10年間。

亡くなってしまったが、
大好きだったデヴィッド・ボウイの初期の頃の曲に、
「5years」という曲がある。
「5年間」という、そのままの邦題。

これは舞台はアメリカで、ある何でもない日に、
街頭テレビでニュースが流れ、
この地球が、あと5年で滅びることがわかった、と
アナウンサーが言う、というところから始まっている。

その男性アナウンサーが、泣きながら原稿を読んで伝えいる姿を見て、
それがデマではなく、真実なのだと人々は知り、
街は混乱する。

自分の子供を殴り始める母親、
神父の靴にキスをする人、
軍人は銃を構えてキャディラックを狙う。
すべての人を記憶に焼き付けよう、
背の高い人も、太った人も。

音楽は最初、ドラムとアコースティックギターだけで始まり、
段々と楽器が足されて、やがてストリングスが悲しみのメロディを奏でる。

ボウイは、淡々と静かに状況を歌う。
やがて、最後に、こう叫び出す。
「5年間。僕らにはもうそれしか残されていない。」
「5年間。それが僕たちに与えられた運命、なんということだ。」
「たった5年間。」
「5年間。」

そして楽器がどんどん引かれて行き、
ドラムだけになって、曲は終わる。

わたしがこれを聴いていたのは、中学生だった。
その頃の自分にとって、5年間とは、すごく長く感じた。

5年あれば、自分は何かになれる。
5年あれば、きっとやりたいことができる。
心構えも出来て、
地球の滅亡を受け入れるだろう。

そう思っていた。


時間とは、均等には進まない。

なぜだろう?

小学生の夏休みが、あんなに長かったのに、
40歳を過ぎると、1か月なんてあっという間で、
いまの年ごろになると、もう、去年のことか一昨年のことかも、
わからなくなる。

たった5年は、短いと、思うようになる。
ほんの一瞬だ。

わたしはあとどれくらい、何かをやれるのだろうか。


5月17日は、わたしと夫が再婚して、10年目の結婚記念日だった。

10年だね、と以前言った時、夫は、
「別々に暮らしてて、接してる期間が短いんだから、別にめでたくもなし。」
みたいに、またすねた発言をした。

別居だから、10年もってるんだよ。
あの圧力とあのストーカー力で、ぴっとりくっつかれていたら、
とうの昔にわたしは滅んでいる。

だから、夫には、この生活をさせてくれていることへの感謝は大きい。

救ってくれて、かばってくれて、守ってくれて、
わたしは幸せである。
それには間違いない。

わたしが再婚しているからこそ、息子だって安心なんだし、
息子に対して、夫はすごく良くしてくれているので、
本当にありがたいと思っている。

息子の結婚式に、息子自身が望んだのだが、
父親として出席してくれて、本当にありがたかった。
片親というアンバランスを、見せずに済んだだけでも、
ありがたいことだった。
息子の選択は、とても正しかったのだ。

わたしは夫に、この10年のお礼のメールをし、
今後ともよろしくお願いいたします、と書いて送った。

すると、めずらしくまともなメールが返って来て、
「ハートマークが付いてない。」とのこと。
もちろん、芯の部分で夫を愛していて、信じている。
なので、ハートマークをつけて、もう一度メールをした。

お互いに、体はずいぶんへこたれてきて、
夫は、働いて、家事をして、お姑さんの面倒を見ているから、
毎日ヘトヘトだ。
パワーのある人だと思う。
よく頑張っている。

わたしは、今始めたことが、人生の最後のプロジェクト。

体をいたわり合い、お互いがやりたいことをやり、
尊重し合えることが、一番望ましい。

尊重し合う、
それが最もいいことだ。

結婚した当時は、夫は、
集合体の、お互いの丸と丸が、ぴったり重なる人生を送りたがった。
自分が好きなアーティストのライブにわたしを連れまわし、
見たい芝居にわたしを連れて行き、
なんでも共有したがった。

布団も、離して敷くことは認められず、ピッタリくっつけられていて、
わたしが、そーっと、20センチくらい離しておくと、
次に見た時には、また、ピッタリくっつけられていた。

苦しかった。
苦しいって言えるまで、本当に苦しかった。

でももう、そういうことにはならないよう、
わたしはわたしの世界を持ち、夫には夫が好きな世界があり、
それを話し合って、へえ~、そうなんだね~って、
言い合える仲が一番好ましいと思う。

