何のための大学なのか。

わたしには、明確な将来の夢があったのに、
家が貧乏だったせいで、
最初から、大学に行ける可能性は、ゼロだった。

高校を受験する時、どうせ大学には行かせないのだから、
すぐ職にありつける、商業高校に行けと、
親に言われた。

そろばんが大嫌いだったわたしは、それだけはどうしても嫌で、
父の前で、畳に頭をつけて、
「普通科に行かせてください。」と頼んだ。

高校に入ってからの、芸術の選択科目で、
わたしは美術を選択し、
立体は、ダメだったが、デザイン能力を認められ、
美術の先生に、目をかけてもらえた。

作品の提出後、みんなには返却されるのに、
わたしには戻って来なかったので、
美術準備室に、聞きに行くと、
先生が、戸棚から、わたしのポスターを出した。

それは、特別に、パネル貼りがされてあった。
もちろん、わたしにだけだ。
とてもいい作品だったからね、と言ってもらえて、
本当に嬉しくて、
わたしはますます、グラフィックデザイナーか、
テキスタイルデザイナーになりたくなった。

通っていたのは、進学校だったので、大学に行かない子はゼロだ。

なので、将来何になりたいか、という夢を、明確に持っている子は少なくて、
どこの大学に入れるか、ということが、学業の目的だった。

わたしは、デザインを学びたいから、
大学が無理なら、せめて、専門学校に行かせて、
ちゃんとバイトして学費も稼ぐから、と
親に掛け合ったが、
デザインとは何ぞやすら、知らない親には、
そんな食うて行かれへん仕事に就かせることは出来ん、と
にべもなく、あしらわれた。

当たり前のように大学に行ける子たちが、妬ましかった。
やりたい職業もないくせに、
バイトしなくても、行きたい大学に行かせてもらえるなんて、
本当に世の中は、不公平だと思っていた。

今思えば、大学にとりあえず入れたら、
4年間もの、猶予が与えられる。
そこで、ゆっくり、自分がやりたい仕事を考える時間もできるわけだ。
それは本当にうらやましいことだった。

わたしはたった17歳で、自分の就職を、
自分で決めるしかなかったのだ。

誰にも頼らず、誰にも相談できず、
進路指導室に来ていた求人票を自分で見て、
願書を出したのだ。


わたしの友達にも、躍起になって勉強していた子はいる。
あらゆる楽しみを我慢して、
もしくは我慢させられて、
いい成績で、いい大学に入った子もいる。

でも、では彼らが、就きたかった職業に就けたのか。

それは、99%、無かったと思う。

4年間も考える猶予があったのに、
やりたい仕事もわからず、
なんとなく受かった会社で、営業マンの日報管理をしていた友人。
あんないい大学を出て、
その仕事で良かったの?

高校2年の最初の頃は、明るくて、大きな声で笑って、
人気者だった男の子も、
受験が近づくとナーバスになり、
雑談もしてくれなくなり、
大学を出た後、銀行員になった。

銀行員になりたくて、若い時期を、あんなに暗くして過ごしたの?
それで良かったの?


もちろん、友人のなかには、「化学」が好きで、
そういう会社に入って研究員になる、と言って、
理系の大学に入り、女性ながら、
地方の大きな化学会社に入った子もいた。
あっぱれだなあと思った。
素晴らしいよね。

ご理解のある親御さんで、うらやましい。

夫も、なりたかった職業に就けた、恵まれた人である。
夫ほどの人なら、大学院まで出してもらった甲斐があったと思う。



仕事だけが人生ではないけれど、
取り戻せない若い美しい時間を、受験に費やし、
あらゆることを犠牲にし、
結局、事務職を少しやって、お見合いで結婚して、
って聞くと、大学って、何のために行ったんだろうなあ、て思う。

