連れて行ってね。

8月の半ばから、ずっと調子が悪い。

お姑さんの退院が迫り、夫に、協力を求められ、
わたしがやらないなら、俺が会社を辞めることになるんだぞと、
わたしにとっては、脅迫とも聞こえる言葉を言われて、
潰れた。

やって当たり前だとは思う。
だって、お姑さんの持ち物であるアパートに住まわせてもらってるんだもの。

でも、どうせすぐ潰れることもわかっていた。
でも、その、潰れた姿を夫がその目で見るまでは、
わたしがやるしかないのだと、
カウンセラーさんにも、精神科の先生にも言った。

もちろん、二人は大反対。

でももし、夫が会社を辞めたら、
わたしに対する、経済的制裁が始まるのはわかりきっている。

今だって、全然何にも贅沢してないのに、
これ以上の切り詰めは、もう嫌だ。

家族全員が、お金持ちなのに、
わたしだけ、極貧の暮らしを強いられるのは嫌だ。
もう、貧乏には、ほとほと疲れた。


夫は単に脅しただけであって、
会社を簡単に辞めることなんてないだろう。
夫は、自分が就きたい職業に就くことが出来た、
世の中の、たった1%の、人なのだ。
出張も多いが、常に飲み会がセットになっているので、
出張も大好き。

いくら、嘱託で、給料が安いと言っても、
会社を辞めて、工事現場で光る棒を持つおじさんになるわけがなく、
単なる、モラハラだ。

仕方がない。夫は非常に優秀な人材なのだ。
わたしみたいに、ペット以下の存在ではない。

わたしは、一円も稼がず、単なるお荷物として存在し、
夫の心を癒すこともなければ、
何かの助けになることもない。

いても、いなくても、変わりがない存在なのだ。

と言うより、大量の医療費を消費している、厄介者だ。
夫の望んだ結婚生活は、何一つ、実現に至らなかった。
申し訳なく思う。


小さい息子を育てているとき、
わたしは、それまで生きて来て、
自分という人間を、ここまで必要とされたことはなかった、と
気が付いた。
息子は全力でわたしの首にしがみついて寝ており、
目が覚めたときに隣にいないと、必ず泣く。

わたしは、自分が親から、子供として歓迎されていないことを、
本当に心の底から知ってしまった。
嫁として気に入られていないことも十分知っていた。
妻としては、奴隷扱いされていることにも気が付いていた。

けれど、息子がわたしを必要とし、
居なければ寂しがり、
そして息子は、わたしにとても優しかった。

わたしは、親からは優しくされたことがなく育ち、
姉も兄もおらず、
前夫から守ってもらったこともなかったので、
息子がわたしに優しく接してくれた時、
人に優しくされるということは、こんなにも嬉しいことなのか!と、
驚愕した。

わたしはあまりにも、知らなさ過ぎた。

わたしに、「やさしさ」を教えてくれたのは、
息子だったのである。

息子は思慮深い子で、その場の空気を読んで、
今、自分がこうすべき、ということが、出来る子だった。

聞こえないふり・見ないふりも出来たし、
よそのお宅で出された食べ物に、誰も手を付けないでいると、
自分がいくしかないか、と、無理して食べるような子だった。

わたしは、息子が小さいころから、息子の意見は尊重した。
幼稚園を決める時も、近所にある幼稚園3つを二人で見て回り、
キミはどこに行きたい?と尋ねてみた。

4歳児には4歳児なりの、感覚があるだろうと思ったのだ。
わたしは親に頭ごなしに何もかも抑圧されてきたので、
それはするまいと思っていた。

息子は、3つの中から、ちゃんと自分の意志で選んだ。

あの園は、バスで行かなくちゃいけないから嫌だ。(酔う)
もう一つの園は、運動場が広すぎて、怖いから嫌だ。
ボクはあの、小さい木のおうちがある、小さい幼稚園に入りたい、と
自分の意見を言った。