夫はともすれば、わたしを引き込もうとするので、
安易に、いいよと言わないことにしている。
キリがないし、足りるということがない人だからだ。

距離感。
そう、人間関係は、距離感がすべてなのだ。
どんな間柄でも、近すぎて相手が見えなくなるのは、良くない。
相手をコントロールしたいと思ってはいけない。

集合体の、丸と丸は、ちょっとだけ重なっていて、
その、重なっている部分を、一緒に楽しむ。
それが正解だと思う。

B'zの「ラブ・ファントム」という曲で、こういうセリフがある。
「欲しい心が成長しすぎて、気持ちいいと思ううちに、
少しのズレも許せない、セコイ人間になってたよ。」
この言葉の後、女性の声で、
「そしてわたしは潰される。」と、一言入っている。

それが本当に、よくわかった新婚生活だった。

10年を、長いと思うか、まだたかが10年と思うか、
それはのちにならないとわからないが、
10年かけて、整った、わたしと夫の夫婦としてのスタイルというものはある。
わたしは、それを気に入っている。

だから、心から、そのことに感謝しているのだ。

生きて来て、幸せだった経験が、ほぼないわたしにとって、
今が、人生で、
最も幸福だと、言い切れる。

夫のおかげだと思っている。
本当にありがとう。

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本当の気持ちに従う。

わたしは今後、無理をせず、無駄な我慢もせず、
出来ない事については、理由を述べて、勇気を持って断る。

それが出来なかったから、ずっと苦しかったのだ。

でも、出来ない事を断り、居心地が悪い場所から離れたとしても、
わたしの人生において、そんなに困ることは起こらない、という天からの声があり、
わたしは、嫌なことは嫌だと、言える生き方を選ぶ。

嫌だけど引け目があるから我慢しなくちゃ、と
わたしはそう思いながら暮らして来た。

でも、だからと言って何も問題は解決せず、
何一ついいことには繋がらない。

精神衛生上、良くない。

だったら、その瞬間は、相手はがっかりしたり、不愉快になるかもしれないけれど、
関係性を崩さないため、そのための敢えてのお断り、というものが、
あって然りなのだ、と理解した。

ただ、めんどくさいからヤダ、とかでは駄目だけれど、
それをすると、こういう気持ちになって苦しいので、嫌です、と、
はっきり伝えればいいのだ。

そんな簡単なこと、健常な人は、普通にやれてるんだと思う。
わたしには、「断る余地のない」人生だったので、
断ればがっかりされる、断って嫌われたら居場所が無くなる、と
見えない恐怖と、ずっと一人で無為に戦って来た。

わたしが戦って来た相手は、一体誰だったのだろうか。
それは、相手ではなく、自分の本音であったのかもしれない。


いくら親子でも、無理なものは無理。
嫌いなのも、仕方がない。
そういうこともある。
仕方がないのだ。

嫌いと好きは背中合わせだと言われたこともある。
確かに、意識している段階で、相手のことをより多く感じてしまうから、
表裏一体と言われるのかもしれない。

最も厳しいのは「嫌い」よりも、「無関心」である。

わたしは、ある意味、不感症にならないと、
母とは話もできない。
親子の立場が入れ替わるのは、良くない。
母はわたしを自分の母親に見立てて、
「ねえお母さん、これも聞いて、あれも聞いて、わたしを見て、わたしを褒めて。」と、
いくら、聞いても、砂漠に水を撒くような不毛な年月を耐えに耐えた。

母の、「わたしっていいひと自慢」、は、
気付いている人が案外いるらしいことを知った。

つまり、わたし相手だけでなく、誰に対しても母は、
わたしってこ~んなにいい人で、褒められるの~、と、
言っているということがわかった。

大変、恥ずかしい。
本当にお恥ずかしい。

本当にいい人は、自分をいちいち「いい人なの~。」とは、
絶対に言うはずがない。
そろそろ気づけよ、と思うけれど、
母にとってはそれが支えなのだろうから、
それを聞いてくれる人と仲良くしていればいい。
わたしはもう無理。イチ抜けた。

けれど、見抜いている人は見抜いているし、
嫌っている人も少なくないようだ。

おかしな話だが、そうと知って、わたしは、満たされる。
良かった。
わたしがオカシイのではなかった。普通だった。

もちろん、正式に障害者2級を持っているんだから、おかしくて普通なのだけれど、
健常でも、母のような人の方が、
どれほど恐ろしいことか。


今のうちに、どうしても父に聞いておきたいことがどうしてもいろいろあって、
今月初めに、手紙を出した。
一年ぶりになるかな。
質問事項のみを書き、答えをもらえるとありがたいです、と書き添えた。