わたしも、息子には大学に行かせてやれなかった。
もらえる養育費が18歳までだったし、
その後、わたしの収入では、大学に行かせてはやれない。

だから、即戦力として技術を身に着けられる高校を勧めたのだ。

「大学、って、ちょっと、行ってはみたいんだけどね。」
息子がボソッと言ったとき、
わたしは、同じ境遇なので、気持ちはよく分かった。

ごめんね、と謝ってから、
「大学はね、やりたい職業があって、
それに必要な知識を学びに行くところだよ。
だから、なんとなく、行ってみたい、って気持ちで行くところじゃないよ。」
と、答えた。

幸運なことに、息子は入った高校をたいそう気に入り、
学校に住みたいとまで言った。
同じく、高校を出たら就職する仲間と、
楽しく学校生活を過ごしてくれた。

今も、仲良く行き来している。

わたしは、やってみたいことのすべてが、「仕事」だった。
褒められることなく育ってしまったため、
自己肯定感が全くなく、
仕事で、成果を上げることでしか、
自分を認める方法を知らなかったのだ。

だから、今の、働けない自分は、本当はちょっと悲しい。
得意分野があったのに、生かせないことは、ちょっと悲しい。

次の人生では、きっと仕事で成功しよう。
きっと満たされる仕事をしよう。

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自己防衛。

わたしは、親のせいで、一人娘だ。

母が産んでいれば、兄がいたはずなのだ。
霊視してもらって、それはわかっている。

母はまるで、自分が悲劇のヒロインのように、
産ませてもらえなかったのだと、
わたしという、自分の娘に対して、
堕胎した話をした。

そんな話を、聞きたい娘が、どこに存在するか!

わたしの母は、相当な「構ってちゃん。」なのだ。
非常に幼稚で、自分のことしか考えられない。

自分のことでいっぱいいっぱいなので、
「問題を起こさないで!」
「困ったことを持ち込むのはやめて!」
「見ている前で泣くな!」
と、わたしを育ててしまった。

わたしには、甘えられる母が、いなかったのだった。

わたしに、兄さえいれば、
どんなにか、楽だろうか。

「娘を降りる」と決意し、
カウンセリングで宣言してから、
わたしの、暴力的な、過食は治まって来た。

けれど、一人娘のわたしが、娘を降りてしまうことなど、
本当は、実現しないと、わかっている。
わたしが親の葬式を出さねばならないからだ。

母を憎んでいたことなど、おくびにも出さずに、
明るくて友達の多い人でした、とか言って、
送り出さなくてはならないのだ。


でももう、本当に嫌だ。
会いたくもない。
死に目になんて会いたくもない。

されたこと、言われたこと、何もかも、忘れられない。
その苦しさを、理解してもらうこともできず、
わたしが悪役を引き受けることに決めたのだ。

母にズタズタにされた自分を、
今の、満たされた生活の中で、
どうにか、くるんで、抑えつけてあるけれど、
それは、一生消えることはない。


人には、言っていいことと、いけないことが、あるのだ。

その区別が出来ない人とは、付き合いたくない。

もののはずみで、とか、
売り言葉に買い言葉で、とか、
酔った勢いでとか、
怒りのあまり思ってもいなかったことが言葉に出てとか、
わたしは、そんなのは一信用しない。

思ったことがあるから、言葉に出てしまうのだ。
そっちこそが本心なのだ。

もう、嫌だ。
本当にもう無理だ。

残念だが、世の中には、
頑張っても報われないことが、存在する。

何のために、この境遇で生まれることにしたのか、
我ながら、不思議だけれど、
わたしは、息子には、絶対に同じことはしない。

夫は盾となりわたしを守ってくれている。
ありがたいと感謝している。

でも、その夫からも圧力はある。

自己防衛するしかないと思っている。

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時間がないのは変わらない。

土曜日は、お昼から、夜まで、
ずっと夫と一緒に過ごしたので、疲れてしまった。

夫はいい人だが、圧力の強い人である。

ちょっと気を許すと、ぐいぐいねじ込んで来る。
その圧力に耐えきれなくなるのだ。

夕飯をわたしの部屋で一緒に食べたいとのことだったので、
録画していた、動物番組を流しながら、食べたのだが、
夫は、テレビ番組に対して、非常に懐疑的な人で、
こんなのは全部、ヤラセに決まってるとか、
文句ばっかり言いながらなので、こっちも楽しくない。