それでそこに入れたのだった。


今、抑圧されたわたしの人格は、暴れたがっている。
心の中がざわついているのだ。

実際、お姑さんが退院していらして、
介護ヘルパーさんを雇っているので、
わたしは、何もしなくていいことになったのだが、
あ~良かったとは、もちろん思えない。

ヘルパーさんに出くわさないよう行動する。
お姉さんには合わせる顔がないので、来ていらっしゃる日には、
お帰りになるまでムギのところに行かないような、
隠遁生活を送っている。

夫は、オムツ交換から始まる一日で、
どんなにか大変だろうに、
仕方がないよ、自分の親だから、と言っている。

夫は、ヘルパーさんが出入りする勝手口と、
お姑さんが座っているリビングの場所を映し出すカメラを設置して、
スマホで、管理している。

大変だな…。
管理するほうも。監視される方も。
どっちも嫌だよね。


わたしはちまに、あるお願いをした。

猫には特殊能力があるので、お願いをすると、
命と引き換えにそれを叶えてくれる、という説があるので、
わたしは何も頼んで来なかったのだが、
とうとう、ちまに、頼んだ。

ちま、ママね、ちまが居ない人生なんて、もう要らないから、
ちまが死ぬときには、ママも連れて行ってね。
それで、あっちの世界でも、また仲良く暮らそうよ、って。

もう、ママ、疲れちゃった。
90歳まで生きるだなんて絶対に嫌だから、
ちまと一緒に死にたいよって、頼んだ。

ちまは、ムギと違って、何も話さない。
だから、わかってくれたのかどうかは、わからない。

でも、天使の猫ちゃんだから、きっと聞き届けてくれるよね。
そうしてね、ちま。

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ミスをする土壌。

先月、精神科の薬をもらっている薬局で、
考えられないミスをされ、
しかもそれが、二回目だったから、
わたしは烈火のごとく怒った。

怒りが激しすぎて、先月はブログに書けなかったのだ。

よくあるように、病院の近くには調剤薬局があり、
総合病院ならいくつもあるが、
わたしが行っている精神科のクリニックの近所には、
一軒しかない。

それで、要は、きちんと提携をしていて、
クリニックのカウンターには薬局の案内図が置かれていて、
暗に、そこに行ってくれ、ということになっている。

わたしも、種類の多い処方なので、
地元の行きつけの薬局だと、
ここまで精神科に特化した品数は揃えてないだろうから、
クリニックの近くのその薬局に、
最初から、通っていた。


特に問題はなく、20分ほどでいつも薬が出来上がり、
もらって帰って来ていたのだが、
去年の春に、ベテランのオバチャン薬剤師さんが一人いなくなり、
わたしと同世代くらいの、やや若めのオバチャン薬剤師と、
二人体制になってしまった。

ちょうど、感じが良かった受付の事務のお姉さんも、
いなくなってしまった。

そうしたら、それまで20分で出来て来ていた薬に、
40分も50分もかかるようになってしまった。

そこは、住宅街なので、時間をつぶせるカフェや商業施設はない。
薬局で待つしかないのだ。

新しく入った人が、時々いるのだけれど勘違い薬剤師で、
医者でもないくせに、患者の話を延々と聞き、
薬の説明を必要以上に長くし、
そのくせこっちの話を聞いてないので、
わたしは腹が立って、その薬局のデータを出している会社に、
クレームを入れた。

返事のメールが来たのも数週間後だった。

わたしは、今年に入って、寝付けなくて苦しんでいて、
5月に、睡眠薬を変更してもらった。

眠れてないので、フラフラの状態で病院に行っている。
二回乗り換えて、徒歩15分の、片道一時間半もの道のりだ。

処方箋を出して、ソファに座って、ぐったりしていた。
やっと呼ばれそうだな、と思ったら、奥で急に、
「サイレースになってる!」という声が聞こえて、
薬剤師が、わたしに、「睡眠薬、変更になったんですか?」と聞きに来た。
「そうですよ、処方箋見ればわかるでしょ。」と答えると、
「すみません、すぐに作り直しますので、もう少しお待ちください。」
と言われたのだ。