昨日、返事が来た。
嬉しかった。
わたしはやはり、父のことは好きなのだ。
父の話を聞きたいのだ。
でも、父と二人になるチャンスがないのだ。

満州から引き揚げて来たときの気持ちや、
ある時期、単身赴任させられてたことがあったが、それは何故かとか、
京都に住んでたことがあると言っていたが、それはなぜかとか、
色々、聞いておきたかった。

手紙が届いたのは、14日で、消印は11日だった。
なのに、手紙は、「5月25日・父」と、締めくくられていた。

どういうこと?
父は89歳だが、文章も文字もしっかりしていた。
なぜ日付だけ間違えているのかがわからない。

思ってるより、お年寄りなんだな…。


わたしには、こうなりたい、というビジョンがある。
そう生きていけるよう、これからは行動をする。
選択して生きて行く。
無為な我慢はしない。
イヤイヤ相手に合わせることも、合わせてもらうことも、しない。

残りの人生を、本来のわたしらしく、生きて行きたい。

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人生の醍醐味!

前回の続き。

美容師さんを失って、わたしには雑談をできる相手がいなくなった。
それが結構、こたえる。

月に5~6回は会って喋っていたのだから、
ごく些細な話をする相手を失い、
わたしは途方に暮れている。

美容師さんとは本当に親しくて、何でも話せていたのに、
寂しくてたまらない。

でも、これが、人生のステージが分かれて行くということなのだろう。
いくらこちらが好きで、いくらこちらが会いたくても、
向こうにはもう、違う世界が広がっているのだろうから。

頑張ってるかな、大丈夫かな、と時々…しょっちゅう、思うけれど、
わざと、メールもしていない。


マッサージ師さんとは、話してて楽しいが、
困ったことに、わたしは、喋りたくもあるけれど、
彼女の卓越した施術をしっかり無言で受け止めたいのだ。
なので、首や肩を始めたあたりで、ちょこちょこと話して、
彼女が台の上に立って、わたしを踏み始めたら、もう、無言。

それでも先日はいっぱい喋れたほうかな。
ぐい飲みが割れていたことで、ムギの話も出て、
そうだよねえ、と思っていると、彼女が自分の話をしてくれた。

彼女は、お裁縫をする人。
刺繍も大好きらしい。
クロスステッチとか、永遠にやりたいと言っていた。

それは子供のころから好きだったそうで、初めて、親にどうしても、とねだったのが、
セルロイドのお針箱だったそうだ。

えーと、平成生まれの方は、セルロイドもお針箱も、通じませんね。

プラスチックが全盛となる前の昭和に君臨していた素材。
熱に弱いのが難点で、柄は、緋鯉の柄を思い浮かべてみてくだされば、
イメージが近いかな。
筆箱も、ソーイングボックスも、おもちゃも、
プラスティックが導入される前は、セルロイドで出来てたのだ。

その、彼女の大切なお針箱。
大人になってみると、ちょっと小さすぎて、針箱としては使えない。
布を切るラシャばさみが、入らないのだから。

でも、大事な箱なので、大事に取っておいたそうだ。

あるとき、あれ?これはもしかして…?と、
彼女は、そのセルロイドの箱に、
ご祝儀袋を、入れてみたそうだ。

そのとき、「ああ~! これだあ!」と、一人で万歳をしたらしい。
サイズが、ピッタリだったのだそうだ。
祝儀袋と、不祝儀袋を、重ねて入れると、
水引細工の部分で、中央が盛り上がる。

でも、そのセルロイドのお針箱は、ぷっくりと中央が盛り上がった形なのだ!
わかるわ~!とわたしも声をあげた。
わたしも箱フェチで、いい箱は取ってあって、
何かを入れて渡したり、引き出しの仕切りにしたり、
枕元にも、携帯やウォークマンがベッドと壁の隙間に落ちないよう、
箱を設置してあって、そこに携帯2つ(一つはアラーム用)と、
充電器と、巾着に入れたウォークマンを入れている。

彼女は、祝儀袋だけでなく、ちょっとした手紙に使うポチ袋や、
筆ペンも入れたら、
ああ、まさしく、この日・この時のために買ったのか、と思うぐらい、
フィットして、嬉しかったそうだ。