かといって、テレビを消して話をすれば、さえぎりまくる。
その自覚も本人にはない。

だから、密着して過ごすのは、3時間ぐらいがいいのだ。
6時間も一緒にいると、
わたしは疲弊してしまう。

夫は、夜9時にもなると、もうウトウトしてしまう人なので、
わたしも疲れて、ベッドに横になり、
「悪いけどもう帰って。」と夫に言った。

はっきりした言葉を使わないと理解してくれない。
やんわり言っても、理解してもらえないので、
言い方がきつくても、これはもう、仕方がないのだ。


ベッドで、一時間半、ぐったりと休んでから、
やっと、食器洗いに取り掛かれた。


働いてもおらず、家事もあまりやっていないわたしを、
夫は、時間があると思っているらしい。

働いていないし、通勤してないし、
家族分の料理もしてないし、
一見、暇そうなのだろうが、わたしには、まったく、暇な時間は無い。

むしろ、よくまあ、家族の夕飯を作ってたなあと、
不思議でたまらない。
相当に無理をしていたということだ。

録画してあるバラエティや映画も見たいし、
ちまをゆっくり抱っこして過ごすこともしたい。
ムギともいっぱいラブラブしたい。

リフォームしてもらった時、本はかなりの量、処分して、
死ぬまでに、もう一回読みたい本を残したのだが、
全然、まだ、読んでない。

その状態で、夫が、お寺から勧められて良かったと思った本などを、
どんどん持って来る。

自分で選んだ本を、読み返す時間すら、まだ作り出せていないのに、
夫がいくら、良かったと思っても、
わたしにも好みがあるし、全然、読む時間が作れない。

そんなに、暇じゃないんだよね。
暇そうに見えるのかな。



夕べは、食器洗いを終えたら、
ちまがキッチンに来て、ジャンプして、抱っこをせがんだ。

小さいころはよく、そうやってジャンプして、
長い時間、抱っこしていたものだが、
オバチャン猫になってからは、珍しいので、
ただ、ちまを抱っこして、しばらく過ごした。

膝に乗せたクッションの上でリラックスして、
だらんと寝ているちまを、降ろすことなんて出来なくて、
夕べもまた、ブログが書けなかった。



今日は、年に一回の検診だった。

最初が、子宮頸がんの細胞診だった。
痛くて、怒りが湧きそうな痛さだった。
ちょっと乱暴なんじゃないの?とイラついた。

婦人科、嫌だけれど、マンモグラフィーにも慣れたし、
バリウム飲むのにも慣れた。

それより、体重の大増加が嫌だった。
腹回り計測だって、絶対にメタボに決まってるし、
それが一番嫌だった。

体重38キロだった頃もあったので、
自分がここまで太ることになるとは、思ってなかった。

母は、「そんなに太っちゃって。」となじるが、
母だって、わたしが子供の頃は、すごく太った人だったのだ。
なのに、よくそんなこと言えるよね。

周りを見回しても、血のつながった叔母は、
全員が太っている。
だから、仕方がないんじゃないの?

