをシェアして食べて、
駅まで送ってもらう時、
ポケットに手を入れている息子の手の内側に、
わたしは手を滑り込ませた。

しっとりと暖かい手。

別れたくない、もっと一緒にいたい。
わたしにとって、ずーっと一緒にすごしても平気なのは、
息子ただ一人なのだと思った。

改札で、わたしが階段を上がるのに曲がるまで、
ずっと見ていて、手を振ってくれた。

毎年、とは言わない、でも、何年かに一回、また、こうしたいな、と言ったとき、
息子は「うん。」とだけ答えた。

「最愛」。

わたしにとっての最愛は、息子だ。
息子にとってはお嫁ちゃん。それで正しい。

思えば、生まれて来たとき、
わたしは一人で息子を産んだ。
看護師さん以外は誰もいなくて、
へその緒が二重に首に絡んでしまっていて、降りて来れなくなった息子は、
一時、心臓が止まった。

慌てて医者が飛んできて、会陰を切開し、
トイレのきゅっぽん!やるヤツを見せて、
「ちょっと苦しがっとるからな、これで吸引するでね。」と言い、
下から吸引され、
わたしのお腹に、看護師さんがまたがって、
思いっきりお腹を下に向けて押し出した。

死ぬかと思った!

生まれた息子は仮死状態で、泣かない。
赤い色ではなく、緑色をしている。
心臓が止まって血液が行かなかったせいだ。

やがて、数分して、やっと泣いたと思ったら、
泣き止まなくて、ずっと泣いていた。

緑色で、頭がぎゅいーんと伸びていて、
お世辞にも可愛いとは言えない新生児だった。


いい息子に育ってくれた。
わたしにとって、わたしなんかから生まれたにしては、
あの子は、立派だと思っている。
いい子を育てさせていただけた、と思って感謝している。

わたしの肺の手術については、
もうお嫁ちゃんに話してもいいよ、と伝えたのだが、
まだ話してないと言っていた。
話すかどうかもわからないと言っていた。
彼には彼の考えがあるのだろう。


肺の手術は、正式に、2月14日に決定した。
いい日取りだ。
開胸手術にしてもらった。無駄は嫌だから。
入院は二週間の予定。
ちまは、動物病院に併設の、ペットホテルに預ける。
それが不敏だが、他にどうすることも出来ない。
頑張って早く退院できるよう努力する。

                                     伽羅moon3

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なにこれ!

肺に腫瘍が見つかり、
それがけっこうな大きさで、
手術をして摘出することに決まった時、
良性だとは思うけれど、と前置きして、息子にも知らせた。

何かが決まるまでは、まだお嫁ちゃんには言わないでねと伝えて。

その時、人生、何がどうなるかわからないものだなあと思って、
遺言書を書き換え、
息子には、「二人でデートしたい。出来れば1月の三連休の時に。」と、
お願いをしてみた。

息子は一人っ子だが、お嫁ちゃんもまた一人っ子で、
彼らはお嫁ちゃんの実家近くにマンションを買って、
共働きで暮らしている。

お嫁ちゃんは、結婚してからも、両親と3人で旅行に行っている。
年越しは、息子はわたしの実家に行って、わたしの両親と過ごしてくれて、
お嫁ちゃんは自分の実家で年越しをして、
新年2日に、わたしの実家に行ってくれて、一泊して、
3日に二人は帰京している。

けれども、わたしは、息子が結婚してからは、
一度も、二人で会えてない。
結婚前に、「結婚しちゃったら、もう二人では会えないの?」と聞いたら、
「う~ん。まあ、時と場合によるよね。」という曖昧な返事。
お嫁ちゃんがご両親と旅行に行っているなら、その日にわたしに会ってよと言っても、
友達ととことん飲んだりしてるようで、
会えないまま、5年目に突入した。

年末にわたしがイレウスになり、緊急入院して、
住所の違う保証人が二人必要な病院なので、
一人はもちろん夫だが、息子に、来てもらえないか尋ねた。
息子の会社は、業務内容上、30日までが仕事なので、
無理であったら、お嫁ちゃんでもいいのだけれど、と頼んだ。
そしたら、29日の午前中に休みを取って、二人で来てくれた。