まさか、処方箋を見ないで作ってしまうとは思ってなかったので、
ビックリしたし、腹も立ったが、
もう、本当にボロボロの状態で、
そのときは、怒ることすら無理だった。

なので、6月からは、処方に変更があるときは、
受け付けで、「お薬の変更があります。」と言って、
自衛することにした。

その時、若い薬剤師さんが居て、あ、新しい人だ、と思い、
じっくり見ていたら、
非常に手早くてテキパキしており、無駄もなく間違いもない。
ああ、良かった、と思い、
薬を受け取るとき、「あなたが入ってくれて最高。手早いし正確ね。」と
耳元でささやいておいた。


ところが、先月、行くと、その若い薬剤師さんがいなくて、
また、仕事ののろいオバチャン二人になっているので、
受付の女の子に聞いてみたら、
あの若い薬剤師さんは、派遣さんで、もう来ないとのこと。

がっくりだ。

待合室は満員で、わたしの前に精神科で診察を終えた二人の患者さんが、
まだ、待っているという状況だった。

わたしはきちんと、「お薬に変更があります。」と伝えて、
仕方なく座って待っていた。

わたしの二人前に診察を終えた人が呼ばれ、
オバチャン薬剤師が、「具合はいかがですか?」と聞いたもんだから、
その人は、病院でもう、充分にしゃべったであろう症状を、
また一から喋り出した。

すると、薬を作ってるのは、あの勘違い薬剤師一人だ。

イライラしながら待った。
暑い中、体調の悪い中を、やっとの思いで通院しているのに、
なんだこの薬局は!

だいぶ待って、わたしの前に診察を終えた人が終わって、
次がわたしのだな、と思っていたら、
また、奥で、「100ミリになってる!」と騒ぎだした。

正直、この時、「またやりやがったな?」と思った。

オバチャン薬剤師がカウンターに出て来て、
「伽羅さん、セロクエルが100ミリになったんですか?」と
聞きやがった。
わたしは、カッチーンと来た。
「ええそうですよ。処方箋にかいてあるでしょ。受付の時も、
わたしちゃんと、変更がありますって、声かけましたよね!」

するとか薬剤師が、ありえないことを言ったのだ。
「すみません、もう今までので作ってしまったので、今からやり直します、
お待ちください。」

ちょっと待て!
わたしは立ち上がって声を荒げた。
「作ってしまったって、どういうこと? あなた方は、処方箋を見ないで、
封入をやってしまったってこと?」

すると、
「ええ、お薬の種類が多いので、あらかじめ用意しておかないと、
お待たせしてしまうので。」と、
正当化しようとしたのだ。
「わたし、変更ありますって、声かけましたよ?
そもそも、処方箋確認しないで、作っちゃうって、どういうことなの!」
「だからあらかじめ、用意しないと、お待たせしてしまうので。」
「だとしても、封入する前に、何で処方箋を見ないのよ!」

わたしは怒りでブルブル震えた。
他のお客さんもずっと待っているのに、
こんな失態が許されていいわけがない。

わたしは一旦座って、確認事項を頭の中でぐるぐる考えた。

他の人の薬が先に出て行き、
10分ほど待たされて、やっと呼ばれた。

わたしは、許すつもりはなかった。

処方箋を見ないで、薬を作って、封入(分包)までしてしまうなんて、
これはあってはならないことだ。
二度と起きてはならないことだ。
きっぱり非難して、その危険をしらしめないと、
命に係わる事故を起こしかねない。
しかも、言い訳ばかりで反省の色がない。

わたしは立ち上がってカウンターに行き、
そのオバチャン薬剤師に、静かに聞いた。
「もう一回、確認しますけど、こちらの薬局では、
処方箋を見ないで、薬を封入してしまうんですね。
そういう方針でいつもやっているということでいいですか?
だったら、処方箋、必要ないってことですか?」