うんうん、わかる~。
箱を組み合わせてうまく行った時とか、たまらんのよね~。


それでわたしは、ムギの話に戻った。

「わたしの体にはいつも触れているからわかっているでしょうけど、わたし、ひどい、
O脚でしょ? この形状のせいで、早く走れないし、負荷がかかって、疲れやすいし、
痛めやすいんだよね。
見た目も悪いでしょ。わたしね、母に、このO脚のこと、どれだけ馬鹿にされたか、
わからないのよ。母はわたしより小さいけれど、確かにO脚ではなくて、
これは父方に似たの。」

「こんな脚で、損ばっかりで、いいことなんて何一つなくてね。
自分の体で、ここはいいでしょうって箇所が、ないんだ。」

「でもね、ムギと出会ってね、わたしがムギの床に脚を伸ばして座っていると、
ムギが、脚に乗って来てくれるのね。
するとね、わたしのO脚のへこみと、ムギのふっくらとした体のフォルムが、
ピッタリ、一致するのよ!」

そう、ムギがわたしの脚に乗ると、
わたしの開いた脚の隙間に、ムギのふっくりとしたお腹が入り込み、
長さと言い、深さと言い、これ以上の相性はないんじゃない?と思うくらいの、
究極のフィット感なのだ。

ムギが乗ってくれているほうが、気持ちがいいのだ。
みっちりと満たされて。

ああ、50年あまり、この脚で生きて来て、母親にすら馬鹿にされて、
自分も疲れやすくて、一つもいいことなかったけれど、
ムギと出会って、ムギが乗ってくれるようになったとき、
なにこのフィット感!って、びっくりしたよ。

お互いが気持ちよくなっちゃって、
お互いに寝ちゃうこともあるよね。


そんな話をした。

長生きがしたいとは思わない。
90歳まで生きて息子に面倒をかけたくはない。

でも、長く生きていると、こんな風に、ふと、何かが「符合する」ことが、
起きるんだね。
それこそが、人生の醍醐味なんだね。


わたしには、今後、自分のまいた種を刈り取る時期がやって来る。
その時に、いい符合があるような人生だったらいいなあ。

ある日ストンと腑に落ちる。
これが、醍醐味。

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やっぱり可愛いよ。

世の中には、健常な精神の人が居て、
ポジティブな人が居て、
いろんなとらえ方があるものだと、しみじみ思う。

今日はマッサージに行った。
GWを挟んだので、3週間ぶりだ。
他にお客さんもマッサージ師さんもいなくて、彼女と二人きりだったので、
ちょこっと話をした。

GWに、笠間の陶炎祭に行った話をした。
彼女は茨城県の出身なので、当然知っている。
ここ2年、わたしたち夫婦が行っていることも知っている。

どうでしたか、欲しいものは買えましたか?と聞かれたので、
結構買ったし、買ってももらったんだけれど、
まだまだ、欲しいものがいっぱいあって、
お財布、残金千円で帰って来たんですよ、と話した。

夫の手の空いた日に、一緒に開封して、撮影会をした。
その時、夫はタブレットでも撮影して、何という作家さんのものであるかも、
記入しておいてくれる。
そういう資料を作ってくれるので、
次に行ったときには、最初にあの作家さんの所から回ろう!と計画ができる。

わたしが自分で買って、一番高価だったのは、高台式のぐい飲みだったのだが、
そーっと開封したのに、
値札が貼られたままだったので、はがそうとしたら、
「みしっ。」という、嫌な音がした。
見てみると、ぐい飲みには、ヒビが入っていた。

しょんぼり。
思い切って五千円も出したのに…。

まあ、使うために買ったのではなく、わたしのは飾る用なので、
手を触れないように、そーっと飾っておくだけだから、いいんですけど、
ちょっとショックでした、という話をした。

すると、マッサージ師さんは、こうおっしゃった。
「それは、そのヒビも込みで、伽羅さんのところに来たんですから、特性だと思えば、
いいんじゃありません?」

んむむ?
そうか?
そうなのか?