わたしは一日にセロクエルを225ミリも飲んでいる。
満腹中枢を麻痺させる副作用の大きい、強い薬だ。

お正月明けから、ストレスで、
狂ったように、パンとチョコを食べ続けた。
自分で、その欲求を抑えることができないのだ。

食欲は暴走し、
去年、文字通り、身を削る思いで減った体重が、
戻ってしまったどころか、はるかに超えてしまった。


しかし、先日のカウンセリングで、
「娘を降ります。」と発言したところ、
その、異常な過食が、治まって来たのだ。

少なくとも、チョコに関しては、
食べない日もあるくらいだ。

パンは、起きた時にトーストを一枚食べ、
夕飯の後、夜中12時くらいに、何かのパンを食べる。
それで、済むようになってきた。

過食のストレスは、明らかであった。


ちょっと、体重を減らしたい。
4~5キロでいい。
でも、運動は大嫌いだし、食事で制限するしかないよね。

夫は、会社の人が、それで痩せたというヨーグルトドリンクを、
だいぶ続けて飲んでいたが、
先日の検診では、「肥満」扱いで、
体重にも変化がなかったそうだ。

トクホのお茶は高いし、
どうしようねえ。

とにかく、ストレスは、イコール太る、であることがわかった。
食べすぎない自分がありがたい。
食べたくて食べていても、ずっと罪悪感がすごくて、
辛かったのだ。

このまま、過食が、治まって欲しい。

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もしも逆だったら。

昨日、連絡をいただいた旧知のお友達から、
朝、メールが入っていた。

わたしと会う日は、午後休みを取っちゃうから、
ゆっくり会いましょう、って。

嬉しい。
そうしたら、ドリンクバーのあるレストランに行って、
食べて、ゆっくり話をして、
そこから3時間カラオケしたって、まだ夕方だもんね。

わたしは手帳を見て、
自分の空いている日を、連絡した。

仕事終わりで、すぐに返事が来て、
来週は旅行と飲み会があるのでダメだけど、
会えるとなったら、早く会いたくなっちゃったので、
再来週、会いませんか?って、書いてあった。

わたしもすぐにOKした。

カラオケ友達が、今はいなくて、
行くとしたらずっと一人カラオケ専門店か、
夫とちょこっとだけ、って感じだったので、
歌が大好きな人と一緒に行くことが、
何年振りだろう?って感じで、わくわくする。



よく、勇気を出して、メールくれたなあって、思った。

年賀状と、メルアド変更の時だけの付き合いになってたのだが、
去年、彼女はご家族にご不幸があって、
年賀状を失礼します、とハガキが来たので、
お悔やみのメールだったか…ハガキだったか…
出したんだよね。

お返事があって、人生まだまだひと花咲かせます!って書いてあり、
その前向き加減とか、パワフルさが、
わたしには無理…
わたしはもう、人生を縮小する、と考えていたのだ。


そのあと、3月で、彼女は定年になったわけだ。
再雇用されて、赴任先が、
自分が東京で初めて住んだこの町。
わたしが再婚して住んでる町。

通勤が遠くて、大変だったようだが、
やっと慣れて、わたしを思い出して、
駅前とかでバッタリ会えないかしら?と思ってくれるようになり、
メールしてみてくれたのだ。

とても、ありがたい。


わたしが精神を病んでいることは、ちょこっと年賀状やメールで、
知らせた。
詳細については、書いてない。

ただ、息子が結婚した時、
彼女にいっぱい助けてもらえたからこそ、
息子がちゃんと大人になれたのだから、
報告とお礼のメールはした。



さて、もし、立場が逆だったら、どうだろう?と考えた。

自分が健常者で、
元気に働いていて、
海外旅行にも何度も行っていて、
60歳過ぎてもまだ働けていて、
まだ旅行に行ったり、飲み会を企画したりと、
パワフルに生きていたら、
精神疾患を抱えて、引きこもっている旧友に、
会いたいとメールしたり、できるだろうか?


わたしなら、できないと思った。

精神疾患といっても、いったい現在、どういう状態なのか、
わからないわけだし、
かといって、根掘り葉掘り聞くことははばかられるし、
そしたら、めんどくさいから、
関わらないことにしちゃうんじゃないかなあ。