するとオバチャンはこう言い訳をした。
「お薬の種類が多い方が多いので、あらかじめ、症状の安定している方の分は、
準備しておくんです。じゃないと、時間がかかってお待たせしてしまうので。」

「じゃあ、100歩譲ってですよ、あらかじめ準備するのをよしとしましょう、
ならばなぜ、封入する前に、処方箋を確認しないんですか?
わたしは、変更があることは伝えたのに、それも無駄ですね?
そもそも、症状が安定しているって、どうして薬剤師さんが決めるんですか。
わたしは5月から毎月、ずっと変更ありですよ。」

「でも、処方箋を見てから作り始めると、例えば一時間とかかかりますよ、
そっちがいいんですか?」
「それって、ある種の脅迫ですよ? 遅くなるのはそちらのスペックの問題です。
さっきみたいに、医者気取りで症状を一から聞いてたら、手が止まるでしょうよ。
そもそも、わたしが言っているのは、なぜ封をする前に、
処方箋を見ないのか、ってことです。
見ない処方箋なら要らないってことですか。
あなた方は、時間短縮のためにあらかじめ用意してるっていいますが、
確認せずに封入までやってしまった結果、
わたし個人の時間を無駄に使ったんですよ?」

「そんなことはありません。待たせないために、準備をしていたんです。
変更があったら、そこから抜いて入れ替えた方が早いからです。」
「でも、実際は、確認もしないで封入までしてしまったんですよね?
そのせいで、わたしの時間を無駄にされたんですよ?」

「じゃあ、次からは一時間待たれますか?」

わたしはまたブチギレた。
「あなたたちじゃ話にならない! 本部に電話するから、電話番号書いて!」
紙を出して渡すと、新しいほうの薬剤師が、
「電話はわたしたちがしますので。」と言う。
「あなた方がして、何になるのよ、わたしがかけます。書いて。」

そう言って、わたしは経営者の携帯番号を書かせて、
帰り道ですぐに電話をかけた。


わたしは、非常に怒っているが、
間違ってはいないし、感情に振り回されての怒りでもない。

処方箋を見ないで薬を作ってしまう薬局があっていいのか。
これは、わたしだけの問題ではなくて、
社会的大問題だ。

経営者は出なかった。
ほどなくして、折り返しかかって来たので、
わたしは名乗ったうえで、先ほど起きた事例をあげ、
これが、そちらさまの通常の方針ということでよろしいですか?と
尋ねた。

相手は女性だったが、いえ、とんでもございません、と
平謝りだった。

今回のミスだけでなく、二回目であること、
薬のミスは大問題だけれど、
医者でもないのに、症状の安定している患者であると
勝手に判断していたり、
医者でもないのに、症状を延々と聞いて、業務に支障がでていること、
受け付けで、変更があると言ったところで伝わらないことなども、
すべて丁寧に、静かに話した。

しかし、この状態が改善されずに、また同じことをするなら、
社会的大問題だと思います。とも伝えた。



もう、あまりにも腹が立って、その日は帰ったら寝込んでしまった。
疲れ切ってしまった。
具合が悪くて病院に行っているのに、
なんで患者がこんな仕打ちをされるのか。
絶対に許さない、と思っていた。


で、今日も精神科に行って、
自分の怒りのコントロールが効かなくなることがあるので、
ここ一番に飲んで効く、強い鎮静剤を、くださいとお願いした。

即効性があるのは、リスパダールの液体ですが、と言われたが、
前の病院でそれを出されて、飲んで、
呂律が回らなくなるくらいに効いたのだが、
薬害で、脚のムズムズが出て耐えきれず、
それを止める薬がさらに出て、それにより、ひどいドライマウスになり、
一年くらい、苦しみぬいたことを話した。
副作用レベルではない。
薬害だ。

先生は慌ててカルテの一ページ目に書いておられた。

それで、ワイパックスが処方された。

ワイパックスも、前の病院で、通常の頓服として飲んでいた。
このクリニックに変わってから、
良くないからと言われて、セロクエルに移行させられたのだが、
そうか、ワイパックスは、強すぎる薬だったのか。