「だって、ムギちゃんだって、脚が一本ない状態で出会ったんでしょう?
それも含めて、ムギちゃんなんでしょう?
器も、同じことですよ。縁があって来たんですから。」
と言うのだ。

ああ、なんとこの人は、健全な人なんだろう、としみじみ思った。
おそらくは、わたしの周りにいる人の中で、
最も健常で健全な人だと思う。
この人と知り合えて、話が出来る仲になれたことは、財産だ。

ムギが三本足だと知った時、わたしは、死んだゴンを思って、
その面影を重ねた。
柴犬と、キジ猫だから、全然違うし、性格も全然違うけれど、
すごく沢山のことを教えてくれて、たくさんの愛を与えてくれているのは、
同じだと思う。

ゴンみたいに死なせるものか!と、
ムギが倒れていた時、わたしは必死だった。

ムギの姿は、すごく愛らしい。

ぷっくりとしたフォルム。
丸くて大きなおてて。
マスカットグリーンの大きな目。
シマシマのシッポ。
後ろ足が一本だから、歩くときは、ぽてん・ぽてん、と可愛く歩く。
でも、走るとめちゃくちゃ早くて、
誰も、三本足だなんて気が付かないスピードだよ。

その姿も、声も、すぐにすねたりいじけたりする性格も、
ツンデレも、甘噛みも、全部がムギで、全部を愛している。

そうだね、器も、縁あって来たのだから、大事に飾ろうね。


夕方、かなりな雨で、風も強かったが、
昨日の夜中、会えなかったので、ムギに会いに行った。

ムギは小屋から出て来て、車の横を通りながら出迎えてくれた。
車の前の、ギリギリ雨がかからないところまで迎えに来てくれて、
「寂しかった!」と鳴いた。

そうだね、ムギ。ごめんね。
ママ、今日はちゃんと会いに来たよ。

ビニールでくるんであった敷物と座椅子をセットして、
座ってひざ掛けを掛けると、
ムギがやってきて、躊躇なく、わたしの脚に突進して来た。
すかさず、小さいフリースで体をくるむ。

ムギ、ムギ、やっぱり可愛いね。
会いたかったね。会えたね。嬉しいね。

ムギはずっと、ゴロゴロ言っていた。
雨が吹き込むので、タオルでムギをかばう。
ムギは愛情チャージが足りてない状態だ。

途中、降りて、ニャーと鳴いて、ゴッツンコしてきて、おかかを要求。
それに、シーバだって食べたいと言う。

食べ終えても、雨だから行くところはなく、
またわたしの膝に戻って来て、くるまれた。

寒いねムギ。
まさかこんな寒い日がまた来るとは思わなかったから、
ムギのベッド、夏物にしちゃったよ。
小さいカイロ、入れておくから、小屋にいるんだよ?

一時間強、一緒に過ごした。

ムギは、可愛い。
罪作りなくらい、可愛い。
可愛すぎるのだ。
正妻ちまがいる、いけない、と思っても、やめられない不倫みたいなんだよ。

ママは、脚が一本ないムギが好きだよ。
すねるムギも、かじるムギも、全部がムギだよ。
可愛いよ。

今夜もまた、夜中、様子を見て来る。
小屋に入っていてくれるといいのだけれど。

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自分でも異常と思う。

今日は、一切誰とも接触せず、
ちまと二人で、引きこもっていた。

そういう日が必要なのである。
と言うよりも、そういう日の方が多くないと、生きて行けないのである。

一種の発達障害だと思っている。

わたしは、自分がやり始めたことを、途中で、終わらせることができないのだ。
集中して、やってしまわないと、気が済まないのだ。

それで、根を詰めすぎて、具合が悪くなるなんてしょっちゅう。

保育園児のころは、お絵描きが好きで、始めると、
先生に「終わりです、次は〇〇の時間ですよ。」と言われても、
やめることができない。
そればかりか、オシッコがしたくても、
中断してトイレに行くことすらできない。

だからわたしは、よくお漏らしをした。

よく漏らすんだから、あらかじめ予備のパンツを持たせてくれていればいいものを、
わたしの母は、わたしにはあまり関心がない女なので、
いつも、保育園をやっているお寺のお姉さんの、大きなパンツを借りて、
帰るたびに、またもらしたの?と責められる。

車酔いでもそうだ。
家に自家用車がなかったせいもあり、
わたしは車ではすぐに酔う。
それを、母親のくせに、知っていながら、何の対策もしない。
気持ちが悪くて、もう言葉も出せない状態になっているのに、
母はお喋りに夢中で、わたしの顔色なんて見ていない。
それで、わたしは、吐いて、また怒られる。

乗り物酔いは自分が車の免許を取るまで、けっこうずっと続いた。
新幹線もダメ、特急列車もダメだった。
乗る前には、今はもうないけれど、「食堂車」に行くのを楽しみにしていたのだが、
乗ると酔うので、とうとう、食べる機会には恵まれなかった。