その時、彼らが11月に見た、クイーンの映画、
「ボヘミアン・ラプソディー」の話をした。


わたしは中学2年の時に、クイーンを知って虜になった。
クイーンは、イギリスのバンドだが、本国イギリスではクソミソに叩かれており、
日本の「ミュージックライフ」誌という、洋楽の専門誌の、
星野編集長と、東郷副編集長が、真っ先にクイーンの可能性を見い出し、
彼らの写真を掲載し、その時発売になっていた、セカンドアルバム、
「QueenⅡ」の紹介をした。

当時は、ネットがないので、海外の情報は、この雑誌でしか手に入らない。
テレビでも洋楽は放映されることはない。
ラジオを聴きながら、ミュージックライフを読むしか情報がなかった。

クイーンは、曲の意外性と、ルックスの良さが、日本の女性に受けた。
瞬く間にファン層が広がり、ファンクラブが設立された。
そんな中、初来日が決まったのである。

彼らは、遠い東の島国である、日本で、
一万五千人入る会場(武道館)のチケットが完売したことを、
不審に思っていた。
そして、羽田に到着した時、彼らを待ち構えていた数千人のファンを見て、
混乱したと言う。

その騒動を逆輸入した形で、
クイーンはイギリスでも徐々に売れ始めた。

セカンドアルバムの次に、ファーストアルバムが売れた。
順序は逆であったのだ。
その後に出されたサードアルバム「シアーハートアタック」も売れて、
満を持して出されたのが、今回の映画にもなった、「ボヘミアン・ラプソディ」を含む、
「オペラ座の夜」というアルバムだったのだ。

わたしは、そのあたりで高校生になり、
働き始めてからは、洋楽だけでなく、幅広く聴くようになったため、
クイーンから離れている。

映画でのライブシーン「ライブ・エイド」は、1985年のものだった。
わたしはその年に結婚し、息子を年末に出産している。
翌年には東京に引っ越して来た。
なので、カセットテープで、よく初期のクイーンをかけていた。

それを聞いて育った息子が、クイーンファンになり、
彼が働き始めてから、クイーンのアルバムの、
紙ジャケ仕様のCD全集を大人買いして、
デスクの引き出しに、綺麗に並べて眺めていた。


11月に、「映画がすごく良かった、おススメだよ!」とメールをくれたのだが、
その時わたしは気管支炎の咳が酷く、
映画館に行ける状態にはなく、
年末に行こうかな?と思ったら、腸が絡んで入院、となったのだ。

来てくれた息子に尋ねたら、
日本では一館しかない、特別な音響システムの映画館で観たそうだ。
「連れて行ってくれる?」と聞いたら、
「うん、いいよ。もう一回見たいし。」と言ってくれた。


その、5年ぶりの二人きりデートが、13日に、実現したのだ。
マヤ暦を始めたわたしにとって、その日は、
好きなことをとことんやって、楽しむ日にするといい日だったので、
息子と二人で、カラオケに行きたい!とせがんだ。
息子は歌が上手いらしいのだ。
でも、聞いたことがない。
死ぬ前に一回聞かせろ!と言って、強引にカラオケも承諾させた。

都心で待ち合わせて、映画館を目指す。

息子は、ボディバッグ派なのだが、
わたしが買ってあげたバッグを、その日は体にかけていた。
お嫁ちゃんと来るときには、使っていない。
だから、そこには明らかに「意図」があった。
ちゃんと、わかるようにしてくれてるんだ…と、じーん。

チケットは、わたしの要望通り、
一番後ろの席の、真ん中あたりが取れたとメールが来ていた。
ところが、いくら発券機に入力しても、
「そのチケットはございません。」という表示の繰り返し。

息子がスマホを隅々まで見ていて、
「!」と息を呑んだ。

「…昨日のチケット、買ってた…。」

ええ?
昨日の日付のを買っちゃってたんだ?

そりゃ大変だ!
慌てて、購入器の前に行き、いくつものスクリーンで何回も上映されているので、
後ろの方の席で、二人並んで座れる回はないかと探し回った。

そしたら、18時からの回で、同じ音響システムのスクリーンで、
後ろの左のほうに、二人分空いていたので、すかさずそこをゲット!