精神疾患には本当に色々な症状があるので、
果たして会えるのか、まともに話ができるのかすら、
わからないじゃないか。

これは彼女が読んでないブログだから書くけど、
彼女に会えるのは嬉しいし、楽しいに決まっているが、
そのあと、数日、寝込むことも、わたしは覚悟しているのだ。

もう、そういう病気なんだから、仕方がない。
それでも、会いたいと思ったのだ。

人との付き合いを極限まで減らして、と考えていて、
親とも会わないと決めたばかりなのに、
ご縁がすう~っと降りて来た。

わたしはそれを捕まえた。


すべてさらけ出して話すつもりはないけれど、
(内容がヘビーすぎるから。)
今がとても満ち足りて幸せだということを、伝えたい。

彼女のおかげで、
息子は幸せな結婚が出来たと言ってもいいくらいだ。


ちょっと前のカウンセリングで、
わたしは今後の人生を、
お礼行脚をしていく、と話した。

今まで生きて来た中で、お世話になった方に、
お礼を伝えて行きたいと思っているのだ。

娘を降りるとか言ってるくせに、反比例だけど。



今まで、赤の他人なのに、わたしを救ってくれた人が、
大勢いる。

連絡が取れる方には、
きちんとお礼を伝えて生きて行こう。


わたしは、自分の、長所がわからない。

でも、できれば、誠実に生きて行きたい。
暮らしはささやかでいい。
旅行とか、行きたくない。
時々夫と居酒屋に行くだけで充分だ。

数少ない友人と、深入りしすぎない付き合いをしていきたい。
それが願いだ。

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つなぐのは自分。

生まれてくるときに、
今回、生きるにあたってのテーマがあって、
いつ、どこで、どんな人と出会うか、
大まかな青写真を持って、生まれるというのを、
わたしは何となく、信じている。

運命が決まっていて、その通りに進行するということではない。

あくまでも青写真であって、
出会いだけであって、
その出会いに、何を感じ、どう生かし、
どう繋いでいくのかは、その人生で自分で決めて行くことだ。

だから、「運命の人」と、仮に出会ったとしても、
その人と、結婚するとは限らないし、
一生いい友達でいられるかもしれないし、
もしかしたら、縁が絡んで、義兄弟になることだって起きる。

人は、本来、そういうことに対する「勘」を持っているはずなのだ。
ただ、情報が錯綜していて、それに気が付けなかったり、
失敗したりしてしまうことだって、往々にしてある。


大切なのは、
この人は、自分には大切な相手だとわかった時、
相手を大切にする、行動を起こせるかどうか。
そして、それを、持続できるかどうかなんだと思う。

若いころはわからずに生きていたが、
思い返してみると、決して偶然ではなく、必然として、
出会う人の多かったこと。

わたしは、人が苦手で、うまく距離を測れなくて、
失敗ばかり繰り返して生きて来た。

だから、もう、付き合う相手は、増やさない、
今後は縮小の方向で生きて行くと考え、
ブログにもそう、書いて来た。


ところが、「リカちゃん展」に行ったことで、
幼なじみのヒロミちゃんと文通が始まり、
一人、増えた。

そしてまた今日、増えた。



夕方、パン屋に併設のカフェで、コーヒーフロートを食べていたら、
メールが来た。

それは珍しい方からだった。

息子が、小学生になるとき、わたしが働いていたため、
学童保育に入れたのだが、
そこで、一番最初に、お友達になってくれた子の、お母さん。

今で言うところの、「ママ友」さんだった。

学童は、入学式よりも先に保育が始まる。
初日、息子は、たった一言も声を発せず、
部屋の隅っこに体育座りをして、
ただ黙って絵本を眺めていたと、連絡帳にあった。

心配だった。

ところが、その子が声をかけてくれたらしく、
入学式の時には、二人はもう、仲良しになっていた。

彼女は私より5歳年上で、公務員さんだった。
学童には、母親が働いている家の子が入っている。
つまり、共働きか、シングルマザーか、どちらかなのだ。

わたしはもう、離婚は決めていて働きだしたので、
どちらでもあった。

彼女はとても親切で、わたしの帰りが遅くなってしまうときは、
息子を預かってくれたし、
土日に遊びに行かせてもらっていたし、
地方の仕事の時には、息子を預かって泊まらせてくれた。