今日は誰にも邪魔されずに、やりたいと思っていたことを、やれた。
一昨日掃除もしたし、昨日、冬物で洗濯ができるものはやったし、
着々と物事を進められた。

わたしは、自分なりのタイムスケジュールで進めないと、駄目なのだ。
実家に暮らしていた高校生時代、
父がお風呂に入るというので、
勉強中だったわたしは、「じゃあ、次、わたし入るから声かけて。」と頼んでおいた。

父が上がったので、降りて行くと、祖母が入ってしまったらしく、
「呼んでって言ったのに!」と父に悪態をついた。

これで勉強のペースとスケジュールが大幅に乱れてしまう。
わたしはその時、ひどく悔し泣きをした。

それを考えると、やはり少し異常だと思う。

印刷会社に勤めている時も、
例えばチラシ一枚を全部任されて、
最後まで一人で仕上げるのが好きだったのに、
わたしは仕事が出来たので、
あとは写真を切り抜いて貼ったらおしまいだ、という楽しい仕上げ部分で、
課長から、その仕事を取り上げられ、
仕事が出来ない同僚に引き継ぎをやらされ、
新しい仕事に取り掛からねばならないとき、
わたしは、作品の仕上げを、へたくそなその同僚に渡すことが悔しくて、
こっそり泣いた。

彼女が、写真切りが上手なら、文句はない。
けれど、わたしは望んで入った部署だったが、
たまたまわたしの隣の席だったというだけで、
わたしと同じ課に配属になった同僚は、
本当に不注意で不器用で覚えも悪く、仕事が出来ないくせに、
わたしに対する対抗心だけはあった。

ねたまれて意地悪をされたものだ。


まあ、そういうわけで、わたしは、健常ではないので、
集中して仕事はできる。
でも、それを邪魔されるのが我慢ならないのだ。

テレビ番組も、テレビでやる映画も、
絶対にリアルタイムでは見ない。
いつ、夫が部屋に来て、見れなくなるか、わからないからだ。
なので、見たいものは全部録画しておく。
そして、入って来られたら、止めて、また続きを見られるようにする。

けれど、何を見ているとか、
何を食べているとか、夫に見られるのは嫌いだ。


相当、偏屈なのがわかるね。

でも、これがわたし。

今日は誰にも、何にも邪魔されなかった。



昨日の夕方、夫が「ムギ待ってるのに来ないの?」
と、メールして来たので、行った。
すると、夫と何回も触れ合って、愛情が足りているムギは、
寄って来るどころか、離れて行ってしまい、
車の下の、手の届かないところに入ってしまった。

呼びに行っても、座って待っていても、来ない。

知りもしないで、待ってるとか言わないで欲しいよ。別に待ってないじゃないか。
わたしは、怒りが込み上げて来て、帰ることにした。
そう夫にメールをしたら、
たけのこご飯をくれるというので、待っていた。

そしたら、そのタイミングで、ムギが寄って来たのだ。
「ムギ、来てくれたの? ありがとう。おいで。」
ムギがわたしに寄り添おうとしたそのタイミングで、
夫が勝手口をガチャっと開けた。
そして「あっ、ごめん。」と言って引っ込んだのだが、ムギは離れた。

「ムギ、おいで」と声を掛けていたら、来たそうにしていたが、
夫が余計なことをした。
窓を開けて、猫なで声で、ムギに「ムギちゃん、大丈夫だからね。」と
さらにわざわざ、声をかけたのだ。

わたしに対しては絶対に使わない優しい声。
そんなのを聞いてしまったら、ムギはますます、わたしじゃなくてパパが良くなる。

なんでそう、余計なことするかな!
なんで放置してくれないかな!

当然、ムギは更に離れて行ってしまったので、
たけのこご飯をもらおうと勝手口を開けて、
「ムギ来ないから。待ってるとか言わないでくれる? あとはやっといて。
わたしは知らない。」
と言い残して部屋に戻り、イラついてたまらないので、
頓服を2錠も飲んだ。

ムギが待ってるかどうかなんて、夫にわかるはずがない。
ムギは本来はパパが好きなんだから。
パパに時間が無いのを知ってるから、ママで我慢しているだけなんだよ。
そんなこともわからないのか。


夜中も行かなかったし、今日の夕方も行かなかった。
夫が居る時には、夫がムギとラブラブすればいい。

このあとは、ゴミを置かせてもらいに行くので、一応、会うような服装で行く。
気温も下がるようなので、オープンベッドにしてしまったから、
寒いだろう。
小さいカイロを忍ばせて来ようと思う。


                                          伽羅moon3

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«圧倒的パワーの差。