だけど、昨日の分のは、もう、どうすることも出来ないね。

さて、じゃあ、全部の順番を総入れ替えして、まずは飲みに行くか!と、
息子に、アメ横に連れて行かれた。

都心とは違う匂いがして、
まだ午前中なのに、立ち飲み屋も、大衆酒場も、すごい繁盛している。
スーツケースのアジア人も多く、
息子はするするとその中を抜けて、
一軒の大衆居酒屋に入って行った。

一品200円~500円。お酒は400~600円。
ソフトドリンクは、250円で、ジョッキになみなみ来た。

それまでわたしは、体調を崩すまじと、お粥生活を続けて来ていたが、
ここで解禁し、ちょっとずつ、色々食べた。

そこを出て、カラオケに行った。
息子は抵抗していたが、「3時間で!」とわたし。
「わたしが2曲入れて、キミが1曲入れる、って感じでいけばいいじゃん!」と
押し切った。

息子の歌を聴くのは初めてだ。
わくわく。
どんな声で、何を歌うのだろう?

一曲目は「星空のディスタンス」だった!
普段、低い声で、ぼそぼそとしか喋らない息子が、
力強い高い声で歌う!
すごい!

そんなに歌えないしー、そんなにレパートリーないしーとか言ってたのだが、
マヤ暦すごい、やっぱりこの日は「楽しむ」日なので、
息子も不思議そうに、「今日は声が潰れないし、歌いたい気分だわ~。」
と言っていた。

わたしは、息子が知っていそうな曲を選んで歌った。
小さい頃に歌ってあげた「まっくら森のうた」も歌ったが、
あまり覚えがないとのこと。

B'z、サザン、ドリカムなどは一緒に聴いていたので、
わたしが好きだと知っている曲を選んで息子は歌ってくれた。
わたしもドリカムを2曲歌った。

B'zとサザンは一緒に歌った。
なにこれ、めっちゃ楽しいんだけど!

お腹にいた期間を含めて、24年、一緒に暮らした仲であるし、
同じ射手座・B型・一人っ子・27日目の月の日の生まれ・動物占いはコアラ、と、
何もかも一緒の息子。

マヤ暦では、わたしにとって息子は、
「鏡の向こうの相手」である。
ビジネスパートナーとして最適らしい(笑)


カラオケの三時間は、アッと言う間に終わった。
すごくスッキリして、すごく二人で盛り上がった。
    続きます。

                                        伽羅moon3

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普通食OK。

(少し不快な内容が含まれています。)



今日は、退院して初めての、消化器内科の診察だった。

病院都合で早々と退院させられた感があったが、
腸の動きを見るお薬のおかげで、大デトックスをしたわたしの体は軽く、
自分で作るお粥はとても美味しくて、
きっと飽きると思って買っておいたうどんを食べることもなく、
毎日、毎食、お粥を食べて、全く飽きなかった。