それ以外でも、お料理が上手だったので、
みんなを呼んでふるまってくれたり、
子連れでカラオケに行ったり、
旅行にも行った。

彼女が、息子が入った高校のことを、教えてくれたのだ。
それはいい、と思って、
わたしは息子が中学生の時から、
その高校を勧めるつもりだった。

だから、あらゆる意味で、今、息子が立派に大人になって、
結婚して幸せなのは、
彼女に助けてもらえていたからなのである。

本当に、数えきれないくらいお世話になったのに、
決してお礼を受け取ってくれなかった。



彼女は、長崎県の、五島列島の出身だった。
短大に受かり、東京に来て、初めて住んだ町が、
今、わたしが、住んでいる町なのだ。

その路線には、歌があって、
彼女がカラオケで、毎回歌うので、
わたしも歌詞をそらんじていた。

まさか、自分が、次にそこに住むだなんて、考えたことがなかった。
これもご縁。


そして、初めて、五島列島の出身だと聞いた時、
わたしは、小中学生の時の、ある同級生のことを思い出した。

小学3年生くらいの時、転校してきた女の子がいて、
その子が、確か、五島列島から来たはずだと思い出したのだ。

決して勉強ができるタイプの子ではなかったが、
作文がとてもうまくて、
自分が育った五島列島の美しい海についての作文を読んで、
海なし県だったので、そんな綺麗な海がある島から来たんだ、と
思いをはせたので、記憶に残っていた。

とても変わった苗字で、ハンコがなくて、
名簿の彼女の欄だけ、いつも先生の手書きだった。

それで、ママ友となった彼女に
わたしの同級生にね、五島列島から引っ越してきた子がいて、
変わった苗字で、「○○」っていう子だったんだけどね、と
話した。

五島列島は、文字通り、列島なので、島がいくつもある。

そうしたら、彼女が、固まって、
そしてこう言ったのだ。
「その子… わたしの、いとこよ…。」

二人して、ぶわっと鳥肌が立った。

そんなことって、ある?

東京で出会った人と、小学生に時に転校してきた、
中部地方の海なし県の、友人が、
いとこだっただなんて、そんなことが、あるの?

聞いたら、その苗字は、島でも珍しく、
数軒しかなく、引っ越して行ったのは、間違いなくいとこだと言う。

人のご縁とは、こんなに絡み合うものなんだ?と
心から驚いた。



やがて、荒波に飲まれてわたしはうつ病を発症し、
夫と再婚して、今の街に来た。
彼女が、五島列島から初めて東京に来て、住んだ町。
どの辺のアパートだったのかなあ、と
いつも思っていた。

年賀状と、メルアド変更の時しか、
連絡を取っていなかったので、今日のメールは、
あれ、どうしたかな?
息子くんが結婚とかしたのかな?と思いながら開いた。

すると、彼女は3月で、定年になったそうだ。
しかし、再雇用があって、なんと、今、
わたしが住んでいる町、
つまり、かつて自分が東京で初めて住んだこの町に、
働きに来ているというのだ!

ええ?
そんなことって、ある?

ああ、ご縁は、切れていない。
そう直感した。
わたしは、ここで、このご縁をつかめば、
また彼女との、子供抜きの、新しい関係が築ける。

23区の、端と端なので、通勤距離が長く、
ようやく慣れて、
もしかして駅前でわたしとばったり会わないかなと、
思えるゆとりが出来たので、メールしました、と書かれてあった。


嬉しい。
お世話になりっぱなしで、何のご恩返しも出来ていない。
でも、連絡してくれた。
会いたい。

わたしはすぐに返信を送った。

会いませんか?
また、一緒にカラオケ、行きませんか?
わたしは、薬で、どうにか安定していて、
今は、生きて来た中で、最も幸福な日々です、と書いた。

すぐに返事が来て、
わたしの幸福をたいそう喜んでくれ、
予定をすり合わせて、会うことになった。


覚えていてくれて、嬉しい。
わたしはすっかり太ってしまい、白髪になってしまい、
見る影もなくて、恥ずかしいのだが、
わたしにとって、大切なご縁を持った人だと思った。

縁は、自分でつかんで、育てないと、
意味をなさない。

ひとりひとりと、大切に付き合う。
静かに、ゆっくりと、ささやかに生きて行く。

それを、今は、とても幸福だと感じる。

                                               伽羅moon3

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«娘を降りる。