けれど、常に怒りを制御して生きて来ているので、
なにかで綻びが出来て、その裂け目から怒りがあふれてしまうと、
もう歯止めが効かない。
失神するくらいの強い鎮静剤が欲しかったのだ。

そうか、ワイパックスだったか。

自宅にはまだ、捨てずに取ってある。
どうしてもの時は、それを飲んで失神すればいい。


薬局に行き、「お薬の追加があります。」と声をかけて、
処方箋を出すと、
受付のパソコン周りにオバチャン薬剤師さんが群がり、
処方箋を確認して、それから薬を作っていた。
今日は空いていたし、オバチャンが3人になっていたので、
すぐに出来た。
みんなわたしの機嫌を気にしていて、「雨、すごいですね~。」とか
声をかけて、様子をうかがっている。

間違いがなく、改善されていれば文句はないので、
にこやかに、帰って来た。
めっちゃブラックな客にリストアップされてるけどね!



けれど、世の中、許してもいいことと、
許してはならないことって、きっぱり、あると思うのだ。

自宅の近所の薬局でも、リウマチの注射で、
大事故になるところだったことがある。
それは、責任者がすぐに出勤してきて、対応に当たり、
説明し、誠実に謝罪してくれたので、即、許した。

その後もそこに行っているが、その責任者の人が、
「あんなことがあったのに、まだ来ていてくださってるんですね。」と
喜んでくれた。
間違いは、二度目、起きなければそれでいいのだ。
誰だってミスはする。

ただ、ミスをしてしまう土壌を、許しておくことはできない。
わたしはそう考えて生きている。

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つい弱音が出る。

リウマチの診察日だった。

午前中の診察で、毎回尿検査・血液検査をしてから、
その結果を見ながらの診察なので、
一時間前には到着していなくてはならず、
苦手な、朝に起きるということが必要になる。

ちまに、明日アラームが鳴ったらママを起こしてね、と
頼んでおくと、
アラームと同時にわたしに乗って、
息が出来ないくらい鼻を舐めるか、
もしくはあちらを向いて、膀胱をフミフミしてくれるので、
嫌でも起きられる。

帰って来て、お昼寝する時は、絶対に一緒に寝てくれる。
ちまはわたしのナースちゃんでもある。


今日もちまに起こしてもらって、
ちまも餌を吐かずに大丈夫そうだったので、
予定より早めに病院についた。

春から、担当の先生が別館勤務になって、
別館は、外科と口腔外科と皮膚科しかないので、
患者さんも少ないし、精算とかも待たされないので、
気に入っている。
待合室も広々していて、すごく空いている。

今日はいつもの尿検査・血液検査のほかに、
6月の検診でひっかかった、「胸部大動脈蛇行」について、
診てもらうのに、胸のCTと、
あとはリウマチの検査として、手のレントゲンもあった。

全部サクサク終わって、待合室に戻り、
いとこにメールして、
そのあと持って来た本を読んで待つつもりだったのだが、
けっこうすぐに呼ばれた。

レントゲンの結果、手の指の変形には至ってないとのこと。

でも、わたしは、ちょっと投げやりになっていた。

どうせ治らない、と、思っていたのだ。
だったら、もう、これくらいでいいじゃないでしょうか、と、
先生に言ってしまった。

辛いのだ。

痛みがあることは、もちろん、物理的に辛い。
重いものを持つことも辛いし、
鍋を洗うことも辛い。
大きなものを持てない。
文字もうまく書けなくなり、
「書体」というあだ名があったほどのわたしの文字は、
ひどいものになってしまった。