お粥を作る過程も楽しく、毎日実験しているようで、
コトコトと鳴る鍋の隣で野菜を切って、
煮物を作ることもまた、
今のわたしにはとても大切なことだったと思う。

今日は、入院費を支払う必要があったので、診察予約の一時間前に、
病院に到着した。
診療明細を出してもらうのに、時間がかかったりするからだ。

けれども、あっさり出してくれたので、すぐに支払いは終了し、
消化器内科の受け付けをした。

先にレントゲンを撮る。

実は、退院してすぐは、本当に食べるのが楽しくて美味しくて、
お腹もすいていたのに、
その後、便通がなくて、お腹がズドンと重たい。
それは自分でもわかっている。

大腸に便があるのは感じている。
でも、まったく、出てくれないのだ。

繊維質を徹底的に排除した食事をしているので、
自然なお通じが難しい。

ガセリ菌のサプリを飲み、「オリゴのおかげ」をミルクに入れて飲み、
ドリンクヨーグルトも飲んでいるが、
頑として出ない。

その状態でのレントゲンだったので、あ~あ、恥ずかしいな~と思った。

わたしが最後の予約患者だったようで、
早くに受け付けが終了していても、全く呼ばれず、
予約時間を一時間過ぎてもまだ呼ばれず、
最近は病院で待ってばかりだ。

やっと呼ばれて、「大腸が大渋滞ですね。ぎっしり。」
と言われた。
ゆるくなりますよ、と言われた漢方を、欠かさず飲んでいるのに、
この大渋滞。

「もうこれは、下剤を処方して、どうにかして出すしかありませんね。」
と綺麗な先生は言って、
二種類のお薬を追加してくれた。

大渋滞がすごくて、食欲もなく、今日は何も食べないまま夕方になった。

それでも、イレウスは再発はしておらず、終息したとのことで、
もう普通食にしてもいいとのこと。
「でも、食べないほうがいいものは、何ですか?」と詰め寄ったら、
「うーん、何でも、度を超すのは良くないですよね。
繊維の多い牛蒡を山盛り食べるとか、
そういう無茶をしなければ、そんなに神経質にならなくて大丈夫よ。
あ、でも、お餅はやめてね。」

ちーん。

お餅…
大好きなのに…
わざわざ買ったのに…。

そして、肺の手術が2月14日に決まったことを伝え、
受けても大丈夫かを確認させてもらった。
もう普通食でいいんだし、大丈夫よ、と先生が太鼓判をくれた。
「で、何? 肺ガンなの?」とサラッと聞いて来たので、
「いえ、今のところ、脂肪腫か、もしくは脂肪肉腫かといった見解のようです。」
と返答した。

急いで支払いを済ませ、
急いで薬局に処方箋を出して、
急いで駅に引き返してバスに乗り、動物病院に行ってきた。

ちまの薬が無くなるのと、
ムギの検診&注射の日程、ちまを預ける算段を、担当の先生としてきた。

預けるのが二週間くらいになってしまうので、
もう、餌は持って来なくていい、こちらで、いいと思われるものを提供するとのこと。
お薬も、そのあたりでちょうど切れるように処方してもらった。

ちまを預けるにあたって、ちまが普段使っているベッドを持ち込むのは、
返って迷惑かどうか、聞いてみた。
すると、ちまちゃんは、初めての預かりですし、期間も長いので、
出来るだけ自分ちのものと同じがいいと思うので、
どうぞ、持ち込んでください、と言ってくれた。

今使っているドームベッドを、持って来ていいとのこと。
ドームなら、怖い時、奥に隠れられるしいいと思いますと言われた。

「ちまは、預けたことが一度もなくて…でも、人が好きで、なつっこいので、
どうか時間の許す限り、撫でてやってもらえますか?」と、わたしはお願いをした。

自分のことはいいが、ちまが不敏でならない。
早く良くなって、引き取りに行きたい。


帰宅したら、ムギとの約束の時間になってしまっていた。
着替えて、ちょっとだけお粥を食べて、
降りて行ったが、ムギは留守で、呼んでも帰って来なかった。
帰って来れないような、膠着状態にある、ということなので、
カイロを交換し、餌を補充して帰って来た。

昨日などはムギは超甘えっ子モードで、驚異の二時間コース。
延々わたしに乗って、チャージしていた。

そして、降りてもらって、部屋に帰ってきたら、
ラグに、ちまが、吐いてあった…。

こんなにフローリングなのに、なぜ、ラグの中央に吐くの…。

それはまだ良くて、
他の場所にも吐いてないか、探したら、
自分のドームベッドから、顔だけ出して、吐いたらしく、
ドームベッドは無事だったが、
わたしのベッドと、ちまのドームベッドを置いている家具の隙間に、
どっさり、やられてた…。

ちーん。

家具の裏を掃除して、床を拭いて、
自分のベッドのシーツを交換。
はああ。
夕飯にありつけたのは、9時を過ぎていた。

「あちら立てればこちら立たず。」と思っていたら、
食事中に夫が入って来て、今頃食事?みたいなことを言ったので、
「メール読んで。」と言ったら、読んで、
「あちら立てればこちら立たずだね。」と言った。

まさしく。
ママは一人しかいないんだよね。
そのママが、入院しちゃう。
ムギは、餌を山盛り入れておいても、食べたいだけ食べて残すが、
ちまは、出したら出しただけ食べて、吐くので、
一回一回、量を計っている。
そこに、毎日4つの薬を混入。
だから、預けるしか手立てがないのだ。

さて、下剤が効いて、渋滞が緩和されることを願うよ。

なんか、シモの話やら吐く話ですみません。

                                             伽羅moon3

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