夜中に、一人で、お腹に注射を打っている時、
とても、悲しい気持ちになるのだ。

こんな高い注射を打っていても治らない。
わたしの中にある、怒りを吐いてしまわなければ、
何もかも治ることはない。

だったら、もう、このままでもいい、と
思ってしまったのだ。


「そもそも、皆さん、治るんですか?」と聞いてしまった。
わたしの精神的な病も治ることはないし、
リウマチだって、注射を変更した時はグッと効果があったが、
それも頭打ちになってしまった。

高い治療を受け続けていることについて、
夫に引け目を感じる。

もうやめたい。もうこれでいい。

でも、イケメン先生は、優しく諭してくださった。

諦めるには若すぎること。
今、治療をしてしまわないと、年を取ってから怪我をしやすくなること。
変えた注射はまだ3回しか打ってないので、結論を出すには早いこと。
症状が安定したのち、尚、半年は治療を続けなくては、
リウマチは治らないこと。


それは今までも言われて来た。
知識としては、頭に入っている。
でももう、なんか、辛いのだ。

しょんぼりしているわたしを見て、先生は、
「じゃあ、あと2回、注射を続けさせてください。
それで、数値を見て、改善がされなかったら、また薬を変えましょう。」
とおっしゃった。

診察に来るのも辛そうとわかったのか、
次回は8週後でいいと言ってくれた。


胸部大動脈蛇行については、専門の先生の見解が、
今日はまだ取れないが、
腫瘍があって、それを回避した蛇行ではないのはわかるらしく、
最終的な結論は8週後で充分だと思います、とのこと。

体の内臓だって、人それぞれ、形が違うように、
わたしの大動脈が、長いのかもしれないしね。

診察を終えて病院を出たら、まだお昼前だった。

お蕎麦屋さんとかに行こうかなあ、と考えたが、
お蕎麦一枚で千円くらいするし、
パスタも千円もするし、
やっぱりマックでいいやと思って、
マクドナルドで食べて、帰りに夕飯のお弁当を買って帰宅した。


ちまがお出迎えしてくれたので、餌をやって、
一緒にベッドでお昼寝をした。

昼寝、すっごい、疲れた。

睡眠薬なしで寝ると、わたしは毎回ひどい夢を見る。
今日は、バスケ部の仲間として、(なんでバスケ?)
松岡修造さんと、松岡茉優さんが家に来て、
意識不明で入院していた仲間の意識が戻ったから、
今夜はうちに泊まって、明日一緒にお見舞いに行こう!、と
大騒ぎになった。
勝手に出前は取るし、そんなときに限って両親が旅行から帰って来て、
寝たきりの祖母もいて、
わたしは大パニックを起こしたまま、
アラームで目覚めた。

つ…
疲れた…。

松岡修造さんと、松岡茉優さんの明るい前向きな感じに、
付いていけないのだ。
起きたらヘトヘトだった。

ムギに会いに行くためにアラームで起きたのだが、
ムギはなかなか帰って来ず、
夜9時に行って、やっと会えた。
抱っこして、匂いをスハスハした。


早起きして、リズムを崩すと、てきめんに体調が悪くなる。
明日は一日、ゆっくりしよう。
金曜日は、これまたしんどい、精神科の診察日。

夫の頑張りを考えれば、
これくらいのことで、弱音吐いてちゃいけないけど、
生きてくのはしんどいねえ。

                                          伽羅moon3

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長生きしたくない。

先週の金曜日に、お姑さんが、帰っていらした。

骨折して緊急入院したのが、6月4日だったから、
丸々三カ月もの入院&リハビリだったということだ。

わたしも、そんなことにならないよう、怪我をしないよう、
細心の注意を払って暮らさなければ、と思った。
自分が入院してしまったら、猫たちの面倒を見れない。
それが一番困るから。

お姑さんは、体には全く悪いところはなく、
きわめて元気。
食欲もあるそうだ。
リハビリの順調で、階段の上り下りや、お風呂のふちをまたぐ、
みたいなことも可能だと言って帰された。

その時に、自力でトイレに行けるが、たまに失禁もあるので、と、
オムツで帰って来たそうだ。

その言葉通りなのかと思っていたのだが、
実際に暮らしてみると、
もう、全オムツ生活じゃないと、無理なようだ。
わたしもさっき、夫から軽く聞いただけなので、
深くは立ち入っていないが、
夫は朝、まずお姑さんのオムツを替えることをしなくてはならないそうだ。

すごく気の毒な気持ちになった。
夫は退職して、今は嘱託勤務なので、
早朝、自分でやっていた仕事はもうやめたが、
朝ご飯を作って、お姑さんに食べさせなくてはならない。
ゴミ出しをして、庭の花に水をやって、
ムギにも朝ご飯をあげて、もちろん会えればラブラブしたいだろう。

通勤時間が一時間半もかかるので、
夫は7時半には家を出るのだが、
いくら5時に起きても、こんなに用事があると、
忙しすぎて大変だ。

オムツだけでは受け止めきれないので、敷きパッドも併用しているのだが、
昨日は、オムツだけみつかって、パッドが行方不明で、
長女と捜索したら、押入れから出て来たそうだ。

せっかく新しく買ってあげた、肘付きの椅子も無残なことになったらしく、
夫がわたしのところに来て、
捨てていいような丸い平たいクッションあるかい?というので、
押入れから探してもらって、持って行ってもらった。

寝たきりで、オムツ交換ならば仕方がないのだが、
本人が動き回るので、厄介なのだ。

昨日、夫としみじみ話したのだが、
これが赤ちゃんならば、3年もすれば自力でトイレに行くから、
それまでの辛抱だって、我慢できるけれど、
あと何年生きるのかわからないし、希望は持てないよねって。

わたしも、ムギを部屋に入れた時、
ムギが故意に、いけない場所でオシッコをジャアジャアするのだと知って、
これが赤ちゃんなら、あと3年、と我慢が出来る、
でもムギのことは可愛いから長生きしてもらいたい、
すると、あと10年も15年も、
こうして毎日、オシッコやられるの?と思った時、
心から絶望したのだ。

だから、すごくよくわかる。

世話をしている夫は、すごく偉いと思う。
大変だし、辛いと思う。
だけど、「俺は赤ちゃんのころ、やってもらったんだからな。」と言って、
頑張っている。

すごいな。偉いなとしか、言いようがない。

やはりわたしには、お世話は無理だ。

何か後方支援で、できることをやろう。

テレビで、長生きするためには、なんて番組をやっているけれど、
わたしは、本当に、長生きには興味がない。
長生きしたくない。
大事な息子に、迷惑かけたくない。
疎まれたくないから、惜しまれるくらいで死にたい。

うちの両親は二人とも、
命に係わるような病気になり、手術をして、
乗り越えて長生きしているが、
お姑さんは、胆のうを摘出した以外、
どこも悪くなくて、体は元気なのだ。

9月生まれなので、もうすぐ91歳になられるが、
何か楽しみはあるのだろうか。
デイサービスに行き始めたので、その日が楽しみになればいいけれど。

わたしは絶対に長生きしたくない。
70代で死にたい。息子に迷惑かけたくない。

夫の精神がもつのか、心配だ。
色々わかってルーティンになれば大丈夫だよ、と言っていたが、
それでも心は辛いことが多いだろうと思う。

老人一人を介護するのに、こんなに人手がかかるとは、
知らなかった。
本当に大変だ。

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こうして生きて行く。

わたしは、小さいころから、睡眠のコントロールが出来ない。

赤ちゃんの頃は、良く寝て、寝てばかりいて、
非常に手のかからない赤ん坊だったそうだ。

けれど、保育園児時代、わたしはもう、
睡眠については悩みがあった。

わたしの町では、なぜだかわからないが、
4歳児は保育園に行き、
5歳児は、小学校の付属幼稚園に入る習わしだった。

母親は、当時、ミシンで内職をしていたはずだが、
母親が働いていない家庭でも、
子供は一年間は保育園に入れた。

よその地方では知らないが、その町では、
お寺が、保育園を経営しており、
東にあった寺の保育園は東保育園で、
西にあった寺の保育園は、単純に、西保育園といった。

わたしは東保育園で、送りには母が行っていたが、
お迎えというものはなく、同じ方面に帰る子どもを、
先生が送って行った。

わたしは、保育園で、たびたび、お漏らしをした。

それは、お絵かきとかをやっていると、
いつ、中断してトイレに行けばいいのかわからず、
それ以前に、中断するということが、すごく苦手だったので、
お絵描きをしていると、いつも漏らしてしまうのだ。

しょっちゅう漏らすのだから、母も学習して、
替えのパンツを持たせてくれればいいのに、
わたしはその寺の娘の、大きなパンツを借りてはかされて、
帰ってくるたびに、母に、「またか。」と言われた。
そればかりか、よその子の親に、
うちの子またおもらしして、ミナヨちゃんのパンツ借りてたわ、と
言いふらすのだ。

思うに、中断することができないのは、
なんらかの発達障害だったのではないだろうかと思う。

保育園では、まずい給食と、吐きそうな脱脂粉乳が出た。
実際、みんなその脱脂粉乳には、よく吐いた。

そのあと、強制的に、お昼寝の時間がある。

講堂で一斉に子供たちが寝るのだが、
わたしは、いつも全然寝付けない。
他の子たちがすやすや眠っているので、身じろぎもせず横たわり、
やがて、ようやく眠りに入った頃に、
起きるための音楽が鳴り響くのだ。

寝付いたばかりで、その曲で叩き起こされるのだから、
わたしはその曲が大嫌いだった。

それが、「トルコ行進曲」であったことを、
小学校の高学年になって知ったが、
やはり、いやーな気持ちになり、今も聞いたら、嫌な気分になると思う。

そんな風に、小さいころから寝つきが悪かったのだ。

小学生になってもそれは治らず、
ある、決まったルーティーンをしないと、絶対に寝付けなかった。
朝起きることが、とても苦手だった。

唯一、自転車に乗れるようになった、中一になる春休みに、
朝、5時に起きて、ゴンを起こしてた。
ゴンは小屋に居て、寝ぼけまなこで出て来て、
それでも嬉しそうにニコニコする。

自転車の前カゴに、ゴンを乗せて、
中学校までの通学路を練習した。

わたしはずっと自転車に乗れず、
近所の親しかったおじさんがある日、わたしを乗せてグランドに行き、
さあ、乗って見ろと言ってわたしを乗せ、
はあはあ言いながら後ろを押して、
手を離すと、「いいからただ漕げ!」と叫んだ。

何年も親に練習させられたが、わたしは乗れるようにならず、
そのおじさんは、一瞬で、わたしを乗れるようにしてくれたのだった。

カゴに入れると、ゴンは暴れることもなく、
風を受けて、気持ちよさそうに、乗っていた。
ゴン。
あの時、二人で、幸せだったね。
たった三年しか一緒に居られなかったけど、
一生忘れないよ。


うつ病になって、治る人は、
うつ病になってしまったなにか明確な出来事や、
対人関係があって、
そこから抜け出せる人に限られると思う。

そうではなく、わたしのように、生まれ持ってうつ体質であるならば、
治ることは望めない。

このまま生きて行くだけのことだ。

前も向かないし、立ち上がって走り出すこともしない。
明るい未来もない。

でも、それでいい。
こんなわたしでも、子供を授かり、いい子に育って、
幸せな結婚をしてくれたのだから、
別にもう、これ以上、望むことはない。

この部屋で、愛おしい物たちに囲まれて、静かに生きて、
静かに死んでいく。
それだけのことだ。

それを後ろ向きだとは考えないし、
自分にはこれが合っている。

さあ立て、前を向け、歩き出せと言われても、
そんな芸当はできない。

前進するだけが人生ではない。
とどまっていることも、別にいいじゃないか。
わたしはそう思う。

だから一生、ゴンを思えば、泣くのだ。

                                              伽羅moon3

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